143 「アイデンティティー」 "Identity" (2003年 米) ジェームズ・マンゴールド




 嵐によって外界から遮断されたモーテルに、事故などで集まった10人。登場人物がモーテルに到着する過程から、ひとりまたひとりと、次々に謎の死をとげていく・・・この展開と、ある殺人犯の死刑執行を巡る検事と弁護士とのやり取りを交互に映しながら進行するstoryです。



 冒頭は死刑囚マルコム・リバースの死刑執行前夜、彼の死刑執行に関して再審議が行われようとしている様子。

 一方、大雨で身動きが取れない寂れたモーテルに男女11人が集まっていた。運転手のエドと、その雇い主の女優カロライン。ジョージと、その妻で重傷を負ったアリスに、無口な息子のティミー。娼婦のパリス。9時間前に結婚したばかりのジニーと、その夫のルー。刑事であるサミュエルと、移送中の囚人ロバート。モーテルの支配人ラリー。



 モーテルではまずカロラインが殺害され、次にはルーが。それぞれの現場には部屋番号の書かれた鍵が10、9とカウントダウンするように残されており、次に殺されていたロバートの足元には8号室の鍵があった。ラリーは車で逃走を図り、誤ってジョージを轢き殺してしまう。エドとロードはラリーを拘束するが、事故の怪我で既に死亡していたアリスの側に6号室の鍵があり、偶然死んだはずのジョージのズボンからは7号室の鍵が発見される。エドは女子供だけでも逃がそうとするが、ジニーとティミーが向かった車は爆発炎上してしまった。消火するも、ふたりの死体が見当たらない。モーテルに戻るとこれまでに死んだ人間や血痕も全て消え去っていた。

 奇怪な状況に戸惑うエド、サミュエル、パリス、ラリー。彼らはモーテルに集まった11人全員の誕生日が5月10日であること、また、全員の名前が州の名前を含んでいることに気付く・・・。



(第一のネタバレ)

 ひと言で言えば、解離性同一性障害をそのまま映像化しようとする試みです。サスペンスものですが、死体が消えるなどといった不可解な出来事が展開されるのは、登場人物がそれぞれ、ひとりの人間の多重人格であるため。

 アガサ・クリスティの小説「そして誰もいなくなった」にインスピレーションを得たと言われていますが、舞台をモーテルにしたあたり、ヒッチコックの「サイコ」”Psycho”(1960年 米)へのオマージュでもあるようですね。「サイコ」だって、二重人格ものだったでしょ。ただし、この映画では、死刑囚は6人殺した連続殺人犯ですが、「サイコ」がモデルにしたエド・ゲイン事件との関わりを匂わせる要素はとくになし。

 さびれたモーテル、降り続く豪雨(尿意か涙か)、しかも夜・・・陰鬱な雰囲気は十分。登場人物はある者は事故で負傷、高慢な女優に娼婦、新婚夫婦に護送中の囚人と警官と、それぞれの事情もキャラクターも、明確かつリアリティを持って描かれています。

 そこに、冒頭からはじめて、途中にしばしば挟まれる多重人格の死刑囚マルコムの再審理の描写。なかなか上手いstory展開で飽きさせません。しかも、死体や血痕が消えたりする謎。誕生日や名前の件あたりから、10人がこのモーテルに集まったのは偶然ではなさそうだなとは気付かされるのですが、もと警察官であったというエドが、死刑囚マルコムとして再審議の場に座っているシーンで、唸ってしまいましたよ。



 つまりモーテルの11人の人格はすべてマルコムの多重人格によるものであり、ここに全員を集めて人格の統合を図ったというわけです。そのマルコムの内面では、モーテルではエドがじつはその正体が脱獄囚であったサミュエルと撃ち合いとなって、2人ともに相打ちで死亡。日が昇り、雨の止んだモーテルから、ただひとりの生き残りであるパリスの乗ったトラックが出発する・・・。

 これをもって、マリック医師は殺人犯ではない人格だけが残ったと判断し、弁護人と共にマルコムの死刑を撤回させる。翌日、護送車で移送されるマルコム。

(第二のネタバレ)

 しかし、果樹園を経営して新たな生活を送るパリスの前に1号室の鍵が現れる。目の前には死んだはずの少年ティミーが農具を持って立っている。モーテルの殺人犯はティミーだった! ティミーはパリスを殺害、同時にマルコムの人格もティミーに支配され・・・。



 「第一のネタバレ」については、ミステリとして見ても、すぐれたものです。観ている側に、はじめから真相のヒントが提示されており、そのあたりはフェアなもの。たとえば、逃亡したロバートがふと気がつくと、モーテルに戻ってきてしまっているのも、これも何気ない伏線だったんですね。そうしたヒントや伏線は数々ちりばめられているんですが、さりげないことに加えて、その前後の場面でこちらの思考、注意をそらせてしまうような仕掛けも用意されています。うまいものですね。なお付け加えれば、これが本当の伏線というもの。伏線とは、これ見よがしに違和感を抱かせてはいけません、何気ないものでなければならないんです。

 「第二のネタバレ」は、このひとひねりが効いています。そうか、だからティミーの死体が見当たらなかったのか、と気付かされるし、しかも元娼婦であったパリスに対して、モーテルの支配人ラリーと同様の差別感情を持っている。そんなところで、さりげなく、このティミーの人格もマルコムの多重人格のひとつであることをあらわしているんですよ。

 一発ネタと思う人もいるかも知れませんが、最後まで見て真相を知ってから、またはじめから見直してみると、さまざまな仕掛けがあったことに気付かされます。ミステリとしてもかなりの大技、多重人格ものとしては上出来の部類じゃないでしょうか。

 なお、表題が「アンデンティティー」"Identity"であることについてひと言しておくと、多重人格というものは、ひとつの肉体に複数の人間(人格)が宿っているということではありません。それぞれが、あたかも独立した人格のように見えても、いずれも「部分」にしか過ぎず、交代人格と呼ばれるものです。それぞれの交代人格は、その人が生き延びるために必要があって生まれてきたものであり、従って、解離性同一障害の問題は複数の人格を持つことではなく、記憶も意識も統合できない、すなわちひとつの人格すら持てないということなのです。


(Hoffmann)



参考文献

 とくにありません。