095 「欧米社会の集団妄想とカルト症候群」 浜本隆志編著 明石書店




 序章から引用―

 集団妄想とはある一定の条件のもとで、非日常的な出来事、あるいは多様な熱狂やストレス作用で特定集団や地域全体がパニックを起こし、憑依がみられたり、異常な行動をとったりする現象を指す。

 そして例として挙げられているのが、十字軍の熱狂、舞踏病、鞭打ち苦行、異端審問、魔女狩り、ルーダンの悪魔憑きなど。

 カルトについては―

 ・・・集団妄想にない特異な宗教性、イデオロギー性、カリスマ性の特徴が存在する・・・

 こちらの典型例とされているのが、アメリカの人民寺院、日本のオウム真理教。宗教以外では政治的カルト集団としてヒトラー率いるナチスが挙げられています。

 この本の副題は、「少年十字軍、千年王国、魔女狩り、KKK、人種主義の生成と連鎖」とされており、第1章から第14章まで、十字軍運動、異端審問、人狼伝説、魔女狩り、クー・クラックス・クラン、ナチスなどといった項目をたてて、7人の執筆者によって論じられている―というより、「紹介」されています。ナチスについて3項目立てられているのは、3つの切り口によるため。すなわち、カンパーの顔面角理論がナチスの人種論に及ぼした影響、ヒトラー・ユーゲントの洗脳、ヒトラーの演説の大衆へのプロパガンダ。終章は編著者による「集団妄想とカルト症候群の生成メカニズム」と題されたまとめです。

 一読して感じたことを箇条書きにしてみると―

 「第1章 もう一つの十字軍運動と集団妄想」に関しては、当時の社会情勢などについて解説しているものの、推測の域を出ないレベル。「少年十字軍」に関しては軽く触れた程度で、最後が「ハーメルンの笛吹き男」の話。十字軍の関連で引いてくるのであれば、さらなる論拠を示して欲しい気も。

 「第2章 フランス、ドイツ、スペインの異端狩り」は、事例は豊富なれど、執筆者がそれをカルトとしてどう捉えているのかが語られていない。

 「第7章 魔女狩りと集団妄想」と「第8章 アメリカに飛び火したセイラムの魔女狩り」については、集団妄想で片付けてしまっていいのか、疑問。とくに第7章は結論が(グラフを除けば)わずか2ページ。宗教カルトの方面からの検討が不足では?

 「第13章 ヒトラー・ユーゲントの洗脳」にはもっとも異論がある。一方的な「洗脳」という見方はあまりに短絡思考。当時の少年たち、ヒトラー・ユーゲント側が、どのような社会の風潮・精神風土のなかにいて、それぞれがなにを考えていたのか、という観点が欠けている。

 「第14章 ヒトラー演説と大衆」におけるヒトラー演説の分析は既に語り尽くされている感があり、とくに異論もないが、新しい指摘も見られない。

 どうも、ひとつひとつの事例・テーマが深く掘り下げられることなく、広く浅く並べてみましたといった印象。とくにヒトラー・ユーゲントの章は「洗脳」ということばが安易に使われてはいないでしょうか。本当にその関係はそこまで一方的なものだったのか、参加者らはもともとどのように思っていて、どう反応していたのかという視点がありません。

 あとがきでも現代の人種差別を「洗脳」「カルト」と結び付けて異常性へと隔離しようとしているような記述があるのですが、「差別」というものは、そもそもそんなに単純に「異常」のひと言で片付けられる反応ではありません。全篇にわたって、カルトは異常、おかしなもの、批判しなければいけないものという盲目の良識・規範的な前提が強く、それぞれの事象の内実に迫ろうという姿勢が感じられません。

 そして、集団妄想の行動パターンとして挙げられているのは次のふたつ―

熱狂型 感情が高揚して忘我や憑依の状態に至る

災禍型 被害を被って鬱積した感情やストレスのはけ口としてスケープゴートを作りあげる。凶暴性を発揮することがある


 カルト生成に関しては―

宗教性カルト 正統と異端の近親憎悪 教義を絶対化してさらに別解釈の分派、セクトを生みやすい

政治的カルト 宗教的カルトの特徴がここでもあてはまる 左翼はもちろん、右翼のnationalismも政治運動となれば構造的にはカルトの核となる結社を生み出す


 そして、集団妄想やカルトの生成にもっとも大きな役割を果たすのが、カリスマであるとされています。

 別に変なことは言っていないんですけどね、逆にこの本の主張が集団妄想やカルトにつながる恐れはないんでしょうか。現代にも存在する、たとえば人種差別に対して、「洗脳」「カルト」と結び付けることによって「異常」のレッテルを貼り、切って捨てるべきものと主張するだけで問題が解決するのか、疑問を感じます。「洗脳だ」「集団妄想だ」「カルトだ」と言っておけば、あとは理屈もなにも抜きに、誰しもが批判して排除するべきものになるという、良識派の井戸端会議レベルであればどこからもクレームはこないでしょうけれど、その代わりになにも解決しません。毒にも薬にもならないとはまさにこのこと。

 断っておきますけどね、なにも私は人種差別に理があると言っているのではありませんよ。その本質を矮小化することで、「なめてかか」っては、危険だと言っているのです。「良識」だけでは歴史上の人類の愚行、その内実に迫ることはできそうもありません。たとえば、いっさいの差別意識から逃れきれている人なんて、どれほどいるでしょうか。我と我が身は集団妄想にとらわれている可能性はないのか、と常に問いかけるくらいの覚悟が必要だと思うんですよ。この本の執筆者たちの間には、「自分だけは大丈夫」という暗黙の前提があるのではないでしょうか。詐欺に遭うのだって、「自分は絶対大丈夫」と思っている人たちなんですよ。

 私が知りたかったのは、集団妄想やカルトはどこで、どの段階で一線を超えてしまうのか。たとえば宗教がどこから「カルト」になるのか・・・。たとえば、アメリカ人が大好きな「陰謀論」などは十分に「集団妄想」と呼ばれるべきものでしょう。これまでに語ってきた、ハリウッド映画におけるアメリカ人の原罪意識の他者への投影だって、私はカルトと呼んで差し支えないと思います。現代のマインドコントロールは巧妙ですよ。むしろそうした、歴史上の大事件として語られてはいない、しかし我々の生活の中にさりげなく浸透している「集団妄想」や「カルト」への誘導にこそ、解明の光をあてて欲しかったと思います。


(Parsifal)



引用文献・参考文献

「欧米社会の集団妄想とカルト症候群 少年十字軍、千年王国、魔女狩り、KKK、人種主義の生成と連鎖」 浜本隆志編著 明石書店

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Diskussion

Hoffmann:歴史上のいくつかの事例を選んで、手際よくまとめたという印象だなあ。

Klingsol:「異常」に隔離して・・・と、Parsifal君が言うとおり、(悪い意味で)良識派の考察の域を出ていない。表題からして「・・・カルト症候群」だからね。言うまでもなく異常なものなんだと、読者をリードしていると勘ぐりたくもなる。

Parsifal:以前、嫌悪感とか差別感情についての本を取り上げたときにも言ったけれど、自分が他人に対して抱く嫌悪感とか差別意識について、自己批判精神を持っていない限り、議論は空転するんだ。なにを、いくら論じたって・・・。

Kundry:自分を安全地帯においている限り・・・つまり、自分は絶対に被差別者になることはない、自分は絶対に集団妄想にもカルトにも陥ることはないと思っている限り、そうした人が語る差別問題、集団妄想、カルトは他人事で、なにも解決しないということですね。

Hoffmann:いま、我々がこうして語り合っていることだって、よそのグループでは通用しない、それどころか異端扱いされる恐れだってあり得るわけだよ。

Kundry:以前のお話にもあった、ローカル・スタンダードをグローバル・スタンダードと錯覚してはいけないということですね(笑)

Klingsol:だから我々のこのDiskussionも、おおいに異論・反論を戦わせた方がいいんだ(笑)