004 バレエ・リュスの音楽 ディアギレフは天才を発見する天才と言われましたが、とりわけ音楽家に、鋭くも的確な感覚を持っていたと思われます。音楽に関しては、ディアギレフ自身がオペラ歌手を目指して勉強したこともあり、ピアノも達者、幼少から音楽に親しんだこともあって、深い造詣があったためです。 まずはロシア勢から―。 バレエ・リュスの活動開始当初はいわゆるロシア五人組の音楽が多かったようです。ロシア五人組とは、バラキレフ、ボロディン、キュイ、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフですね。ロシア音楽ではさらにチャイコフスキー。「眠りの森の美女」「白鳥の湖」「くるみ割り人形」の3曲です。 そしてディアギレフが見出した若手作曲家の筆頭が、ストラヴィンスキー。ストラヴィンスキーは「レ・シルフィード」の音楽、これはショパンの音楽を編曲したものですが、この編曲がストラヴィンスキーのバレエ・リュスでの初仕事。してバレエ・リュスのために作曲したのが「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」の三大バレエです。その後も「ナイチンゲールの歌」「狐」「結婚」「ミューズを率いるアポロ」と続きます。 プロコフィエフは「道化師」。ディアギレフはこの作品の作曲過程で書き直しと間奏曲の挿入などを指示しましたが、プロコフィエフはその知識と指示の的確なことに驚いたということです。続いて「鋼鉄の踊り」「放蕩息子」。プロコフィエフのバレエというと「ロメオとジュリエット」が有名ですが、これが作曲されたのはバレエ・リュス解散後のことです。 ウラジーミル・デュケルスキーは後にヴァーノン・デュークの名でジャズの世界で知られるようになった人。作品は「ゼフィールとフロール」。ちなみに名前を変えたのはガーシュインの勧めによるもの。ガーシュインももともとロシア人でしたね。 イーゴリ・マルケヴィチがディアギレフと出会ったのは16歳のとき。自作の交響曲を演奏したところ、その才能を確信したディアギレフはバレエ・リュスの次代を担う作曲家としてマルケヴィチに大きな期待をかけました。ところがディアギレフの急死によって、上演される予定だった作品は完成せず。以後、マルケヴィチは指揮者として成功を収めることになります。 舞台デザイン画 左はレオン・バクストによる「シェエラザード」、右はアレクサンドル・ブノワによる「ペトルーシュカ」 次はバレエ・リュスの活動の中心地、フランスの作曲家―。 「薔薇の精」の音楽はドイツのウェーバーによる「舞踏への勧誘」ですが、この作品のオーケストラ編曲版はベルリオーズが編曲したものですね。しかし、生きているフランスの作曲家を採用したのはレイナルド・アーンの「青い神」が最初です。アーンといえばマルセル・プルーストの友人ですね。アーンをディアギレフに紹介したのは「青い神」の台本作家、ジャン・コクトー。持つべきものは友なるかな。 ドビュッシーはニジンスキーの振り付けがスキャンダルとなった「牧神の午後」。そして「遊戯」。ちなみに「聖セバスチャンの殉教」は独立したイダ・ルビンシュテインのカンパニーのために作曲したものです。 ラヴェルは「ダフニスとクロエ」、これはフォーキンとディアギレフが諍いを起こす原因になった作品ですが、音楽は高く評価されました。「ラ・ヴァルス」はディアギレフの依頼で作曲されましたが、「バレエ向きでない」とされて上演されず、結局初演はイダ・ルビンシュテインのカンパニーで行われ、また「ボレロ」はそもそもイダの依頼で作曲されたものです。 フランスにはいわゆるコクトーが六人組と命名した作曲家のグループがいますね。オーリック、ミヨー、オネゲル、タイユフェール、プーランク、デュレの6人です。この六人組を刺激したのは「パラード」を作曲したサティです。六人組はデュレを除く5人がそれぞれ別個にバレエ・リュスの仕事をしています。 そしてアンリ・ソーゲが「牝猫」を作曲。ソーゲの友人デゾルミエールは1925年から解散までバレエ・リュスの指揮者を務めています。バレエ・リュスで活躍した指揮者といえば、モントゥー、アンセルメあたりの名前を忘れてはいけませんね。 あとはイタリア、スペイン、イギリスの音楽をまとめて― スカルラッティ、ロッシーニ、レスピーギ、ペルゴレージ、チマローザ。イギリスではコンスタント・ランバート、ロード・バーナーズよりもよく知られているのが、ヘンデルの作品をサー・トマス・ビーチャムが編曲した「物乞う神々」でしょうか。 レオン・バクストによる衣装デザイン さて、バレエ・リュスの音楽をある程度まとめて聴くのにちょうどよいレコードがあります。 「ディアギレフへのオマージュ」と題された3枚組のレコードがそれで、ディアギレフ没25年の1954年に、EMIの名プロデューサーのウォルター・レッグが企画して制作したものです。指揮は イーゴリ・マルケヴィチ、オーケストラはフィルハーモニア管弦楽団。 私が持っているのはAngel Records ANG.35151/35153。Angel Recordsですが、レコードは英プレス。録音は1951年から1954年にアビー・ロード・スタジオで行われており、すべてmono録音です。EQカーヴはおそらくColumbia。 収録されている作品は以下のとおり― サティ:バレエ音楽「パラード」 1954.5.12 ウェーバー(ベルリオーズ編):「薔薇の精(舞踏への勧誘)」 1954.3.3 ドビュッシー:「牧神の午後への前奏曲」 1954.6.3 ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲 1954.4.23、1954.6.3 チャイコフスキー:バレエ音楽「白鳥の湖」(抜粋) 1954.6.13-15 ショパン:バレエ音楽「レ・シルフィード」~マズルカ第23番Op.33-2 1954.5.15 トマジーニ:バレエ音楽「上機嫌な婦人たち」組曲(原曲:D.スカルラッティ) 1954.5.13 ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」~粉屋の踊り 1951.11.14、1952.9.13 プロコフィエフ:バレエ音楽「鋼鉄の歩み」組曲Op.41bis 1954.4.27、29 リャードフ:交響詩「キキモラ」Op.63 1954.6.8 ストラヴィンスキー:ペトルーシュカからの3つの断章 1954.4.24、25、27 主要なところをLP3枚にうまくまとめたセットですね。箱のデザインは表紙は、バレエ・リュスの画家であったナタリア・ゴンチャロワが当時デザインしたオリジナルのイラスト。付属のブックレットも豪華なもので、多くは台本作家ボリス・コフノの好意により、そのprivate collectionから提供されたものです。 マルケヴィチの指揮は引き締まった痩身の響きで、虚飾を取り払った、とにかく無駄のない演奏。強奏でも混濁しないので、曖昧さがなく明晰。フィルハーモニア管弦楽団のソロも、いつになく上手く聴こえます。主観を排して、完璧な設計図が用意されているかのように即興性も皆無。サティの「パラード」などは即物的なおもしろさがあり、一方でチャイコフスキーの「白鳥の湖」などは旋律が求める抑揚や粘りが自然な呼吸で再現されており、媚びがないのに無表情にはなりません。ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」などは最上の出来で、全曲録音でないのが残念です。 なお、このレコードは2022年に復刻盤が出ており、こちらは入手していませんが、箱のデザインはオリジナルと同じ、おそらくブックレットも同様のものが再現されているものと思われます。復刻版ですからEQカーヴはRIAAだと思われます。未だ在庫はあるようなので、興味のある方でレコードを再生する装置をお持ちの方はどうぞ―。 Igor Markevitch もうひとつ、独Hanssler SWR Musicから、バレエ・リュスによって取り上げられた作品をたどるシリーズが、CD全10巻で出ていました。演奏は多くがSWR南西ドイツ放送交響楽団、指揮者や録音時期はいろいろで、シリーズのために録音したものではなく、「寄せ集め」たものなんですが、どうも振付師ジョン・ノイマイヤーの発案で始められたものらしく、これがなかなか愉しめるんですね。 以下に、CD10枚の内容を紹介しておきます― ディアギレフとロシア・バレエ団の音楽 Vol.1 ・ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」 2006.11. ・ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」 2006.7. ・デュカス:「ラ・ぺリ」のファンファーレ 2004.2. ・デュカス:舞踊詩「ラ・ぺリ」 2004.2 シルヴァン・カンブルラン指揮 SWR南西ドイツ放送交響楽団 ディアギレフとロシア・バレエ団の音楽 Vol.2 ・ラヴェル:バレエ「ダフニスとクロエ」全曲 1997.9. ミヒャエル・ギーレン指揮 SWR南西ドイツ放送交響楽団 ヨーロッパ合唱アカデミー(合唱指揮:ヨスハルト・ダウス) ・プーランク:バレエ「牡鹿」組曲(5曲) 1990.7 マルチェロ・ヴィオッティ指揮 SWR南西ドイツ放送交響楽団 ディアギレフとロシア・バレエ団の音楽 Vol.3 ・ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲 2007.2. ・フロラン・シュミット:バレエ「サロメの悲劇」Op.50 2007.12. ・ストラヴィンスキー:バレエ「ペトルーシュカ」(1947年版) 2002.1. シルヴァン・カンブルラン指揮 SWR南西ドイツ放送交響楽団 シュトゥットガルトSWR声楽アンサンブル(「サロメの悲劇」) ディアギレフとロシア・バレエ団の音楽 Vol.4 ・チャイコフスキー:「白鳥の湖」Op.20(ハイライト) 1996.6. ユーリ・アーロノヴィチ指揮 SWR南西ドイツ放送交響楽団 ・チャイコフスキー/ストラヴィンスキー編:「眠りの森の美女」Op.66より3つの小品 1999.2 若杉弘指揮 SWR南西ドイツ放送交響楽団 クリスチャン・オステルターグ(Vn) ・ストラヴィンスキー:交響詩「うぐいすの歌」 1972.1. エルネスト・ブール(指揮) SWR南西ドイツ放送交響楽団 ディアギレフとロシア・バレエ団の音楽 Vol.5 ・ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」より8曲 2008.5.26-28. ファブリス・ボロン指揮 バーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団(SWR南西ドイツ放送交響楽団) オフェリア・サラ(ソプラノ) ・プロコフィエフ:バレエ音楽「道化師」組曲Op.21bis 2009.5.7 キリル・カラビツ指揮 バーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団(SWR南西ドイツ放送交響楽団) ディアギレフとロシア・バレエ団の音楽 Vol.6 ・ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネッラ」全曲 1985.11.26、27. クリストファー・ホグウッド指揮 バーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団(南西ドイツ放送交響楽団) アーリーン・オジェー(ソプラノ) ロバート・ギャンビル(テノール) ゲロルフ・シェダー(バス) ・ストラヴィンスキー:幻想曲「花火」Op.4 2007.2.8. シルヴァン・カンブルラン指揮 バーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団(南西ドイツ放送交響楽団) ・R.シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」Op.28 2005.12.30、31. シルヴァン・カンブルラン指揮 バーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団(南西ドイツ放送交響楽団) ・ラヴェル:ラ・ヴァルス 2007.5.25. シルヴァン・カンブルラン指揮 バーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団(南西ドイツ放送交響楽団) ディアギレフとロシア・バレエ団の音楽 Vol.7 ・オーリック:バレエ音楽「うるさがた」 2009.3.30-4.11. ・オーリック:バレエ音楽「牧歌劇」(世界初録音) 2009.3.30-4.11. クリストフ・ポッペン指揮 ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー ディアギレフとロシア・バレエ団の音楽 Vol.8 ・リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」 2011.3.2、3. アレホ・ペレス指揮バーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団(南西ドイツ放送交響楽団) ヤーモライ・アルビカー(Vn独奏) ・プロコフィエフ:スキタイ組曲「アラとロリー」 2011.11.23. キリル・カラビツ指揮 バーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団(南西ドイツ放送交響楽団) ディアギレフとロシア・バレエ団の音楽 Vol.9 ・ミヨー:青列車(1924) 2011.11.21-23. ・スカルラッティ(トマッシーニ編):上機嫌な婦人たち(1917) 2012.1.20. ・ソーゲ:牝猫(1927) 2012.11.23-24. ロベルト・ライマー指揮 ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィル ディアギレフとロシア・バレエ団の音楽 Vol.10 ・ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」全曲 2001.7.6-10. ゾルターン・ペシュコー指揮 バーデンバーデン・フライブルク南西ドイツ放送交響楽団 ・ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ミューズを率いるアポロ」 2012.6.12-13 ジェラール・コルステン指揮 バーデンバーデン・フライブルク南西ドイツ放送交響楽団 曲目の後に録音年月日を記載しておきました。やはり、ちょっと前の録音を寄せ集めた印象はありますね。今回、全部聴き直してみたところ、やはりシルヴァン・カンブルランの演奏がもっとも洗練されていて充実の度合いが高いと感じます。ミヒャエル・ギーレンも私の好きな指揮者で、ちょっとクールなところが、これはこれでいいですね。 「Vol.4」は「眠りの森の美女から」わずか3曲ながら若杉弘が指揮をしているというので、某shopではよく売れたんだとか。放送用録音でしょうか。 「Vol.5」の指揮者、ファブリス・ボロンは1965年パリ生まれ、ザルツブルクのモーツァルテウムでギーレンとアーノンクールに師事したフランス人。キリル・カラビツは1976年キエフ生まれ。あ、いまはキーウと言うのか。 「Vol.6」で「プルチネッラ」をホグウッドが指揮しているというのも、意外なようでもあり、考えてみれば納得できるようでもあり。言っては悪いんですが、たいして話題にもならなかったベートーヴェンの交響曲なんぞよりも、こちらの方がよほどいい演奏だと思います。 個人的には「Vol.7」のオーリック世界初録音がうれしいですね。指揮者のクリストフ・ポッペンは、私は知らなかったんですが、結構有名な人なんですよね。よって省略。 「Vol.8」のアレホ・ペレスという指揮者ははじめて聴きましたが、作曲活動が先行して指揮者としてのデビューは2006年のようです。その5年後にこんな通俗名曲を録音してしまったんですね・・・。こうしたシリーズの1枚でなかったら、まず購入の対象にはならなかったでしょうナ。 「Vol.9」のミヨー、ソーゲは私好みの音楽。指揮のロベルト・ライマーは1967年生まれで、主にオペラ指揮者として活躍しているらしい。 「Vol.10」のゾルターン・ペシュコー、ジェラール・コルステンという指揮者がまた知らない人で・・・もう調べるのも横文字読むのもめんどくさいや(笑)ふたりとも解説書に写真も載せられていないんですけどね、演奏は存外よろしいのですよ。 ・・・と書いてきましたが、残念、もう何枚かは製造終了か品切れ・・・と、思いきや、セットで安く出ているようですね。このページを見に来るくらいの人ならば容易に検索可能だと思いますので、リンクは省略します。一応書いておくと、HMVならば「バレエ・リュスの音楽集」でヒットするはずです。 今回、CDを再生した装置について書いておきます。 独Hanssler Swr MusicのシリーズはCDであり、どれもstereo録音なので、Mordaunt-Shortの2ウェイ密閉型ブックシェルフ・スピーカーで聴きました。といっても、いかにも現代風の透明感と分解能(だけ)を重視したものではなく、わりあい旧き良きBritish Soundの味わいを残すものです。概ね1980年代以降のstereo録音を再生する場合、とくに空間再現性において、小型スピーカーならではのメリットが感じられるんですね。 (Hoffmann) |