136 「エミリー・ローズ」 "The Exorcism of Emily Rose" (2005年 米) スコット・デリクソン




 ホラー・サスペンス映画とされたり、実話ものとされたりしている映画です。これは1976年、ドイツにおけるアンネリーゼ・ミシェル(1952-1976)の保護責任者遺棄致死事件を題材に製作されたもの。これは、アンネリーゼ・ミシェルという少女が病気と診断され、長年治療していたが改善する気配がなく、その異常行動からカトリック教会教区より正式に「悪魔憑き」と認定されるも、悪魔祓い(エクソシズム)の儀式中に栄養失調等で死亡したため、裁判となった事件です。このじっさいの事件については、後ほどお話ししますが、映画の冒頭で、「この映画は実話に基づいている」と出るものの、しかし、細部はかなり脚色されており、肝心の裁判の判決はまったく事実とは異なることを、ここで指摘しておきます。



 あらすじは―

 大学に進学したエミリー・ローズは19歳のある晩午前3時、大学寮で眠っていたところ焦げ臭い匂いで目を覚まし、以来幻覚、幻聴が起こるようになる。

 医学的治療を行なっても治る兆しがないことから彼女も両親も、これをを悪魔の仕業だと確信して、地元の地区神父であるムーア神父に助けを求める。しかし神父の悪魔祓いの儀式の甲斐なく、エミリーは死亡してしまう。

 検死により、エミリーの死亡はムーア神父が医学的治療(投薬)を止めたこと、飢餓状態であるにもかかわらず、栄養補給を怠ったためであるとの疑いをかけられて、神父は起訴される。弁護士のエリンは仮釈放も司法取引も拒否するムーア神父を救うべく・・・。

 storyは悪魔が憑依したというエミリー・ローズの死の直後から始まり、概ね法廷ものとして進行。ときどき回想シーン。ホラーかどうか、サスペンスかどうかは観る人次第です。



 はっきり言って、「胡散臭さ」爆発映画です。

 少なからぬ人が誤解しているようなんですが、ここでの裁判の争点は「死亡の原因は神父の過失なのか、それとも本当に悪魔の憑依なのか」ではありません。死亡の原因は餓死であることは明らかで、死因に関しては、医学的見地からの結論以外にはありえない。問題は、その餓死に至った原因・責任なんですよ。神父が投薬を中止させたこと、当人が食事を拒否するにしても医学的に栄養補給を行うべきところ、その措置を怠ったことに、神父とエミリーの両親の責任が問われている。両親の場合は保護責任者遺棄致死の罪が問われているわけです。

 そこで争われることは、悪魔が実在して憑依していたのかどうかではありません。しかし、神父や家族、ひいては亡くなったエミリーのそれも含めての「信仰」が、この事件で起きたことを罪とするか否かという問題には、どうしても悪魔の憑依をどうとらえるかという点が影響を及ぼすことにはなります。



 その一応の結論である、映画における裁判の判決は・・・繰り返しになりますが、ここで描かれている結末は、ベースになった事件の判決とは異なるものです。従って、じっさいに起きた事件をベースにした映画としては、判決内容を変更してしまうというのは、禁じ手のように思えます。少なくとも、フェアではない。その結末はsentimentalに過ぎるもので、観ている側を神父側の主張を真実と思わせる方向に誘導しようとしているのではないか。そこまで意図的でなかったとしても、映画ですから、映画としてstoryを面白くしなければならなかった、ということじゃないか。



 神父や両親のみならず、亡くなったエミリー自身にも「信仰」があった。では信仰があれば罪に問われない? そんな馬鹿な。それだったら、オ○ム真理教だって「無罪」を勝ち取って堂々と大手を振っていられたでしょう。悪気はなかった? 亡くなった娘のことを心から愛しており、彼女を救おうとしていた? 我が国にもそう言ってリンチのあげく殺害してしまった新興宗教の事件がありましたよね。「悪気はなかった」という言い訳はしばしば耳にしますが、「悪気がない」のがいちばんタチが悪いんです。本人はなんら罪の意識もなく、正しいことをしているつもり、というのはもはや救いがたい精神状態、すなわち「狂信」じゃありませんか。

 この映画では、検事は「悪魔はいない、死亡の原因は人為的なもの」と結論付けようとしていますが、これも相当なマヌケぶり。悪魔がいるかいないかなんてことが争点ではないんですから。これを争点のように扱ってしまうと、「信仰」している側に、いささかなりと反撃・反論の余裕を与えてしまうんです。なにも悪魔を否定するなんていうやり方で、相手側の土俵まで降りてゆく必要はない。そうではなくて、エミリーが儀式中に死に至らせないための必要な措置を講じたのかどうか、それだけで裁判は成立するはずじゃないですか。もしも必要な措置を講じなかった理由が「信仰」ならば、あるいはその根本に「信仰」があるならば、その信仰自体が糾弾されるべきなんです。裁判中に悪魔の実在それ自体を争点とすると、陪審員の「信仰」次第で結果が左右されてしまう恐れもあります。裁判で扱うべき問題ではない。

 この映画で結論付けられているような世界なら、宗教の名の下に、なんだってやりたい放題ですよ。「信仰」も、信仰している当人だけの問題ならばいいんです。しかしその「信仰」のおかげで人ひとり死なせているわけでしょ。これじゃ、死んだ人間も浮かばれません。




 実在の「エミリー・ローズ」

 映画「エミリー・ローズ」のモデルとなったのはアンネリーゼ・ミシェルAnneliese Michelの死亡事件です。アンネリーゼ・ミシェルは1952年9月21日生まれ。両親は敬虔なカトリック、3人の姉妹があり、典型的な中産階級の家庭でした。彼女自身、とても信心深く、教会のミサに週に2度、通っていたということです。

 彼女が16歳となった1968年のある日、突然原因不明の痙攣発作に見舞われました。数時間にわたって自室でのたうちまわり、大声で家族を呼ぼうとするも身体の自由が利かず、悲鳴すら上げられなかったということです。

 ヴュルツブルクの精神診療所の神経科医は癲癇の発作と診断。この時処方されたのはフェニトイン薬を含む痙攣に効く薬とプロペリシアジン薬。いずれの薬もクロルプロマジンに類似したもので、精神分裂症を含む様々な精神病や、精神障害のある行動をする患者に処方されるもの。つまり、アンネリーゼの症状は妄想を起こす精神状態だと考えられていたわけです。その発作の激しさ及び発作後の抑鬱状態は深刻なもので、アンネリーゼは2年間にわたり入院治療を受け、1970年秋にようやく退院して高校に復学。

 すると今度は悪魔の顔のvisionに襲われることに。昼の祈りの時間になると、恐ろしい形相の悪魔が彼女をにらみつけ、「お前は地獄で生きたまま煮込まれることになる!」と彼女に告げる・・・。医者に訴えて投薬治療を受けるも一向に改善せず、アンネリーゼは「自分は悪魔に取り憑かれたのではないか」考え始めます。

 幻覚や幻聴に悩まされながらもかろうじて日常生活を維持して、1973年には大学へ進学。しかし症状はおさまらず、両親は数人の聖職者にエクソシズム(悪魔祓い)を依頼します。この頃には、キリスト教に関する場所や十字架のような聖品に拒否反応を示すようになっていたそうです。また、親しいる友人と一緒にサン・ジョルジョ・ピアチェンティーノへ行ったときには、十字架を通り過ぎることができなくなったり、聖なる泉とされる場所からの湧水を飲むのを拒否したということもあったということです。ところが聖職者たちからは、「教会が定める“悪魔憑き”の基準に満たない」として断られ、医学的治療を継続するようにと助言されています。これは、「十字架や聖書などへの嫌悪」「知らないはずの言語を操る」「説明不可能な超能力(念動力)」といった基準すべてが満たされる状態ではないと判断されたということ。

 アンネリーゼは汚言を吐き、暴力をふるい、家族に噛みつき、「悪魔が許さないから」という理由で食事にも手を付けなくなり、クモやハエ、石炭などを食べ、自分の小便を飲むようになります。自傷行為も始まり、床に排泄、大声で叫びながら十字架を折り、ロザリオを引きちぎった・・・。この頃処方されていた薬はカルバマゼピン薬。これは発作を押さえ、激しい持続的な気分の変化を特徴とする気分障害、典型的な双極性障害の治療に用いられる気分安定薬。以後、悪魔祓いの儀式を受けている期間にもこの抗精神病薬の投与は続けられていました。

 1975年9月、ついにヴュルツブルクの司教がアンネリーゼの“悪魔憑き”を認定、「秘密裏に」エクソシズムが開始されました。儀式を任されたのはアルノルド・レンツ神父とエルンスト・アルト神父。アルト神父は、アンネリーゼを見てすぐに、「癲癇の患者とは似ていない」と判断。アンネリーゼは自分に6体の悪霊が取り憑いていると主張、ルシファー、イスカリオテのユダ、ネロ、カイン、ヒトラー、フライシュマン(16世紀の破戒僧)が特定されたということです。

 1975年9月から1976年6月の1年間にわたって毎週1回ないし2回のエクソシズムが行われ、そのセッションは最高4時間かかるもの。これは一応効果があって、アンネリーゼはいったん通常の精神状態の戻り、復学しています。しかしひきつけ、失神の回数が増え、一切の食べ物を受け付けなくなり、栄養失調に陥ります。エクソシズムの儀式の際には、600回以上膝をつく動作を繰り返させられ、膝の皮は破れ、死後、膝が骨折していたことが確認されています。

 最後のエクソシズムは1976年6月30日、肺炎による高熱に苦しんでいたアンネリーゼには、もはや片膝をつく動作もできず、周囲の人間が無理矢理その動作をさせていたところ、「お母さん、私、怖い」と言って意識を失い、翌7月1日正午に絶命。23歳。体重はわずか31kgでした。

 アルト神父はアンネリーゼの死をアシャッフェンブルクの役所に報告。これを受けて主席検事が調査に入り、2年後、両親とふたりの神父を起訴することとなります。容疑は過失致死罪、具体的に言えば、「監督責任の怠慢によりアンネリーゼを死に至らしめた」こと。これが後に「クリンゲンベルク事件」と呼ばれることとなったものです。

 焦点は次の2点―

・なにがアンネリーゼの死因だったのか?
・だれの責任なのか?

 検死によれば死因は餓死。専門家は少なくとも死の一週間前から強制的に栄養を摂取させていれば死を逃れたはずだと主張。もちろん警察は悪魔や悪霊の存在など信じていません。ふたりの神父はエクソシズム中に録音された400本以上のテープを証拠として提出し、悪魔の実在を証明しようとしました。テープにはヒトラーの霊の声が録音されていると主張したのですが、なぜかオーストリア出身であるはずのヒトラーの声には、フランケン地方の訛りがありました。

 証人として呼ばれた精神科医は神父たちによる“悪魔祓い”こそがアンネリーゼの精神異常の原因となっていたのではないか、神父たちの言動を受け入れたがために、それにこたえてことさらに悪魔憑きのように行動せざるを得なかったのではないかと推論を述べています。

 判決はアンネリーゼの両親、神父たちともに、「応急手当の怠慢による故殺」として、執行猶予付きの懲役6か月。「被告は被害者に必要とされた医療を提供すべきだった」にもかかわらず、「浅はかな儀式によって」衰弱していたアンネリーゼを死に至らしめた―と。過失致死罪として有罪ではあるものの、6か月の拘留は後に保留となっており、しかも3年の執行猶予付きですから、一見、軽い量刑のように見えますが、じつは検察側の求刑は、2人の司祭たちについては罰金刑のみ、両親は犯罪性のみ認めて、求刑はしないとするものだったんですね。なので、この判決により言い渡された刑は、検察の求刑よりも重い量刑だったんですよ。

 カトリック教会が、このような旧式の悪魔祓い儀式を許諾したことについて、マスコミが注目。精神医学の世界では、この事件を、精神障害の誤認、怠慢、虐待、そして宗教的ヒステリーの一例としています。

 なお付け加えておくと、公判後、アンネリーゼの両親は、自分たちの娘の遺体を発掘することを当局に許可申請しています。両親によって当局に提示された表向きの理由は、アンネリーゼの埋葬が不当に早急で、使用した棺が安いものであったためとしていますが、じつはアンネリーゼの両親が、南バイエルン州のアルゴイ方面からきたカルメル会の修道女より、「自分が見たビジョンによると、あなたたちの娘の体は腐敗を免れている状態であり、それはこの事件が超自然的な出来事であることを証明するものである」と告げられていたため。ところが、発掘された遺体は、当然の如く腐敗が進行していたとされており、結局両親は遺体との対面を思い止まっています。また、アルノルト・レンツ神父は遺体安置室に入ることを拒否されました。

 その後ドイツのカトリック教会は、アンネリーゼは悪魔にとりつかれてはいなかったと公式に発表しています。また、ヨハネ・パウロ2世は、1999年に、特殊なケースを除き悪魔祓いの儀式を行うことをより厳しく規制。しかしベネディクト16世は、悪魔祓いの儀式を前教皇の時より広く支持。しかし、結果的にドイツにおいて公式に認可された悪魔払いの儀式の数が減少しているのは、このアンネリーゼの事件の影響とみて間違いないでしょう。なお、この事件で行われた悪魔祓いの儀式では、1614年以来の、つまり400年前の儀式書が使われたということが話題になって、1999年にはヴァチカンで「ローマ典礼儀礼書」の改訂を発表、その後10年の編集作業を経て刷新され、「来るべき千年紀への悪魔祓いの書」と呼ばれるものになりました。

 一方で、「悪魔と勇敢に戦った」アンネリーゼ伝説が広まって、いまもその墓は「信心深い」人々の巡礼の地となっており、2013年、アンネリーゼが住んでいた家が放火による火災で焼け落ちたときも、これは悪魔祓いの事件との関連が噂されました。

 ここまでは事実。個人的に2、3付け加えると―

 取り憑いていた6体の悪霊がルシファー、イスカリオテのユダ、ネロ、カイン、ヒトラー、フライシュマンと、だれでも知っている有名人ばかりであること、ヒトラーの霊がフランケン地方の訛りで喋ったことなどのツッコミは別としても、肺炎による高熱、しかも膝を骨折していた、その状態で悪魔祓いの儀式だなんて、それだけで「必要な医療を怠った故殺」でしょう。悪魔祓いが成功した暁には肺炎も高熱も快癒するとでも思っていたんだったら、途方もない脳天気ぶりじゃないですか。逆に言うと、だから後にドイツのカトリック狂会は、アンネリーゼが悪魔憑きではなかったと、「公式に」発表せざるを得なくなったんですよ。つまり、ふたりの司祭があまりにも愚か者だったので、世間体を慮ってトカゲの尻尾切りをしたんですね。

 キリスト教会もたいがいなところがあります。この事件によって、悪魔祓いに17世紀初頭以来の「ローマ典礼儀礼書」が使われていたことが話題になったために、「ローマ典礼儀礼書」を10年かけて改訂して、「来るべき千年紀への悪魔祓いの書」と呼ばれるものになった・・・って、問題はそこだったんですか?(笑)ってハナシで、ヴァチカンも世間の反応を意識していたわけですが、そのトンチンカンぶりも相当なものです。

 さらに、映画を見て思ったことを―陪審員制度についてです。信仰が絡む問題を陪審員に委ねることには疑問を感じます。選ばれた陪審員を疑いの目で見てはいけないかも知れませんが、我が国で陪審員に選ばれたひとが、裁判後、被告人のことを「悪いことをしそうな人には見えなかった」なんて言っていた例があると聞いたことがあります。それがまともな「裁判」であったと言えますか? ましてや、とくに我が国のように同調圧力に弱い人たちが陪審員になるなど、はっきり言って「愚の骨頂」としか思えません。

※ なお、宗教・狂信の犠牲となったAnneliese Michelの冥福を祈りつつ、彼女の痛ましい写真はここにはupしません。検索すれば容易に見つかります。


(余談)

 監督のスコット・デリクソンは、この「エミリー・ローズ」の後、「地球が静止する日」"The Day the Earth Stood Still"(2008年 米)で大コケ。もちろん、ロバート・ワイズの「地球の静止する日」"The Day the Earth Stood Still"(1951年 米)のリメイク作品なんですが、なにせオリジナルに出てくる宇宙人の思考が人間とまったく同じ価値観で、おまけに世界に冠たるべき(と自称する)アメリカの代理人のような調子で、「よその惑星侵略したら、おまえら終わりだかんね」って、ヤクザまがいの恫喝をしているんですからね。そんな駄作に現代風のsentimetalな味付けを施して作り直したところで、結果は同じ。考えても見て下さい、この宇宙人の警告・恫喝は、核兵器を所有することで核抑止力とする、大国アメリカの発想を大便・・・失敬、代弁しているに過ぎないのですよ。


(Parsifal)



参考文献

 とくにありません。