121 「ナインスゲート」 "The Ninth Gate" (1999年 仏・西) ロマン・ポランスキー 映画「ナインスゲート」"The Ninth Gate"(1999年 仏・西)です。監督はロマン・ポランスキー。主演はジョニー・デップで、その他フランク・ランジェラ、ポランスキーの夫人であるエマニュエル・セニエも出演しています。 この映画を取り上げることにして、Hoffmannさんから原作本「呪のデュマ倶楽部」アルトゥーロ・ペレス=レベルテ、大熊榮訳(集英社)をお借りして一読したのですが、読んで驚いたのは、映画が原作とかなり異なることです。今回は「本も読み、映画も観る」と題した方がいいもしれません。 本も読み、映画も観る 「呪のデュマ倶楽部」と「ナインスゲート」 映画のstoryは単純です― ニューヨーク在住のディーン・コルソは、稀覯本のコレクターのために本を探したりその真贋を調査する「古書探偵」。そのコルソを大金で雇ったバルカンは、世界に3冊しか現存しない悪魔に関する稀覯本「ナインスゲート」に関して、自分の所有している1冊とその他の2冊の真贋を調べて欲しいとの調査を依頼。 ヨーロッパに飛んだコルソを監視しているのか守っているのか、正体不明の美しい謎の女。バルカンの本のもとも持ち主であるテルファー夫人も、本を奪い返そうとコルソを狙っている。 バルカンの本の来歴を調べると、もともとの所有者であるセニサ兄弟は、9枚の版画のうち3枚の署名が異なることを指摘する。他の2冊の所有者を訪ねるも、ふたりとも殺され、それぞれの「ナインスゲート」は焼かれてしまう。 コルソからバルカンの本を奪い取ったテルファー夫人を追って、謎の女の助力で夫人の秘密集会に潜入。そこへ現れたバルカンはテルファー夫人を殺害する。バルカンはコルソを使って情報を集めながら、自ら「ナインスゲート」の版画を奪っていたのだった。 版画をすべて集めて儀式を行い、不死身になったと確信したバルカンは、自らの身体に火をつける。しかし儀式は失敗。コルソの前に謎の女が現れて、9枚目の版画に不備があったと言う。本物の版画を手に入れたコルソは、自分が選ばれた人間であったことを知り・・・。 ・・・というわけで、わりあいわかりやすい、オカルティズムを巡る映画です。 これが、原作本だと、伝説の稀覯本「影の王国への九つの扉」"The Nine Gates of the Kindgom of the Shadows"のエピソードと並行して、アレクサンドル・デュマの「三銃士」の草稿をめぐる話が展開されます。 デュマを巡るstoryにはリアナ(自分はミレディーの生まれ変わりと信じている)、男(ロシュフォールの役回り、ボディガード)、バルカン(デュマ倶楽部の主催者で、リアナの愛人)、ポンテ(コルソの友人で、映画でのバーニー)などが登場。彼らは悪魔(崇拝)とは無関係です。 もう一つの流れが悪魔を呼び出す手引きとなる本「影の王国への九つの扉」を巡るstoryには、ボルハ(映画でのバルカン)、ファルガス、ウドゲルン男爵夫人(映画のケスラー男爵夫人)などが関わってくる・・・。 ちょっとHoffmannさんを呼んできましょう― Hoffmann:Kundryさんは映画を先に観たんだね。 Kundry:はい。Hoffmannさんはデュマの「三銃士」は読まれましたか? Hoffmann:父親の本棚に「ダルタニャン物語」全巻があったからね、子供の頃に読んだよ。 Kundry:「三銃士」は「ダルタニャン物語」の一部ですね。 Hoffmann:簡単に解説しておくと、この17世紀フランスやイギリスを舞台に、ガスコーニュ出身のダルタニャンの活躍を描いた長大な物語は、第1部「三銃士」、第2部「二十年後」、第3部「ブラジュロンヌ子爵」からなっている。 第1部の「三銃士」は、ルイ13世の治世下、田舎からパリに出て来た青年ダルタニャンが「三銃士」たち、すなわちアトス、アラミス、ポルトスと意気投合して大活躍するという話。 第2部「二十年後」は、文字どおりその20年後の話で、国内の貴族が対立するなかで、かつての四銃士たちも敵味方に分かれるというもの。 第3部 「ブラジュロンヌ子爵」は第2部からさらに10年後の話で、「太陽王」ルイの親政の時代、有名な「鉄仮面」のエピソードが含まれているこれまた長大な物語だ。 子供の頃に読んだのは鈴木力衛訳の箱入りの立派な本で、全11巻だったな。 1巻 「友を選ばば三銃士」 2巻 「妖婦ミレディーの秘密」 以上2巻が、つまり第一部の「三銃士」。 3巻 「我は王軍、友は叛軍」 4巻 「謎の修道僧」 5巻 「復讐鬼」 ここまでの3巻が第二部の「二十年後」。 6巻 「将軍と二つの影」 7巻 「ノートルダムの居酒屋」 8巻 「華麗なる饗宴」 9巻 「三つの恋の物語」 10巻 「鉄仮面」 11巻 「剣よ、さらば」、ここまでの6巻が第三部「ブラジュロンヌ子爵」だ。 Kundry:この「呪のデュマ倶楽部」には、デュマがひとりで書いたものではないとありますが・・・。 Hoffmann:それは本当。歴史教師であったオーギュスト・マケが草稿というか原案めいたものを書いて、デュマが手を加えて発表していたと言われている。著者名にマケの名前は表記されていないんだけどね。 Kundry:「三銃士」といえば、有名なことばがありますよね。 Hoffmann:「皆はひとりのために、ひとりはみんなのために」、という友情の誓いのことばだね。 Kundry:この小説でのデュマの草稿に関するstoryを追うと、著名な出版社オーナー・エンリケが自宅で首を吊って死体で発見されるのですが、死の直前に「三銃士」第42章のデュマ本人による肉筆原稿をある書籍販売業者に売却していた。その真贋鑑定を依頼されたのがコルソだった・・・ということになっています。 Hoffmann:なんだか「ありがち」な古書ミステリだよね。 Kundry:登場するのが頬に傷のある「ロシュフォールのような男」、「ミレディーのような」謎めいた美女、エンリケ未亡人リアナなんですよ。事件の真相は、エンリケはデュマを崇拝する「デュマ倶楽部」のメンバーによって自殺に追い込まれた・・・というもので、そもそもエンリケはデュマのファンでもなく、むしろよくいる、デュマを「大衆娯楽の作家で文学的価値が低い」と評価しているような人物だったのですね。これに異議を唱えるのがデュマ倶楽部の面々で・・・。 Hoffmann:なんのことはない、いいオトナが「三銃士」ごっこをしていたわけだ(笑) Kundry:Hoffmannさんはデュマの小説を文学的に評価されますか? Hoffmann:大衆娯楽小説だと思っているよ。ただ、とてもよくできている。子供の頃に読んだ・・・と言ったけど、じつは小学生の時だ。その時は結構夢中になって読んでしまったよ。でも、その後ン十年、読み返したことはない(笑) Kundry:「呪のデュマ倶楽部」は「三銃士」の、あるいは「ダルタニャン物語」を下敷きにしているのですか、それともパロディ? Hoffmann:登場人物が自らを「三銃士」の登場人物に擬してはいるけれど、下敷きにはしていないな。「パロディ」というものはその範囲が広いから、これもパロディとは言えるかもしれないけど。 Kundry:「三銃士」を読んでいない私でも、それなりにおもしろく読みましたが、この本を読むのに「三銃士」の知識は必須ですか? Hoffmann:必須ではないよ。いろいろ蘊蓄が傾けてあるじゃない? 著者はこれが書きたかったんだよ。そうなると、読者に「三銃士」の知識があることを前提として求めるか・・・そのあたりの匙加減が難しいところだ。 Kundry:「必須」ではないと・・・でも知っていればより愉しめるという程度でしょうか。この原作小説でふたつのstoryが絡まずに並行して語られる点についてはどう思われますか? Hoffmann:各章の語り手を変えるなどして工夫しているよね。ただ、それこそありがちな古書ミステリとオカルティズムを並行させたのは、竹と木を並べたみたいな印象だね。これは2本の小説にしてもよかったんじゃないかとも思えるけど、そうするとデュマの話だけじゃ保たないと判断したのかな。映画で、ポランスキーは(脚本家は)デュマ草稿の話をばっさりカットして、これはこれで上手くまとめていると思うよ。 Kundry:コルソやセニサ兄弟の一方が本を開いて煙草を喫ったり、灰を本の上に落としてしまったりするシーンで、ポランスキーは愛書家を分かっていない、とする声もあるようですが・・・。 Hoffmann:コルソもセニサも、別に愛書家じゃないからね(笑)この映画に登場するなかで、愛書家らしく描かれているのはファルガスだけだよ。 Kundry:そういえば、映画ではおだやかな初老の男でしたが、小説でのファルガスはかなりeccentricでしたね。ウドゲルン男爵夫人のナチス親衛隊と関わった過去とかも・・・。 Hoffmann:映画の方でもセニサ兄弟なんか謎めいているよね。面白い仕掛けもあるし(笑)でも、映画についてはKundryさんに任せるよ。 Kundry:あと、ひとつだけお願いします。エマニュエル・セニエ演じる謎の女性の正体はやはり・・・。 Hoffmann:(笑)ケスラー男爵夫人が殺されて、火事場から逃げ出したときに犬が見ているじゃない? ゲーテの「ファウスト」の昔から、犬に化けるのは悪魔だよ。 Kundry:そういえば、空港では少女の姿になっていましたね。どうもありがとうございました。 さて、映画についてですが、Hoffmannさんがおっしゃるとおり、上手くまとめられていると思います。それでも133分。密度が薄くなっていると感じさせないあたりはさすがです。あまりカメラを切り替えるよりも、長回しが基本。 エマニュエル・セニエ演じる謎の女は、若々しいうえにグリーンの瞳が妖しく、レナ・リオンのテルファー未亡人も、貴族出身で傲慢であり、どことなく下品なフェロモンを漂わせるあたり、はまり役ですね。フランク・ランジェラの存在感(若い頃よりずっといいですね)、セニサ兄弟の狂言回し的な役どころと、脇役まで含めて穴のないキャスティングです。こうなると、ジョニー・デップが「無難」と見えてしまうのですが、これで可も不可もない演技であるということは、十分に成功しているということです。 そうそう、色彩もいいと思いませんか? 1999年時点でも、video的な映画が多いものですが、これは出演者が煙草を喫っているからというわけでもないのですが(笑)ちょっとヤニっぽくて、いかにもmovieといった趣があると思います。 (Kundry) 参考文献 「呪のデュマ倶楽部」 アルトゥーロ・ペレス・レベルテ 大熊榮訳 集英社 |