098 「卍/ベルリン・アフェア」 "Interno Berlinese" (1985年 伊・独) リリアーナ・カヴァーニ 今回取り上げる映画、「卍/ベルリン・アフェア」"Interno Berlinese"(1985年 伊・独)の原作は谷崎潤一郎の小説「卍」。出演はグドルン・ランドグレーベ、ケビン・マクナリー、ミツコに高樹澪、辻村ジュサブローも姿を見せています。なんと、日本では劇場未公開なんですね。 1938年のベルリン。ナチスの外交官の妻ルイーズは美術学校で日本大使の娘、ミツコと出会い、その美しさに心を打たれる。彼女はミツコを自宅に招き、着物の着付けを教えてもらううち、恋に落ちる。ルイーズの夫ハインツもまたバイセクシャルのミツコと関係を持ち・・・と、概ね原作どおりのstory。 大きな違いは、1938年のベルリンを舞台としていること。冒頭でルイーズが数年会っていなかった元文学教授を訪ね、この物語を語り、最後は語り終えたルイーズに、教授はいつか自分の最新の物語を出版するようにと勧め、彼はゲシュタポに逮捕され連行されてゆく・・・といった枠物語になっているところ。 ミツコにデッサンの練習のモデルをお願いして、すぐに、このふたりが恋愛関係にあるという噂が広まってしまうのですが、この噂によって、かえってふたりは接近し・・・ルイーズは教授に「ある瞬間、私たちは笑っていましたが、次の瞬間には愛し合っていました」と打ち明けています。同じくリリアーナ・カヴァーニの「愛の嵐」を思い出しますね。 舞台をナチス・ドイツのベルリンに設定したというのは、「愛の嵐」と同様、頽廃をナチスの第三帝国に描きたかったのでしょう。これはリリアーナ・カヴァーニが谷崎潤一郎の原作をどう読んだのかがあらわれているところ。一方で、ナチス政権が反体制派を排除するために、道徳運動を口実にその同性愛を暴く陰謀も描かれており、皮肉にもルイーズとハインツもこれに手を貸すというエピソードがあります。これは物語を設定に馴染ませる効果がありますね。 当然のことに原作における関西弁は消えて、ミツコは典型的なファム・ファタール(宿命の女)とされており、それは原作でも同じことなんですが、どうもそのエロティシズムが東洋の神秘のように見えてしまうところが、これは狙いどおりなのかどうか・・・。高木澪のミツコも無表情系で、辻村ジュサブローも登場して異国情緒を添えていますのでね。ヨーロッパではそのように受け取られてしまうんじゃないでしょうか。また、デカダンな雰囲気を際立たせたこととトレードオフで、心理的マゾヒズムの側面は薄れてしまったようです。 さて、じつは以前原作である谷崎潤一郎の「卍」について取り上げようかと思ったのですが、どうも上手くまとまらなくて見送っていました。今回、せっかくの機会なので、「本も読む」として、原作小説を取りあげてみようと思います。テーマは大阪弁について― 本も読む 谷崎潤一郎「卍」の大阪弁について 谷崎潤一郎の「卍」と言えば、女性の同性愛を描いた小説、という以上に、大阪弁(大阪ことば)で書かれた小説ですね。この小説は昭和3年から4年にかけて雑誌「改造」に断続的に掲載されました。その連載第一回は標準語の日常語で書かれ、第二回囲碁は大阪ことばになっています。これは関西の若い婦人に大阪ことばに「翻訳」させたものに谷崎が手を入れたものです。単行本になるときに、第1回連載分も大阪ことばに書き改められ、さらに全体を推敲して手を加えています。 以上が通説―ところが、じっさいは連載第二回も標準語で、第三回の後半あたりから大阪ことばが混入しはじめ、だんだん増えてゆき、第九回で会話も地の文も大阪弁で一貫した形となった、というのが本当のようです。 一般に、「卍」の文体はあまりいい大阪ことばではない、純粋な大阪ことばとは異なる、と言われます。「谷崎文学と肯定の欲望」(文藝春秋)の著者、河野多恵子は、それでも(雑誌連載時の)原文の説話体が、純粋でないような大阪ことばが似合うような標準語で書かれているのではないか、だから現在読める「卍」の方言の問題を否定する理由はないのではないかと考えて、原文には現「卍」の大阪ことばにするしかなかったような弱点があるのではないか、と予想したそうです。 ところが、じっさいに原文を読んでみたところ、その文体はまことに立派であった、現「卍」の大阪ことばを標準語に翻訳したら、この最初の原文とは著しくかけ離れたものになるに違いない、とまで考えたそうです。つまり、原文の趣を現「卍」は伝えきれていない、ということです。 谷崎によれば、方言の顧問として、助手2名を雇ったということで、これは大阪府女子専門学校英文科第一期生武市遊亀子と第二期生江田治江。はじめは武市遊亀子ひとりだったのですが、結婚して家庭に入ったため、江田治江が後を引き継いだということのようです。じつは、江田治江は武市遊亀子の大阪ことば訳に否定的だったらしいのです。そもそも武市遊亀子は岡山あたりの出身で、高等女子学校は大阪でしたから、ひととおりの大阪ことばには通じていたと思われますが、必ずしも適任ではなかったのかもしれません。 しかし、谷崎からは語り手の女性向きでさえあれば、とくに正確な大阪ことばでなくてもよいので、前任者と同じ調子で続けるように、と言われて、この意向を尊重することにしたそうです。谷崎にとってみれば、関東大震災以後関西に移住してから5、6年、しかも40に手が届く年齢になっていたことを考えると、大阪ことばを自在に使いこなすのはもちろん、標準語との細かなニュアンスの相違を読み取ることも難しかったのでしょう。 しかし、河野多恵子は下訳者の人選も、当を得たものではなかったと指摘しています。これは一代目の武市遊亀子が大阪出身でなかったことを指すのではなく、彼女や江田治江が下訳者とされた基本的な理由は、彼女たちが当時の一般的な女性よりも少し豊かな教養を持つ若い関西女性であるという、「卍」の語り手の女性との類似性にあったものと思われるわけですが、ここに問題があると―。 そもそもことばというものは意思伝達の手段、会話の場合は書かれた言葉のような緻密さには遠く及ばなくても、微妙な伝達の機能は豊かに備えている。大阪ことばというものは、商人の町の取引上の駆け引きの必要上、曖昧な用語や言い回しが発達している、などというのは表面的な聞き取りから生まれた意見で、じつは曖昧なようでいて言うべきことの核心は明確に伝わるようにできている。そのうえ、人間関係次第で、敬語、謙譲語とは別に、さまざまな用語と言い回し、さらにはアクセントの置き方まで違っている。 従って、大阪ことばを間違いなく受け取り、使えることができるためには、ただ大阪生まれの大阪育ちというだけでは無理、多くのさまざまな人間関係での経験が必要になってくる。昔の女性で言えば、大家族でそのなかには複雑な事情のある者もいるような家庭で育ち、婚家先には煩い親戚関係が多いというような中年以上の人などが、大阪ことばの使い方も受け取り方も巧みなのである―と。このように考えると、「卍」の下訳者としては、武市遊亀子や江田治江のような専門学校を出たばかりの若い女性では適任だったとは思えない、というわけです。 それにしても、谷崎はなぜこうまで関西にこだわるようになったのか? そんな谷崎の欲望といえばマゾヒズム。当初、谷崎は肉体的マゾヒズムを描くために、対象となる女性を玄人筋に求めていました。ところが、やがてそれは破綻をきたすようになって、素人の女性を相手にした心理的マゾヒズムに移行していった。それを可能にしてくれたのが関西という土地なんですね。 谷崎が関西に移住したのは関東大震災がきっかけで、やむなくそうしたことなんですが、これが心理的マゾヒズムを満足させてくれそうな地だったのです。なぜならそこには自分の好みのままに、さまざまの凝った趣向をこらして楽しむ男たちがいて、そんな男の夢を完璧に満足させてくれる女たちがいる、と・・・。それが関西賛美へとつながり、生まれたのが「卍」「蓼食ふ虫」「春琴抄」「細雪」といった作品だったわけです。 (Kundry) 参考文献 「卍(まんじ)」 谷崎潤一郎 新潮文庫 「谷崎文学と肯定の欲望」 河野多恵子 文藝春秋 |