157 「ケン・ラッセルの白蛇伝説」 "The Lair of the White Worm" (1988年 英) ケン・ラッセル あらすじは― 英国の高原地方の片田舎、青年考古学者のアンガス・フリントは宿の庭でローマ時代の巨大な蛇の頭蓋骨を発掘する。彼はこの地方のかつての領主であったダンプトン家のパーティーに招かれ、若き当主ダンプトン卿から、この地に伝わる巨大な白蛇の伝説を聞かされる。 一方、白蛇の伝説を伝わる村の森にある「神殿の家」と呼ばれる謎の館に住み着く謎の妖艶な女性レディ・シルヴィアは闇の王ダイオニオン(白蛇)復活をもくろみ、アンガスが滞在している民宿を営んでるトレント姉妹のイヴを誘惑し、ダイオニオンに献上しようとしている。 ダンプトンとフリントは、イヴを救うために協力して蛇退治に乗り出すが・・・。 ケン・ラッセルですからね、上記のあらすじから正統派ゴシック・ホラーなんか連想しちゃいけません。むしろ今作に関してはコメディに近いくらい、ブラック・ユーモア満載です。 ダンプトン主催のパーティ場面とエンディングに使われている、白蛇伝説民謡の歌詞によるロックンロール調の音楽は秀逸。 ダンプトン邸の塔に拡声器(スピーカー)を設置し、「ヘビ使いの曲」を流し、シルヴィアをおびき出そうとする、その音楽もいい。このとき壷の中で眠っていたシルヴィアが音楽にあわせて腰をくねらせながら出てくるのですが、停電で音楽が止まってしまったため失敗。いや、このシルヴィアのstepを見せたかったんでは?(笑)ちゃんとあらかじめハーモニカで奏される「シェエラザード」の旋律でstepを踏んでしまうシーンもありました。 次にフリントがキルト姿に正装して、バクパイプを演奏してシルヴィアをおびきだそうと(無抵抗にさせようと)するのですが、同じ手は2度は通用せず、敵は耳栓を・・・。 洞窟での生け贄の儀式はもう真面目に観ていていいのか・・・だからわりあいあっさりめ。そして迎えた結末は、フリントにとっては取り返しのつかない災難ながら、どことはなしにユーモアすら漂わせているところが・・・ いつもながら、妄想と狂気を含んだ耽美的、ときどき下品かつ過激でエキセントリックな描写となるところ、たとえばはじめの方のイヴの見る幻想は、やはりケン・ラッセル、大胆でセクシャル、悪趣味なまでのあざとい描写は「これぞケン・ラッセル」。 ダンプトンの夢。シルヴィアとイヴのキャット・ファイト、それを見ているダンプトンが手にしているペンは・・・やっぱりここでもユーモアを滲ませて、 民宿の姉妹の両親は1年前に森で行方不明になっており、それもシルヴィアの犠牲となっていたわけですが、その母親がダンプトンに真っ二つにされるところも、陳腐を恐れずそのままお約束の映像にしています。どうも、いい意味でばかばかしいコメディーになっており、これはこれで誰にも真似できないタイプの怪作ではないでしょうか。 原作とされるブラム・ストーカーの小説について 原作は「吸血鬼ドラキュラ」のブラム・ストーカーの最後の長編小説「白蛇の巣窟」"The Lair of the White Worm"(1911)とは、この映画の解説では必ず言われていること。ただし、ケン・ラッセルはこれを換骨奪胎して・・・というわけではなくて、ほとんど異なったstoryにまとめています。 "The Lair of the While Worm"はストーカの死の前年1911年の刊行。これがもう、storyが支離滅裂なんですよ。簡単にあらすじを紹介すると・・・って、じつは簡単ではないんですね― 主人公のアダム青年は長らくオーストラリアで暮らしていたが、大叔父の相続人となるためにイギリスに帰国、大叔父の屋敷はかつてアングル族の古王国マーシアが存在した地にあり、古代からの伝承がいまなお色濃く残っていた。 一方、アダムと時を同じくして近隣の古い地主の最後の跡継ぎであるエドガーもイギリスに帰ってきていた。このエドガーは邪悪な男で、神秘的なメスメリズム能力を持って、領地に住む娘を支配しようとしている。 もうひとり、「白蛇の巣窟」という古名を持つ土地に住む美女アラベラがおり、彼女はエドガーとの結婚を狙っている。 やがてアダムはこのアラベラが古代からマーシアの地底に棲む巨大な白蛇の化身であることを知り、アダムは自分の恋人をエドガーとアラベラの魔手から守り、この二人を壊滅させる・・・。 ・・・とまあ、とにかく支離滅裂なので、こんなstoryらしいなと、こうして話していてもこれで合っているのかどうか、自信がありません(笑) アラベラが巨大な蛇に変身するあたり、一体全体なにが起きたのかわからないけれど、とにかく巨大な蛇になったらしいなという有様で、エドガーが巨大な凧を上げる場面も、なにが目的でそんなことをしているのか、さっぱり理解できない。 それでもこの小説は、ストーカーの作品では「ドラキュラ」の次によく売れたんだそうで、ひょっとして私の理解が及ばないだけなのか・・・なんだか、創作ノートの断片だけ読まされたような印象です。いろいろな意味で「怪奇」なんですよ。 おそらく、一本の長篇小説を完成させるだけの力が残っていなっかったのではないでしょうか。そもそも1897年に刊行された「ドラキュラ」で不朽の名声を得たとはいえ、ストーカーはヴィクトリア朝を代表する名優ヘンリー・アーヴィングのマネージャーであって、専業作家ではありませんからね。それにしては生涯に11冊の長篇小説、4冊のノンフィクションに回想記、ついでに法律書と、忙しいさなかに結構書いており、だからそれだけに小説の完成度もすべてが「ドラキュラ」並とはいかなかったのかもしれません。 いかがでしょうか? ケン・ラッセル映画を観るにつけ、よくもこれだけまとめたものだ、というよりも、表題だけ借りて別物を作ったように思われます。 Bram Stoker "The Lair of the White Worm"、W.Foulsham & Co.LTD版 (おまけ その1) このシーンで、遠くを歩いてくる宿泊客としてケン・ラッセルがカメオ出演。 この場面でヒュー・グラント演じるダンプトン卿が観ているサイレント映画は・・・ ジョルジュ・メリエスGeorges Meliesの"The Brahmin And The Butterfly"(1901年)です。 (おまけ その2) これはケン・ラッセルの「ボンデージ」"Whore"(1991年 米)から―。背景の映画館で上映されているのは、この「ケン・ラッセルの白蛇伝説」ですね。これも自作の引用?(笑) (Hoffmann) 参考文献 とくにありません。 |