066 「鬼婆」 (1964年) 新藤兼人






 新藤兼人監督の「鬼婆」(1964年・東宝)です。乙羽信子、吉村実子、佐藤慶ほか。音楽は林光。

 戦乱相継ぐ南北朝時代、男手を戦にとられ芒ヶ原に取り残された中年の姑と若い嫁は、この湿原に迷い込んできた落武者を殺し、奪った鎧や刀を売って暮らしていますが、そこにひとりの若者が戦から戻ってきて、若い嫁を誘惑し深い仲になります。姑は己の満たされない欲望による嫉妬と生活の不安から、ふたりを引き離そうと、迷い込んできた落武者から奪った鬼の面を着けて若い嫁を脅かすのですが・・・。

 

 一面の芒ヶ原。晴天下での撮影によりコントラスト強めのモノクロ画面となっています。



 商人は殿山泰司。



 戦から戻ってきた男、八は佐藤慶。



 極限状況における根源的な欲望としての食欲と性欲の強調。なんといっても乙羽信子の文字どおり「鬼気迫る」演技がすばらしい。

 

 八に逢いたいばかりに芒ケ原をひた走る若い嫁。彼女が小屋に戻ると土間にうずくまる鬼。

 

 「この面をはがしてくれ!」と哀願する声は、義母の声。若い女は、男と会うことを許すという条件で、鬼面をはがしにかかるのですが、面はぴたりと顔についてビクともしない。木槌をとって面をたたく若い女の手の下を、血が流れて、ようやくはがした面の下から、無残にただれて鬼のようになった義母の顔があらわれます。若い女は顔を見るなり義母の手を振りほどくと、狂気のように逃げ出し、「とれたとれた」と喜ぶ義母は、若い女のあとを追って・・・。

 ようやくさがしあてた芒ヶ原にプレハブの宿舎を建て、合宿形式での撮影。この小屋も監督が図面を引いて助監督が作り、世間は東京オリンピック開催に賑わうさなか、連日泥まみれになっての撮影だったそうです。これこそ傑作の名にふさわしい日本映画です。我が国でよりも海外での評価が高いのはいいんですが、どうもホラー映画のカテゴリに入れられているようですね。




 鬼婆伝説について

 鬼婆伝説は福島県と埼玉県が有名ですが、じっさいは全国各地に見られるものです。福島県の安達太良地方に伝わったものが有名なのは、歌舞伎や浄瑠璃となったためですね。
 それぞれの鬼婆伝説の共通点は、人であった女性が鬼となり、次々に旅人等を襲い、最後に僧侶や武士に退治されるというもの。いわゆる黒塚というのは鬼婆を葬った塚(墓)のこと、転じていまでは鬼婆のことを指す場合もあります。

 安達ケ原の鬼婆伝説は正確に言えば鬼婆が埋葬された観世音に伝わる話です。

 紀州の僧侶である東光坊祐慶が安達ケ原を旅し、ある岩屋で宿を求めたところ、岩屋には老婆が独りしかおらず、夜であるため薪を取りに行くため祐慶を残して出て行く。その際、奥の部屋は決して覗かないようにと言い残していったが、祐慶が覗くと、そこには数多くの白骨死体があった。旅人を殺して肉を食う鬼婆の噂を思い出した祐慶は岩屋から逃げ出す。戻ってきた老婆は、祐慶がいないことに気付いて追いかけてくる。捕まりそうになった祐慶が、菩薩像を荷物から取り出し、経を唱えると、菩薩が現れ、矢を射って鬼婆を仕留めた。祐慶は阿武隈川の近くに墓を作り、鬼婆を埋葬した。その墓が黒塚と呼ばれるもの。

 微妙な違いですが、退治したという結末と、成仏させたという結末があるようです。いずれにしても、菩薩の加護について語る典型的なstoryですね。現在、黒塚は観光コースのひとつになっています。

 一方、大宮が伝説発祥の地であるという説もあります。大宮は現在のさいたま市に相当し、かつては武蔵国足立郡の一部でした。福島県の「あだちがはら」は「安達ヶ原」、大宮の方は「足立ヶ原」ですよ。「足立区」の「足立」です。

 大宮の鬼婆伝説も福島県のものとほとんど同じものでです。ただし大宮の方では、祐慶が義経の従者として有名な武蔵坊弁慶の師匠とも伝えられています。

 戦前、昭和初期には、福島の安達ヶ原と埼玉の足立ヶ原の間で、どちらが鬼婆伝説の本家かをめぐる論争もあったのですが、埼玉出身の民俗学者、西角井正慶が埼玉側に対して「自分たちの地を鬼婆発祥の地とすることは、この地を未開の蛮地と宣伝するようなものだから、むしろ譲ったほうが得」と諭したことで埼玉側が退き、論争が決着しました・・・が、そうした経緯ですから、結局どっちか分からないということですね(笑)

 埼玉側のかつて黒塚にあった東光寺は後にさいたま市大宮区へ移転しており、埼玉の黒塚のあった場所は後の宅地造成によりもはや影も形も残っていません。退いたから観光客誘致も控えた・・・単に宅地造成したというだけのことでしょう。論争が決着しました・・・とは言っても、結局どっちか分からないままなのですから、ちょっともったいないことをしたかも知れませんね(笑)

 また、岩手県盛岡市南方の厨川にも安達ヶ原の鬼婆伝説があり、ここでは鬼婆の正体は平安中期の武将、安倍貞任の娘とされています。奈良県の宇陀地方にも同様の伝説があり、東京都台東区の「浅茅ヶ原の鬼婆」もほぼ同系統の伝説です。

 ちなみに東光坊祐慶の「東光坊」とは、熊野修験の本拠地である熊野湯の峯の東光坊に由来するもので、この地の山伏は修行で各地を回る際、「那智の東光坊祐慶」と名乗っていたらしいことから、祐慶を名乗る山伏たちが各地で語る鬼婆伝説がもととなって、各地の鬼婆伝説や黒塚伝説が生まれたものではないかという説もあります。

 由来伝説

 鬼婆伝説は能や謡曲にもなっていますが、じつ安達ヶ原の鬼婆伝説には、由来伝説もあります。

 鬼婆は元々岩手という京都の乳母で、姫を可愛がっていたが、姫は生まれながらにして口が聞けず、占い師に相談したところ、胎児の肝が病気に効くとのこと。どうにかしたいと思い旅に出て、安達ヶ原にたどり着くと、岩屋を宿にし、妊婦が来るのを待った。そうして身重の夫婦が岩屋にやって来たので、夜に妻の腹をさばき、胎児の肝を取り出したが、この妻の身に付けているお守りを見ると、自分が旅に出る際、娘に渡したものだった。岩手は以後、狂乱状態となり、人から鬼婆に変わってしまった・・・。

 もっとも、時代から考えて、祐慶が鬼婆に出遭った神亀年間は平安遷都すら行われていない時代のため、岩手が奉公していた京の都自体が存在していないこと、また「岩手」という名は戯曲の「岩手」で創作された名前であることからこの由来伝説は後世の創作と見られています。

 また、青森県にはこれとは別に、鬼婆の由来を説く伝説が伝わっています。

 白河天皇の時代。源頼義の家来の安達という武士が、頼義に敵地である陸奥への潜入を命じられ、いわという名の妻を連れ、幼い娘を乳母に預けて陸奥へ赴いたが、敵に討たれて命を落とした。いわは夫の霊を異郷に残して故郷へ戻るのはしのびなく、そのまま陸奥に留まった。数十年後、いわの住む庵に、旅の若夫婦が宿を求めた。女のほうは身重だった。故郷に帰りたくても帰れない身のいわは、仲睦まじいうえにもうすぐ子宝に恵まれる幸せそうな夫婦に殺意を覚え、ついに包丁で女の命を奪った。しかしその女は、ほかならぬ自分の娘だとわかり、いわは7日7晩泣き明かした挙句に心を病み、旅人を襲う鬼婆となった。

 このふたつの由来伝説から考えられることは、この「鬼」は人が変じたものであるということです。

 鬼か般若か

 小松和彦によれば、一般に言われる「鬼」というものは人間の属性の否定形であって、じつは人間という存在を規定するために造形されたようなところがあるとされています。ところが、歴史的実在の鬼に関しては、鬼とみなされた人たちの存在がありました。「鬼の宇宙誌」を取り上げたときにお話ししたことから少し引用しておくと、鬼というのは歴史上のアウトサイダー、被差別民のことです。大和朝廷などの体制に従わない人々とは、「日本書紀」の「鬼」です。大和朝廷などの体制に従わない「まつろわぬ人」は鬼(もの)と呼ばれ、彼らの祭る神もまた「鬼神(もの)」と蔑視されていたのです。そして工人・職人=被差別民という流れから、具体的な職業で言えば採鉱と精錬すなわち金工に携わる者が鬼と呼ばれたものです。

 ところが、鬼婆伝説ではこの図式が当てはまりません。むしろ、能で言えば「道成寺」「葵の上」「鉄輪」の、人間の変貌に近い。能の「黒塚」は、もともとは鬼畜の面を付けるのが決まりだったんですが、じつは般若の面を付ける解釈も古くからあったらしいのですね。鬼畜の面は〈シカミ〉といって、この世ならぬもの。般若は〈女面〉であって、人間が変じたものです。やはり、ここは「般若」であるべきでしょう。

 もともとの鬼婆(黒塚)伝説を能の構成から解釈するならば、鬼の本性をあらわす後半の部分で、老婆は膿血流れる閨の内を露わにされたことによって、ふと戻ってきた女の羞恥心から「鬼」になったのです。

 それではこの映画「鬼婆」ではどうかというと、中年の女が鬼に変じたと解することに関しては問題ないでしょう。その変じた事情というのが問題です。生きることの苦しみと、若い嫁が去るかも知れないという孤独への恐れ・・・それ自体ではなくて、それによる妄執。そこにはおそらく認めたくはないであろう、満たされぬ性欲、そのやり場のなさ、さらにそうしたことすべてを認めざるを得ない羞恥もあろうかと思われます。

 数十年に及ぶ南北朝内乱と戦乱、これに付帯する棄民流浪の悲劇が「黒塚の鬼」を創案させたのであって、この映画「鬼婆」も含めて、さまざまなvariationを生んだ鬼婆伝説の本質もまた、落魄たる老残のみを支える執念にこそ、見出されるものではないかと思います。


(Klingsol)



参考文献

「鬼の研究」 馬場あき子 ちくま文庫
「怪異の民俗学 4 鬼」 小松和彦責任編集 河出書房新社



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