002 シベリウス 交響曲第7番




 単一楽章の交響曲。永年、並行して作曲し続けた交響曲と交響詩の融合とも言われるのは、根拠のないことではありません。自筆スコアでも、”Symphony in one movement”、”Sinf.7”、”Fantasia Symphony”などとさまざまな表記が見られるということです。冒頭のティンパニからはじめる一筆書きのような音楽は、徹頭徹尾凝縮されて、終結部でもティンパニの導きによる解決でシベリウスの全交響曲の集大成となっています。

 それでは、お気に入りのdiscをいくつか、最初に取りあげるのはなんといってもこれー

1 サー・ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団による1966年7月26-28日、ロンドン・キングズウェイホールでのセッション録音。英EMI ASD2326(1LP)、これは英国オリジナル盤。stereo録音でEQカーヴはRIAA。

 とにかく格調高く、上品にしてロマンティック。知情意のバランスが絶妙。イギリスのオーケストラは比較的古くからシベリウス演奏に取り組んできたようですが、個人的にはここに至ってinternationalに通用する演奏の完成形が示されたのではないかと思っています。ただ一点惜しいのは、響きの面でも機能的にも、ハレ管弦楽団が超一流とは言いがたいことでしょうか。その意味でも、1970年の大阪万博の際にはニュー・フィルハーモニア管弦楽団と来日して、シベリウスを聴かせて欲しかったと思います。


Sir John Barbirolli


2 サー・トマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団による、これもstereoによるセッション録音。英EMI ASD468(1LP)。

 もはや古いといえば古いシベリウス像なんですが、古拙といいたいぬくもりある味わいが捨て難いんですね。早いパッセージでも早いと感じさせない自然な流れ、呼吸はあくまで自然体で演出臭さを感じさせないのは直情傾向のビーチャムらしいところ。その呼吸に従って熱を帯びてゆくところなどは、やはり圧倒されてしまいます。そうしたスタイルのなかでの話になりますが、微細な表情の変化はバーンスタインの旧録音やアンソニー・コリンズのDECCA録音よりも上です。
 自信にあふれた迷いのなさはビーチャムならではの特徴ながら、コリンズから後のバルビローリに通じてゆく、シベリウス演奏における英国オーケストラの矜恃とさえ感じられます。これもかなり好きなレコードですね。



Sir Thomas Beecham


3 アンソニー・コリンズ指揮ロンドン交響楽団、1954年2月22-25日、ロンドン・キングズウェイホールでのDECCA、Kenneth Wilkinsonによる録音。もちろんmono盤。私が持っているのはDECCA 6LPs 478 8497とある、made in EUの復刻盤英LP。ボックス内の1枚1枚が初出時のデザインによるジャケットに入っており、その番号はLXT2960。復刻盤なのでRIAAカーヴで問題なく、なにより盤質の良いのがありがたい。以前、疑似stereoの英プレス再発盤で聴いていましたが、やはりmono盤の方が圧倒的に良いといえます。

 落ち着いた音色と深々とした響き。格調高い気品は後のバルビローリ以上かもしれません。惜しいことに呼吸がやや浅いというか、息の長い旋律が早めに切り上げられる印象も。もう少しテンポが遅めであったなら・・・。木管のソロなど早いパッセージでことさらにテンポを早めてしまっているようにも聴こえ、ドイツに代表される伝統的西洋音楽の語法を、そのままシベリウスにも適用してしまったような違和感があります。


Anthony Collins


4 パーヴォ・ベルグルンド指揮ボーンマス交響楽団。英EMI SLS5129(7LPset)。

 ベルグルンドはシベリウス交響曲全集を3回録音していますが、私がもっとも好きなのは1回めのボーンマス録音。
 この時期のEMIに多いSQエンコードされた盤で、音場はゴチャつくのが残念。しかしその点を割り引いても、響きにボカシのかかった演奏です。歯切れが悪いわけではないのですが、息の長い旋律を、深い呼吸で巧みに歌わせる上手さは随一。もともと作品自体、調性が不明確にうつろうようなところがあり、加えてリズムもテンポもたゆたい、悪くいえば曖昧なんですが、結果、なんとも夢幻的なatmosphereが醸し出され、明確な柱、骨格で支えられるドイツ音楽とは一線を画する音楽だと感じさせられます。これが北欧的な感性・情緒というものでしょうか。縦の線、重層的な部分の処理はたいへん自然で、この後に明晰系のムラヴィンスキーを聴くと、あざといとさえ感じられてしまいます。単一楽章で、一筆書きのようなこの作品にはとりわけふさわしい演奏。神秘的。


Paavo Berglund


5 ベルグルンドによるシベリウス交響曲全集は上記のボーンマス交響楽団とのレコードがいちばん好きで、後の2組はCDなので今回聴かないつもりだったのですが、4番と7番がカップリングされた2回目のヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団とのLPがあったので、聴いてみることにしました。英EMI盤ですが、レコード番号EL 27 0099 1のDMM盤。DMMといってもエッチなDVDを売っている会社とは関係なくて、TeldecのDirect Metal Masteringのことなので、念のため。made in Germany EMI Electrolaとの表記あり。

 演奏はというと、基本コンセプトはボーンマス盤と変わらないんですが、肩の力が抜けた感じ。アタックが柔らかく、ダイナミクスの変化や表情付けなどは控えめになっているように聴こえます。呼吸感はより自然になって、なんだか悟りきってしまったかのよう。すでにスタイルが完成されていたのでしょう。木管のソロの受け渡しの妙、金管も突出することなくアンサンブルの中におさまり、ティンパニとコントラバスの支えの上で「ふわっ」としたおだやかな響きが展開します。自然体で自在に流れていくところなど、作品の「一筆書き」のイメージそのまま。初演時の「交響的幻想曲」という表題にふさわしい演奏です。
 これもすばらしい・・・ボーンマス交響楽団との1回目の録音とは甲乙付けがたいところですが、個人的には、ひとつの到達点たるヘルシンキ盤も魅力的ながら、わずかな「気負い」が積極的な表現意欲として聴き取れるボーンマス盤に、より愛着を感じます。

 なお、ベルグルンドがヨーロッパ室内管弦楽団を振った3度目の全集(CD)は今回聴き直していないので省略。


6 エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団。1965年2月の、モスクワ音楽院大ホールでのlive録音。旧ソ連Melodiya(Μелодия)CM 02859-60(1LP)。stereo録音。

 冷徹、厳しさ、といったことばが思い浮かびます。ベルグルンドとは対照的に、とにかく明晰。張り詰めた緊張感がおしまいまで持続します。冒頭のティンパニから曖昧さのない響きで、即物的かとも思いますが、ダイナミクス、強弱の変化が大きく、レガートで変化してゆくところなどは、カラヤンを思い起こさせもします(などと言ったら猛反論されるかな)。しかしクレシェンドしても温度感は上がらず、クールに客観的に高揚します。オーケストラは相当訓練されているのでしょう。金管のヴィブラートはロシア的(?)ですが、わりあい無表情。録音のせいか、弦楽合奏主導と聴こえます。バランスもやや高域上がり。EQカーヴをNABにすると落ち着きます。


Evgeny Mravinsky


7 エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団でもうひとつ。1977年10月19日のNHKホールでの来日公演のlive録音。キングインターナショナル ALT054(CD)。

 上記のlive録音とは12年の時を隔てていますが、演奏の基本コンセプトは変わらず、もう完成してしまっていたのでしょう。ややオフマイクで音像が遠いのですが、個人的にはこれくらいが好み。CDにしては空気感が感じられ、NHKホールにしてはなかなかいい録音です。tapeの保管にも大きな問題はなかった模様。弦の表情の動きは1965年よりも自在と感じます。鋭くとがった響きはわずかにやわらげられて、ティンパニがややにじむところは明晰系の演奏にはふさわしくないかもしれませんが、会場で聴いていたらこんなものじゃないでしょうか。
 よく、ムラヴィンスキーの芸術は録音には入りきれない、などと言うひとがいますが、録音と会場で聴く音の違いなんてだれの演奏でも同じこと。それこそ「それはあなたの感想ですよね」ってやつですよ(笑)もちろん、ここで私が言っているのも「感想」ですけどね。独りよがりでこじつけめいた神格化は滑稽。なかには生(ナマ)で聴いたことがない人までが、「録音には入りきらない」などといった評論屋の寝言を真似ています。知ったかぶりしてまで他人に対してマウントをとりたい人は結構多いのですね。くわばらくわばら。


8 レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。1988年、ムジークフェラインでのlive録音。DG 427 647-2(CD)。映像付きDVDも出ています。

 これはいろいろ考えさせられる演奏です。冒頭はそれほど遅くないのに、再現部はかなり遅く、粘りに粘って、勢い余って遅くなった、という印象。このあたり、晩年のバーンスタインらしく、表情はやや大げさなくらい。この演奏を聴いて、みごとなまでの有機的関連が示される、と評した人がおり、たしか諸井誠がこれに対して、アダージョのテンポを曲頭と再現部で同じにしてこそ有機的関連が明らかになるのだから、有機的関連が示されるというのは事実誤認、と異を唱えていました。これ、どちらの言いたいことも理解できます。ギクシャクしたところなどまったくなしに、これだけ感情移入たっぷりに歌われれば、この演奏の「一筆書き」の妙味に「有機的関連」を見出せずにはいられないだろうし、再現部でのテンポが提示部と異なっていれば、それはちょっと恣意的で形式無視ではないのか、と言いたくなるのもわかります。しかし、これは建築物のように構成要素を積み上げてゆくベートーヴェンではない、ましてや交響曲と並行して交響詩を作曲し続けて、ここに至ってたどり着いた、交響曲と交響詩を融合させたかのような単一楽章の交響曲。無理矢理に伝統的な交響曲の形式にあてはめて分析すること自体に無理があるのではないか。昔から、作曲のコンクールで優勝するのは伝統的な書法から一歩も先に出ていない作品です。時代に先駆けた新しいものは審査員や評論家には理解されない(できない)のですね。むしろ、こうしたアプローチで感動的な演奏になっているところが、バーンスタインの到達点なのではないか、というのが私の「感想」(笑)です。
 録音はDGらしいもので特段良くも悪くもありませんが、どうしたらこんなに貫禄のある響きが出せるのか不思議なくらい。そうしたバーンスタインの棒によるウィーン・フィルの音を堪能できます。この油絵のような厚みのある響きを聴いて、晴朗な透明感に欠けると言う人もいるかもしれませんが、有無を言わせない説得力があると思います。


Leonard Bernstein


 あとは、次点以下のdiscになるので簡単に―。

9 ウラディーミル・アシュケナージ指揮フィルハーモニア管弦楽団。SXDL7580の英DECCA盤LPだが、アナログ終末期とあってプレスはオランダ。全集セットもLPで持っています。

 音質は鮮明。ダイナミクスの設計、テンポの緩急など、単純だがハートを感じる演奏。全集盤で聴くと、アシュケナージは2番が存外よろしいかなと思ます。

10 カール・フォン・ガラグリー指揮ドレスデン・フィルハーモニー、東独ETERNA 8 25 924(1LP)。Claus Strueben録音。stereo。EQカーヴはNABか。

 厚みがありながら重苦しくならず、木管も金管も突出しないでアンサンブルの中に溶け込む演奏が、ブレンド感が心地よい良質な録音で聴けます。オーケストラの音色は渋めで、派手さのない落ち着いた響き。良い意味で中庸をいく演奏ながら、やや一本調子かなとも感じられ、この指揮者とオーケストラによるシベリウスならば、第1番の方が冴えています。参考までに第1番は東独ETERNA 8 25 860。

11 レナード・バーンスタインの1回めの録音。オーケストラはニューヨーク・フィルハーモニック。私の持っているのは米Columbia M5S784(5LP)の全集セット。7番が収録された1枚は番号MS7158となっています。レーベルはグレーのいわゆる”2 eyes”。Produced by John McClure。

 これは上記晩年の録音とはかなり異なって、響きが明るく、陽性のシベリウス。弦楽合奏も木管のソロも陰影感に欠け、よく言えば明快なんですが、直線的で一本調子というか、微細な表情の変化に乏しいと聴こえます。アンサンブルに破綻があるわけではないものの、雑然と響く印象。録音もややかわいたハイ上がりなバランスで、やかましい。EQカーヴはRIAAのようですが、Roll OffをColumbiaの-16dBにすると多少落ち着きます。ダイナミックレンジが狭いのか、すべてがmfと聴こえます。

12 レイフ・セーゲルスタム指揮デンマーク国立放送交響楽団。英CHANDOS CHAN 9055(1CD)。

 とにかく、明快な演奏。セーゲルスタムにはかなり以前(1970年代)から注目してきましたが、オーケストラによってずいぶんと異なった印象になります。リハーサルでは毒舌を吐くと聞きましたが、案外と、オーケストラの持ち味を活かすタイプの指揮なんでしょうか。じつはこれ、今回5回以上聴いたのですが、どうもこれといった強烈な個性とか特徴がとらえにくいんですね。ただし1番から7番まで、かなりのレベルで満足できる演奏には違いありません。たしかセーゲルスタムはシベリウスの交響曲を再録音していたと記憶していますが、私は未聴。

13 オスモ・ヴァンスカ指揮ラハティ交響楽団。瑞BIS BIS-CCD-1286/1288(4CD)。

 これもたいへん充実した演奏で、スケールが大きく、華麗。もはやフィンランドという、ローカルな味わいで聴かせる演奏ではありません。ヴァンスカはこの後ミネソタ管弦楽団と全集を再録音をしているそうで、この1回目の録音にもまして評判がいいようですが、さもありなんと思います。ただし私はその再録音盤を未だ聴いていません。緩急のコントラストやアグレッシヴなまでの勢いに、どうも作為的な演出臭を感じてしまうこの演奏を、そこまで気に入っているわけでもないためです。こういった演奏を聴くと、かえってアシュケナージあたりの演奏も、その単純さが純情のあらわれとも思われてきて、それなりの美点として認めたくなります。

 余談ながら、たまたま収録時間に余裕があったからかもしれませんが、この全集のCD4枚め、6番と7番と続いた後に、「タピオラ」が収録されています。たしかに、7番の後は「タピオラ」だよね(笑)


(Hoffmann)