175 J・シュトラウスII世 喜歌劇「こうもり」 手許にあるレコードを― クレメンス・クラウス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン国立歌劇場合唱団 パツァーク、ギューデン、デルモータ、リップ、S・ワーグナー、ペル、ブレーガー 1950 mono DECCA LXT2550, LXT2551 (2LPバラ) 台詞なし。mono時代の各レコード会社のオペラ録音は、未だノウハウが確立されていなかったものか、セッション録音だといかにもセッションという感じで、臨場感に欠けたものが多いと感じてしまいます。直接音主体でオーケストラと同じ空間を共有していないような、ために距離感が不適切といった印象なのでなおさら。歌手はいかにも当時のウィーンならではといった布陣なんですが、それだけに予定調和、ルーチンワークとも聴こえます。歌もパツァークなんか下手と言うべきではないでしょうか。 オスカー・ダノン指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団 同合唱団 ヴェヒター、レイ、コーンヤ、ローテンベルガー、スティーヴンス、マイクート、ロンドン、クンツ 1964 mono RCA Victor LM7029 (2LP) これがなかなかいいんですよ。ロザリンデのアデル・レイ(リー)Adele Leighはイギリスの歌手で、正直なところさほどの印象も残さないんですが、ローテンベルガーのアデーレが可愛らしく、オルロフスキーはリーゼ・スティーヴンスのこれがベスト。クンツのフランクは当然として、シャーンドール・コーンヤのアルフレート、ジョージ・ロンドンのファルケも面白い人選です。指揮は手堅い。 ヴィリー・ボスコフスキー指揮 ウィーン交響楽団 ウィーン国立歌劇場合唱団 ゲッダ、ローテンベルガー、ダラポッツァ、ホルム、ファスベンダー、シェンク、F=ディースカウ、ベリー 1971 Electrola 1C157-29 300/1 (2LP) 録音のせいか、オーケストラの響きはややコンパクトにまとまり、愉悦感はいま一歩なれど、たいへん整った演奏です。歌手は芸達者が揃っており、オーケストラともども、スケールは大きくないものの、オペレッタだと思えばこれもあり。私はローテンベルガーが好きなので、最初に入手した「こうもり」はこれでした。ゲッダ、ベリーはいつもどおり。F=ディースカウもわりあい素直な歌い口。ファスベンダーのオルロフスキーも、後のカルロス・クライバー(DVD)で聴かれるような下品な歌唱ではありません。やはり惜しいのオーケストラ。ボスコフスキーのオペレッタ録音では、オーケストラは異なれど、「ウィーン気質」やスッペの「ボッカチオ」などはなかなかいい響きを聴かせてくれるので、この録音は残念です。 カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン国立歌劇場合唱団 ヴェヒター、ヤノヴィッツ、クメント、ホルム、ヴィントガッセン、シェンク、ホレチェック、ベリー 1971 DECCA SET540-1 (2LP) LONDON OSA1296 (2LP) 台詞なし。ただしVHDで出ていた映像は台詞があって、どうも映像は翌年1972年に収録されたもののようです。指揮が朴訥としたものであるためかどうか、歌手が表情豊か。しかしヴィントガッセンのオルロフスキーはどうもやりすぎというか、酔いどれ演技に知的なコントロールが聴きとれてしまうあたり、違和感があります。 プラシド・ドミンゴ指揮 ミュンヘン放送管弦楽団 バイエルン国立歌劇場合唱団 ザイフェルト、ポップ、ドミンゴ、リント、バルツァ、ローナー、ブレンデル、リドル 1986 EMI 27472 3 (2LP) DMM盤。 指揮はどうと言うこともありませんが、歌手が見事。作品がもはやオペレッタではなくてオペラとして成立していると感じさせます。アグネス・バルツァが私の好みではないんですが、これを除いては、歌手はこの盤が最高。 CDはひとつも持っていません。 J・シュトラウスII世の「こうもり」は、私も複数回実演に接しています。 1回はウィーン・フォルクスオパーの来日公演。「こうもり」とレハールの「メリー・ウィドゥ」の2演目で、そのときは歌も舞台も愉しんだのですが、後にTVでの放送やレコードになったものを聴くと、オーケストラのアンサンブルは雑然としたもの。歌手は総じて下手。苦しげに絞り出すような声の人も少なからず、多少崩して歌うのはいいとしても、歌手によっては崩しすぎ。歌を歌わずに、叫び声だけで終わってしまう人も。ただしコメディとしての演技は堂に入ったもの。こちらがウィーンのオペレッタに期待するとおりの舞台で、その意味では紋切り型なんですが、やっぱり面白い。 絶望的にひどかったのは二○会オペラの公演。とくによく覚えている公演は、オーケストラを統率することもコントロールすることもできない、徹頭徹尾無能な、おそらくウィーン生まれというだけで呼ばれた指揮者。きちんと揃っている箇所の方が少ないくらい。歌手に関しては、小田清の刑務所長フランクだけがまともで、あとは声を伸ばすと音程が保てないファルケ、歌詞を覚えてなくてやたら「ホニャララ・・・」と誤魔化してばかりいるアイゼンシュタインなど、総じて二流三流・・・というか、峠をすぎたロートル歌手による、のど自慢レベル。演技に至ってはもう最悪で、アイゼンシュタインもファルケも、その俗物ぶりはいいとしても、下品極まりなく、とうてい(上っ面だけだとしても)上流階級に属する人間の演技とは信じられない。アデーレはオツムのねじの緩んだアバズレ。アルフレートのステレオタイプ的なオ○マ風の喋りはもはや異常者・変質者の域。ブリントは吃音という設定ですが、あれでは吃音ではなくて、重症の言語障害。このときフロッシュを演じたゲストのコメディアンがまた最低最悪で、終始自分で面白がっているばかり。「ロザリンデ」という名前を聞き間違えて、「ゴザ敷いて、はやくヤリたい」などという台詞のどこが面白いのか・・・しかも当人自らが笑いながら言っている。ギャグは全篇にわたってせいぜいドリフのコントというレベル(いや、ドリフの方が面白い)。ところどころでウィーン・フォルクスオパーの演出をコピーするのはいいとしても、歌手や役者がその意味を理解していないから、肝心なところでおかしなアドリブを入れて台無しにしている。このときの演出家の名前はいまでも覚えていて、以後その演出家の手がけた舞台は観に行かないようにしたほど。ただし二○会によるオペレッタはその後歌手の世代交代を経て、コメディとしては相変わらず三流以下ながら、歌に関してはウィーン・フォルクスオパーの歌手よりもきちんと歌っている公演がありました。 なお、日本語訳詞上演について、訳詞であることにはいくらでもケチを付けることができるのですが、それは置いといても、はっきり言って歌詞そのものはじつに下らないんですよ。歌っている内容が分かりやすくても、なにもメリットはなく、むしろバカバカしくなってしまう。 ・・・というわけで、もう私はオペレッタの実演には期待していません。上記のレコードも、すべてセッション録音で、liveの感興を求めるべくもないんですが、これはもう諦めています。 上記以外で聴いたことのあるdiscを挙げておくと、カラヤンがフィルハーモニア管弦楽団を振ったEMIの旧録音、カルロス・クライバーのDG盤とDVD。このなかではカラヤンの旧録音がそれなりに愉しめるもので、歌も羽目を外しすぎない、上品なものでしたが、あくまでもセッション録音ですよと聴こえる。カルロス・クライバーは私があまり好きではないので。歌手では、DVDでオルロフスキーを演じているファスベンダーが下品にすぎます。このひとはR・シュトラウス「薔薇の騎士」のオクタヴィアンでもそうでしたが、肩を揺すり、上目遣いに相手をにらみつけながらのっそりのっそり歩いてくるのは、この演技、ただのチンピラですよ。男性らしい演技というものを根本的に勘違いしているんじゃないでしょうか。ましてや、オルロフスキーもオクタヴィアンも貴族なんですよ。映像ではもうひとつ、ザルツブルクのハンス・ノイエンフェルスの奇怪な演出も、これだけ退屈なひとりよがりの演出もほかにあるまいと思われるものでした。 (Hoffmann) |