167 BiddulphのCDから その2 ヤッシャ・ハイフェッツに関しては、長い間、卓越した演奏技術を持っていることが、そのまま偉大な演奏家と認められる条件ではない、といういい例だと思っていました。それまでに聴いていたのはstereo録音のレコード、主に協奏曲でしたね。どの音楽を聴いてもきちんと演奏されているけれど、それだけ。その偏見を覆したのが、1930年代の録音。具体的にはBiddulphから出たCDです。 一般には、「16歳のハイフェッツも60歳のハイフェッツもあまり変わらない」なんて言われることがありますよね。これは技術面で衰えなかったという意味であり、同時に歳を経ることによって円熟味を増したわけでもないということ。かつてハイフェッツを悪く言う人は、「冷たい」とかブラームスやベートーヴェンが「魂を欠いたまま演奏されている」などと言ったものですが、いま聴けばさようなことはありません。 なぜ、当時はそのように聴こえたのか。これは、たとえばシャルル・ミュンシュ、ボストン交響楽団とかフリッツ・ライナー、シカゴ交響楽団の演奏が、機能性重視の合理主義的・機械的演奏のように言われたことと似ている事情なんじゃないか。つまり、アメリカ文明に対する偏見ですよ。それに加えて、当時の年配の人たちには、たとえばフルトヴェングラーとかメンゲルベルクのような主情的な演奏の記憶がまだ強く残っていたので、モダンな感覚の「整った」演奏は、ことさらに即物的と聴こえたのではないか。だって、ミュンシュだってライナーだって、結構「熱い」演奏でしょ。 いやあ、1930年代のハイフェッツが「冷たい」だなんてとんでもない。ポルタメントの目立つ、甘ったるい、嫋々たる演奏ではありませんよ、そんなのは現代の耳にはあたりまえのこと。これは私の勝手な想像なんですが、アメリカの消費社会や摩天楼やコカコーラがハイフェッツのスタイルを作ったのではなく、ハイフェッツの技巧と芸術が、その社会のなかに存在するべき場所を見出しただけのことなんですよ。これはなんとでも言えることで、時代がハイフェッツを生んだのか、たまたま生まれた時代がハイフェッツに適合する時代だったのか・・・。強いて言うならば、いかなる音楽でもスケールが壮大になるようなところは、たしかにありますね。 いずれにせよ、1930年代のハイフェッツの演奏に聴くことのできるのは、暖かく豊かな響きと、情熱を傾けて官能性を追求したとしても、決してフォルムの乱れない、きわめて高い完成度なのです。 Jascha Heifetzas それでは手許にあるBiddulphのdiscから― ヴィエニャフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番 1935.3.18 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 1937.3.25 グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲 934.3.28 サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン 1937.4.9 サー・ジョン・バルビローリ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン交響楽団(サラサーテのみ) Biddulph LAB206 (CD) はじめに挙げておきたいのはこれ。どの曲もすばらしいが、とりわけ「ツィゴイネルワイゼン」はレコード史上最高の演奏。音質も驚異的に良質。じつはEMIのLPも持っているんですが、このBiddulphのCDの方がいいかもしれません。 R・シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ 1934.2.6 Arpad Sandor(ピアノ) シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 1935.11.26, 12.14 サー・トマス・ビーチャム指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番 1937.12.20 セルゲイ・クーセヴィツキー指揮 ボストン交響楽団 Biddulph LAB018 (CD) バックがヨーロッパのオーケストラと、アメリカのオーケストラで、わずかにハイフェッツの印象が異なるところが興味深い。 ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 1939.4.11 セルゲイ・クーセヴィツキー指揮 ボストン交響楽団 同:二重協奏曲 1939.12.21 エマヌエル・フォイアマン(チェロ) ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 Biddulph LAB041 (CD) どちらもいいが、仲がよかったと言われるフォイアマンとの二重協奏曲の録音が残っているのはうれしい。 ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番 1936.1.31 ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)、Emanuel Bay(ピアノ) 同:ヴィオラ・ソナタ第2番 1937.9.16 ウィリアム・プリムローズ(ヴィオラ)、ジェラルド・ムーア(ピアノ) 同:チェロ・ソナタ第1番 1934.7.10, 11 エマヌエル・フォイアマン(チェロ)、Theo van der Pas(ピアノ) Biddulph LAB011 (CD) これはハイフェッツ単独ではなくて、"BRAHMS Historic Sonata Recirding"というタイトルのdisc。聴き始めると、最後まで聴いてしまう。個人的にはこのdiscではプリムローズが好き。 グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ第2番 1936.4.24 フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番 1936.2.10 Emanuel Bay(ピアノ) Biddulph LAB065 (CD) フォーレとしてはやや饒舌かなと思うが、有無を言わせない説得力。 フランク:ヴァイオリン・ソナタ 1937.4.3 アルトゥール・ルビンシュタイン(ピアノ) ヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第4番 1935.3.14 サー・ジョン・バルビローリ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 サン=サーンス:ハヴァネラ 1937.12.20 サー・ジョン・バルビローリ指揮 ロンドン交響楽団 Biddulph LAB025 (CD) フランクはこれくらいスケールの大きい演奏が正しいのでは? ただし私はルビンシュタインは好きではない。若き日のバルビローリに関しては、ハイフェッツとの録音に限らず、その協奏曲のサポートの上手さが、もっと称賛されてしかるべきと思う。 コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 1953.1.10 シンディング:古風な様式の組曲 1953.12.9 ブラームス/ヨアヒム編:ハンガリー舞曲 第7番 1953.12.9 チャイコフスキー:憂鬱なセレナード 1954.10.29 ラヴェル:ツィガーヌ 1953.12.8 カステルヌオーヴォ=テデスコ:ヴァイオリン協奏曲第2番「予言者」 アルフレッド・ウォーレンスタイン指揮 ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団 Biddulph BIDD85040 (CD) これは2024年の発売。1950年代の録音。やはり1930年代の方がいいか。コルンゴルトの協奏曲は初演(1947年2月15日)から6年後の録音。指揮が冴えない。なお、ハイフェッツには初演と同年4月23日の、エフレム・クルツ指揮、ニューヨーク・フィルハーモニックとのlive録音が残っており(MEMORIES MR2449/2451)、演奏はそちらのほうがいいか。 Jascha Heifetzas (Hoffmann) |