111 「裏窓」 "Rear Window" (1954年 米) アルフレッド・ヒッチコック ヒッチコックの「裏窓」です。ウィリアム・アイリッシュによる短編小説「裏窓」"It Had to Be Murder"が原作。ちなみにウィリアム・アイリッシュWilliam Irishはアメリカ合衆国の推理作家。本名はコーネル・ジョージ・ホプリー=ウールリッチCornell George Hopley-Woolrichといって、主にコーネル・ウールリッチの名前で創作活動を行っていましたが、一部の作品ではウィリアム・アイリッシュやジョージ・ホプリーという筆名を使用。この「裏窓」はウィリアム・アイリッシュ名義です。出演はジェームズ・ステュアート、グレース・ケリー。 撮影中の事故で足を骨折したため車椅子生活を余儀なくされているカメラマン、ジェフは、アパートの部屋の裏窓から周辺の住民を観察しているうちに、宝石の行商を行っている男が妻を殺したのではないかと疑いはじめ、社交界の華で恋人であるリサと看護師のステラとともに調査を開始する・・・というstory。 エアコンもない時代、激しい熱波が続く中、少しでも涼しいようにと窓を開けたままにしている隣人たち・・・とはいえ、あまりに開けっぴろげなのはご愛敬。ドラマのためには多少のリアリズムは無視してしまうのもヒッチコックらしいところで、しかし、とくに冒頭で、これをあまり不自然と感じさせないように、配慮しています。また、温度計を映す(暑い)、壊れたカメラを映す(主人公の職業と最近の出来事)、カーレースのクラッシュ、炎上の写真(主人公はこの事故でケガをしたと分かる)、女性のネガ写真(なぜか、素直に飾ることができない主人公)、といった按配に、冒頭、台詞なしで背景がほとんど説明されているところなどは、いかにもヒッチコックらしい。もちろんカメラワークも。いわゆる安楽椅子探偵ものの変形(車椅子探偵?)で、徹底してジェフの視点で裏窓越しに事件を展開させる手法もユニークです。それだけに、この視点が反転する場面はたいへん効果的ですね。 個人的に、この映画のなかで大いに注目したいのは次の3点― 1 グレース・ケリー扮するリサに言い寄られて、いかにもなツンデレぶりを披露するジェフ。 2 そして妻殺しの犯人であるソーワルドが中庭越しの部屋にいるジェフを見つけ、ジェフの暗い部屋に侵入してきたところ。ここでジェフはソーワルドの目を眩ますため(?)に、カメラのフラッシュを何度もたく。 3 そしてジェフは窓から突き落とされそうになり、ここに警察が到着。しかし一瞬遅くてジェフは落下、数日後、ジェフは両足にギブスを装着し、車椅子で休んでいる。その隣で、「ヒマラヤを越えて」という題名の本を読んでいるリサ。ジェフが寝ているのを見て、リサはファッション誌「バザー」を手に取る・・・というエンディングです。 ジェフの、リサに対する態度を「ツンデレ」なんて言ってしまいましたが、これを「拒否」と見るか、「逃避」と見るか。ジェフは裏窓越しに隣人たちを観察していますよね。そこには、ジェフが「ミス・ロンリーハーツ」とあだ名を付けている孤独な女性、新婚夫婦、作曲家、「ミス・トルソ」とあだ名を付けた美しいダンサー、花畑を掘り返すのが好きな小型犬を飼っている中年夫婦、そして寝たきりの妻を持ち宝石の行商を行っているラース・ソーワルドなどがいる。これは「視姦」にほかならない。覗き見は性的能力が変換されたものであり、これによって、現実の性的行為を回避できる。自分の側は手を出すことなく、隣人たちを欲望の対象としているわけです。つまり性的不能者による、性的活動の代償行為です。性的不能は片脚を骨折してギプスで固定されていることに暗喩されていますよね。ところが、映画の冒頭で、ギプスは一週間後に外される予定であることが語られています。性的行為を回避したいジェフとしては時間切れのピンチなのです。なんとかいまの状態にしがみついていたい。だから気の毒なリサは追い払われる存在になる。そこで、殺人犯のソーワルドは、じつはジェフの欲望を実現しているのだ、と言っているのはスラヴォイ・ジジェク。 見る者と見られる者、このバランスが崩れ去るのが、ソーワルドがジェフの視線に気がついて、こちらに視線を向けてきたとき。見る者は見返されることにより、安全圏から引きずり出されて、「行為者」になることが避けられなくなる。だから警察の到着後、ジェフは裏窓から転落するのです。つまり、観察(鑑賞)していた人間が、自ら裏窓というスクリーンの向こう側へ、舞台側へ、出て行かざるを得なくなる。 数日後、ジェフは両脚にギプスを装着していますよね。これは性的行為がとりあえず「延長」されたことを意味している。このとき、裏窓から見える風景は、犬を殺された夫婦が新しい子犬を手に入れ、新婚夫婦は初めての口論をし、ミス・トルソのボーイフレンドが軍隊から戻ってきて、ミス・ロンリーハーツは作曲家と付き合いはじめ、そしてソーワルドの部屋は改装中。ここに展開されているのは、いずれ結婚した後のジェフとリサの姿かも知れません。ふたりは平凡な夫婦になって犬を飼うかも知れないし、ときに口論しつつも幸福な新婚生活を送るかも知れない。もしかしたら、ジェフはリサを殺すことになるのかも・・・。それは窓のこちら側から見ている者、つまり我々次第なんですよ。 リサの方は単純で逞しい。両足にギブスを装着し、車椅子で休んでいるジェフの隣で、スポーティな衣装で「ヒマラヤを越えて」という本を読んでいる。これはジェフへの歩み寄り。しかしジェフが寝ているのを見て、リサは本を持ち替えてファッション雑誌を開く。「やっぱりこっちの方が・・・」という表情。ジェフが眠っていることに注意して下さい。ここまでのドラマがジェフの男性視点であったものが、ここでリサの女性視点に大転換しているんですよ。つまり、見られる立場であった(おそらく当人もそれを許容して、むしろ誇っていた)女性が、ここではボーイッシュな服装になって、ジェフが好みそうな「ヒマラヤを越えて」という本を読んでいる。これはぎりぎり「見られる側」。ところがジェフが眠っているのを見て、ファッション誌「バザー」に持ち替える。ここで「見る側」になっているんです。ジェフとの間で立場が逆転しているわけですが、きっと、リサはこのふたつの立場を行きつ戻りつして、上手く使い分けていくのでしょう。だから逞しい(笑) ソーワルドが部屋に侵入してきたときのカメラのフラッシュについて。これは、真面目に「もっとほかに方法はなかったの?」という感想を抱く人もいれば、この非現実的な手法によって幻想の対象は主体の力を奪い、動けなくさせるのだといった深読みをしている人(ジジェク)もいます。私は先ほど、「ジェフはソーワルドの目を眩ますため(?)」と「(?)」を付けましたが、これはヒッチコックのテクニックだと思います。つまり、殺人犯は「おまえは何者だ。なにが欲しいんだ」とジェフに問いただす・・・はっきり言って、ずいぶん間抜けなシーンですよね。ここはいきなり取っ組み合いになってしかるべき場面です。ところがそれだとジェフは助からない? 注意すべきは、覗き見や隣人の詮索が性的行動の代償行為であったジェフにとっては、ここで殺人犯と直面することが、重要な意味を持っているということです。ジジェクの言うように、ソーワルドがジェフの欲望を実現していたのかどうかは別としても(そうであればなおさら)、ジェフはここにおいてはじめて裏窓越し、カメラの望遠レンズ越しではなく、直接犯人と対面している。つまり、自分の欲望の問題を直視せざるを得なくなっているのです。だから、いきなり取っ組み合いにはできない。「おまえは何者だ。なにが欲しいんだ」という殺人犯の台詞はどうしても必要なのです。我々も、ジェフに問いたださなければならない。「おまえはなにをしていたんだ」と。そこで、この場面が間延びした印象を与えないためにはどうしたらいいか。こたえはスローモーションです。しかし、じっさいにスローモーションで撮るわけにもいかない。だからここでフラッシュの点滅を入れたのではないでしょうか。スローモーション的な描写・画面にしたということです。 (Klingsol) 引用文献・参考文献 「斜めから見る 大衆文化を通してラカン理論へ」 スラヴォイ・ジジェク 鈴木晶訳 青土社 |