037 「猟奇島」 ”The Most Dangerous Game” (1932年 米) アーネスト・B・シュードサック、アーヴィング・ピシェル






 「猟奇島」“The Most Dangerous Game”(1932年 米)です。「キング・コング」”King Kong”(1933年 米)のアーネスト・B・シュードサックが俳優アーヴィング・ピシェルと共同して監督したもので、リチャード・コネルの原作を「キング・コング」のジェームズ・アシュモア・クリールマンが脚色。出演は「キング・コング」のフェイ・レイ、ジョエル・マクリー、舞台俳優のレスリー・バンクスほか。

 狩猟が趣味のボッブ・レインスフォードの乗る船が霧のため難破、ひとり生き残った彼は孤島に漂着した。その名も知れない孤島にはザロフ伯爵と名乗るロシア貴族が暮らしており、あらゆる野獣は狩り尽くして興味を失ってしまい、いまでは「最も危険なる狩猟」をしていると語る。その危険な狩猟とは人間狩であった・・・というstory。



 わりあい昔から名高い映画ですね。まあホラーの古典というよりもサスペンス・スリラー、あるいはサバイバルものというべきでしょうか。古典といっても冒頭の海難事故の映像はなかなかの迫力で、観る側を飽きさせない、テンポの速い展開は見事なものです。



 レスリー・バンクスはもともと舞台俳優とあって、表情などの演技はやや大げさ? いや、むしろおどろおどろしさは控えめに、理知的に見えてなにかに憑かれたような偏執狂ぶりはさすがの存在感です。じっさい、この「猟奇島」出演でさらに俳優としての地位を固めて、その後米英を股にかけて活躍することになります。

 

 フェイ・レイのしどけないなりも、この時代としてはかなり扇情的だったかもしれませんね。

 
  

 息詰まる逃走・追跡シーン。戦前の映画だからといって、時間がゆっくり流れるようなスローな展開を予想しているとびっくりです。このセット、じつは「キングコング」のセットを流用したものなんですね。なんでも夜間に利用したんだとか。だからフェイ・レイは「キンギ・コング」に引き続いての出演・・・なんですが、制作は同時進行。つまり、フェイ・レイは、昼間は「キング・コング」の撮影、夜は「猟奇島」の撮影を同じセットで行っていたわけです。たいへんでしたでしょうな。公開年は「猟奇島」が先で1932年。

 そんなこんなで昔からよく知られていた映画なんですが、さらに、連続殺人事件である「ゾディアック事件」で、犯行声明文にこの原作の一文が引用されていたことでも有名です。その「ゾディアック事件」が映画になったことによって、この「猟奇島」を知った、というひとも少なからずいたようです。


(おまけ)

 さて、この“The Most Dangerous Game”はその後2回リメイクされています。“A Game of Death”(1945年 米)、そして“Bloodlust”(1959年 米)です。前者は邦題「恐怖の島」、これは観たことがないのですが、後者は「新猟奇島」という邦題でDVDが出ていますので、ここで少しだけふれておきましょう。

 「新猟奇島」 ”Bloodlust” (1959年 米)



 ・・・が、これは全然ダメ。悪役バーロウ博士はレスリー・バンクスのような偏執狂ではなくて、単にイヤミな小悪党。私が、「魅せる映画」にはfetishismが必要なのだ、という意味をご理解いただけるでしょうか。その他キャストも大根揃い、なにより肝心のジャングルがまともに描かれて(セットされて)おらず、制作側もそれは万事承知之介ときたもんで、さっさと室内(洞窟内)でのstory展開に持ち込む始末。その洞窟のセットも、なんとも安造りです(笑)



 狩った人間の死体展示が後のホラー映画を予見しているのかなとも思いますが、考えてみればこれは「蠟人形(館)もの」の流れにあるもの、いまとなっては往年の角川映画や「土ワイ」あたりで模倣し尽くされてしまいましたよね・・・って、それよりも、本日冒頭の画像を御覧ください。“The Most Dangerous Game”では常軌を逸したものが淡々と描写されているのに対し、“Bloodlust”では「どうだ、怖いだろう、これでもか!」といった扱いなんですよ。こういった、これ見よがしな助平根性が透けて見えると、やればやるほど退屈になるばかり。

 強いて言えば、ラストで底なし沼から這いあがってきた家来の顔のアップが・・・これは当時としてはショッキングな映像だったかもしれませんが、1959年といえばハマー・プロなんかすでに「フランケンシュタインの復讐」(1958年)、「吸血鬼ドラキュラ」(1958年)、「ミイラの幽霊」(1959年)といった映画を制作したわけですから、顔にヒルが吸い付いているだけで(わっ、言ってしまった・・・)、はからずもモノクロ映画であることによって多少品格を保っているかな、とは思いますが、originalには遠く及びません。リメイク映画は出来が悪いという定説どおりの結果です。

 
なんの工夫もないカメラワーク・・・少しは考えなさいと言いたいですね(笑)

 悪役のザロフ伯爵(「猟奇島」)とバーロウ博士(「新猟奇島」)を比較してひと言。妙な連想かもしれませんが、私は「13日の金曜日」(1980年 米)や「エルム街の悪夢」(1984年 米)の、第一作と第二作以降における殺人鬼(と仮に呼ぶ)の違いを思い浮かべます。いずれの映画でも第一作はひたすら恐怖・悪夢をもたらす狂ったピエロであるのに対して、第二作ではsupernaturalな存在でありながら、明確な目的を持った実行犯になってしまう。だから、前者からはひたすら逃げる以外に方法はないのに、後者なら戦って倒せるかも、と思えてきちゃうんですね。私がいずれを好むかは言うまでもないでしょう。


(Hoffmann)



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参考文献

 とくにありません。



Diskussion

Parsifal:これ見よがしな助平根性は、やればやるほど退屈になるばかり・・・というのはそのとおりだと思うね。

Klingsol:「どうだ、怖いだろう!」という狙いが見えるものは怖くない。コメディだってそうだ、演じている当人が面白がっていたらおもしろいわけがない。

Hoffmann:たとえば、TVに出ている芸人が例外なくつまらないのは、この助平根性丸出しだからだと思うな。ついでに言うと、近頃の芸人は誰かの真似をしているのか、「ご意見番」気取りなのはいいとしても、オツムの程度が知れた(痴れた)もので、そのご意見ときたらあまりにも皮相で幼稚、他人(たとえばYoutuber)を、根拠を示すこともなく罵倒しておとしめようとするばかりで、それで自分が立派になったと勘違いしている姿は醜いうえに滑稽だよ。

Kundry:そういう、他人に対してマウントを取りたい人というのは、内心相当なコンプレックスを抱いていると想像されますが(笑)

Klingsol:「新猟奇島」の制作者も、その芸人も、自我に囚われすぎているんだな。自分自身や自分の作品を客観視できなければ、プロとは言えない。

Hoffmann:・・・だとすると、いまの総理大臣も「プロとは言えない」ね(笑)

Parsifal:たしかに、滑稽だ(笑)ナマのまま、むき出しにされる自我っていうのは、あれほどみっともないものだという見本だな。

Kundry:ホラー映画がその後スプラッターに走ったのは・・・?


Hoffmann:単に刺激を与えようとする志向がエスカレートしただけの場合あるし、いま言った「助平根性」で「どうだ、気持ち悪いだろう!」という安易なものもあるだろうけれど、スプラッターはスプラッターで、以前話したグラン=ギニョルの伝統があるからなあ。必ずしも安易とは言えないかも知れない・・・。

Kundry:やはりそれぞれの映画の出来次第でしょうか?

Parsifal:ポルノと同じだろう。既成の価値観とか体制とかに抵抗したものならまだしも見るべきものがあるんだけどね。

Klingsol:ただ、制作側としては投入した資金を回収しなければならないという事情もあるから、ある程度の「話題性」も必要になる。そこが悩ましいところだろうな。

Hoffmann:現代日本の映画だと、なんのためにこの登場人物がいるのか分からない例がある。その役に近頃売り出し中の俳優・女優・・・ならまだしも、歌手なんかが割り振られていて、結局なにしに来たのか分からない役なんだよ。明らかに、スポンサーのごり押しだよね。制作に携わる監督さんはプロだから与えられた条件でベストを尽くすしかないんだけど、スポンサーの横やりでダメになった映画は結構あると思うよ。

Parsifal:我が国の映画が安っぽいのは、出演しているのがコドモだからだよ。演技もできない、人間の内面が感じられない、じつに薄っぺらな人物造形なのは脚本からしてそうなんだろうけど、またそれを演じているのがまともなオトナじゃないから、見るに堪えないんだ(笑)

Klingsol:場当たりに集客を見込むと、どうしたってお子様ランチになるんだよ。いや、「お子様ランチ」を貶めるわけじゃないが。

Hoffmann:場当たりといえば、ここでも現在の総理大臣を思い出すけど・・・(笑)それはクラシックの世界も同じだ。若いヴァイオリン弾きの女の子に裸みたいな恰好させてジャケット写真を飾ったり、ポピュラー歌手に宗教音楽を歌わせて・・・その歌手はポピュラー分野でも潰されてしまったようだし。そんなことしているからCD市場が壊滅状態になったんだ。配信形式が一般的になってきたことだけが原因じゃない。

Parsifal:それを「大衆化」なんて言い訳して、目先のことしか考えていないことを誤魔化しているんだ。


Klingsol:制作側は自分で自分の首を締めていることに気付かないとね。

Hoffmann:総理大臣の「政策」もそうだね。見事に自分で自分の首を締めている(爆笑)