056 「魔の眼に魅されて メスメリズムと文学の研究」 マリア・M・タタール 鈴木晶訳 国書刊行会




 前回の話にも出てきたの動物磁気説”Animal magnetism”、これは発見者フランツ・アントン・メスマー(メスメル)Franz Anton Mesmerの名前から、「メスメリズム」”mesmerism”とも呼ばれています。

 18世紀ドイツの医師フランツ・アントン・メスマーは、人間や動物、さらに植物も含めたすべての生物が持つ、目に見えない自然の力が存在すると主張して、空間には磁性を帯びた不認知の流体が存在しており、このうち生体内を貫流したものを動物磁気と名付けました。そして、当時病因も治療法も不明だったヒステリーといった疾患が動物磁性の不均衡によって生じると考え、この学説に基づき、施術者が患者に対して磁気を施すことで均衡化を図るという治療術を実践して、メスマーとその治療術は当時のヨーロッパにおいて高い名声を誇ることとなります。メスマーは動物磁気を科学的に立証することはできませんでしたが、治療術自体にはなんらかの成果があると見なされて研究は続き、やがて催眠術や催眠療法へと発展することになります。

 古来から磁石が空間を隔てて作用することは理解されており、また空間には不認知の流体が満たされているとするのも、当時の科学の「常識」だったのですね。メスマーは、これを利用して、空間の流体を磁気に似た性質を持つ「磁気流体」と仮定して、生体相互で作用しているとしました。「動物磁気」というのは、生物の体内に滞在する流体を名付けたもの。その上でメスマーは、体内においてこの磁気に不均衡が生ずると病気になると考え、これを均衡化させることが病気の治療になると考えたわけです。

 専門医はマグネタイザー”magnetizers(磁気師)”と呼ばれ、1779年に登場してからフランスを中心に広く知られるところとなりましたが、1784年にルイ16世の勅命を受けたフランス王立委員会は「磁気流体」を否定し、また同時期にプロイセンのハインリヒ大公の前で行なった治療実演では失敗。それでもその後、動物磁気説の理論は引き継がれ、最終的にはジェイムズ・ブレイドによって催眠術として学問的に確立することとなります。

 なぜ催眠術につながっていったのかというと、動物磁気に基づく治療法とは、当初は磁石を使っていたのですが、後には治療者が自らの磁気を患者に当てることで、あえて患者の体内の磁気を乱し、それによって磁気を均衡化させ、治療するというものに変わってゆき、さらに患者が増えてくると「集団治療」と称して、眼や手の動きだけで「流体」を伝達する、などというものになっていたからです。つまり、催眠術や暗示といった要素があったわけです。ですから、この後には催眠術から精神分析へと至る流れも認められるのです。フロイトの精神分析は、理論上も治療上も、催眠に多くのものを負っていました。その催眠のもととなったものが、暗示療法。結果的に、遡ってみれば、暗示療法を世界ではじめて行ったのが、メスマーということになるのです。

 メスマーの治療法など、いま考えればばかばかしい限りと見えますが、それまで悪魔や呪いの仕業と考えられてきた心の病に対して、あくまで科学的に対処しようとしたということは注目されてしかるべきでしょう。精神疾患の治療から宗教色を排除したという点、そして結果的に催眠術から精神分析へと発展していったという点では、評価に値するのです。


Franz Anton Mesmer

 そこで今回取り上げる本は、メスメリズムが文学に与えた影響を中心に論じた、メスメリズムの文化史です。

 ノヴァーリスは感覚知覚に外界からの刺激に反応するシステムと、精神からの刺激に反応するシステムが併存していると主張し、後者を「内的感覚」と定義して、これが存在するという信念のもとに、ロマン派の詩や散文の効果を説明できると考えました。

 「流体」のなかで人々をもっとも興奮させたのは電気で、ガルヴァーニの実験を経て、メアリ・シェリーは「フランケンシュタイン」において、電気を用いて新たな生命を誕生させています。ヴィリエ・ド・リラダンの「未来のイヴ」のロボット、ハダリーに至っては、肉体は電気に、精神的生命は動物磁気の力に負っています。

 いかがでしょうか、「雷に打たれたように」という比喩表現のルーツが垣間見られるとは思いませんか?

 そうしてメスメリズムの影響を受けた文学状況を見てゆくと、やがて動物磁気治療法は、施術者と被験者間の親密な関係によって成立することから、催眠術という心理現象に落ち着きます。E・T・A・ホフマンは登場人物の幻視や射貫くような視線により、読者を無意識という未知の世界へと旅立たせ、19世紀のフランス文学者たちは、磁気治療師の強烈な眼差しに、幻視力をもった霊媒たちの見るヴィジョンを重ね合わせました。バルザックはその作品で強烈な「視線」を、あらゆる妨害をはねのけて、愛情を燃え立たせ、抗い難い性的魅力を醸し出すものとして描いています。

 こうして動物磁気がバルザック、ホーソーン、ヘンリー・ジェイムズ、トーマス・マンなど多くの文学作品に与えた影響は、その多くで「まなざし」によって他人を支配する、という、多分に性的な含みを持った形で作品に登場しています。これが19世紀に至って精神分析に発展したというのは、フロイトが自由連想法を開発し転移の危険を退けて催眠術から脱出したからです。メスメリズムがフロイトの精神分析の源泉となったと言われるのはこのためですね。

 当初は人体に作用する流体をコントロールするのが、磁気だ電気だ熱だと言っていたメスメリズムが、いつしか術者の眼から放たれた磁気が作用して催眠状態を引き起こすというあやしげなものになっていったことによって、ついには無意識の世界を暴いたり、これをコントロールするものとなって、20世紀の独裁者はここに支配・被支配の関係をつくりだす手段を見たわけです。

 たとえば1922年の映画、フリッツ・ラングによる「マブゼ博士」”Dr. Mabuse”(邦題「ドクトル・マブゼ」)。ここでは催眠術の悪用が描かれています。ラングは10年後の続篇「マブゼ博士の遺書」”Das Testament des Dr. Mabuse”(邦題「怪人マブゼ博士」)では、精神病院にいるマブゼが、世界支配のための陰謀を練り上げています。もちろん、これは後にラング自身が語っているように「ヒトラーの恐怖政治のやり口を明らかにする寓意」で、映画はゲッベルスによって上映禁止とされました。この本の著者は、トーマス・マンの小説やフロイトの論文、ラングの映画は、ほとんど予言的であったとしています。マンやラングをドイツから、フロイトの場合はウィーンから追放することになるヒトラーは、この3人が指導者の特性としてあげた要素のほとんどすべてを誇張された形で備えていたと―すなわち、磁気催眠術師的な性格、催眠作用をもった眼、人々を呪縛する力などです。

 例をひとつ挙げてみましょう―なぜ、ヒトラーの演説は夜遅くに行われたのか? それは聴衆の身体的・精神的抵抗力がもっとも低下する時間だからです。そして1時間か2時間が経過して、聴衆が眠気に誘われる頃になって、もっとも重要なメッセージを持ち出すわけです。東日本大震災の際、当時官房長官だった枝野某が、連日深夜に記者会見をやっていましたよね。あれは、ヒトラーに学んだ、〈支配-被支配〉の構造を築くための常套手段だったのです。


「怪人マブゼ博士」 ”Das Testament des Dr. Mabuse” (1933年 独)


(Parsifal)



参考文献

「魔の眼に魅されて メスメリズムと文学の研究」 マリア・M・タタール 鈴木晶訳 国書刊行会




Diskussion

Klingsol:20世紀に至って、磁気催眠力は個人的な情熱から政治的な〈支配-被支配〉のために使われるようになったんだね。

Hoffmann:宗教家と政治的扇動家は催眠術師の特性を、主人と奴隷の関係を打ち立てるために利用しているんだ。

Kundry:カリスマ(性)というものの危険性を思い知らされますね。

Parsifal:つまり、集団形成には「暗示」と「洗脳」が付きものなんだよ。