008 日本の団体によるJ・S・バッハの受難曲とミサ曲




  いまでこそ、鈴木雅明率いるバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)によるバッハ演奏などが内外で高い評価を得ておりますが、私の若い頃―というのは、1960年代から1970年代あたりのことなんですが、その頃には日本人の演奏家というだけで小馬鹿にする奴が多かったんですよ。

 それはバッハ演奏に限ったことではなく、逆に「ウィーン」と名がつけば、お客さんが集まったんですよね。だから、国内に在住している外国人を適当に集めて、「ウィーンなんとかアンサンブル」なんて団体をでっち上げてコンサートを行う、といったことがじっさいにあったとかなかったとか・・・。某国営放送局のオーケストラだって、ドイツ人でありさえすれば二流、三流、四流でもありがたがって招いて客演してもらっていたような時期がありました。そうそう、○期会も、J・シュトラウスのオペレッタ上演の際、ウィーン出身というだけで、まるでオーケストラを統率することも制御することもできない、徹頭徹尾無能な外国人に指揮をさせてたことがありましたっけね。いずれにしろ、情けないばかりのコンプレックスの発露です。

 しかし、そんな時代にも、真面目に、地道な活動していた団体があったんですよ。今回はJ・S・バッハの受難曲とミサ曲のレコードを取り上げてみます。


1 バッハ ヨハネ受難曲 BWV245
  淡野弓子指揮 ハインリッヒ・シュッツ合唱団 ハインリッヒ・シュッツ合奏団
  鈴木仁(テノール:福音史家)、川村英司(バリトン:イエス)、嶺貞子(ソプラノ:アリア)
  菊池洋子(アルト:アリア)、下野昇(テノーリ:アリア)、池田直樹(バス:ペテロ、ピラト、アリア)
  永峯常道(イングリッシュ・ホルン、オーボエ・ダモーレ)、河野和雄(ポジティーフ・オルガン)
  1973年3月23日 東京カテドラル聖マリア大聖堂 「受難楽の夕べ」より live録音
  コジマ録音 AL-16、17、18 (3LP)


 私がはじめてこの作品を聴いたレコードです。たしか高校生の頃に買ったもの。その頃から「レコード芸術」のような低俗な雑誌が「名曲名盤○○選」「決定盤××選」なんて特集を、なんとかのひとつ覚えみたいに飽きもせず、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も・・・繰り返しておりましたが、そんなものを参考にして買い物を決定したことは一度たりともなく、なんとなくピンと来たもの、しゃれたジャケット、そのとき買っておかないと、後になったら手に入らなくなりそうなものを優先して買っていたんですね。このレコードもそうしたもののひとつです。

 拠って立つ伝統がなくても、真摯な求道精神が立派な成果を上げるという例です。歌手は必ずしも全員がすぐれた歌唱であるとは言い難く、また、この時期にバッハ演奏に挑戦する気負いのようなものが感じられるのもたしかです。しかし、私はその後カール・リヒター、オイゲン・ヨッフムをはじめ、二桁のレコードを入手して聴きましたが、いまでもこのレコードを取り出すことが少なくありません。この時代の我が国でのバッハ演奏の記録であると同時に、単なる記録であるということを超えたものが聴き取れると思うからです。

 参考までに、これと正反対のレコードを挙げておきましょう―

(参考)
  ハンス=ヨアヒム・ロッチュ指揮 ライプツィフ・ゲヴァントハウス管弦楽団
  ライプツィヒ聖トーマス教会合唱団
  アーリン・オージェ(ソプラノ:女中とアリア)、ハイジ・リース(アルト:アリア)
  ペーターシュライヤー(テノール:福音史家とアリア)、アルミン・ウーデ(テノール:下役)
  ジークフリート・ローレンツ(バリトン:ピラト、ペテロとアリア)、テーオ・アダム(バス:イエス)
  1975年10月20~23日、12月8~10日、1976年4月12日 ドレスデン・ルカ教会
  東独ETERNA 8 27 015-017 (3LP)、徳間 ET -3077~79 (3LP)


 ほぼ同じ時期の録音ですが、これを対照的というのは、この時代にして特段新しい試みがあるわけでもなく、いかにもドイツの伝統に従った演奏であるところです。ロッチュというひとはもともと歌手なんですが、トレーナー的な才能に長けていた人のようで、合唱団などはたいへん立派なものの、演奏家として斬新な、あるいは目を見張らせるような解釈をするようなリーダーではないのですね。極端に言えば、伝統に寄りかかった(だけ)の穏健な演奏です。ところがそれで十分な説得力を持ち、高度に満足できるバッハ演奏になるところが、なるほど伝統というものも軽視できないなと考えさせられるところです。徳間から出ていた国内盤でもいいのですが、とりわけ東独のETERNA盤の音質は、Digital録音以前の、人肌、木質のぬくもりのような良さが感じられます。

 なお、上記ロッチュのレコードを挙げたのは、淡野弓子盤と録音時期が近いから。もちろん、ライプツィヒ聖トーマス教会合唱団とライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団といえば、これより以前にギュンター・ラミンによる1954年録音のレコードがあります。私が持っているのは旧東独ETERNAのSUPRAPHONプレス盤。番号は820 012-4。これはDGGとETERNAの共同制作音源なので、西側ではDGGプレスで出て、東側ではETERNAが自社工場を持っていなかった時期なのでSUPRAPHONにプレスを委託したもの。参考までに書いておくと、SUPRAPHONプレス盤のEQカーヴはNABのようです。


2 バッハ ミサ曲 ロ短調 BWV232
  濱田徳昭指揮 日本オラトリオ連盟(オリジナル楽器使用)
  勝本章子(ソプラノ)、荒道子(コントラルト)、佐々木正利(テノール)、森野信生(バス)
  合奏 トランペット・アンサンブル・エドヴァルド・ターン バッハ・コレギウム
  1982年5月4~5日 東京カテドラル聖マリア大聖堂 live録音
  制作・録音 相澤昭八郎
  プレス 日本Victor(JVC)、カッティング・エンジニア 杉本一家(JVC)
  アダム・レコード AAC1016~17 (2LP)


 指揮者も演奏団体も異なりますが、上記「1」から9年後の演奏です。じつに堂に入った演奏です。私自身はオリジナル楽器使用ということ自体がバッハ演奏にふさわしいとか、これにありがたみをおぼえたりすることはないことをお断りしたうえで―オリジナル楽器を使用するということは、ドイツあたりの伝統とは別な立ち位置からはじめられるのが、我が国のバッハ演奏には有利だったかもしれません。じっさい、国際的にもオリジナル楽器の団体の隆盛は、イギリスあたりから始まっていますよね。その意味では、聴く側も受け入れやすいんじゃないでしょうか。
 演奏はたいへん上質なもので、この作品を聴きたいときに取り出して、なんら留保なしに愉しめるレコードです。


3 バッハ マタイ受難曲 BWV244
  淡野弓子指揮 ユビキタス・バッハ
  ハインリッヒ・シュッツ合唱団・東京 メンデルスゾーン・コーア
  国分寺チェンバー・クワイア エクメーニッシェ・カントライ
  大島博(福音史家)、浦野智行(イエス)、淡野太郎(ピラト)
  羽鳥典子、永島陽子、及川豊、中川郁太郎(アリア)
  2014年4月2日 渋谷文化センター大和田さくらホール
  「ムシカ・ポエティカ」発足30周年記念コンサートシリーズ~その1~《受難楽の夕べ 》 live録音
  Kojima Recordings MPL-0001-3 (3CD)


 上記「1」のヨハネ受難曲から41年後。ここまできたか・・・ということは、私もズイブンと年齢を経たということですな(笑)合唱はなかなか優秀。合唱団Iが44名、合唱団IIが36名かな。これくらいの人数の合唱団で聴くことができるのは近頃めずらしいかも。ソロを歌う歌手にはやや不安定なひとが見受けられるのは残念ですが、高校生の頃から聴き続けてきたレコードの指揮者(リーダー)の、その後の成果をこうして聴くことができるのは、素直にうれしいですね。いや、私も長生きしてヨカッタ。


淡野弓子

(Hoffmann)