035 小澤征爾のレコードから じつは表題をどうしようか、かなり迷いました。当初は「若き日の小澤征爾」にしようかと思い、あるいは「ボストン交響楽団以前」とか「1960年代」と付けるか・・・しかしどれをとっても、取り上げたいものの一部を取りこぼしてしまう。ここに私の小澤征爾に対するとらえ方があらわれているわけです。まあ、はじめてしまいましょう。 小澤征爾 小澤征爾のdiscは特殊なものをも除いてほとんど所有しているんですが、気に入ってときどき聴くものは1970年以前の録音に集中しています。愛聴盤と言えるものを、以下に基本的に録音年順に並べてみますが、若干前後します。 まず、RCA録音からいくつか拾ってみると― 1 ムソルグスキー~ラヴェル編曲:展覧会の絵 ブリテン:青少年のための管弦楽入門 シカゴ交響楽団 シカゴ、1967.7.18 日本ビクター SX-2010(LP) 2 ストラヴィンスキー:バレエ「春の祭典」、幻想曲「花火」 シカゴ交響楽団 シカゴ、1968.7.1,8 日本ビクター SRA-2504(LP) 3 チャイコフスキー:交響曲第5番 ムソルグスキー:交響詩「はげ山の一夜」 シカゴ交響楽団 シカゴ、1967.8.9、7.8 日本ビクター SRA-2545(LP) 4 ベートーヴェン交響曲第5番「運命」 シューベルト:交響曲第8番「未完成」 シカゴ交響楽団 シカゴ、1968.8.9 日本ビクター SRA-2677(LP) 独プレス盤や米プレス盤もいくつか持っていますが、ここはすべて懐かしい国内盤で―。 小澤征爾とシカゴ交響楽団とは、1963年にジョルジュ・プレートルの代役で指揮台にのぼった小澤が大成功を収めて以来の関係ですね。1967年といえば小澤征爾32歳。ここではオーケストラのうまさに助けられていることも否定はできませんが、指揮者の統率力が感じられます。ソロの表情など、奏者の表現だとは思うんですが、勝手に奏いているといった印象はなく、オーケストラの自発性と受け取れるあたりがさすがです。 ラヴェル編曲の「展覧会の絵」なんて「愛聴盤」と言えるほど聴かないんですが、もしもこの作品を聴くとすれば、この小澤盤か東独ETERNAのマルケヴィチ盤のどちらかです(というか、その2枚しか持っていません)。カップリングのパーセルの主題による変奏曲とフーガ(「青少年の管弦楽入門」)はさらに充実した演奏です。 「春の祭典」は後のボストン交響楽団とのPHILIPS盤があまりにもお行儀よく―といえば聞こえは悪くないのですが、薄っぺらな演奏になっているのにくらべて、はるかにバーバリズム的なエネルギーを感じさせます。 チャイコフスキーの交響曲第5番も、後のボストン交響楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との録音よりもこちらの方が好きです。ちなみにDGのボストン交響楽団との録音は、なかなか熱い演奏なんですが、終楽章のコーダでひどく混濁しているうえに、tape編集の痕跡があからさまで、興醒めです。ちなみにキャビアの親はチョウザメです。 「運命」は第2楽章などフェルマータがいちいち長すぎて、考えすぎではないかと思われますが、第1楽章、終楽章の勢いは若々しくていいですね。一般に、「未完成」は若い指揮者が振るとそれこそ「考えすぎ」になりがちな作品であるところ、こちらはわりあい自然体で好ましく感じられ、聴き応えは十分です。 この時期の協奏曲録音では、エリック・フリードマン(ヴァイオリン)、レナード・ペナリオ(ピアノ)あたりは当時高い大衆的人気を博していたようですが、いま聴けばたいしたことはない。むしろ当時若手のピーター・ゼルキンとの録音に聴くべきものがあります。 5 バルトーク:ピアノ協奏曲 第1番、第3番 ピーター・ゼルキン(ピアノ) シカゴ交響楽団 シカゴ、1965.6.23 ビクター SRA-2893(LP) 6 シェーンベルク:ピアノ協奏曲 ピーター・ゼルキン(ピアノ) シカゴ交響楽団 シカゴ、1967.10.30,11.1~3 ビクター SRA-2521(LP) 7 ベートーヴェン ピアノ協奏曲(ヴァイオリン協奏曲の編曲版) ピーター・ゼルキン(ピアノ) ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 ロンドン、1969.6.9,12,13 日本ビクター SX-2024(LP) このなかではバルトークがとくにいいですね。共演は少なくなかったのでしょうが、ピーター・ゼルキンと小澤征爾はちょっと志向するところが違うようで、そのコントラストが活きているのがバルトークです。オーケストラがニュー・フィルハーモニア管弦楽団となるベートーヴェンは、おそらくゼルキンのテンポでしょう。かなり遅めで指揮者がやや持て余している感じもあります。しかしこのオーケストラとの相性は良かったものか、5年後に再びベートーヴェンを録音することになります。 1964年に音楽監督に就任したトロント交響楽団との録音ならば、ベルリオーズの「幻想交響曲」、「小澤・武満 ’69」と題されたアルバムよりもこちら― 8 メシアン:トゥーランガリラ交響曲 武満徹:ノヴェンバー・ステップス イヴォンヌ・ロリオ(ピアノ)、ジャンヌ・ロリオ(オンド・マルトゥノ) 鶴田錦史(琵琶)、横山勝也(尺八) トロント交響楽団 トロント、1967.12.7~9 日RVC SX -2014~15、英RCA SB6761-2(LP) メシアンの立ち会いの下に行われた録音で、同時代ならではのatmosphereが感じられる、意欲的な演奏です。武満作品も、ソリストにこのふたりを得たのがこの時代ならでは。 次はシカゴ交響楽団との録音でも、レコード会社をEMIに移ってからのもの。録音の良さも相俟って、ここに頂点を築き上げます。 9 リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」 ボロディン:歌劇「イーゴリ公」~だったん人の踊り シカゴ交響楽団 シカゴ、1969.6.7 英EMI ASD2756(LP)、仏Pathe Marconi(EMI) 2C 069-02014(LP) 10 バルトーク:管弦楽のための協奏曲 コダーイ:ガランタ舞曲 シカゴ交響楽団 シカゴ、1969.6.7 英EMI ASD2631(LP) 11 ヤナーチェク:シンフォニエッタ ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲 シカゴ交響楽団 シカゴ、1970.6.26,29 英EMI ASD2652(LP) 「シェエラザード」もバルトークも、後年再録音がありますが、私はせせこましさのない、自由で闊達としたこちらの録音の方がはるかに好きです。「ガランタ舞曲」など、世評の高い他の指揮者の録音とくらべても、十分に対抗できる出来栄えではないでしょうか。 同じくEMIで、パリ管弦楽団との録音がまた見事です。 12 チャイコフスキー:交響曲第4番 パリ管弦楽団 パリ、1970.10.22,23 仏Pathe Marconi(EMI) 2C 069-02159(LP) 13 ストラヴィンスキー:バレエ「火の鳥」(1910年版) パリ管弦楽団 パリ、1972.4.22,24,28,29 英EMI Q4ASD2845SQ(LP)、仏Pathe Marconi(EMI) 2C 069-02382(LP) 協奏曲では― 14 ラヴェル:ピアノ協奏曲 プロコフィエフ:ピアノ作品集第3番 アレクシス・ワイセンベルク(ピアノ) パリ管弦楽団 パリ、1970.2.27,28,10.9,10 仏Pathe Marconi(EMI) 2C 069-11301(LP) 15 ストラヴィンスキー:ピアノと管楽器のための協奏曲 同:ピアノと管弦楽のためのカプリッチョ 同:ピアノと管弦楽のための楽章のための ミシェル・ベロフ(ピアノ) パリ管弦楽団 パリ、1971. 仏Pathe Marconi(EMI) 2C 069-11698(LP) どれも最高の演奏です。チャイコフスキー、ストラヴィンスキーとも、後の再録音よりもはるかにすばらしい。ワイセンベルクもベロフも特段関心のあるピアニストではないんですが、ワイセンベルクは時に火事場の馬鹿力のような演奏となることがありますね。これ以外ではブラームスの協奏曲第1番で2種、ジュリーニ、ムーティとの共演がその「火事場・・・」で、どうもこの人の協奏曲演奏は指揮者次第であるようです。ベロフはやや濁ったような音を出すんですが、心地よい硬質な響きが曲想に合うと「怖い」演奏になりますね。 その後パリ管弦楽団とはPHILIPSにチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」(1974.2.25-27)、チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」「眠りの森の美女」(1974.2.25-27)の録音がありますが、色彩感にも乏しく、表情も通り一遍で退屈な演奏なので、ここでは取り上げるに値しないと判断します。 また、1970年に音楽監督に就任したサンフランシスコ交響楽団とは、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」、序曲「謝肉祭」(1975.5.18,19,25)、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」(1975.5.18-25)の録音がPHILIPSにありますが、いずれもオーケストラが弱く、「英雄」の第3楽章のトリオなど、楽譜どおりに音を出すのが精一杯だったというわけでもないと思いますが、表情というものがまったくありません。「新世界より」に至っては、tapeの編集ミスでしょう、第3楽章の初めの方で、打楽器が落ちています。新譜で出た当時、なぜか評論家は誰ひとり、これにまったく触れていませんでした。みんな聴かずに書いているのですね。 同様に、EMI録音による日本フィルハーモニー交響楽団との2枚、潮田益子との協奏曲、武満徹と石井真木のレコードも省略します。 小澤征爾 小澤征爾は1973年にはボストン交響楽団の第13代音楽監督となりますが、それ以前にボストン交響楽団と行われた録音に、オルフの「カルミナ・ブラーナ」(1969.11.17)、ストラヴィンスキーの「火の鳥」組曲、「ペトルーシュカ」(1969.11.24)の2枚がRCAにありましたが、これも省略します。とくに「火の鳥」なら、疑いなく「13」のパリ管弦楽団との1910年全曲版がベストです。ボストン交響楽団とはその後数多の録音が行われたわけですが、私が特筆大書しておきたいのは次の2点― 16 ベルリオーズ:劇的物語「ファウストの劫罰」 エディト・マティス、スチュアート・バロウズ、ドナルド・マッキンタイヤー、トマス・ポール、ジュディス・ディキスン ボストン交響楽団、タングルウッド音楽祭合唱団、ボストン少年合唱団 ボストン、1973.10.1,2,8,9 DG 2709048(LP) 17 ラヴェル:管弦楽曲集 ボストン交響楽団、タングルウッド音楽祭合唱団 1974.3-4,1974.10,1975.4 DG 2740120(LP) ベルリオーズは、かつてこの指揮者がこれほど、なにものにもとらわれず、のびのびとした演奏を繰り広げていたことに驚かされます。DGへの同年2月の録音である「幻想交響曲」とくらべても格段にすぐれた演奏。 ラヴェルも小澤、ボストン交響楽団の初期の大仕事。ダイナミクスの振幅が大きく、「亡き王女のためのパヴァーヌ」のような音楽では意識しすぎたのか、構えすぎて生硬になりがちながら、行き届いたコントロールが後年のように神経質になりすぎていない「若さ」がたいへん好ましいものです。 その後、ボストン交響楽団とは数多の録音が行われていますが、ベルリオーズの大作、劇的交響曲「ロメオとジュリエット」(1975.10.6,7,14)はやや単調で録音も彫りが浅くなり、ボストン交響楽団との来日に併せて発売されたチャイコフスキーの交響曲第5番(1977.2.16)やブラームスの交響曲第1番(1977.3.28,4.2)、「シェエラザード」(1977.4.2)、マーラーの交響曲第1番(1977.10.3-17)などは録音も飽和状態、tape編集の箇所がはっきりわかるようなもので、せっかくの「熱い」演奏を愉しめるレコードとなっていないことが残念です。以後は、まとまりがよくなっていくばかりで、音楽がせせこましく神経質になっていくことになります。 DG録音で比較的いいかなと思うものを拾っておくと、 バルトークの組曲「中国の不思議な役人」、弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽(1975.11.10,1976.11.13)、ファリャのバレエ「三角帽子」(1976.10.2,5,11.27)といったあたり―やはり初期のものとなりますね。 その時期、1974年には記念碑的な録音があります。 18 ベートーヴェン:交響曲第9番 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、アンブロジアン・シンガーズ マリタ・ネイピアー、アンナ・レイノルズ、ヘルゲ・ブリリオート、カール・リッダーブッシュ ロンドン、1974.2.11,13 蘭PHILIPS 6747119(LP)、仏PHILIPS 6747119(LP)、日PHILIPS SFL8711~12(LP) 既にボストン交響楽団の音楽監督に就任して、サンフランシスコ交響楽団の音楽監督としては最後のシーズンという時期にロンドンに飛んでの録音です。この指揮者の生涯を通じて、彫りの深い表現という点では随一です。このあと、小澤征爾は指揮が「上手く」なったんでしょうか。「上手くなる」とはどういうことなのか、考えさせられる問題です。個人的には、これより以降、もはや取り上げたいようなdiscは見当たりません。 正直、シカゴ交響楽団との録音は、上手いオーケストラに助けられているようなところもあり、ボストン交響楽団、サイトウ・キネン・オーケストラとも初期はいいんですが、年を経るに従って音楽がせせこましくスケールダウンして、オーケストラの響きまでが痩せて神経質になっていきます。その点で、録音で聴く限りはパリ管弦楽団を振ったEMI録音が、最高の成果だったかなと思います。1970年代の終わり頃には、フランスでの活動はフランス国立管弦楽団に変わり、パリ管弦楽団との共演はなくなるので、いくつか残された録音は貴重なものになりました。 フランス国立管弦楽団との演奏は、これまた初期の1979年のサン・ドニ大聖堂でのマーラーの交響曲第8番が当時FMで放送され、たいへん感動的な演奏でした。同曲はボストン交響楽団とのPHLIPS盤(1980.10.3,11.4)もありますが、あれは録音がたいへん悪い。「混濁を避けるために」オーケストラと合唱団を対向配置として録音したそうなんですが、そんな余計なことをしたせいでしょう、オーケストラ、合唱が混濁しきっていてちょっと聴くに耐えません。今回、ひさしぶりに聴いてみましたが、合唱団の足がステージに立っていない感じで、どこからともなく、オーケストラの前なのか後ろなのかもわからない、まるで異次元から押し寄せてくるようです。おそらくPHILIPS最大の失敗作。正規のレコーディングでないlive録音のラジオ放送の方がまだしもましというのは、レコード会社はなにをやっているんですかね。そのフランス国立管弦楽団との録音も、以後のビゼー、ラロ、サン=サーンスなどはさっぱり冴えません。 とはいえ、なにごとにも例外は付きもの― 19 オネゲル:劇的オラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」 マルテ・ケラー、ジョルジュ・ウィルソン、ピエール=マリー・エクスル、ポーラ・ランツィ フランソワーズ・ポレ、ミシェル・コマン、ナタリー・シュトゥッツマン、ジョン・アラー、ジャン・フィリップ・クールティ フランス国立管弦楽団 パリ サン・ドニ大聖堂、1989.6 DG 429 412-2(CD) DGのフランス録音には、ときどき目の覚めるような生々しい、途方もなく良質なものがあります。バースタインならR・シュトラウスの1枚がそうでした。これもそれ。CD1枚ですが、LPでも出して欲しいくらいです。演奏もすばらしい。奇しくも、FMで放送されたマーラーの交響曲第8番と同じ、サン・ドニ大聖堂での録音です。小澤征爾は若い頃の方がよかったとはいっても、さすがにロンドン交響楽団との英語版による録音(1966.6.6,7)の方がこれよりいいとは言えません。また、サイトウ・キネン・フェスティヴァルでの公演もTVで放送され、かつてLDでも出ていましたが、このCDの代替にはなり得ません。 あとは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との録音、サイトウ・キネン・オーケストラとのごく初期のlive録音のなかには聴くべきものがあると思いますが、すべて省略します。 レコード(LP)を再生した装置について書いておきます。 国内盤はSHELTER MODEL501 Classicを使い、海外盤にはortofonの各種カートリッジを使用、スピーカーはTANNOYのMonitor Gold10"入りCornettaまたはHarbethのHL MonitorMkIIIで聴きました。 今回取り上げたレコードに関しては、EQカーヴはすべてRIAAで問題ないと感じました。 (Hoffmann) |