044 「Kafka 迷宮の悪夢」 ”Kafka” (1991年 米) スティーヴン・ソダーバーグ






 スティーヴン・ソダーバーグ監督による「Kafka 迷宮の悪夢」(1991年 米)。カフカの小説の映画化ではなく、ましてやカフカの伝記映画でもない、カフカ自身を主人公に据えたフィクションです。この監督の映画はこれしか観ていませんが、これがホラーとか、SFとか、ジャンルを限定できない、まさに「迷宮の悪夢」といった映画で、カもなくフカもなし・・・ではなくて、なかなかカフカ的なatmosphereを醸し出した、ある意味では駄作、ある意味ではまずまずの良作です(笑)

 storyは―

  保険局で働いているカフカがある日出社すると、唯一の友人が会社に来ていない。友人と親しかった女性ガブリエラに友人のことを聞くが、消息が分からない。カフカは警察に呼び出されて河で発見されたという友人の遺体を確認する。彼は友人の死に疑問を持つが、グルーバック刑事は自殺と断定する。

 ある夜、カフカはガブリエラに誘われて、ある集会に参加する。そこでカフカは友人がこの街の城に、作成した資料のミスの件で呼び出されていたことを知る。そしてガブリエラから城に行って、なにが行われているのか調べて欲しいと頼まれる。しかし、その直後にガブリエラは失踪。事務所長から会社で作成した資料は城に送られていることを知らされる。カフカにも友人を殺した殺人者が迫ってくるが、なんとか逃げてガブリエラたちの会合場所へ行くと仲間は全員無惨な姿で殺されていた。

 ついにカフカは城に潜入する。そこで彼が見たものは・・・城から抜け出したカフカは再びグルーバック刑事に呼び出されるが、いまとなっては友人が自殺したことを認めるしかなかった・・・。

 

 カフカ役にジェレミー・アイアンズ、テレサ・ラッセル、アレック・ギネスほか。その他、ひと癖ある面貌の個性派が出そろっています。ジェレミー・アイアンズはもう少し耳を尖らせてもよかったのでは?

 

 モノクロームの映像はたいへん美しいのですが、城のなかに入るとカラーになります。ときどき(印象的なのは2回)カメラを大きく傾けるあたり、効果的です(やりすぎちゃいけません)。城の中で行われていること・・・? それはカフカの小説の、ごくごくありきたりな「解釈」を援用したようなもの。オーソン・ウェルズの「審判」も似たり寄ったりですが、一昔前の左翼系文芸評論家が、ゲンダイブンガク全般を語るにあたって、毎度毎度伝家の宝刀のごとく振りかざしていたテーマを相も変わらず引きずっています。ひと言で言えば「陳腐」。その意味では、ソダーバーグの志には反して、カフカに対する既成の(古くさい)imageからは一歩も踏み出せずに終わった映画ですね。

 storyがどうとか、じっさいのカフカがどんなひとであったか、ということよりも、カフカの作品のイメージを別な物語に織り上げた、といった映画です。そう考えると、物語の中で起きる事件や台詞(独白)などが、カフカの書簡や作品からの引用であったりするところがおもしろい。たとえば、カフカから、自分が戻らなかったら未完の原稿を処分して欲しいと頼まれた男は、これはマックス・ブロートに擬せられているわけです。ついでにふれておくと、城の中で、反体制の人々を捕らえて脳を管理する実験を行っているマッドサイエンティストの名前がムルナウ博士というのも、F・W・ムルナウを想起させようという意図でしょう。

 そもそもカフカの小説は「悪夢」みたいなもので、じっさい、この映画のなかでも、カフカが自分は悪夢を書いた、と語っており、全編が悪夢で満たされているかのような映画になっています。

 モノクロームによるプラハの街は美しいというだけでなく、まさにnightmareが跳梁跋扈していそうな、妖気すら漂ってくるようです。そう、プラハの街というのは、ここからいろいろと物語が派生していく不思議な魅力を持った街なんですよ。跳梁跋扈と言えば、大学生から妖術師、果ては泥人形と・・・phantastisches Hyakkiyagyo(笑)




(Hoffmann)




参考文献

 とくにありません。



(追記) 映画「審判」(1963年 仏・伊・西独) (こちら

(追記 その2) 小説「審判」 フランツ・カフカ をupしました。(こちら

(追記 その3) アイネムの歌劇「審判」と「老婦人の訪問」 upしました。(こちら