122 コルトー=ティボー=カザルス・トリオのレコード





Casals - Thibaud - Cortot

 コルトー=ティボー=カザルス・トリオとは、アルフレッド・コルトー(ピアノ)、ジャック・ティボー(ヴァイオリン)、パブロ・カザルス(チェロ)の3人で結成されたトリオ(三重奏団)のこと。言うまでもなく、常設のトリオではありません。3人それぞれが偉大なソリストであり、その3人がトリオを組んだのは、まったくの偶然から。たまたま友人同士で集まった際に、面白半分にシューマンのピアノ三重奏曲を演奏したら、思いのほか上手くいった。そうして友情で結ばれた最初の演奏会は翌1906年。以後およそ28年間にわたって、折にふれて集まり、演奏して、ときにはレコーディングも行い、1934年にトリオとしての演奏活動を休止しました。

 その別離には戦争の影響、政治的な(選択の相違による)事情もありました。このトリオについては、2002年にフランソワ・アンセルミ、レミ・ジャコブ共著による「コルトー=ティボー=カザルス・トリオ 二十世紀の音楽遺産」の翻訳が出ているので、関心のある方はご参照下さい(桑原威夫訳 春秋社)。

 個人的にはね、いろいろなこと考えますよ。

 コルトーはナチ占領下での対独協力により戦後1946年春まで演奏活動禁止とされ、復活公演では指揮者クリュイタンスに握手を求めて無視され、聴衆からはブラボーとブーイングの嵐で迎えられて、ショパンの葬送行進曲を演奏中には、一部の聴衆から「友だちのヒトラーに捧げているのか」と野次を飛ばされた・・・。

 カザルスは一貫して政治的・道徳的姿勢を崩さなかったんですが、どうもあれほどの立場の人になってしまうと、周囲からの進言に従わざるを得なかったというか、世の中から「理想化されたカザルス」であり続けるよりほかに、スタンスのとりようがなくなっていたのではないか、という気もします。

 ティボーはティボーで、あまり政治的姿勢にこだわりたくはなかったのに、カザルスはコルトーを許さない、コルトーはもうそっぽを向いているも同然。そんなティボーもアメリカでインタビューを受ければ、コルトーを悪く言うしかこたえようがなかったんじゃないか・・・と。そうこうしているうちに、1953年9月1日、ティボーは三度目の来日のために乗っていた飛行機が山に衝突して死去・・・。

 我が国に限った話ではないかもしれませんが、カザルスといえばもうほとんど神様みたいに言われています。その神格化ぶりは・・・異常とまでは言いませんけどね、いささか滑稽なくらいではないでしょうか。政治的立場が異なったからといって狂ったようにコルトーの悪口を言い、さらに書き綴り、謝罪したティボーに対しては、「彼は詫びただけで、自分が間違っていたとは言わなかった」なんて言っている。この頑迷固陋ぶり、容赦のない執念深さ。カザルスが一般に言われているほど、そんなに見上げた人物だと思いますか? 別に嫌な奴だとは思っていませんけどね、たとえば弟子たちからしたら立派な人だったんだと思いますよ。でもね、政治的な立場の相違を理由に、かつての友人たちとの長年の友情を破棄して態度を一変させる人物が、そんなに人格高潔と言えるんでしょうか。自分の信条を大切にするのは結構ですが、他人(友人)が同調しないのは気にくわない、ってことでしょ。少々極端なことを言えば、それがどこかの政治政党による画一化と、質においてどう違うんですか?

 いや、念のために付け加えておくと、コルトーとカザルスは1956年に和解しているんですけどね。ふたりの最後の共演は、コルトーの聴衆を前にしての最後の演奏となりました。コルトー81歳、カザルス82歳。遅すぎるよ。


Casals - Thibaud - Cortot


 録音一覧

※ 上記「コルトー=ティボー=カザルス・トリオ 二十世紀の音楽遺産」の巻末付録によるが、録音順に並べ替えている。


シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番 D.898
ロンドン、キングズウェイ・ホール、1926年7月5-6日


ベートーヴェン:ヴェンツェル・ミュラーの歌劇「プラハの姉妹」から「私は仕立屋カカドゥ」による変奏曲 op.121a
ロンドン、キングズウェイ・ホール、1926年7月6日


ハイドン:ピアノ三重奏曲第39番 Hob.XV-25
ロンドン、キングズウェイ・ホール、1927年6月20日


メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番 op.49
ロンドン、大クイーンズ・ホール、1927年6月20-21日


シューマン:ピアノ三重奏曲第1番 op.63
ロンドン、小クイーンズ・ホール、1928年11月15日、18日、12月3日


ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番「大公」 op.97
ロンドン、キングズウェイ・ホール、1928年11月19日、12月3日


ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 op.102
アルフレッド・コルトー指揮 パブロ・カザルス管弦楽団
バルセロナ、1929年5月10-11日



 私が所有しているレコード(表記はレコードに従う)―


ハイドン:ピアノ三重奏曲第39番 Hob.XV-25
シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番 D.898
1927.6.20
独Electrola 1C047-01148 (LP)


メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番
シューマン:ピアノ三重奏曲第1番
1927.6(メンデルスゾーン)、1928(シューマン)
独Electrola 1C049-01808 (LP)


ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
1929.5.10-11
ブラームス:チェロ・ソナタ第2番
パブロ・カザルス(チェロ)、ミェチスワフ・ホルショフスキ(ピアノ)
1936.11.28
独Electrola 1C053-03034 (LP)


ハイドン:ピアノ三重奏曲 op.73 No.2 (第39番)
シューベルト:ピアノ三重奏曲 op.99 (D.898)
1927.6.20
東芝 GR-5 (LP) 赤盤


ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番「大公」
1928.11.19, 12.3
東芝 GR-2010 (LP)


ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番
1929.5.10-11(ブラームス)、1927.6(メンデルスゾーン)
東芝 GR-2044 (LP)



 「コルトー=ティボー=カザルス・トリオ 二十世紀の音楽遺産」の翻訳者は、「訳者あとがき」に、我が国では「『カザルス・トリオ』または『カザルス三重奏団』という呼称は、あたかもカザルスをリーダーとする三重奏団という印象を与えるが、実際はそうではない」と書いています。たしかにそのとおり。

 しかし、演奏を聴くと、終始カザルスがリード(しようと)しているように聴こえます。まあ、いちばん年上だということもあるかも知れませんが、これが、私には若干違和感のあるところ。たしかにコルトーはテクニックにおいてはたいしたピアニストではありません。テクニックを超えたところに、コルトーの偉大さがあるのです。ティボーも、感覚的というか、多くの人が期待するような、ドイツ的な音楽の深遠さを醸し出すようなタイプではない。どうもカザルスはそうしたふたりのフランス人の体質を欠点と見て、その足りないところを支えようと懸命になっているのではないかという気がします。だから、ことばは悪いんですが、ちょっと「出しゃばり」気味。

 それで上手くいったのが、たとえばベートーヴェンとシューマン。いまひとつ洗練されず、持って回ったようになってしまったのがシューベルト。カザルスがさほど強い主張をしなかったので、自然体で演奏できたのがメンデルスゾーン。

 ただし、これはそれぞれの作品のいろいろなレコードを聴いて、相対的にそのように聴こえるということです(現代のトリオは良くも悪くも民主的になってしまいましたからね・笑)。カザルスにしても、戦後のカザルス音楽祭(プラド音楽祭、1950~52年、ペルピニャン音楽祭、1951年)での演奏になると、モゾモゾした音で、よりいっそう自己主張が強くなっており、それとくらべればまだしもおとなしい方。


(Hoffmann)



参考文献

「コルトー=ティボー=カザルス・トリオ 二十世紀の音楽遺産」 フランソワ・アンセルミ、レミ・ジャコブ 桑原威夫訳 春秋社


「抵抗と適応のポリトナリテ ナチス占領下のフランス音楽」 田崎直美 アルテスパブリッシング


「国家と音楽家」 中川右介 七つ森書館

 集英社文庫版