104 「カエサル文集」 ユリウス・カエサル 國原吉之助訳 筑摩書房




 作家の倉橋由美子がエッセイのなかで「歴史」についてこう書いています―

 歴史が好きだと言う人は多い。一体どんな本を読んでいるのだろうか。私ならヘロドトスの『歴史』とトゥーキュディデースの『戦史』と司馬遷の『史記』の三つをまずあげる。あとはどうでもよろしいものばかりで、トインビーの『歴史の研究』は縮約版のそのまた縮約版でも読む気がしない。人民が苦しんでいた話ばかりを書いているマルクス主義の歴史などは論外。邪馬台国探しは空想小説。

 これはまったく同感で、そこで上記に上がっている三つのうちのどれかを取り上げるか、それともあえてそこに付け加えうる歴史書を取り上げるか・・・。

 ヘロドトスの「歴史」なら松平千秋訳が岩波文庫で全三巻、トゥーキュディデースの「戦史」も岩波文庫で全三巻、こちらは久保正彰訳。司馬遷の「史記」は、いま手許にあるのはちくま学芸文庫版で全八巻、小竹文夫・小竹武夫訳。これを本棚で確認していると、岩波文庫の棚にはタキトゥスの「年代記」全二巻、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」全十巻があり、これでも倉橋由美子のセレクションに加えても差し支えなさそうです。文庫本以外では、筑摩書房から出ていた「カエサル文集」(國原吉之助訳)、これは「ガリア戦記」と「内乱記」の全訳を収録している。「ガリア戦記」といえば、大学でラテン語を学ぶ際に、大概最初に与えられる教材であることで有名なもの。ローマ帝政を準備した独裁者の、武人らしい簡潔明快な文体故でしょう。しかしこのあたりになると、歴史書というよりも以上に、ラテン文学の世界です。

 この戦記は元来、ガリア方面の軍司令官たるカエサルがローマの元老院に宛てて送った報告書であるため、文体もいたずらに文学的な装飾を施さない、乾いたスタイルなんですが、おもしろいことに、筆者が自身を一人称で表現せずに、「カエサルは・・・」と、三人称スタイルを採用している。しかも、それに合わせて叙述はかなり客観的なので、かえって事実が生々しく迫ってくるような雰囲気が醸し出されています。その上、単なる戦況報告にとどまらず、比較人種学的観察とモラリスト的な考察に満ちている。モラリストというのは「道徳家」じゃありませんよ。人間の日常を観察し、そこから人間とはなにかについて深く考える人のこと。

 たとえば、ガリア人が政治的変革を好み、党派好きで、家庭内にまで派閥の対立を持ち込み、おしゃべり好きで議論ばかりしている・・・たびたびの合戦で敗北をかさね、しだいに征服されることに慣れ、当のガリア人ですら、ゲルマニア人と武勇の点で張り合おうとしなくなった・・・といった観察。ナンダ、いまでもフランス人に特徴的な性質じゃないですか。毛皮を着て棍棒だの槍だのを持った男たちと、ポロシャツを着て口角泡飛ばして政体を語る現代人とが重なって見えてくるようです。それに、ほかの土地では見かけないような野獣が棲息している、その野獣の観察。さらに戦局の動きを報告するなかに突如として、「元来人間はみな、自由を熱望し、隷属の状態を憎む・・・」「何にせよ一般に、人の心は目に見えるものより目に見えないものによって、いっそう烈しくかき乱される」といった記述があらわれる。

 三人称で語りつつ、時折こんな調子で、モラリスト・カエサルが前面に登場する・・・カエサルという人間がかなり近しく感じられますね。


(Psrsifal)



引用文献・参考文献

「カエサル文集」 ユリウス・カエサル 國原吉之助訳 筑摩書房



現在入手可能な版はこちら―

「ガリア戦記」 ユリウス・カエサル 國原吉之助訳 講談社学術文庫
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「内乱記」 ユリウス・カエサル 國原吉之助訳 講談社学術文庫
https://amzn.to/3vp8hGs



Diskussion

Hoffmann:たしかに、読みものとしてもおもしろい。

Klingsol:むしろ、歴史書として読む必要はないんじゃないかな。史書というのは常に「勝者」の側の記録だから。

Kundry:世界史にしても日本史にしても、教科書のような記述の史書では、あまり読みたくなりませんからね。

Klingsol:個人的にはタキトゥスの「年代記」がおすすめかな。初代皇帝アウグストゥスの死からネロの死ま、四代の皇帝の時代を書いている。内容は宮廷政治の背徳乱倫ばかりだけど、これもまた真実だ。

Hoffmann:タキトゥスはカエサルと同様、執政官から属州の統治者になった人だね。出身はローマ詩人、ウェルギリウスと同じく、ガリアだね。

Parsifal:フランス系には優秀な人が多かったんだね。だから近代文学はフランス文学が圧倒的に優位なのかな。

Klingsol:その「年代記」や続篇にあたる「同時代史」を見ると、よくぞこんな恐怖政治の時代にタキトゥス自身は天寿を全うできたものだと驚かされる。

Hoffmann:我々だって、はるかな未来には20世紀から21世紀の「暗黒時代」なんて言われるかもしれないよ。

Klingsol:可能性はある。そんな時代にも、冷徹な目で世の中を観察しているタキトゥスでありたいものだな。

Parsifal:今回の関連で、もう1回歴史関係の本を取り上げる予定だ。