009 日本人によるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」 ワーグナーによる楽劇・・・正確に言えば―序夜と3日間の舞台祭典劇「ニーベルングの指環」の、日本人による全曲録音です。新日本フィルハーモニー交響楽団が定期演奏会において、1984年から毎年一作取り上げて4年がかりで完成させたもの。演奏会形式による公演で、私も当時これを会場で聴いていました。たしか「神々の黄昏」の日にはアンケート用紙が配られて、もしもLPかCDで市販するならどちらがいいですか、といった質問に答えた記憶があります。わたしはせっかくならLPで、と回答したのですが、1987年ですからね、多くの回答はCD希望だったのでしょう、その後山野楽器から発売されたのはCDでした。 録音データは以下のとおり― ・楽劇「ラインの黄金」(1984年6月11日 第121回定期演奏会) 東京文化会館 ヴォータン:池田直樹 フリッカ:辻宥子 フライア:西松甫味子 ドンナー:勝部太 フロー:種井静夫 ローゲ:大野徹也 エルダ:西明美 ファーゾルト:岸本力 ファーフナー:高橋啓三 アルベリヒ:多田羅迪夫 ミーメ:篠崎義昭 ヴォークリンデ:釜洞祐子 ヴェルグンデ:渡辺美佐子 フロスヒルデ:牧川典子 朝比奈隆指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 ・楽劇「ワルキューレ」(1985年10月12日 第133回定期演奏会) 東京文化会館 ヴォータン:池田直樹 フリッカ:辻宥子 ブリュンヒルデ:西明美 ジークムント:大野徹也 ジークリンデ:西松甫味子 フンディング:高橋啓三 ゲルヒルデ:柳澤涼子 オルトリンデ:菊地貴子 ヴァルトラウテ:桑田葉子 シュヴェルトライテ:上泉りく子 ヘルムヴィーゲ:渡辺美佐子 ジークルーネ;永井和子 グリムゲルデ:大藤裕子 ロスヴァイゼ:妻鳥純子 朝比奈隆指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 ・楽劇「ジークフリート」(1986年4月19日 第139回定期演奏会) 東京文化会館 ジークフリート:大野徹也 ミーメ:篠崎義昭 旅人(ヴォータン):池田直樹 アルベリヒ:多田羅迪夫 ファーフナー:高橋啓三 エルダ:西明美 ブリュンヒルデ:豊田喜代美 鳥の声:清水まり 朝比奈隆指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 ・楽劇「神々の黄昏」(1987年10月3日 第152回定期演奏会) 東京文化会館 ジークフリート:大野徹也 グンター:勝部太 ハーゲン:多田羅迪夫 アルベリヒ:牧野正人 ブリュンヒルデ:辻宥子 グートルーネ:渡辺美佐子 ヴァルトラウテ:秋葉京子 第1のノルン:奥本とも 第2のノルン:桑田葉子 第3のノルン:菊地貴子 ヴォークリンデ:福成紀美子 ヴェルグンデ:上泉りく子 フロスヒルデ:加納里美 晋友会合唱団 合唱指揮:関屋晋 朝比奈隆指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 さらに、disc化にあたって若干のリテイクがあり、それは1988年1月28日に昭和女子大学人見記念講堂で行われたとされています。 また、私が持っている山野楽器のCDセット(YMCD 5001/15)の「ラインの黄金」のケースには〈YMS 1〉という番号のdiscが入っており、これは特典盤ということでしょう、以下の録音が収録されています。 歌劇「リエンツィ」序曲 楽劇「神々の黄昏」より ”夜明けとジークフリートのラインへの旅” 楽劇「神々の黄昏」より ”ジークフリートの葬送行進曲” ジークフリート牧歌 朝比奈隆指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 1983年6月23日 第111回定期演奏会 東京文化会館 とにかくスコアどおりに演奏するという方針で、「ラインの黄金」では舞台にハープが6台並んでいました(舞台裏にも1台置いていたとのこと)。演奏会形式ということは、あらゆる点でごまかしがきかない状況で、当分出番がない奏者もステージを抜け出すことはできず、座って待機していなければならないということ。サヴァリッシュなどはドイツではとてもやらせてもらえないと言って、しきりにうらやましがっていたそうです。 海外の歌劇場の慣習を「伝統」と呼んでしまえば、それは一面ネガティヴなimageにもなりますが、現実的な「制約」のなかで最善を尽くすのがプロというもの。現に、バイロイトをはじめとするあらゆる歌劇場の公演の記録(live録音)がそのすぐれた成果で深い感銘をもたらしてくれるわけですから、むしろそちらの方がさすがと言うべきではないのかとも思えてきます。 記憶では、指揮者の朝比奈隆は椅子に座って、時折腰を浮かせたり起ち上がったりしていましたね。演奏会形式ながら歌手は棒立ちというわけではなく、ミーメは殺されれば頽れるように舞台上の仮設ステージから姿を消し、フライアが巨人族から解放されたときには、神々の一族が笑顔で迎えるといった程度の演技はしていました。 歌手では、大野徹也がローゲ、ジークムント、ジークフリートで4作すべてに出演するという快挙を成し遂げています。ヘルデンテナーにローゲを歌わせるのは、ヴィーラント時代のバイロイトにおけるヴィントガッセン起用以来の「ローゲ重視」演出ですね。一方でブリュンヒルデは3作に3人と交代しています。作品ごとの適材適所をねらっての人選かと思われます。とくに印象深いのはヴォータンの池田直樹、ミーメの篠崎義昭。あとは高橋啓三のフンディング。大野徹也もよかったんですが、ジークムントはあまり調子がよくありません。そのほか、概ね男声は好印象の人が多く、女声は歌詞の聴き取れない人が多かったと記憶しています。このあたりは、いまCDで聴いても同じ印象です。 私は朝比奈隆にまったく思い入れがないことをお断りしたうえで―オーケストラはあまりドラマティックではありません。スコアどおりということは、逆に言えばスコアにないことはやらないということ。決して無表情な演奏ではないんですが、海外の歌劇場のオーケストラならば当然のように表情をつけるところでもなにもしない、プレーンなWagnerです。よく言えばゆったりと流れる大河のようで、叙事詩的。しかしこの指揮者の常で、アタックが「バン」「ジャン」ときて欲しいところ、かならず「ウァン・・・」「ジャァン・・・」となるのには閉口します。歌手もこれに引っ張られたものか、歌い始めのところで音程をずり上げる人も。しかもフレーズの末尾での潮の引き方がピタッと止まらないので常に詠嘆調になるんですね。このあたりは多くのドイツの指揮者、オーケストラとは正反対で、だからいいとか悪いとかではなく、この指揮者の音楽造りを「ドイツ的」というのは事実誤認だし、「呼吸が深い」などと評するのも贔屓の引き倒しだと思います。 この作品を聴こうというときに真っ先に取り出すdiscではありませんが、日本人による全曲録音で、しかも「神々の黄昏」は日本初演の記録ですから、貴重な記録には違いありません。 (Hoffmann) |