010 「明日です、先生」 梨の形をしたエリック・サティ




 エリック・サティ Eric Alfred Leslie Satie 、1970年代にブームがありましたね。お世辞にも歴史上の偉大な作曲家とは申せませんが、唯一無二の作曲家であったことに関しては、おそらく異論のないところでしょう。


サンティアゴ・ルシニョールによる肖像画 1891年発表

 伝説的な奇行、韜晦趣味、作品につけたさまざまの奇妙な題名、楽譜に書き込んだおかしな指定、詩、物語などはよく知られているところだと思います。たとえば、題名なら「干からびた胎児」。演奏指定なら「歯の痛いナイチンゲールのように」「雌豚のように重く」。楽譜に書き込まれているのは「すてきな岩だった。ベトベトしてた。笑わすなよ、苔くん、くすぐったいよ。煙草がない。幸い、おれは喫わないんだ」「演奏中にこの文章を読みあげることを禁止する。この命令に反するあらゆる行為は、その思いあがりに対する、我が正義の怒りをまねくであろう。」

 おそらくピアノを奏いているときに、肩越しにのぞき込んだひとを驚かせるため・・・? 楽譜が演奏するためだけのものではなくなっているんですね。題名だって、「月(の)光」ならいくらでもありそうだし、シベリウスのように「樹」の名前をつけた小品もめずらしいけれど、「梨の形をした3つの小品」「官僚的なソナチネ」「あらゆる意味にでっちあげられた数章」、こんなのはさすがに「音楽作品名辞典」を引いても同名異曲はありそうにもない。

 こういった要素をひとまず離れて虚心にその音楽に向き合うと、簡潔にして素朴、憂愁や皮肉もあるけれど、むしろ純情さのあらわれではないかとさえ思える虚飾のない純粋な音楽。個性的なんだか無個性的なんだかわからない単純さ。バッハにしろモーツアルトにしろ、その時代に共通する一般的な形式とか様式に支えられ、そのうえで独特の音楽が発明されている。あるいはシェーンベルクのようにその形式や様式を破壊して新たなものをつくりだしている。しかし、サティの場合は孤立していて、周囲の常識や流派とは無関係に、密室に閉じこもって仕事をしているかのよう。どこにも属さず、もちろん、サティ主義もサティ派もない。おそろしく孤独な音楽。

 じっさいのところは、グレゴリオ聖歌などの単旋律聖歌といった、中世音楽の旋法の影響があって、発展、展開よりは反復と並置。作品のタイトルはいわゆる印象派の見かけをひとひねりしたもの。それもドビュッシーのような象徴主義とも異なって、あえて名付ければ抽象主義。

 突然スコラ・カントルムに入学して自分より年下のアルベール・ルーセル、ヴァンサン・ダンディに師事して対位法を学び、無事卒業したかと思えば、いったいなにを学んだのだろう・・・ルーセルはその宿題を評して曰く、「貴君にしては穏当すぎる」「あまり皮肉な表現ばかり研究すべきではありません」

 時代は貴族階級が凋落して、ブルジョワジーがプロレタリアート化しつつある頃、芸術家の社会的地位も変化をきたして大衆化してゆこうとする時代。サティは最高の権威に習って身につけた対位法を用いて作曲に取りかかった。ところが、できあがった作品はこれまでになく嘲笑の的に。逆に、かつて無知の賜とされた過去の作品が演奏されるようになる・・・「こんなものさ、人生なんて。まったくわけがわからなくなるよ」


1924年3月(57歳)に発表されたサティの自画像

 ここで、ふたつの作品についてふれておきます。ひとつは「パラード」”Parade”、セルゲイ・ディアギレフが率いるバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)が1917年にパリのシャトレ座で上演した全1幕のバレエ。これの音楽を担当したのがエリック・サティでした。

 台本はジャン・コクトー、音楽がエリック・サティ、美術、衣装がパブロ・ピカソ。日曜日の見世物小屋を舞台に、出演者たちがテント前で客寄せのために芸を披露し、3人のマネージャーが客を呼び込むというもので、サティによる音楽にはサイレンやタイプライター、ラジオの雑音、ピストル、回転式のくじ引き装置、空き瓶やパイプを叩く音など、騒音や現実音が使用されています。ちなみにこのときの指揮者はエルネスト・アンセルメで、振付はレオニード・マシーンが担当。

 「パラード」の初演(5月18日)は、ストラヴィンスキーによる「春の祭典」以来の一大スキャンダルと言われており、「春の祭典」のスキャンダルがもっぱら前衛的な音楽によるものであったところ、「パラード」の場合は、ピカソによる幕のデザインや舞台装置など、音楽以外の要素が騒動の主たる原因となっていたようです。飛び交う野次に対抗して、モンパルナス派の画家たちはピカソを、ジョルジュ・オーリック、ジェルメーヌ・タイユフェール、ルイ・デュレ、ロマン・ロランなどの音楽関係者はサティを讃えて叫び、劇場内は騒然となったそうです。

 もう少し書いておくと、この時期コクトーはまだ無名に近く、ピカソも舞台美術ははじめての経験。仕掛人コクトーはパリ社交界に出入りして、バレエ・リュスのパトロン、ミシアなどを介してディアギレフに接近しました。上演に至るまでには仲間内でのいざこざも相当あったようで、そこにミシアが介入してかえってもめて―というよりすべてを潰されかけてしまうこともあったようです。コクトーはコクトーでミシアの機嫌を損ねないように気を遣い、ミシアはミシアでコクトーには「とても太刀打ちできない」と評していたそうなので、コクトーの才気煥発ぶりも想像できますね。だから一部の文人からはいつも除け者にされていたんでしょう。

 サティは女流画家ヴァランティーヌ・グロスという女性の崇拝者で、いつも作曲の口を世話してくれることから恩義を感じていたんですね。そのヴァランティーヌがサティをコクトーに紹介したのです。一方でコクトーはピカソと知り合って、ピカソとサティによる「パラード」の構想を描きはじめました。ピカソとサティも仲良しになって、ディアギレフがピカソに興味を示さなかったところ、「パラード」の公演が実現したのは、もっぱら個性の強い連中をまとめあげたコクトーの手腕―骨折りのおかげだったのです。


「パラード」の衣装

 もうひとつが「本日休演」”Relache”。これはフランシス・ピカビアによるバレエで、エリック・サティが音楽を作曲。これはサティの最後の作曲作品となったもので、初演はパリのシャンゼリゼ劇場でバレエ・スエドワによって1924年11月29日に行われる予定だったところ、主要なダンサーで振付も行ったジャン・ビョルリン (Jean Borlin) の急病により、本当に「本日休演」となってしまい、しかしこれもダダイストの悪質な冗談だと思った客が扉を押し開けようとして騒動になったとか。同年12月4日にようやく初演となりましたとサ。

 バレエ・スエドワとはスウェーデン・バレエのことで、短期間ではありましたが、ディアギレフのバレエ・リュスの強力なライバルとなっていた時期がありました。「本日休演」では振り付けも台本もダンサーの即興、背景には370枚もの反射鏡がはられ、ほとんど何も見えなかったそうです。最後はサティとピカビアがシトローエンに乗って舞台を一周したそうで、ええ、大部分の観客からの怒号と一部の歓声を浴びながら・・・(笑)

 この劇の幕間には映画「幕間」が上映され、これの音楽がサティによる作曲です。なんと、マン・レイ、マルセル・デュシャン、フランシス・ピカビアに混じってエリック・サティもご出演。監督は当時シュルレアリスムの影響下にあったルネ・クレール。

 映画「幕間」についてはこちらにupしてあります。

 
「本日休演」の舞台 右は映画「幕間」の撮影風景 左端がサティです。

 サティが亡くなって、サティと親しかった作曲家ダリウス・ミヨー、指揮者のロジェ・デゾルミエールほか数名に、サティの弟コンラッドから連絡がありました。兄の身の回りの品が公売に付される前の下見に立ち会って欲しい、と。そこに住んでいる間、だれも立ち入ることを許されなかったサティの部屋の扉を開けると・・・惨めったらしいベッド、名状しがたいもので覆われたテーブル一台、椅子一脚。洋服ダンスには全部同じ型の流行遅れのコーデュロイのスーツが1ダース、山と積まれた古新聞、古帽子、ステッキ。葉巻の古い空き箱には四千枚を超える紙切れ、その一枚一枚にはサティの手で奇妙なスケッチや風変わりな銘が書かれている・・・。古ぼけた、壊れたピアノ。開封されていない無数の郵便物。いや、ひとつ開封されたものがありました。その郵便物の差出人はエリック・サティ、受取人もエリック・サティ。その手紙にはこう書かれていたそうです―

「明日です、先生」


サティの墓

 私が高校生の頃、最初に入手したサティのレコードは、アルド・チッコリーニによる作品全集でした―

 
エリック・サティ ピアノ音楽全集 アルド・チッコリーニ(ピアノ)
 東芝EAC-77123-28 (6LP+特典盤1LP)


 なにせ高校生のときですから当然国内盤です。解説書には録音データが記載されていませんが、1963年から1971年とわりあい長期にかけてのパリ録音です。演奏者はチッコリーニのみなので、四手のための作品は多重録音でしょうか。特典盤にはサティの台本、作曲による一幕の喜劇「メデューサの罠」などが収録されています。この作品は、手許の音楽作品名辞典では「オペレッタ」とされていましたが、歌はなく台詞のみ、音楽はオーケストラによる劇の付随音楽です。この特典盤に収録されているのは俳優のやりとりと、チッコリーニがラムルー管弦楽団を指揮をした音楽です。仏盤ではセットが出ていないようで、バラで揃えるのはちょっと手間がかかりそうですね。

 私がもっとも好むピアニストはこのチッコリーニなので、もちろんこのレコードも好きですが、これはモーツアルト、ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、リストなど、大作曲家の作品も高度にこなすピアニストの演奏、聴衆と対話する演奏です。対して、ピアニストが自分自身と対話しているような演奏が次に出た、ジャン-ジョエル・バルビエによるセット―

 
エリック・サティー ピアノ作品集
 ジャン=ジョエル・バルビエ、ジャン=ウィエネ(ピアノ)
 1971年12月 パリ録音
 日Victor VIC-4060~4 (5LP)


 上記「サティー」「ジャン=ウィエネ」の表記及び録音年月は解説書ママ。じっさいの録音年月は1969~1971年のはず。このレコードも最初は国内盤を購入、その後以下の仏盤も入手しました―

 
仏BAM BAM5093、5111、5762、5779、5844 以上バラ5LPがスリットケースに入ったセット。セット番号はCALB64/68。

 サティに関してはバルビエがベストではないでしょうか。深刻ぶっているわけでもないのに、ひたすら内省的です。

 当時は私も結構現代音楽を聴いていましてね、高橋アキの「季節はずれのヴァレンタイン」というアルバム名のレコードを買ったらクセナキスやジョン・ケージの作品に混じってサティの「グノシェンヌ」が収録されていたり―

 
クセナキス:エヴリアリ
 武満徹:フォー・アウェイ
 ジョン・ケージ:季節はずれのヴァレンタイン、ア・ルーム、マルセル・デュシャンのための音楽
 サティ:グノシェンヌ 全6曲
 ドビュッシー:前奏曲集第2巻より 「霧」「風変わりなラヴィーヌ将軍」「月の光がふりそそぐテラス」
 高橋アキ(ピアノ)
 1976年9月6~8日 石橋メモリアルホール
 東芝TA-72034 (1LP)


 高橋アキのレコードはCDも含めてほとんどすべて聴いており、ほかにもサティの録音はあるんですが、このレコードをもってこのピアニストのベストとしたいですね。

 ほぼ同じ頃に兄の高橋悠治もサティ作品集を録音していて、これはシリーズ化されて3枚出ました―

 高橋悠治ーピアノの領域-3
 ジムノペディ I II III
 クノシェンヌ I II III
 天国の英雄的な門への前奏曲
 ジュ・トゥ・ヴゥ
 冷たい小品
 ノクチュルヌ I II III IV V
 ラグ・タイム・パラード
 高橋悠治(ピアノ)
 1976年1月28/29日 日本コロムビア第1スタジオ
 OX-7071-ND (1LP)

 サティ ピアノ作品集Vol.2 諧謔の時代より
 (犬のための)だらだらした前奏曲
 (犬のための)本当のだらだらした前奏曲
 自動描写
 ひからびた胎児
 右や左でみたこと(メガネなしでも)
 気むづかしいしゃれ者の三つのお上品なワルツ 
※「気むづかしい」は解説書ママ
 スポーツとあそび
 最後のひとつまえの思い出
 官僚的なソナチネ
 高橋悠治(ピアノ)、水野佳子(ヴァイオリン)
 1979年8月12/130日 日本コロムビア第1スタジオ
 OX-7165-ND (1LP)

 高橋悠治ーピアノの領域-11
 サティ 四手のためのピアノ作品集
 パラード
 映画(ダリュス・ミヨー編曲)”休演”のためのオーケストラ間奏曲
 梨の形の三つの小品(全7曲)
 不愉快な感じ
 場末のねえさん
 高橋悠治、アラン・プラーネス(ピアノ)、村井祐児(変ロ調クラリネット)、岡崎耕治(バスーン)
 1979年11月13/14日 荒川区民会館、1980年1月20日 日本コロムビア第1スタジオ
 OX-7179-ND (1LP)


 ひたすら自然体。飄々としている、と言いたいくらいです。高橋悠治は、この時期のBach録音もそうでしたが、聴かせるため、鑑賞するための音楽ではなくて、自らが「奏くため」の音楽なんですね。それが、とりわけふさわしいのが、BachとSatieです。

 そうそう、カナダ出身のバリトン、ブルーノ・ラプラントが次々と録音したフランス歌曲集のうちの1枚も忘れがたいレコードです―

 
Erik Satie Integrale des Melodies et des Chansons (サティ 歌曲全集)
 ブルーノ・ラプラント(バリトン) マルク・デュラン(ピアノ)
 1985年6月10-11日 St-Francoise de Sales Quebec
 仏Calliope CAL 1884 (1LP)


 ラプラントのフランス歌曲集のシリーズは、このころリリースされたサティのほか、ベルリオーズ歌曲集、ビゼー/ラロ歌曲集がマルク・デュランのピアノ伴奏、それより以前のショーソン、マスネ、グノー、シャブリエ、アーンなどはジャニーヌ・ラシャンスのピアノでした。とくにいいのはショーソンとベルリオーズですね。なかなかの美声を聴かせてくれます。

 ちなみにラプラントが来日してのリサイタルも聴きに行ったところ、本人の歌はよかったんですけどね。プログラムにはやはり歌手である奥様とのデュエットが含まれておりまして、この奥様がまるで表現ということができない、楽譜どおりに声を出しているだけのアマチュアレベルだったんですよ。やっとデュエットが終わって、やれやれと思っていたら、アンコールで再び登場して、ふたりで歌っていたのには閉口しました。

 そのほか、手許にあるレコードからいくつか紹介すると―

 マルケヴィチの「パラード」が入った「ディアギレフへのオマージュ」3LPセットは以前紹介しましたね。

 仏EMI(Pathe Marconi)から出ているオーケストラ曲の作品集では、ピエール・デルヴォーの指揮で「ジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバン」ほか、「メルキュール」「ソクラテス」などの収録されたものが2枚、オーリアコンブの指揮で「パラード」ほか、ランチベリーの指揮で”Monotones”と題されたおそらくバレエのための編曲ものなどがあります。

 少し古くなりますが、DGには若きルイ・フレモーがモンテカルロ歌劇場のオーケストラを振った「パラード」がありました。

 仏Eratoからはマリユス・コンスタン指揮アルス・ノヴァ合奏団による「幕間」「家具の音楽」のレコードが出ており、中古店でもときどき見かけるので入手しやすいんじゃないでしょうか。

 ちょっと古い国内盤では日本コロムビアからマニュエル・ロザンタール指揮フランス国立放送管弦楽団による「パラード」ほか。「パラード」はこれがいちばんいいかも。四手のためのピアノ作品集で「風変わりな美女」ほかを収録した1枚はピアノがフランシス・プーランクとジャック・フェヴリエ。

 蘭PHILIPSのラインベルト・デ・レーウのピアノによる「ヴェクサシオン」。これは同じ楽譜を840回繰り返す作品。LP1枚に35回録音されており、ジャケットには各国語で「35回演奏しているからこのレコードを24回聴けば840回だよん」と書いてあります。私はまだ24回続けて再生したことはありません(笑)

 ジムノペディ第1番と第3番のドビュッシーによるオーケストラ編曲版は特別視したいところ。ドビュッシーが他人の作品を編曲したのはこれだけなんですからね。古いところではクーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団のSP盤とLP復刻盤があります。stereo録音での私のおすすめはルイ・フレモー指揮バーミンガム・シティ交響楽団の録音です。再編集盤で3番しか収録されていない仏盤もあるのでご注意を。私が持っているなかで、2曲とも収録されているLPは英EMIのASD2989です。

 1980年代に入ると次第にブームも下火になってきて、それでもCDの時代になっても、ときどきサティの新録音は出ていましたね。CDの時代になって出たものでとくに取り上げておきたいのはチッコリーニによるピアノ作品全集、1983年11月から1986年4月にかけてパリのサル・ワグラムで録音されたもので、13曲の新発見の曲も加えられたもの。連弾曲はガブリエル・タッキーノが担当しています。

 
サティ ピアノ作品全集 アルド・チッコリーニ&ガブリエル・タッキーノ
 1983年11月~1986年4月 サル・ワグラム パリ
 東芝EMI TOCE-9741-45(5CD)


 すっかり大家の風格ですね。旧録音よりも表現意欲が増しているのに、作為を感じさせない。私はLPとCDを別な部屋に置いているので、どちらの部屋にいてもチッコリーニのサティが聴けます。とはいえ、どちらかと言えば旧録音の方が好きかな。


私がレコードを聴く部屋には額装した絵や写真が飾ってありますが、作曲家の写真はSatieだけです。

 レコード(LP)を再生した装置について書いておきます。
 今回、どのレコードもひさしぶりに聴くもの。ちょっとノスタルジックな気分に浸りたかったので、当時使っていたHarbethのスピーカー、HL Monitor MkIIIで聴きました。アンプはLuxmanのプリメインアンプ、カートリッジもortofon SPU GE、いずれもチッコリーニ、バルビエ、高橋兄妹のレコードをはじめて聴いたときに使っていたものです。こうなると、レコードもタイムカプセルですね。


(Hoffmann)


引用文献・参考文献

「卵のように軽やかに サティによるサティ」 エリック・サティ 秋山邦晴/岩佐鉄男編訳 ちくま学芸文庫
「エリック・サティ」 ジャン・コクトー 坂口安吾、佐藤朔訳 深夜叢書
「エリック・サティ」 アンヌ・レエ 村松潔訳 白水Uブックス
「音楽の手帳 サティ」 青土社
「近代・現代フランス音楽入門」 磯田健一郎 音楽之友社(ON BOOKS)