099 ナチスが登場する(というだけの)B級ホラー映画




 ナチスを扱った映画―というのは、ナチスをテーマにしたドラマもあれば、単にモチーフのひとつとして使っている映画も含めてのこと。とりあえず正攻法でナチスや第三帝国をテーマにした映画は別として・・・。

 たとえば、1970年代に百花繚乱の様相を呈した「ナチ女収容所」もの。ポルノとまでいかなくても、やたら暴力とエロを売り物にした、いわゆるナチスプロイテーション映画の代表ともいうべき、女看守長イルザものなんてありましたよね。あのイルザを演じた女優ダイアン・ソーン、いまなにをしているのかなーと思ったら、ご主人とラスベガスに住んで、結婚式の司会業などやっているそうです。イルザ看守長の司会だなんて、ファンにはたまらない、ファンでなくてもたまらない結婚式ですね(笑)

 そうかと思うと、ダリオ・アルジェント監督の「フェノミナ」"Phenomena"(1985年 伊)は、ジェニファー・コネリー主演の、虫と心を通じ合わせることのできる少女を巡るサイキック・ホラーですが、じつはこれがナチスが勝利した世界を描いているという裏設定。そんなのまで持ち出していたら、元ナチスの医者が・・・なんて映画は結構あって、ああ、もうきりがない。

 そこで今回はB級ホラー映画に絞って取り上げてみることにします。1本1本の重みはありませんが、4本立てとすればそこそこの密度になるんじゃないかな。

 「ナチス・ゾンビ/吸血機甲師団」 "Le lac des morts vivants" (1980年 仏・西) J.A.Lazer


「おおー、今日はいい天気だなー♪」(効果音:小鳥のさえずり)

 フランスが舞台のゾンビものです。

 stoyは―

 第二次大戦中、侵略した村で殺されたドイツの機攻師団。村人は彼らを殺害して湖に沈める。が、時を経て湖の付近で村人が次々殺される事件が発生。もちろん、ゾンビとして甦ったドイツ兵たちが、村人を襲っていたんですよ。村の娘ヘレナは、ゾンビ兵士たちの中に、死んだ父親の姿を見つける・・・。

 原題は"Le lac des morts vivants"、「生ける死者の湖」です。もう見るからに低予算。ゾンビも数えるくらいしかいないし。特殊メイクというほどのメイクでもなくて、ただ顔が緑色になっているだけと、いろいろツッコミどころはあるんですが、ひとつこの映画独特のヘンなところを指摘しておくと、前半ずーっと、小鳥のさえずりが聞こえているんですよ。若い娘さんがゾンビに襲われようが、噛み殺されようが、回想シーンでナチスと村人たちが戦闘していようが・・・。後半になると一応音楽で多少(わずかに)雰囲気を演出してくるんですが、BGMや音響で緩急つけてくるホラー映画には求めても得られない、なんとものどかな感覚を味わえるところが、貴重といえば貴重です。

 ちなみに回想シーンの長いこと・・・戦時描写でおよそ20分。そのうち5分ほどは町の娘さんとドイツ兵のラブシーンですから、いったいおれはいまなんの映画を観ているんだっけ・・・という不思議な感覚にとらわれます。

 ほかに、うら若き娘さんたちが湖を水着もつけずに泳ぎまわっているサービスカットも、いかにもB級のテイスト。その脱衣シーンから水の中で「きゃいきゃい」騒いでいるシーンまで、中途半端に長くてメリハリがない、おまけに演出もカメラワークもありゃしませんから、なんだか盗撮videoを見ているような罪悪感に襲われてしまいます。


個人的な苦労を言わせていただくと、「見えすぎない」画像を選ぶのも結構面倒なんですよ。

 監督のJ・A・レイザーというのは、急遽呼び出されて監督を頼まれたジャン・ローランの変名。「催淫吸血鬼」"Le frisson des vampires"(1970年 仏)、「血に濡れた肉唇」"Levres de Sang"(1975年 仏)などといった、エロティックな吸血鬼ものを得意とするフランスの監督ですね。いや、この人の映画はstoryが破綻していても、独特の様式美を見せる、捨て難い作品が多いのですが、ここでは映像に関するこだわりを一切捨ててしまっているようです。ちなみに人手が足りなかったんでしょうか、監督自身がエキストラとしてゾンビに襲われる警官役を演じています。


ロクに抵抗もしません(笑)

 なんでも、予定されていた監督が撮影開始前日にいなくなっちゃって、急に頼みこまれたローランが渋々撮影したんだとか。休暇中に呼びつけられて、予算も時間もないのに「あとよろ」と任されて、どうも気乗りがしないというか、あんまりヤル気がなかったらしい(いつものこと? 笑)だから偽名。わりあい早い時期にジャン・ローランの監督作であることが周知の事実となって、ローランもずいぶん迷惑したらしい(笑)とはいえ、現場では結構楽しそうだったとも言われています。


親娘の情愛ものでゴーインにねじ伏せます(笑)

 甦った「ナチス・ゾンビ」の中には、村娘と恋に落ちた兵士の姿もあり、彼がかつてその娘が住んでいた家へと入っていくと、そこにはひとりの少女の姿が。じつは彼女こそ、村娘と彼との間に生まれた子供なんですね。驚いている少女に、兵士ゾンビは首にかかっているネックレスを見せる。それは少女の母親が写真の中で付けているネックレスと同じものだった。少女はそれを見て微笑む・・・って、映画の観客並みに察しのいい少女ですNA(笑)

 で、この兵士ゾンビが自分の父親であることを知った少女は、それ以降ゾンビとの交流を深めるようになるのですが、最後は父親に永遠の安らぎを与えるため、小屋に誘い込んで村人たちが火を放つ。少女の目に涙・・・という結末。


お話しとは関係ありませんが、こういうことをしているとゾンビに襲われてしまうのはお約束。

 あと、少女の乳母らしき人が、storyの展開上泣いているであろうシーンで、どう見ても笑っているように見えるのがなんともかんとも・・・(笑)


いや、ホントに笑いころげているように聞こえるんですよ。


 「ゲシュタポ卍(ナチ)死霊軍団/カリブゾンビ」 "SHOCK WAVES" (1976年 米) ケン・ウィーダーホーン
 ※ 「卍」は正しくはナチス鉤十字


シルエットにしたのは上手い。なかなかいい雰囲気です。

 storyは―

 カリブ海で座礁したクルーザーは、忽然と現れた謎の幽霊船と遭遇。一行は近くの島に上陸するが、そこには元ナチスの老科学者がひとり住んでいた。その科学者は戦時中、決して死なない“死の兵士”を造った人物。そしてその制御ができなくなって、科学者は兵士を乗せた船をカリブの海底に沈めていた。それこそが一行が目撃した幽霊船で、やがて海中からはゴーグルを付けたドイツ軍ゾンビ兵士の一団が島に向かって進軍を開始した・・・。

 出演はピーター・カッシング、ルーク・ハルビン、ブルック・アダムスにジョン・キャラダイン。ピーター・カッシングとジョン・キャラダインの二大怪奇スターの共演なんですが、クルーザーの船長に扮するキャラダインは島へ上陸する前に溺死してしまいますから、同一画面には映らず。元ナチスの老科学者を演じるピーター・カッシングはさすがの貫禄です。


ピーター・カッシングには、やっぱりキリリと冷徹な表情が似合います。

 ナチスが造った水中戦闘用ゾンビ兵士という設定は悪くはありません。もっとも、ゴーグルを外されると死んでしまうというのも、なんだかひ弱だなあ。ま、ゾンビが死ぬっちゅうのもおかしな話なんで、一応弱点も設定しておいたよ、ってことでしょう。そうすりゃ追われる側の人間にもチャンスが与えられるということですからね。ただ、演出が凡庸かつ要領を得ない感じで、緊張感が保たれず、ところどころで弛緩してしまうのがツラいところ。

 それでは、これがまるで価値のない映画かというとさにあらず、上記「ナチス・ゾンビ/吸血機甲師団」と「サンゲリア」"Zombie"(1979年 伊・米)に先駆けて、ゾンビの水中歩行シーンがあるというので有名な作品です。とくに海外では結構な人気作のようで、B級扱いしたら叱られちゃうかも。その軍服も、一兵士ではなくて、これ、親衛隊の制服じゃないですかね。これに身を包んだゾンビが海底をゆっくり歩いてくる姿はなかなかの印象を残します。水中から静かに現れたり、また水中に消えたり。狙った相手の殺害方法も黙って水中へ引きずり込むというシンプルなものなんですが、ジタバタしないで手際よくやってのけるので、サマになるんですよ。


私が観たのはBLUE UNDERGROUND版DVDなんですが、画質はいまひとつ。

 特殊メイクを担当したのは、有名な自主製作ゾンビ映画「死体と遊ぶな子供たち」"Children Shouldn't Play With Dead Things"(1972年 米)で特殊メイク・脚本・主演を務めたアラン・オームズビー。このメイクがなかなかのもので、ゾンビ兵士たちの土気色で皺だらけの皮膚は、いかにも水にふやけたように見えるし、ゴーグルをはずされて死んだゾンビの顔面が、時間がたつと腐れ果てていくというカットもあり。基本的にグロテスクなシーンはこれだけで、全体としては画的に地味。しかしながら、ゾンビ兵士たちは不気味な存在感を放ち、惻々とした恐怖に訴えるあたり、案外と上品ですね。なるほど、一部で評価が高いのも頷けます。


とくにゾンビたちの動作等に関しては、決して悪い演出ではありません。全体の構成が「ゆるい」んです。

 ちょっと気になったのが、ヒロインのブルック・アダムス。常時ブラウスの前をはだけており、全篇にわたって胸もとチラ見せ状態。いやそうなるともう「チラ見せ」という表現ではすまないんですがね。こらこら、いいかげんボタンをとめなさいと注意したくなります。


 「処刑山 -デッド卍スノウ-」 "Doed snoe" (2009年 諾) トミー・ウィルコラ
 
※ 「卍」は正しくはナチス鉤十字


この旗、ヨーロッパでは、映画の撮影でもなければ、うっかり所持できないはず。

 ノルウェー産のホラー映画というのはめずらしいですね。

 storyは―

 医学生たちが卒業前の休暇を利用して雪山を訪れる。そこにあらわれたのが怪しげな小父さん。彼は地元の人間で、学生たちが訪れている雪山は、かつてナチスが暴虐の限りを尽くした後に全滅した土地だと語る。この話をうさん臭く思う学生たちだったが、山小屋の床下にナチスが隠したと思われる財宝を発見。すると冷凍されていたナチスの兵士たちがゾンビとして復活し、学生たちを襲いはじめる。ナチゾンビたちによって数名が食い殺されるが、生き延びた者は斧やマシンガンで武装して、友人の弔いのために反撃を開始・・・。


少々汚れてはおりますが、身だしなみのきちんとしたゾンビです。もっとも、そうでなけりゃナチスの軍人に見えませんからね(笑)

 キャッチコピーの「海に行けばよかった」が笑わせますね。これ、配給元が勝手に付けたものではありません、じっさいに、登場人物が口にすることばです。つまり、スプラッター・ホラーなんですが、ちょっとコメディ的な要素もある。

 いわゆる、「旅先で酷い目にあった」というホラー映画のひとつの定型で、見るからに低予算。中盤までは暗いシーンが多くて、観ていて疲れるんですが、楽しい雰囲気がやがて不穏になっていくという雰囲気造りはなかなか上手い。感情移入するほどではないにしても、キャラクターもひとりひとり、それぞれの見せ場があります。おまけに主役顔のイケメン、かわいらしい女優さんがあっさりと殺されてしまって、最後に残ったふたりは、まさかのこいつらか・・・と予想を裏切る展開も。


思えば、走るゾンビっていうのもひさしぶりに観ましたね。

 終盤は一転して昼間の白銀の世界。おまけに豪快な血みどろスプラッター合戦。いやあ、もう血まみれなんですけどね、白い雪原をバックに見ると、赤い色もなかなか映えますNA(笑)安っぽいメッセージ性の強調もなく、そのスプラッター表現にも新しいものはない、お約束どおりに、あるいはお約束を裏切って、後半はB級なりにストレートにアクセル全開。登場人物ときたら息を引き取る最後の瞬間までボケることを忘れない律儀さ。その緊張感の欠如に対して、隊列を組みながら猛ダッシュで追いかけてくるナチスゾンビは必死の形相。というわけで、この映画の見どころはもっぱら後半。


いちばん頼りなさそうだったふたりが結構勇ましく見えてしまうのは、こちらもムードにのせられちゃっているということですね(笑)

 だからスプラッターといっても、どこかのほほんとしたおバカなノリが勝っていて、ラストの、「ああ、やっちまった・・・」というオチも、これは劇場で見ていたら笑うところでショ。

 その後、2014年に「処刑山 ナチゾンビVSソビエトゾンビ」"Doed snoe"が公開されているそうなんですが、私は未見。機会があったら観てみたいですね。


 「デビルズ・ロック ナチス極秘実験」 "The Devil's Rock" (2011年 新) ポール・カンピオン


要塞内部の陰鬱な雰囲気はいいですね。

 知る人ぞ知る「アルバトロス」のDVDです。これまためずらしい、ニュージーランド産のホラー映画です。

 storyは―

 第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦(いわゆるD-day)前夜、1944年6月5日、ノルマンディーからドイツ軍の注意を逸らすために、チャネル諸島で破壊活動を遂行するべく派遣されたニュージーランド兵グローガン。ところが上陸した島ではヒトラーの命令により、黒魔術実験が行われ、出現した悪魔がドイツ兵を食い殺しており、ひとりのナチス軍人、マイヤー大佐が残っているのみだった。悪魔を挟んで繰り広げられる、グローガンとマイヤー大佐の心理戦・・・。


悪魔は、これを見る者の人の愛する人の姿をとる・・・って、なかなかよく分かっている設定じゃないですか。

 上陸した島やナチスの要塞などはいい雰囲気です。主人公の同僚はすぐに死んでしまうので、登場人物は悪魔を除けば2名(悪魔も女性の姿を見せるのでじっさいは4名かな)。派手なアクションシーンなどはなく、ナチス高官との駆け引きと、悪魔との心理戦で物語が展開します。悪魔と対抗できるのは黒魔術ということで、それなりにオカルト風味のある映画になっています。低予算ながら俳優陣の演技は立派なもので、なかなかおもしろく観ることができました。


正体をあらわした悪魔はちょっと安っぽいですね。


 さて、以上4本。こんなことを言ってはミもフタもないんですが、どれもこれも、ナチスを出してくる意味があったんでしょうか。かろうじて「デビルズ・ロック ナチス極秘実験」は、あくまで通俗的なレベルでの、ナチズムにおけるオカルティズムの要素を連想させないこともない。しかし後の3本は別にナチスのゾンビである必要はありませんよね。多くの人がナチスに抱くimageを、説明抜きで利用できるという以外に、なにかメリットがあるのか・・・まあ、いくら悪者にしても、いくら醜く描いても、ナチスだったらどこからもクレームがこないということくらいでしょうか。

 近年、ヒトラーやナチスを題材とする映画が多数製作、公開されています。ヒトラー、ナチスを直接テーマとするもののほか、ホロコーストを扱ったもの、第二次大戦の戦線、戦後の東西ドイツやオーストリアなどをテーマにしたものも含めれば相当な数になるでしょう。

 一般に「ナチスの蛮行」などと言われますが、これはドイツ第三帝国という国家をあげての蛮行です。ナチスの高官からSS(親衛隊)にゲシュタポ(秘密警察)、じっさいの行動部隊、さらにはナチ党員、国家や地方の官吏、鉄道関係者、看守などといった一般国民に至るまでが積極的または傍観者的な消極性を持って関わってきた問題です。傍観者たる当時の一般市民だって、かなりの数が鬼籍に入っているはず。いまや終戦時20歳の青年が90歳の齢を超えて100歳になろうとしているんですからね。映画の題材となる史実と関係していた人物が亡くなったことで、敬遠されがちだったテーマを描くことが可能になったということもあるでしょう。

 もちろん、近年の欧米をはじめ世界各国で保守、右翼、排外主義的勢力が影響力を増大させつつあり、これに対するリベラル派の危惧、反発といった一面もあるのかもしれません。

 しかしそれ以上に、ナチスの蛮行とこれによる悲劇を描くことが、わりあい単純な作業だからではないでしょうか。つまり、ナチスは「絶対悪」であって、それを描くにあたって、一切の配慮をする必要がない対象なんですよ。人間ドラマをスリルとサスペンスを交えて描くにせよ、戦争映画としてアクション、スペクタクルの要素を際立たせるにせよ、歴史的事実を「被害者」「加害者」いずれの視点から描こうとも、ナチスの悪逆非道ぶりを展開して、どこからもクレームが寄せられる心配はない。どう描こうと問題はないのです。ドイツに限りませんよ。オーストリアなんかも被害者面して安心していられていたのは昔のこと。映画を制作する側は、楽ちんです。命の尊さ、平和と人間の平等を訴えたいのだと言っておけば、大丈夫。そんな製作にあたっての安易な姿勢による「ゆるみ」が、とりわけ今回取り上げたB級ホラー映画に、窺い見ることができるような気がします。


 (補足) プロイテーション映画について

 はじめのところで「ナチスプロイテーション映画」なんて言ってしまったので、少しばかり補足しておきます。

 プロイテーションexploitationとは搾取とか利己的利用という意味。映画用語では、正確には「エクスプロイテーション映画」"Exploitation films"と言って、興行利益を第一に低予算で手軽に売り上げを伸ばそうと、安易に制作された作品を指すことば。主に1950年代以降に量産されたアメリカ映画のジャンルのひとつで、興行成績をあげるため、アクションやセックス、暴力シーンなどを強調した大衆受け狙いの映画が多く、テーマの話題性を「利用する」"exploit"ため、こう呼ばれています。

 儲かるためには安く作って高く売る・たくさん売るのが基本ですから、制作費を抑える、つまり低予算。芸術性なんかどうでもいい、主義主張も捨てる、別に伝えたいことなんてない、storyも適当で、俳優の演技も大道具も小道具も、細かいことは気にしない。とにかく集客が見込める映画を・・・となると、やはり頼りになるのは性描写や暴力となるわけです。過激できわどい題材となると、ナチスあたりもまことに好都合。こうした映画がたまたまそれなりの出来であった場合、あるいは出来が悪いなりに話題になってしまったような場合、「カルト映画」と呼ばれることになるわけです。


(Hoffmann)



参考文献

 とくにありません。