062 R・シュトラウス 歌劇「エレクトラ」




 R・シュトラウスの「サロメ」には一箇所、作品としては緩みが生じた箇所があります。もちろん、長大な舞踏シーン「七つのヴェールの踊り」です。実演で舞台を見ていれば、退屈はしないのかも知れませんが、音楽だけ聴いていれば、やはりここに異質なものが介入していると感じないではいられません。アルマ・マーラーは、R・シュトラウスが「どうにでもなるから」と、この舞踏シーンを後から作曲したと証言しています。もっとも、アルマ・マーラーの言っていることはアテにはなりません。

 個人的に思うのは、オペラの間奏曲と同じ制約があったんじゃないかなということ。つまり、オペラの間奏曲というのは場面転換のために大道具を入れ替えたりするためのものですよね。だからある程度の演奏時間がないといけないし、大道具を動かす音を誤魔化すために少々大きめの音を出したい。この「サロメ」の舞踏シーンの場合は、場面転換の都合とは異なりますが、まさか3分とか5分では短いし、それなりのクライマックスを築かなければならない。構成だって、歌手が踊ることを考慮すればあまり無茶もできないし、このあと長大なモノローグが控えていることも忘れちゃいけない。そういった制約が純粋に求められるべき音楽を導くとは限らないわけです。もちろん、その上で成果をあげるのがプロというものでしょうけれど、うまくいくときもあれば、失敗することもありますよ、そりゃあ(笑)

 「サロメ」の話はともかく、もちろん戯曲「エレクトラ」はソポクレスからの改作であるわけですが、いったん古典に沈んだうえで、時代が喪失したものに誘導しようという、やや倒錯した伝統への姿勢がたいへん興味深いところです(R・シュトラウスは気付いていなかったのでは?)。もちろん、ホーフマンスタールの台本の格調高さ故に、オペラ台本としても、オスカー・ワイルド以上のものとなっている・・・のではないかな?

 エレクトラは過去にこだわり続ける復讐の女、クリソテミスは生を維持するために適応して変わることのできる女、クリテムネストラは刹那に生きる忘却の女。しかし、エレクトラは自らなすべき復讐をしないことにご注意あれ。復讐を果たすのはあくまでオレスト。だから最後、エレクトラは熱狂の内に自己崩壊するのです。

 ついでに言うと、R・シュトラウス自身はクリソテミスのごとく、軌道修正を図ります。現代的問題追及はエレクトラ的崩壊、サロメ的破滅、その後は「ばら」色の未来を求めて、生の希求、20世紀の音楽創造には背を向けてしまいます。ま、そんな単純な話じゃないだろうって声が聞こえてきそうですが、「薔薇の騎士」が「退嬰的」「変節」「転進」だというのは、一応衆目の一致するところでしょう。いや、もしも作曲技法の本質が「退歩」でなかったとしても、もてはやされている演奏がカラヤン指揮のレコードやDVD、それにカルロス・クライバーのような、いかにもな「予定調和」の音楽なのだから、聴いている側は「退歩」「退嬰」した作品として受け取っているのは間違いないと思われる。甘ったるいものがさらに甘口になっている。さらに言うと、ライトモティーフの扱いなどはよりシステマティックになっていて、なんだか「設計図」が透けて見えるようなのも興を削ぐところ。ええ、かまいません、私が「薔薇の騎士」を理解できていないってことで結構です(じっさい、そうなんでしょう)。でも、わかりもしないのに「わかったふり」はできませんのでね。

 R・シュトラウスは時代を先に進めるよりも、「最後の巨匠」として、時代、ドイツ音楽、オペラという芸術にピリオドを打つ立場に身を置いたのでしょうか。個人的には、最終的にピリオドとなったのは「影のない女」ではないかな、と思っているのですが、カイルベルト盤、ベーム盤ともに少なからぬカットがあるようで、どうもその全貌が把握しきれていません。



 それではdiscの紹介です―

ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団、同合唱団
ボルク、デラ・カーザ、マデイラ、ロレンツ、ベーメ
1957.8.7.live
ORFEO C456 972I(2CD)


 ザルツブルク音楽祭史上伝説的名演として名高い公演の記録。持続する緊張感。それでいて強引に聴こえないところが見事。音楽が親しみやすくさえ思えるのが不思議。そんなにたくさんは聴いていないが、ミトロプーロスの最高傑作ではないか。「超」の字を付けたいほどの名演。インゲ・ボルクはさすがの当たり役。絶叫系ではなく、ちゃんと歌って(笑)感情の振幅をこの上なく表現しきっている。叫んだり、わめいたりするだけの目立ちたがりは、現代のTVに出てくる芸人だけで充分です。
 マデイラも申し分なく、クリソテミスのデラ・カーザはボルクとのコントラストが大きくて、ユニーク。録音は鮮明。


Inge Borkh


ルドルフ・ケンペ指揮 コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団、同合唱団
ラマース、ミューラー=ビュトウ、ミリンコヴィチ、エヴァンス、O.クラウス
1958.5.29.live
IMG ROHS004(2CD)


 おそらくこのdiscが初出のはず。ケンペのオペラ録音のなかでも出色の出来。感情表現が豊かでありながら品位が高く、巧みな設計でクライマックスへと導く。エレクトラを歌うゲルダ・ラマースは、1915年ベルリン生まれのソプラノ。ケンペの「パルジファル」ではクンドリーを歌っていた。ゲオルギーネ・フォン・ミリンコヴィチやオタカール・クラウスは、バイロイトにも出演していた実力派。


カール・ベーム指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団、同合唱団
ボルク、シェヒ、マデイラ、ウール、F=ディースカウ
1960.10.10-17.
MG8922/3(2LP)


 ベームのDG録音(正規盤)では、「サロメ」が1970年録音で、ああベームも1970年頃は元気だったなと思うが、「エレクトラ」の1960年となると、一段と生気が漲っている。歌手もよく揃っていて、すばらしい出来映え。


ヨーゼフ・ローゼンシュトック指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団、同合唱団
ボルク、リザネク、マデイラ、ヴィナイ、ウーデ
1961.live
Walhall WLCD0354(2CD)


 NHK交響楽団の前身、新交響楽団時代の常任指揮者として我が国には馴染みのあるローゼンシュトックの指揮。またインゲ・ボルク。いや、いくらあってもうれしいけれど(笑)マデイラともども、この演目では引っ張りだこだったか。ここでリザネクが登場。


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団、同合唱団
ヴァルナイ、ヒレブレヒト、メードル、キング、ヴェヒター
1964.8.17.live
ORFEO C298 922I(2CD)


 ヴァルナイのエレクトラが残っていたのは喜ばしい。しかもマルタ・メードルと火花を散らす。カラヤンの指揮がレガート多用の時期に入っているが、音楽的にはさほど目立たない。とはいえ、ここまでに聴いてきた演奏とくらべると、スケールの大きさでわずかに及ばない。



カール・ベーム指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団、同合唱団
ニルソン、リザネク、レズニック、ヴィントガッセン、ヴェヒター
1965.12.16.live
ORFEO C886 142I(2CD)


 歌手陣は1960年代の最高のメンバー。よい意味での「名人芸」に惚れ惚れとするばかり。


ゲオルク・ショルティ指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団、同合唱団
ニルソン、コリアー、レズニク、シュトルツェ、クラウゼ
1966-67.
DECCA SET354-5(2LP)


 ショルティ指揮は相変わらず強引と聴こえるが「サロメ」よりはこの「エレクトラ」の方が納得できる。ニルソンはもちろんいいが、シュトルツェの強烈な個性がアクセントになっている。ちょっと、ほかにいないタイプの歌手。
 ちなみにショルティの国内盤は、私が高校生の時にはじめてこの作品を聴いたレコード。「ギリシア悲劇」を夢中になって読んでいた頃でした。


カール・ベーム指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団、同合唱団
ニルソン、リザネク、レズニック、ウール、ニーンシュテット
1967.9.14.live
Sony Classical 88985392322(31CD)


 1967年モントリオール万国博覧会でのゲスト出演公演、モントリオール歌劇場でのlive、mono録音。
 1965年のlive録音と同様に、ニルソン、リザネク、レズニックと御三家(笑)が揃っている。


Leonie Rysanek、Birgit Nilsson、Regina Resnik―この写真は1966年のものらしい。


カール・ベーム指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団、同合唱団
ニルソン、リザネク、マデイラ、ナギー、ステュアート
1971.2.27.live
Sony Classical 88985392322(31CD)


 mono録音。1971年でmono録音は残念だが、音質鮮明、鑑賞には差し支えず。


エサ=ペッカ・サロネン指揮 パリ管弦楽団、グルベンキアン合唱団
パトリス・シェロー演出
ヘルリツィウス、ピエチョンカ、W.マイアー、ランドル、M.ペトレンコ
2013.7.live
Bel Air BAC410(BD)


 エクサン・プロヴァンス音楽祭のlive収録。ミラノ・スカラ座との共同制作。往年の大歌手とくらべるようなものでもないが、時代は変わったものだとの感拭えず。肩の力が抜けていると言えばそうだし、音響も飽和しない。いわゆる「ヌケ」がいい感じだが、なにかが「抜け」てしまっているような気がしないでもない。

 もはや歌手が絶叫・咆哮する時代ではないという印象は微妙に誤りだと思う。改めて聴き返してみても、ボルク、ニルソンなどは、強靱な声ではあるが、「咆哮」はしていない。現代の歌手は、より細部のニュアンスを重視した表現をするようになったのはたしかだが、失われてしまったものもある。やみくもに「ムカシはよかった」と主張したいわけではないが。臆面もなく「咆哮」する歌手と言えばエヴァ・マルトンを思い出す。しかし時代は「サロメ」が1990年、「エレクトラ」が1989年、ムカシじゃない。

 このdiscに話を戻すと、脇にフランツ・マツーラ、ドナルド・マッキンタイアといった大ベテランの歌手が参加している。シェローは2013年10月に亡くなっているので最後の仕事か。その演出は、衣装が現代服ながら奇をてらうことなく、ドラマ性を重視しているようで、納得できるもの。パリ管弦楽団が健闘。


(Hoffmann)