098 「ボートの三人男 犬は勘定に入れません」 ジェローム・K・ジェローム 丸谷才一訳 筑摩書房




 ジェローム・K・ジェロームJerome Klapka Jeromeはイギリスの作家。「ボートの三人男」"Three Men in a Boat"はその代表作です。

 貧しい家庭に生まれ、政治か文学の道に進みたいと考えていたものの、13歳の時に父が、15歳の時に母が死に、学校を辞めて職に就くことに。ロンドン・アンド・ノースウェスタン鉄道で4年間働いています。その後姉の演劇熱に触発されて、移動劇団に加わって役者になるも芽が出ることはないままに3年間。

 次にジャーナリストになろうとして、随筆や風刺文や短編小説を書いたのですが、ほとんど不採用。以後職を転々としますが、1885年、自分の経験をユーモラスに描いた"On the Stage - and Off"で成功。1888年6月にジョージナ・エリザベス・ヘンリエッタ・スタンリー・マリス Georgina Elizabeth Henrietta Stanley Marris と結婚。彼女にはひとりの連れ子がおり、ハネムーンはテムズ川で過ごします。この新婚旅行から帰って書かれたのが「ボートの三人男」でした。原題は"Three Men in a Boat"、副題に"To Say Nothing of the Dog"とあります。



Jerome Klapka Jerome(1889年頃)

 登場人物は妻ではなくて、主人公とその友人、ジョージ・ウィングレイヴ(ジョージ)とカール・ヘンチェル(ハリス)。もともとはテムズ河周辺の歴史的地理的旅行案内を書こうとしていたらしいのですが、できあがったのはその紀行にからめた、ユーモア小説。これが大成功。おかげでテムズ川の(公式に登録された)ボート数が出版から一年で50%も増加したということです。テムズ川への観光客の誘致にも大きく寄与して、もちろん現在に至るまで刊行され読み継がれており、映画、テレビ、ラジオ、舞台劇、そしてミュージカルにもなっています。

 書かれているのはイングランド南西部のキングストン・アポン・テムズ区からオックスフォードまでの、ボートによるテムズ川の旅。3人の登場人物は、作者自身と2人の友人がモデルです。さらにこの3人に犬のモンモランシーがお供に加わります。

 そもそも旅をすることになった発端からして笑わせてくれるうえ、寝泊まりする場所や、持って行く荷物や食糧について交わされる議論も、当人たちは大真面目なんですが、いかにも珍妙。すぐに話が横道にそれて、おかしなエピソードが連鎖反応的に語られていきます。たとえば、ポジャー伯父さんが、家の壁に釘を打とうとして家族じゅうがすったもんだしたあげく、「全身を使っての、頭まで使っての凄まじい」ピアノ演奏をした・・・って、その状況、想像できますよね?(笑)

 いよいよ旅がはじまってからも、油断がなりません。読んでいて、自然豊かな並木道や絵のように美しいホテル、河の眺めなどを想像していると・・・一転して笑いに。語られるテムズ河の歴史に思いを馳せていると・・・やっぱり笑いに。二週間の旅が終わろうとする間際、ジョージが弾くバンジョーが溢れんばかりの哀愁を漂わせ、みんながしんみりしているのもつかの間・・・(笑)

 ユーモアというと、我が国では皮肉とか風刺に傾きがちですが、ジェローム・K・ジェロームのユーモアはそのいずれでもありません。もっと乾いた感覚で、決して感傷的にならない、気取ったところも、わざとらしさもありません。荒唐無稽ではなく、いかにもありそうな、登場人物それぞれが自分だけはまともだと思っていて、勝手なことを言っている、そのくせして「やらかす」(笑)にもかかわらず、みんながみんな、じつに愛すべき善人たちなんですよ。

 なお、「ボートの三人男」の続編で、ドイツ、シュヴァルツヴァルトの自転車旅行を描いた"Three Men on the Bummel"がありますが、翻訳は出ていません。Penguin Books版で入手可能なはずです。


(おまけ)


 
 
"Three Men in a Boat"、1889年刊の1st editionです。Hoffmannさんが所有しているものをお借りしました。


(Kundry)



引用文献・参考文献

 とくにありません。




Diskussion

Hoffmann:イギリス人のユーモアというと、オスカー・ワイルドサー・トーマス・ビーチャムの皮肉屋ぶりを連想してしまうんだけど、ぜんぜん違うよね。

Parsifal:Kundryさんが言っているように、風刺じゃあない。

Klingsol:イギリス人というと、もっぱら控えめな表現をする人種だと言われるよね。しかも、この小説の場合、もともとユーモア小説を書こうとしていたわけではなかったから、それがいい方に作用したんじゃないかな。

Kundry:いかにも笑わせようとしているのが透けて見えるようなものではないんですね。アメリカ的なドタバタ喜劇ではありません。

Parsifal:ここ数年、さかんに翻訳が出ているP・G・ウッドハウス Pelham Grenville Wodehouse とも違うね。

Klingsol:でも、あれもまたイギリス的だと思うよ。ウッドハウスはアメリカに帰化しているけれど、あの機知はイギリス人のものだろう。

Parsifal:ウッドハウスははじめから滑稽小説を書こうとして書いているし、しかも器用なんだよ。ジェローム・K・ジェロームの方が朴訥としたところがある。

Hoffmann:不器用だとしたら、その不器用なところがいいんだ(笑)

Kundry:語り口がちょっと大げさというか・・・変な言い方になりますが、荒々しく高尚な口調になるときがありますね。

Parsifal:ウッドハウスの小説ではウッドハウス自身はほとんど出てこないけれど、「ボートの三人男」ではジェローム・K・ジェロームが顔をのぞかせているよね。

Hoffmann:ちょっと無粋なことを言うと、友人のハリスもジョージもモデルの名前が分かっている。それに、犬のモンモランシーも実在していて、湯沸かし(ヤカン?)との格闘はじっさいに起こったとおりなんだそうだ。



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