126 「恋人たちの曲 / 悲愴」 "The Music Lovers" (1970年 英) ケン・ラッセル 作曲家エルガーのドキュメンタリーやディーリアスの伝記映画を監督しているケン・ラッセルですが、これはチャイコフスキーの伝記映画ではありません。この映画を観て、チャイコフスキーの生涯そのものだなんて絶対に思わないように。 左はチャイコフスキー、中央はチャイコフスキーとアントニーナ・ミリューコヴァ、右はナジェジタ・フォン・メック夫人 これはチャイコフスキーの人生を素材にして、嘘と真を混ぜ合わせて、すなわち、伝えられている事実に「嘘」の部分を付け加えたり差し替えたりして再構成した「ドラマ」です。これを伝記映画だと受け取ってしまうと、その付け加えられたところ、差し替えられたところが、もっぱらチャイコフスキーのダークな側面なので、良くも悪くも「スキャンダラス」な映画だと思われてしまうことになる。そのまま事実ではないと分かる人なら「ナンセンス」と思うかもしれない。しかし、繰り返しになりますが、これはチャイコフスキーの伝記映画ではないのですから、まずドラマとして観てください。その上で「ナンセンス」かどうか判断するのがヨロシイかと思います。つまりこの映画はチャイコフスキーを描いており、素材にチャイコフスキーの生涯の出来事を採用しているのはたしかで、それが少々グロテスクに脚色されたドラマになっているんだと思えば、これはこれで「あり」なんじゃないか。 ケン・ラッセル 映像はケン・ラッセルらしいもの―幻想的なフラッシュバックや悪夢が、チャイコフスキーの音楽にぴったりと重ねられています。いつものことながら、音楽の使い方は巧みですね。その映像は、人によってはあざといまでにグロテスクで悪趣味ととられるかもしれませんが、これもまた人間の真実。 トントン拍子に「出世」していくところでは弟モデストが大活躍。大序曲「1812年」の音楽にのせて、数分間で表現しています。下段の2カットは過去のしがらみを断ち切ってゆく過程を描いているわけです。 出演はチャイコフスキーにリチャード・チェンバレン、ニーナにグレンダ・ジャクソン、このふたりがすばらしい。そのほか、マックス・エイドリアン、クリストファー・ゲーブル、ケネス・コリー、イザベラ・テレジンスカが脇を支えています。 ニーナ(アントニーナ・ミリューコヴァ)の登場場面。ニーナも夢見がちですが、じつはチャイコフスキーも同様なんです。 結論から言ってしまえば、私は、これこそケン・ラッセルの最高傑作であり、古今の映画のベスト10に入るものと断定して差し支えないと考えています。 これは史実に基づいて、チャイコフスキーの生涯を忠実に追った伝記映画ではないのですが、ここに描かれているのは、チャイコフスキーという作曲家の、一面の「詩的真実」であるかもしれないなあ・・・という感想を抱いてしまうんですよ。 ピアノ協奏曲がニコライ・ルビンシュタインに酷評されたのは事実です。ナジェジタ・フォン・メック夫人の援助も事実。チャイコフスキーが同性愛者であったのも事実です。押しかけ女房同然のアントニーナ・ミリューコヴァとの結婚が失敗で、チャイコフスキーがモスクワ川で自殺を図ったのも事実。 右はニーナが外したコルセットなんですが・・・チャイコフスキーが同性愛者であることを、わかりやすすぎるくらいわかりやすく、表現していますね。 自殺未遂の場面。通りかかった犬を連れたこの女性は、おそらく・・・。 しかし、この映画ではアントニーナがもと娼婦であったという設定のようですが、これは正しくない。ましてや彼女が(おそらく性病で)精神に異常をきたしたというのも事実ではありません。 精神病院と言うより「癲狂院」と呼んだ方がふさわしそう。大成功したチャイコフスキーと交互に映し出されます。 一方で、フォン・メック夫人との関係や、死の真相については諸説あるので、これはどうにでも描くことができるわけです。あ、そうそう、チャイコフスキーの母親アレクサンドラがコレラで死んだというのは事実ですよ。これもうまいこと映画の中で利用されています。 フォン・メック夫人の援助はある日突然打ち切られるのですが、これはフォン・メック夫人が晩年精神を病み、破産したと思い込んだためという説が有力です。また、この絶縁は、じつは彼女の長年の秘書で女婿でもあったヴワディスワフ・パフルスキが画策したものであったとも言われています。 しかし、この映画では、フォン・メック夫人がチャイコフスキーが同性愛者であると知ったことが原因になっています。しかも、これはたいへん重要なことなんですが、その直前のシーンで、フォン・メック夫人はチャイコスフキーが作曲をしている屋敷を訪れて、チャイコフスキーが囓った果物に唇を寄せ、酔って眠っているチャイコフスキーの隣に身を横たえているのです。つまり、フォン・メック夫人はいまや手紙だけのやりとりでは満たされず、チャイコフスキーを男性と意識して、もはやその内面の欲望を抑えきれなくなっていた、ということなのです。 幻想序曲「ロメオとジュリエット」に合わせて描かれる、フォン・メック夫人の「欲望」。これがチャイコフスキーの求めている愛の形ではないことにご注意を。 こうしたところが、歴史的事実に反していたとしても、人間というもの、男女というものの「真実」を描いていると、私が感じるところです。 ついでに言っておくと、チャイコフスキーとフォン・メック夫人が手紙のやりとりだけで、ついに一度も会わなかったという定説については、いまでは研究者によって意見が分かれるところで、どうも1回か2回は会っていたのではないかとも言われていることを付け加えておきます。 そしてもっとも重要なのがチャイコフスキーの死の真相。 もともとチャイコフスキーの急死の原因はコレラに罹患したためと言われていました。これは観劇後の会食時に文学カフェで周りが止めるのを聞かずに生水を飲んだことがその原因。さらに直接的な死因は、死の前夜10時ごろに併発した肺水腫であるとされていました。 ところが、コレラで死んだにしてはシーツなんか焼き捨てられることもなく、洗濯に出されただけで、葬儀の際には棺の蓋を開けて、みんなチャイコフスキーの顔をなでたりキスしたりして別れを惜しんだというので、じっさいの死因は異なるかも知れない、なんて留保をつけてる伝記もあったんですよ。 その末に、ソ連の音楽学者アレクサンドラ・オルロヴァが1978年に自殺説を唱えていいます。チャイコフスキーは死の少し前、ステンボルク・トゥルモル公爵の甥と親しくなった、ふたりの交際になにがあったのかはわからないのですが、チャイコフスキーは同性愛者でしたからね。この交際の結果、公爵は皇帝アレクサンドル三世あてにチャイコフスキーを告訴する手紙を書き、この訴状は立法府の主任訴追人で副検事総長であったニコライ・ボリソヴィチ・ヤコビの手に渡った。もしもこの告訴が正式に受理されればチャイコフスキーは市民権を剥奪され、シベリアへ追放されることはまぬがれない・・・もちろん、当時は同性愛は立派な犯罪だったことをお忘れなく。宗教的にもことさらに厳格なロシア正教のことですからね。 ところがこのヤコビは法律学校時代のチャイコフスキーの同級生であった男で、この訴状を皇帝に差し出すことをためらった。つまり、これが明るみにでれば、チャイコフスキー個人の問題ではなく、法律学校同窓生全員の恥辱になる、というわけです。そこでヤコビは名誉裁判を実行した。チャイコフスキーとともに、当時生存していた同窓生8人を呼び寄せ、自宅で秘密法廷を開いた。結果、彼らはチャイコフスキーに有罪の宣告を与え、自殺をもとめた・・・スキャンダルが公になって恥辱にまみれることを選ぶか、あるいは自殺して教会での葬儀、聖堂での追悼式、そして死後の名誉を選ぶか、と・・・。 当時この家で働いていた女中が後に回想していたところでは、締め切られた扉の向こうからは激しい口調のやりとり、怒声が聞こえ、やがてひとりの男が外出してすぐに戻ってきたという・・・これは、毒薬を買いに行ったのではないか。まもなく、チャイコフスキーが「コレラで」死んだ・・・ほかにも当時から事情を知っていた人はいたものの、堅く口止めされていたのであろう―と。じつは死の直後からこのような噂は口にされていたんですね。 ただしこの説は、研究家であるアレクサンドル・ポズナンスキーの1988年の論文で、チャイコフスキーを診断した医者のカルテなど、残されている資料を調査した結果、やはりコレラおよびその余病である尿毒症、肺気腫による心臓衰弱が死因であるという反論が出されています。埋葬式時に安置されたチャイコフスキーの遺体にキスをした者がいたという証言についても、チャイコフスキーの遺体は安置される前に消毒されていた記録が残っていたということです。これで、やはりコレラによる病死だったという説が定説となっている・・・ということなんですが、どちらの説にしろ、並べられているのは状況証拠に過ぎない。歴史の中の闇のこと、本当のところは分かりません。 それではこのケン・ラッセルの映画ではどうか。 弟モデストと食事中。チャイコフスキーが生水を持ってこいと注文する。ウェイターが、コレラが流行っているので煮沸したものをと言うのを、あえて「生水を」と。そして自ら「最高傑作だ」という交響曲第6番の表題について、モデストが「悲愴」と提案。これを受けて、意を決したように生水を飲み干して、コレラに罹患する・・・。 この場面では、ワイングラスに手を伸ばして、「あえて」生水に持ち替えます。 熱に浮かされたような(じっさいはコレラにかかると低体温になります)チャイコフスキーの譫言・・・あたかも死の直前の走馬灯の如く、映像でも表現されているのですが、単なる錯乱の故なのか、あるいは断ち切ったはずのものがじつは断ち切れていなかったのか、チャイコフスキーが得られなかったものはなんなのか、失ったものはなんであったのか、本当に求めていたものはなんだったのか・・・これはぜひとも映画を観てたしかめて欲しいところです。 コレラ患者への熱湯療法。交響曲第6番「悲愴」の終楽章に、すべてのアクションが一致しています。我が国でも江戸時代の安政期に狐狼狸(コロリ)すなわちコレラが流行した際の蘭方医の治療方法は、患者にキニーネとアヘンを服用させ、温浴させる、というものでした。 コレラ説、自殺説、たとえいずれが定説であったにせよ、ケン・ラッセルの映画は、あくまで事実ではないということをお断りしたうえで、じつはチャイコフスキーの本質をとらえているのではないか、と感じてしまうんですよ。さらに、ひいては芸術家やあらゆる人間の内面に潜むものにまで敷衍できるような真実が描かれているのではないか。ことばにしてしまうと、ちょっと安っぽくなってしまうのですが、「たったひとり(から)」愛されるということが、ひとりの人間を救うのではないか、ということです。チャイコフスキーの場合、世界的な名声を得て、多くの人々の尊敬を勝ち得ていた、しかしたったひとりの人間がチャイコフスキーを愛してくれることはなかった・・・ということは、チャイコフスキー自身もたったひとりの人間を愛し続けることはできなかったということ。そのたったひとつの愛をついに得られなかった男の悲劇的な人生が、この「恋人たちの曲 / 悲愴」に描かれているのです。 癲狂院のニーナの視線で幕。いまさらですが、グレンダ・ジャクソンはまったく見事な女優さんです。 音楽はアンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団による演奏なんですが、私が持っているA Wilson/McCreary CompanyのFCE028(Region2、PAL盤)は、mono録音が疑似stereo化してあり、音がめまぐるしく渦を巻くように左右を移動するので、ヘッドフォンなどで聞いた日には目が回ります。可能であればアンプでmonoのモードに変更したほうがいいでしょう。 (おまけ) 美しい場面にも事欠きません。こうした映像があればこそ、グロテスクなシーンも活きてくるのです。 (Hoffmann) 参考文献 とくにありません。 |