071 「死都ブリュージュ」 (フランス世紀末文学叢書VIII) ジョルジュ・ロデンバック 田辺保訳 国書刊行会




 ジョルジュ・ロデンバック Georges Rodenbach は19世紀末のベルギーの詩人・作家。その代表作が1892 年に発表した小説「死都ブリュージュ」”Bruges-la-Morte”です。


Georges Rodenbach

 あらすじは以下のようなもの―

 主人公ユーグ・ヴィアーヌは、愛する妻に死に別れ、妻を偲びつつブリュージュで隠棲生活を送っている。ある日ユーグは、町で亡き妻と瓜二つの女性と偶然出会い、激しく心を動かされる。彼女はジャーヌ・スコットという名の踊り子で、やがてユーグはジャーヌと逢瀬を重ねるようになる。しかし、ジャーヌは、外見や声の相似とは裏腹に、内面的には亡き妻とは全く異なった、利己的でふしだらな女性で、ユーグの財産を目当てにしていた。彼女がユーグの家に乗り込み、ユーグが神聖な遺物のように大事にしている亡き妻の遺髪を弄んでユーグをからかった時、ユーグは我を忘れて、彼女を絞殺してしまう。

 いかにも世紀末的・頽廃的、同じくベルギーはガン出身のモーリス・メーテルランクによる「ペレアスとメリザンド」と同様、いささか陳腐とも思われるstoryです。

 もっとも大きな特徴は、この物語がブリュージュという都市に結びつけられていること。作者自身が、「序言」において次のように語っています―


 本書は情熱研究の書であるが、同時に、また何より特に、ひとつの都市を人々の想念に浮かび上がらせたいとも意図した。都市を主要人物のひとりとして、もろもろの心の動きとかかり合い、行動をうながし、引きとめ、決断させるものとして、浮かび上がらせたいと望んだ。

 従って、ブリュージュの街は、物語を展開する場―ロケーションではなく、物語そのものに深く関わっているということ。じっさい、作中ブリュージュの街の描写が描写され、そればかりか、ブリュージュ街を写した写真が挿入されています。この、無人で静寂そのものの町に、ときおり遠くの、弱々しい鐘の音がアクセント添えることも指摘しておきましょう。

 もともとブリュージュという街の名前は、橋を意味するフラマン語”Brugge”に由来するもので、ボードワン運河とオーステンデ・ヘント運河の合流点に位置しており、町並みは幾筋もの運河によって囲まれています。従って、その挿入された写真も運河を写したものが多いのですね。

 その運河の水面に街が映し出されている。陸の上の実像と対称をなして水面の虚像があらわれている構図の写真は、さながら、生と死の背中合わせの様相を示しているかのようです。しかも、街の静謐には、生が実像、死が虚像ではなくて、死せる妻こそが実像であって、生きているジャーヌは死んだ妻の偽りの似姿、虚像であるという、逆転した構図が見て取れます。

 この小説で扱われている古都、運河、鏡、遺髪、死といったテーマはこの詩人固有のもので、生涯にわたってこの詩人の作品に影を落としています。たとえば、詩集「静寂」のページを任意に開いて、何箇所か引用してみると―


 日脚の短い十二月の日々 鏡は 部屋の中で夢想に耽る
 ―囚われた水のように―
 遙か彼方の理由から 鏡の憂愁は
 その泉の底に 色褪せた優しい顔の数々を 沈めている


 家の静寂と 黄昏の内に
 鳴り渡った 楽鐘(カリヨン)の響き


 さびれた町の 運河の上に 純白の白鳥たち


 死んだ町 よみがえる術もない 死の町
 ひたひたと血の気は失せ 秘められた痛苦に悩み
 孤独であることの悲しみに 日一日と死に行く町
 言うに言われぬ 無垢なもの弱々しきものを 抱き続ける
 過ぎた時代の 生命(いのち)の絶えた小さな町


 (以上、「静寂 ローデンバック詩集」 村松定史訳 森開社 から)


 ・・・といったように、この詩人はこれらのテーマに取り憑かれているのです。

 運河は鏡であり、鏡は鏡像を作り出します。それはあたかも分身のようでもあります。亡き妻の鏡にはかつてそこに身を映した妻の面影があるのですが、それは死者である妻。ジャーヌは現実の女性であり、鏡像ではなかった。主人公はためらわず、彼岸の妻を選び、此岸にあるジャーヌを絞殺する・・・。一時、ジャーヌのうちに見た妻の姿こそ幻視・幻想であった、つまり正体露見、すなわち死。

 私がこの小説を、世紀末的・頽廃的と言った理由がおわかりいただけると思います。つまり、ここでは現実と幻想の価値の反転しているのです。鏡の中、死者の世界に実像があって、鏡の前に立つ実態こそ幻想にすぎないということ。この物語で語られているのは、その錯綜による悲劇なのです。ジャーヌがふざけて首に巻き付けていた妻の遺髪を取り返そうとして、ユーグはジャーヌを絞殺してしまい―


 ふたりの女は、こうして一体とされ、ひとりの女となった。生きていたとき、あれほど似ていたふたりは、死んで、同じ色蒼ざめた存在となり果てたとき、いっそう似たもの隣、もはや区別もつかぬほどであった。―ユーグの愛したのは、ただひとつの顔だけであった。ジャーヌの死体は、むかし死んだ女、今もそこに、ユーグだけにまざまざと見えている女の幻であった。



(Kundry)



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 髪フェティシズムについて


 さて、「映画を観る 025『小間使の日記』」での蛇足に続いて、今回も私、Hoffmannが送る「フェティシズム講座」、第二弾は「髪フェティシズム」です。

 「死都ブリュージュ」ではユーグが亡き妻の遺髪を大切に保管していました。毛髪とはなんなのか。もともと髪は生命力を宿し、人の死後も伸び続けると信じられていました。「サムソンとダリラ」の物語、御存知ですよね。ガザの女ダリラが眠っているサムソンの髪をベリシテ人の理髪師に切らせると、これによってサムソンは力を失います。このことから、髪の毛がサムソンの性的能力を表していることは明らかでしょう。すなわちこの場合、髪の毛を切るということは去勢を意味するのです。

 かと思うと、ローレライはライン川を見下ろす岩の上で、金の櫛で長い金髪を飽くことなく梳り、自分に惹かれる男たちが溺れていく様を眺めています。中世になると、長い髪は放埒な「淫欲」の擬人像になるのです。同時に髪は女性が誘惑するときの強力な武器となっている。

 もちろん女性の場合でも、髪には性に関して象徴的な意味合いがあります。ハリウッドの女優は、ブロンドのマリリン・モンローをはじめとして、その髪を利用してきました。映画監督の側も同様、ブロンドには無垢、褐色(ブルネット)には妖婦の神話を導入しようとして、黒髪には野性味を―。その一方で、フランスでは占領ドイツ軍の兵士と寝たと見なされた女たちは1944年、公衆の面前で髪を丸刈りにされました。これは去勢の象徴であると同時に、彼女たちの性愛に対する処罰でしょう。修道士が髪を剃って性愛との決別を示したと同じことを、強制的に執行したわけです。

 1892年の「国際医学界」という研究誌には、髪の短い妻が長い髪のかつらを被らないと夫婦の務めを果たせない夫の症例が報告されています。しかも、かつらの効果は2週間しか持たず、この夫婦は結婚してから5年間の間に子供を二人作ったのですが、その間に使ったかつらは72個だったそうです。クラフト=エビングの報告には、見知らぬ女性の髪の毛を山にしてそこに手を突っ込み、自分の顔がその髪で撫でられる様を夢見て夢精していた患者もありました。もう少しおだやかなところでは、とにかく美しい女性の髪をとかすことに喜びを見出すイギリス人男性、逆に、他人に櫛で髪をとかしてもらうことで切ない甘い法悦を覚える女性・・・。

 家庭によっては、最初の乳歯と同様、子供の毛を一房とってしまっておく(あるいは筆にする)、という習慣が見られます。これは後の追憶のための記念品という意味合いでしょう。しかし、「死都ブリュージュ」のユーグの場合はこれとも少し違うようですね。いや、性的な要素がないとは言いませんけどね。

 死はすべてを破壊するが、髪の毛だけは手をつけずに残す。眼も、唇も、すべては光を失って、崩れ落ちる。髪の毛は脱色することもない。髪の毛の中にだけ、人は生きつづけるのだ。こおうして、五年経った今も、大事に保管してきた亡き人の編み毛の一束は、ほとんど色を失っていない。あんなにもたびたび、涙の塩が注がれたというのに。

 ここではあたかも一房の髪が「不滅」の象徴であるようです。葬礼の際に髪を捧げる文化圏はめずらしくありません。遺髪を保管すると言うことは、葬礼―死への抵抗かもしれません。それに、戦場で死に行く兵士が仲間に自分の髪を託して、愛する家族に届けてくれるよう頼む・・・などというエピソードはどこかで耳にしたことがあるでしょう。やはり「不滅の愛」あるいは「この思いを不滅のものに託そう」という意味があるのでしょうか。

 もうひとつ、付け加えておくと、魔術の儀式には髪を用いるものも多く、たとえば意中の人の髪で結び目を作ると、その人の気持ちを自分に向けることができるなどとされていました。じつは19世紀には、愛する人の髪の房をロケットに入れて身につける習慣が大いに流行していたのです。


(Hoffmann)






引用文献・参考文献

「死都ブリュージュ・霧の紡車」 (フランス世紀末文学叢書VIII) ジョルジュ・ロデンバック 田辺保・倉智恒夫訳 国書刊行会
「死都ブリュージュ」 G・ローデンバッハ 窪田般彌訳 冥草舎

「静寂 ローデンバック詩集」 村松定史訳 森開社
「フェティシズム全書」 ジャン・ストレフ 加藤雅郁・橋本克己訳 作品社


Diskussion

Parsifal:ロデンバックと言えばやはり「死都ブリュージュ」がいちばん有名だね。この本に収録されている短篇集「霧の紡車」もいいけど。

Hoffmann:「霧の紡車」は以前、沖積舎から高橋洋一訳で「街の狩人」という表題でも出ていたね。あと、沖積舎からは矢野峰人訳の散文詩「墳墓」も出ていた。

Parsifal:典型的なマイナー・ポエットなんだけど、忘れがたい詩人だよね。

Klingsol:メーテルランクといい、ロデンバックといい、センチメンタルなstoryを紡いでセンチメンタルと感じさせないのは不思議だね。

Parsifal:やっぱり象徴主義だからかなあ。つまり、ワンクッションあるわけだ。

Kundry:象徴派といえば、やはりベルギーですね。これも、目に見えないものに対する関心のあらわれかもしれませんが・・・。

Hoffmann:じっさいのブリュージュは、古くから産業都市として活況を呈していたそうだけど・・・。

Klingsol:中世以来の伝統をもつ古都だから文化遺産も豊富で、いまでもベルギー有数の観光地だ。水路網のおかげもあって、商業的にも栄えた都市だよ。ブリュージュについては河原温の「ブリュージュ フランドルの輝ける宝石」(中公新書)が参考になる。

Parsifal:文学の影響って怖いよね。トーマス・マンのおかげでヴェネツィアも死の匂いが立ちこめているようなimageを持った人もいるみたいだし。それで篠山紀信といっしょにヴェネツィアに行って、あれれ・・・となったのが吉行淳之介だ(笑)

Klingsol:ブリュージュを殺したのはロデンバックだ、なんて言う人もいるらしいけど、世紀転換期には世界中の都市が変貌したんだろうから、滅び行くものへの哀惜なんじゃないか? 永井荷風や江戸川乱歩の江戸・東京と同じだよ。

Kundry:じっさい、永井荷風もロデンバックを愛読していましたね。やはり同じ体臭を感じ取ったのでしょう。

Hoffmann:「死都ブリュージュ」といえば、フェルナン・クノップフ Fernand Khnopff の”La ville abandonnee”(1904)を思い出すね。


Fernand Khnopff”La ville abandonnee”(1904)

Kundry:コルンゴルトのオペラ「死の都」もありますよ(笑)忘れずに、disc紹介をお願いします。


(追記)

 本作をオペラ化したコルンゴルトの歌劇「死の都」、その他の作品のページupしました。(こちら