147 「ウルトラQ」 第15話「カネゴンの繭」 (1966年 TVM) 中川春之助




 「ウルトラマン」「ウルトラセブン」と続いていく、所謂「ウルトラシリーズ」の原点が、この1966年にTV放映された「ウルトラQ」です。



 マーブル模様のような「混沌」が左右から中央へ渦を巻いてゆくと、「ウルトラQ」という白抜きの文字が浮かび上がる印象的なオープニング。「ギイッ」という音は未知への扉が開くことをあらわしたものか。

 全篇を通じて登場するのは調布の飛行場に事務所を置く民間航空会社、星川航空のパイロットである万城目淳とその助手、戸川一平、それに毎日新報に勤めている新聞記者、江戸川由利子。これに一の谷博士が加わって、怪奇現象や怪獣出現に対処する。警察でも軍隊でもない、兵器どころか武器らしい武器をなにも持たない、あるときは傍観者であり視聴者と視線を共有、ときに主人公となり、あるいは同時にトリックスターでもあるという、独特の立場(登場しない回もあります)。

 1966年といえば日本の人口が1億人を突破した年。若者文化であるグループサウンズ、ミニスカート、ミリタリールックに影響を与えたビートルズが来日した年。

 いま、DVDやBlu-rayなどを入手して、放映順に鑑賞した人は、きっとさまざまなテーマが取り上げられていることに気付くはず。もしかしたら、怪獣の登場する特撮ものに、不思議なミステリ、奇妙な事件、ユーモラスなエピソードと、統一感のない雑多な話が並んでいると感じるかも知れない。

 これは放映されたのが制作順ではないため。制作の第一シーズンと第二シーズンでプロデューサーが交代しており、第二シーズンでは特撮怪獣ものにシフトしたため。おかげで、大人向けのミステリー・タッチのものと、子供にアピールする怪獣ものが混在することになったんですね。

 たとえば放映第1話の「ゴメスを倒せ!」は制作順でいうと12番。第4話の「マンモスフラワー」が制作第1番。第25話の「悪魔ッ子」が製作第2番です。いまでは最後の第28話とされている「あけてくれ!」は製作第4番ですが、これは再放送の時にはじめて放映されたもの。


左:第4話「マンモスフラワー」、右:第28話「あけてくれ!」

 いま手許に小野俊太郎の「ウルトラQの精神史」(彩流社)という本があるので、参照すると、やはり放映順ではなく、主題や特徴別に大きく三部に分けて論じています。

 第1部は「戦後社会を破壊する力」、これは政治と経済の中心地である丸の内で古代植物がビルを突き破る「マンモスフラワー」をはじめとする「ペギラが来た!」「東京氷河期」「バルンガ」のような、首都東京を脅かすエピソード群。自然がもたらす災厄や、異次元への扉を開くエピソードもあります。

 第2部は「日本にやって来る怪獣たち」は、宇宙からやって来る「宇宙からの贈りもの」や「ガラモン」、古代世界という過去からやって来る「ゴメスを倒せ!」、海からやって来た「南海の怒り」など。

 第3部は「見慣れぬ怪物へと変貌する」は、人間や動物が巨大になったり海獣に変化したりする「甘い蜜の恐怖」や、人間を変貌させる「1/8計画」、子供が変身する「悪魔ッ子」「カネゴンの繭」など。

 そして最後に、「2020年の挑戦」という、未来を扱ったエピソード。

 こうしてまとめてもらえると、見通しがいいですね。この本で分かることは、第1部で扱われたものに限らず、どのエピソードも、まさに我が国の「精神史」を体現していることです。

 たとえば、「戦後社会を破壊する」というのは、1964年の東京オリンピックでインフラが整備された首都を、古代の生命力や空から降ってきたものが襲うということ。「東京氷河期」では、もとゼロ戦のパイロットがペギラを追い払うという展開。しかも、その元パイロットはいまでは宝石泥棒となって息子が東京で父親を探していたという設定。戦後を描いているようでいて、じつはここである親子の戦争が終結するという仕組みです。


第14話「東京氷河期」

 怪獣だってそうです。宇宙からやって来るのは、1960年代から活発になった宇宙競争が反映している。過去から甦ってくる「ゴメスを倒せ!」の舞台は、東京都と大坂を結ぶ弾丸道路の工事現場。「南海の怒り」でミクロネシアで遭難した「第五太平丸」という船の名前は、ミクロネシアのビキニ環礁における水爆実験で被爆した「第五福竜丸」を思い起こさせる。しかも、ミクロネシアといえば南洋諸島として日本の委託統治下であったため、かつて戦場となったところ。

 動物の巨大化では、「五郎とゴロー」で、猿が巨大化したのは「甲状腺ホルモンの異常」と説明され、ここでは猿が食べた青葉くるみが、旧日本軍の遺産、「戦時中兵隊たちの体力増強に使った」という覚醒剤と同じ働きをして、副作用として甲状腺異常を招いたことになっている。つまり、猿の巨大化の背後に旧日本軍の影が見えるということ。「1/8計画」に至っては、あからさまに管理社会の寓意として描かれ、移民問題も投影されている。いうまでもなく、移民は貧困を人口増から生じるもの。ここでは名前の代わりに番号が与えられ、正式な許可を得ないでやって来た者は「不法入国者」の扱いで、留置所に入れられる・・・。


左:第2話「五郎とゴロー」、右:第17話「1/8計画」

 私がとくに好きなのは、子供が変身するエピソード、ひとつは第25話の「悪魔ッ子」です。

 「東洋大魔術団」の公演で、リリーという少女が父親の催眠術によって閉じ込められた箱の中から白い幽体となって出現する。リリーは催眠術をかけないと眠ることができ内体質で、しかし催眠術の多用によって、夜中の二一時になると幽体離脱してあちこち移動して、交通事故やセスナ機の墜落を招いてしまう。そこに罪の意識はない。万城目と一平は線路を歩く二人に分離したリリーを発見、超短波ジアルテミーを放射して、二人のリリーを統合させ、蒸気機関車が迫る線路からリリーを救い出す・・・。

 超短波ジアテルミーという装置は疑似科学でしょ、だからそんなのはどうでもいい。ここではひとりの少女の明と暗が分離している、ある種の二重人格が描かれているんですよ。どうやらリリーはこの父親に拾われた子で、「母親は山に住んでいる」という嘘によって「偽の記憶」を植え付けられている。だから幽体離脱した暗のリリーは山に行きたがっていた。無邪気にも、人を死なせて手に入れたものは猿がシンバルを叩くおもちゃのほかに、ネックレス、結婚指輪など。そこに、母親を投影していたということです。結局疑似科学のガジェットによって、リリーは人格を統合したわけですが、この暗の人格が消えてしまったかどうかは分かりません。いくつかの間接(直接?)殺人はだれも責任をとることがないままなのです。ここにたいへんな皮肉があるんですよ。


第25話「悪魔ッ子」

 もうひとつのお気に入りは第15話「カネゴンの繭」です。万城目も一平も由利子も登場しない。主人公は加根田金男少年。お金にガメツイ、他人が落としたお金まで着服するほどの執着ぶり。ところが子分のアキラ少年から奪った得体の知れない繭が巨大化してこれにのみ込まれ、カネゴンになってしまう。頭部は蟇口ですね。生きていくためには現金が餌。お金を入れると胸に付いたメーターの数字が変わる。最初は面白がっていた子どもたちも、入れるお金がなくなって・・・最後はなんとか人間の姿に戻るのですが、喜んで家に帰ると、そこにはカネゴンとなった両親の姿があった、というオチ。

 いや、このエピソードだって、多摩ニュータウンの聖ヶ丘造成地が舞台で、この時期まさに造成中。ブルドーザーで子供を追い散らすひげ親父がここを仕切っている。なにより宅地造成でしょ、土地をお金に換えるわけですよ。ここで加根田少年が落ちている10円玉を着服するというのは、もう話ができすぎ。カネゴンの繭という、人間をカネゴンに変えてしまう装置はじつに象徴的なんです。

 しかし、私が気に入ったのは、そんな物語を、なんとも幻想的に、あるいはばかばかしい悲哀を漂わせて、描いているからです。


第15話「カネゴンの繭」

 町行く人々に交じって、カネゴンが歩いている。別に人だかりができるわけでもなく、我が身の不幸を嘆きながら、普通に「歩いて」います。もはや童話の世界でしょう、これ。いくら、ユーモア交じりの寓話だとしても、これはもう天才的な発想じゃないでしょうか。日常に亀裂を入れるという意味では、幻想世界として秀逸。続くシーンでは、「おなか減ったなー」と、なんともトボケた、ばかばかしいまでの哀愁を漂わせています。嘆きつつも己の運命を受け入れてしまったその心情は、グレゴール・ザムザと同等以上のたくましさ、悟りきってしまっているかのように見えてきます(笑)


(Parsifal)



参考文献

「ウルトラQの精神史」 小野俊太郎 彩流社

「ウルトラマン幻想譜 【M78星雲の原点を探る】」 原田実 風塵社