061 「放射能X」 ”Them” (1954年 米) ゴードン・ダグラス






 「放射能X」“Them”(1954年 米)でございますよ。ニューメキシコ州に原爆実験の影響で巨大化したアリが現れ、さらに女王アリがロサンゼルスの地下水道へと移動、繁殖を食い止めようとする人間との攻防を描く、「エイリアン」”Alien”(1979年 米)にも影響を与えたと言われるSF怪獣映画です。監督はゴードン・ダグラス。



 物語はニューメキシコ州警察のベン・ピータスン部長が砂漠をパトロール中、なにかひどいショックをうけたらしい5、6歳の少女を発見するところからはじまります。またそこからかなり離れたところで商店が襲われ、しかし現金には手が付けられておらず、なぜか砂糖が持ち去られています・・・。

  

 警官がひとり残っていると、外から「キリキリキリ・・・」という音が。店から出て、窓の向こうを横切り、左側に姿が消えたところで銃声と悲鳴・・・このあたりの演出は秀逸です。つまり、ここまでは姿を見せないで怖がらせるんですね。

 

 昆虫学者ハロルド・メドフォード博士と令嬢のパトリシア博士の協力を得て砂漠を調査中、ついに姿を現した巨大アリ。



 ユーモアもちりばめられています。これは目撃者の証言を確認しているところ・・・なんですが、このひと、アル中なんですよね。先日、「酔っぱらいの歴史」の話の時に、Hoffmann君が「酒の席での話しか信用しない」「道化と酔っぱらいこそ、真実を語る」と言っておりましたが、少々混乱していても、アル中の証言だって切って捨てちゃいけないということです(笑)

 

 ヘリコプター内で通信し合う父娘―通信にはいろいろ決まり事がありまして・・・「(ペラペラ)どうぞ」の「どうぞ(over)」を「なんでそんなこといちいち言わなきゃならんのだ?」と不機嫌なおとーさんです(笑)



 巣から現れたアリが人骨をポイッとやると、転がっていった先には頭蓋骨と警官のベルトと拳銃が・・・なかなか上手い演出ですね。

 

 終盤はロサンゼルスの地下水道での攻防。「繁殖前に焼き尽くさなければ・・・」というのは、「エイリアン」と同様ですね。その後世への影響は別としても、ここで指摘したいのは、この巨大アリが人形アニメーションでもヌイグルミでもなく、文字どおり巨大な模型であることです。人形アニメーションのファンはいまでも少なからずいるはず。いや、ヌイグルミの方が迫力があるよと言うひともいるでしょう。でも、こうして人間と同じ画面に収まってみれば、やっぱり実物大は違和感がありません。

 もちろん、模型だと動きなどは制限されてしまいますが、それを言うならヌイグルミだって、なかに入った人間の、人間的、あまりに人間的な動きしかならないものです。もしかしたら、ゴジラがやがてアイドル化するに至ってしまったのには、いろいろな事情があるとは思いますが、ゴジラ(のヌイグルミ)は直立二足歩行で動作は人間そのものだから、もともと親しみやすい造形の生物だということもあるんじゃないでしょうか。そうすると、敵役にはキングギドラなんて、「ありえない」造形の生物(怪獣)を考案しなければならなってしまうわけです。



 さて、この映画の冒頭を思い出して下さい。両親を殺された少女が、敵から逃れて、人形をかかえて荒野をさまよっている。その少女を保護する警官。襲撃された雑貨店にころがっているウィンチェスター銃、惨殺された無残な死体、砂漠から響いてくる不気味な音・・・わかりますか? アメリカ映画によくあるパターンです。そう、西部劇でさんざん繰り返し描写された、インディアン襲撃後の廃墟になった開拓者の家です。自分たちが先住民族を迫害し追い立てた歴史を、こうして「相手が先に攻撃を仕掛けてきたのだ」というstoryにすり替えるのは、アメリカ映画の常道です。先住民こそ「悪」であり、「加害者」である。これを制圧することこそが「善」であるという、白人の使命を正当化するためのすり替えです。

 先住民の捕虜になって処刑寸前に、族長の娘ポカホンタスに救われたジョン・スミスの話はみなさんも御存知でしょう。しかし、ジョン・スミスは帰国後の報告ではこの救出劇について語っていないのです。帰国後17年も経った1624年に、はじめてこの経緯を執筆している。なぜだかわかりますか? 執筆の2年前に、インディアンによる白人への襲撃があったからなのです。つまり、白人の侵入に業を煮やしたインディアンが白人を襲撃・虐殺したので、いまや先住民への報復が正当化されて、はじめて書くことができた。先住民は荒野のならず者・蛮族であるというレッテルが貼られるまでは、ポカホンタスのような先住民に好意的な物語は語り得なかったのです。しかし、この襲撃によって、被害者ある白人は、いかなる報復も許される・正当化されることになった。そこで初めて歴史が語られることになったわけです。アメリカの歴史というのは、自分たちを脅かす殺人鬼を捏造することで、ようやく語りはじめられるのです。

 いかがでしょうか、アメリカは自分たちを正当化するために、いつだって攻撃されたがっているんですよ。自分たちに被害者意識を抱かせるために、邪悪なものが家や国家を攻撃してくるという物語を捏造するのに必死なのです。アメリカ人の多くが信じていると言われる陰謀論も同じこと。責任転嫁する「原因」=「敵」を捏造する、すると被害を受けている自分は正当化され、特別扱いされるべき存在となる。それではじめて自分の物語を語ることができるようになるのです。なぜそのような構図を望むのか。それはアメリカが先住民を虐殺し、その土地を略奪して成立した国家だからなのです。その記憶が抑圧された結果、ときに回帰(フラッシュバック)してくるのが、こうした邪悪なものの侵略テーマであるというわけです。

 ここでは巨大アリをアメリカ先住民族に擬することによって、白人の侵略の暴力を隠蔽しているわけです。西部劇ならここでジョン・ウェインが少女の仇を討とうと執念をもって立ち上がるところ。もちろん、この映画でも、巨大アリは「加害者」であって、「繁殖前に焼き尽くさなければ」ならない対象なのです。もちろん、「エイリアン」”Alien”(1979年 米)だって、似たような構図を持っているんですよ。

 それでは、次回は先住民族(インディアン)ではなく、かつてアメリカが他国を侵略した歴史を背負っていることによる「すり替え」映画を取り上げることにしましょう。


(おまけ)

 巨大アリの造形について話を戻すと、模型と言えば聞こえはいいものの、早い話がハリボテです。翌年1955年のジャック・アーノルドによる「世紀の怪物/タランチュラの襲撃」”Tarantula”になると、本物のタランチュラを合成処理で巨大に見せています。正確に言うと、ミニチュアのハリボテ・バージョンも作ってはいたのですが、これは一部で使用したのみで、ほとんどが手間暇をかけたフィルムの重ね焼きによって、本物のタランチュラが巨大化して砂漠を闊歩する映像を拵えています。もちろん、モノクロ映画でタランチュラの登場が主に夜間シーンであるため、合成による不自然さもあまり気にならず、ハリボテでは得られないリアルで迫力のある映像に仕上がっているのですね。


  

 こちらの画像は「世紀の怪物/タランチュラの襲撃」”Tarantula”(1955年 米)から―。中央の窓からのぞいているシーンだけがハリボテ。左右は合成処理です。よーく観ると、遠目の時はいいんですが、近づいてくると真っ黒なシルエットになってしまったり、脚が透けていたりする箇所もありますが、やはり動きがリアルなのはいいですね。



 なお、最後は空軍戦闘機の攻撃で退治するんですが、そのパイロット役で無名時代のクリント・イーストウッドが出演していることでも有名です。フルフェイスが出ないので、目つきで判断してください(笑)


(Parsifal)



参考文献

 とくにありません。



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