042 「ノスフェラトゥ」 ”Nosferatu:Phantom der Nacht” (1978年 西独・仏) ヴェルナー・ヘルツォーク




 ヴェルナー・ヘルツォークの「ノスフェラトゥ」”Nosferatu:Phantom der Nacht”(1978年 西独・仏)、澁澤龍彦が「わたしの恋愛映画ベスト1」というアンケートで挙げていた映画です。



 言うまでもなく、前回取り上げたF・W・ムルナウの「吸血鬼ノスフェラートゥ 恐怖の交響曲」”Nosferatu - Eine Symphonie des Grauens”(1921年 独)のリメイク。リメイクは大方出来が悪いものですが、これは例外中の例外。ヴェルナー・ヘルツォークの最高傑作ではないでしょうか。



 冒頭のミイラのシーンからすっかり引き込まれてしまいます。なぜミイラ? おそらく、人間の遺体は乾燥していないとミイラにはならずに腐敗してしまうことから、「吸血」のimageをここに重ねようとしたのではないでしょうか。また、私は同時に、腐敗しないことから「生ける死者」、さらに吸血鬼が生きてきた長い年月をも連想しました。



 ドラキュラの館に向かうジョナサン―ここで音楽はワーグナーの「ラインの黄金」前奏になります。

  

 ドラキュラ伯爵役に怪優クラウス・キンスキー、ジョナサン・ハーカー役には名優ブルーノ・ガンツ。リメイク元であるムルナウの映画をよく研究しています・・・というより、リメイクすること自体がhommageですからね。それでいて単なる模倣で終わってはいない。ちなみに役名を「ドラキュラ伯爵」としているのは、1979年(この映画の公開年)に「ドラキュラ」が著作権切れでパブリックドメインとなったため。



 クラウス・キンスキーとイザベル・アジャーニ。このふたりのメイクは日本人女性が担当したそうです。イザベル・アジャーニのメイクは若干濃いめと見えますが、この時代ならではでしょうか。ハーカーの妻の名前は、この作品ではミナではなくてルーシー。従って、原作のような友人役の女性は登場しません。つまり主要な女性の登場人物はルーシーただひとりなので、メイクでほかの登場人物との差別化を図りたかったのかも知れません。

 

 ペストの蔓延するブレーメン。ちなみにロケ地はオランダはデルフトの街。死の臭いがたちこめたような、なんとも頽廃的な雰囲気が、これはほかの吸血鬼映画からはなかなか得られないもの。ちょっとくすんだ色合いがいいですね。



 これはドラキュラの僕となっているレンフィールド。演じているのは、なんとフランスの奇想作家ロラン・トポルです。狂気じみた笑い声が往年のドワイト・フライに匹敵しうるという点で、トップクラス。よくぞ起用したもの。

  

 こうした、なんでもないようなシーンが美しくも静謐な空気感を漂わせるところは、サイレント期の映画のリメイクであって、なおかつoriginalを参考にしたからこそ―その証拠に、ムルナウ版から引用したかのような構図も少なからず見受けられます。付け加えると、どれも後ろ姿であることにご注目。

 

 最後はルーシーの犠牲によりドラキュラは滅ぶものの、ヴァン・ヘルシングは伯爵殺害の罪で逮捕され、ジョナサン・ハーカーが新たな吸血鬼となって旅立ちます。これはoriginalとは異なる結末。生ける死者は永遠に生き続けるのです。映像が美しいばかりではなく、安手のメロドラマで終わらないところはさすが。

 澁澤龍彦が「わたしの恋愛映画ベスト1」というアンケートで挙げているとおり、かなりromanticではあるのですが、その後のドラキュラ映画に至っては、度し難いほどのsentimentalなラブロマンスに成り果ててしまっているものが見受けられます。たとえばコッポラなどがいい例。それと比べれば、かなり様式的でstatic、クラウス・キンスキーやブルーノ・ガンツの演技も抑制気味。とくにクラウス・キンスキーのドラキュラ伯爵は、愛に飢えているというよりも、永遠に生きる死者という宿命に倦み疲れた哀しき存在としての側面を際立たせています。ブルーノ・ガンツもほとんど完璧と言っていい演技で、それにしては地味な役柄でもったいないなと思ったら、ちゃんとラストに見せ場がありました。メイクなど、いま観るとややオールドファッションと見えるイザベル・アジャーニも、台詞に頼らず、さりげない所作で意図するところを伝えてくれます。キンスキー、ガンツ、アジャーニ、それに狂言回し的ロラン・トポルという、3人プラス1人で支えた映画ですね。吸血鬼映画としては、F・W・ムルナウ版とともに、歴史に残る名作と言って差し支えないでしょう。


(おまけ)

 

 上に挙げた画像のいくつかを前回のムルナウ版と見比べてみてください。ここまでに挙げていないシーンでひとつ、追加しておきましょう。左がムルナウの1921年版、右がヴェルナー・ヘルツォーク版です。並べてみればほら、originalへのリスペクトは一目瞭然です。


(Hoffmann)


参考文献

 とくにありません。






(参考) F・W・ムルナウの「吸血鬼ノスフェラートゥ 恐怖の交響曲」はこちら