107 「アンダーグラウンド」 (1995年 仏・独・洪) エミール・クストリッツァ




 エミール・クストリッツァの、祖国ユーゴスラヴィアへの思い。それが、この「アンダーグラウンド」です。単一の政党が支配し、ふたつの文字を持ち、3つの宗教が存在し、4つの言語が話され、5つの民族から成る、6つの共和国により構成され、7つの隣国と国境を接すると謳われた、バルカン半島に位置する連邦国家。クストリッツァはその6つの共和国のひとつ、ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国の首都サラエボの出身。



 本作はカンヌで、クストリッツァにとっては2度目となるパルム・ドールを受賞。しかし絶賛と同時に、物議を醸すことにもなりました。それは本作の内容が、ユーゴスラヴィア内戦を煽ったセルビアの民族主義寄りだとの批判によるもの。クストリッツァ自身は「自分はいかなる政治グループにも属していないし、特定の宗教も信じていない」と明言していたのですが、この弁明は諸刃の剣で、さまざまな政治的立場から、裏切り者扱いされる原因ともなっています。

 そうした糾弾のため、クストリッツァは1995年に「監督廃業宣言」するのですが、その後復帰。ところが、政治的な発言も解禁してしまったものか、ユーゴスラヴィア紛争におけるセルビア側の責任を否定して、西側諸国の干渉を批判。おまけにロシアのプーチンへの支持を公言して、「ロシア陸軍学術劇場」のディレクターに就任したとのニュースが報じらました。その直後、ロシアがウクライナに侵攻して、あわてて「就任」の件を否定するという迷走ぶり。はてさて・・・。

 とはいうものの、この映画「アンダーグラウンド」の価値はいささかも減ずることはありません。これこそ20世紀最大の傑作と言っている友人から教えられた映画です。その時国内盤は入手できなかったので、海外からDVDを取り寄せたのですが、観はじめたら止められなくなってしまいました。紛れもなく、世紀の傑作です。




 
あらすじは・・・なかなか簡単にはまとめられないので、適宜註釈を入れてお話ししましょう。註釈はfont色を変えておきます―

 (註釈 その1)

 まず前提として、第一次世界大戦後に、バルカン半島にユーゴスラヴィアが建国されたのですが、第二次大戦が始まると、ナチス・ドイツが侵攻。当時のユーゴスラヴィア政府は「日・独・伊三国同盟」に加わり、「親ナチス」の姿勢をとりました。しかし、これに反対する勢力がクーデターを起こし、政権の奪取に成功。怒ったヒトラーは、1941年4月にユーゴスラヴィアを侵略して、占領・分割。クロアチア地域ではウスタシャを新しい地域の為政者として承認し、同盟を結び、その他のユーゴスラヴィアの領土の一部はハンガリー、ブルガリア、イタリアへと引き渡され、残されたセルビア地域には、ドイツ軍が軍政を敷くとともに、ミラン・ネディッチ将軍率いる親独傀儡政権「セルビア救国政府」を樹立させます。

 映画は三部構成です

 第一部「戦争 (Deo Rat)」

 1941年、セルビアの首都ベオグラードでナチスが爆撃を開始したちょうどその頃、共産党員のマルコは、友人のクロを誘って入党させる。彼らはナチスやそのシンパを襲っては、武器と金を奪った。ナチスの猛攻を避けるため、マルコは、祖父の所有する屋敷の地下室に、避難民の一団を匿う。クロの妻は、そこで息子のヨヴァンを出産。そのまま息絶えてしまう。1943年、クロは女優ナタリアを拉致。結婚しようとするが、ナチスに逮捕され、拷問により重傷を負い、マルコの手で救出され、件の地下室へと運び込まれる。美しいナタリアに横恋慕したマルコは、クロを裏切り、彼女を我が物とする。




 (註釈 その2)

 ドイツ侵攻後、ユーゴスラヴィア王国政府はイギリスのロンドンに亡命政権を樹立しますが、これは旧来のユーゴスラヴィア王国内の矛盾を内包したままで、あまり士気も上がらず。ドイツに対する抵抗運動をリードしたのは、後にユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国大統領に就任するヨシップ・ブロズ・チトー率いるパルチザンで、東欧の国では唯一ソ連軍の力を借りずに、祖国ユーゴスラヴィアを自力で解放させました。戦後、1946年にはチトーが国家のリーダーとなって、ユーゴスラヴィアは社会主義体制下の連邦国家として再スタート。ユーゴスラヴィア連邦人民共和国の成立です。6つの共和国というのはマケドニア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロヴェニア、モンテネグロ。

 1948年にチトーがスターリンすなわちソ連と対立して、ソ連の支配から外れ、独自の路線を歩むことになりました。逆にアメリカが戦後のヨーロッパ再建とソ連への対抗策として打ち出したマーシャル・プランを受け入れる姿勢を取り、北大西洋条約機構と事実上間接的な同盟国となります。社会主義国でありながら大量の西側の兵器を米英から供与され、ソ連と和解したのは1960年代、スターリン批判でフルシチョフが指導者になったとき。これで東側の軍事支援も得ることとなったのですが、あくまで立場は中立的。一方で、ソ連から侵攻される可能性も念頭に置いて、兵器の国産化に力を入れています。これが後のユーゴスラヴィア紛争で利用されて、武力衝突を拡大させる原因ともなったのです。

 また、社会主義国ながら、東西どちらの陣営にも属さない特異な国家として、1961年頃からは「自由化」が進んでおり、1954年生まれのクストリッツアなどは、西側からの若者文化流入の全面的影響を受けた世代ということになります。


 第二部「冷戦 (Deo Hladni Rat)」

 1961年、チトー政権の要人となったマルコは、ユーゴスラヴィアはナチスの占領下に置かれたままで、地上では激しい戦闘が続いていると、地下に潜ったクロたちを騙し続けている。地下の人々は、小銃や戦車などの兵器を製造。マルコはそれを密売し、私腹を肥やすが、マルコの妻となったナタリアは、罪悪感に苛まれアルコールに溺れている。

 ところが、クロの息子ヨヴァンの結婚式で、マルコとナタリアの関係にクロが気付く。さらに猿のいたずらにより、戦車の砲弾が発射され、地下室に大穴が開く。クロは、息子ヨヴァンと共に外へ。ナチスを倒そうと意気込む彼らの前に現れたのは、英雄として讃えられるクロの生涯を映画化している撮影隊。ナチの軍服を着た俳優たちを「敵」と認識したクロとヨヴァンは、これを攻撃する。




 (註釈 その3)

 ユーゴスラヴィアは、6つの共和国と、セルビア共和国内のヴォイヴォディナとコソボの2つの自治州によって構成された連邦国家。当然多民族国家であり、その統治の難しさは、単一の政党が支配し、ふたつの文字を持ち、3つの宗教が存在し、4つの言語が話され、5つの民族からなる、6つの共和国により構成され、7つの隣国と国境を接すると言われる国家ならではのもの。このような国で戦後の長期間にわたって平和が続いたのは、チトーのカリスマ性故のこと。

 1980年にチトーが死去すると各地から不満が噴出することに。1980年代半ば頃から、南側の共和国や自治州がスロヴェニアの経済成長の足を引っ張っているとして、分離の気運が高まります。クロアチア人は政府がセルビアに牛耳られているとして不満を表明、セルビア人は自分たちの権限が押さえ込まれているとして不満を示します。経済問題については、成長が遅れているのは「社会主義でないこと」に原因があるとして、一方で経済的に発展している地域は「完全に自由化されていないこと」に対して不満を持っているという状態でした。

 そのような時期に東欧革命が起こって東欧の共産主義政権が一掃されると、ユーゴスラヴィア共産主義者同盟も一党支配を断念せざるを得なくなり、1990年に自由選挙を実施。その結果、各共和国には、それぞれ民族色の強い政権が樹立されて、民族間、共和国家間の対立が深まることになります。

 そして1991年6月に連邦の一員だったスロヴェニアとクロアチアの独立が宣言されたのをきっかけに、セルビア側からの軍事介入などで、ユーゴは内戦状態に。これが、以後2001年まで10年間続くこととなる「ユーゴスラヴィア紛争」。じつはこの紛争は、ドイツのハンス=ディートリヒ・ゲンシャー外務大臣が「戦争を防ぐために」欧州共同体内の合意形成を待たずに、フランスやオランダ、スペインなど他の加盟国やイギリス、アメリカ、ギリシャの反対を押しきって両国を国家承認したことが原因で起きたこと。これが連邦国家ユーゴスラヴィアにとどめを刺してしまう結果となったのです。最終的には、2006年のモンテネグロの独立をもって、ユーゴスラヴィアは完全に解体されることとなりました。

 第三部「戦争 (Deo Rat)」

 内戦状態となったユーゴの地で、マルコとナタリアは武器商人として軍事勢力と交渉中。その現場を見たイヴァンは車椅子のマルコを激しく問い詰め、杖で殴打し殺してしまう。兄殺しの罪を償うため、イヴァンは教会の鐘の綱で縊死する。商談に失敗し、戦火から逃げ遅れたマルコ(の遺体)とナタリアは名もなき兵士に捕らえられ、射殺後に火をつけられる。司令官であるクロがこれを見つけ、「マルコ、おれの兄弟。ナタリア、おれの恋人・・・」と嘆く。



 民兵と難民たちを引き連れ地下に潜ったクロは懐かしい地下にたどり着く。これまでの人生を嘆くクロはふいにヨヴァンの声を聞き、井戸を覗くとその底には結婚式の姿のままのヨヴァンが見える。井戸に飛び込み、地下水路からドナウ河に面した小さな半島に流れ着く。

 そこではヨヴァンとエレナの結婚式が行われている。死んだはずのクロの妻、地下室で戦火をくぐりぬけ、マルコに爆殺されたはずの仲間も宴を楽しんでいる。マルコも、ナタリアも正装して宴にやってくる。友情は蘇り、また楽しげな宴が繰り返される。小さな半島は陸から離れ、河を漂っていく・・・。

「苦痛と悲しみと喜びなしには、子供たちにこう語り伝えられない。“昔、ある所に国があった”と」



 この作品のベースになったのは、デュシャン・コバチュヴィッチが書き下ろした戯曲、ただし使われているのは「戦争が続いていると嘘をついて、人々を地下に閉じ込めた男の物語」という設定だけで、クストリッツァとコバチュヴィッチは、共同で脚本を執筆。なんでもクストリッツァの前作「アリゾナ・ドリーム」の主演俳優ジョニー・デップがマルコの弟イヴァン役に立候補したのですが、クストリッツアは、本作はユーゴの役者だけで撮りたかったので断わったとか。

 撮影は1993年10月にチェコスロヴァキアのプラハのスタジオではじめられ、その後断続的に旧ユーゴ、ドイツのベルリンとハンブルグ、ブルガリアを経て、1995年1月に旧ユーゴのベオグラードでクランク・アップ。いいですか、ユーゴスラヴィア内戦のさなかに制作されたのですよ。そのことをお忘れなく。

 ドナウ川にせり出した半島(というか小さな土地)に主要キャスト全員が揃う感動的なラストシーンは、バルカン半島ではなく、「ヨーロッパ全体のメタファーのつもり」だったというのがクストリッツァの言。また、人々を騙して地下に閉じ込めるマルコの行動は、情報を遮断して民衆の支持を集める、共産主義のメタファーと受け止めてかまわないとも語っています。



 全体としては感じられる「失われた祖国」への愛は、これはおそらく独立した各共和国のことではなく、旧ユーゴスラヴィア全体を指しているものと思われます。そう考えると、ヨーロッパで「大セルビア主義に近い立場から描かれている」との批判の声が上がったのは理解できません。セルビアに関してはなんでもかんでも悪であるとの先入観によるものではないでしょうか。

 物語としては、シリアスとユーモア両極端の要素が混在していることが最大の特徴。悲劇的な展開も、憎むべき悪徳も、純粋な希望も、すべてがスラップスティック・コメディの姿を借りて展開されている。それがクストリッツァの偉大なところで、たとえクストリッツァがどのような政治的な姿勢をとろうとも、これだけ自ら描きたいものを「客体化」できているということが、観る側の政治的姿勢を問わないということで、謂わば現代のお伽噺なんですよ。

 加えて、そうした作品への貢献著しいのが音楽です。全篇にわたって、ゴラン・ブレゴヴィッチによる音楽はユーゴのジプシー音楽、セルビア正教会の聖歌などをアレンジしており、「カラスニコフ」や「メセシーナ」などの名曲が主にブラスバンドで鳴り響くその時、画面では狂乱的な演技が展開されている(しかも、その楽隊もまた画面に登場している!)のですから、まさしく「総合芸術」。我が国で公開当時、「音楽がすばらしすぎて映画としての評価ができない」と話題になったのも頷けます。



 また、本作品ではじっさいの記録映像に主人公たちを合成で紛れ込ませるカットが多用されており、1941年のナチス爆撃、1944年の連合軍爆撃、ユーゴスラヴィア共和国誕生、トリエステ紛争、チトー大統領の葬儀などのシーンで使われている映像は、当時の貴重な映像です。たとえば、チトー大統領の葬儀シーンでは、ソ連のブレジネフ書記長やパレスチナのアラファト議長ほか、各国の首脳の姿を見ることができます。



 なお、ユーゴスラヴィアの歴史に関しては、柴宜弘の「ユーゴスラヴィア現代史 新版」(岩波新書)がコンパクトで入手しやすく、おすすめです。もともとは1996年に刊行されていましたが、2021年に全面改訂版が出て「新版」となっているので、お求めの際はご注意を。ただし、紛争に至る背景などに新たな視点はなく、旧版をお持ちの方がわざわざ入手する必要はありません。


(Klingsol)



参考文献

 とくにありません。