061 R・シュトラウス 歌劇「サロメ」




 R・シュトラウスのオペラはほぼすべての作品を聴きましたが、個人的には「サロメ」と「エレクトラ」が好きです。おそらく人気の高い「薔薇の騎士」はそれほどでもない。今回は「サロメ」のdiscを取り上げます。

 一幕もの、神話的題材、女性(女声)中心、生と死の対決、死の陶酔、舞踏、王家の権力争いにおける色と欲の絡み合い・もつれ合い、親子の対決・・・どこをとっても魅力的なオペラです。しかも、ここに上げた要素のすべてが次の「エレクトラ」を準備している。「サロメ」には、「エレクトラ」のホーフマンスタールによる台本の格調高さはないものの、ここにはオスカー・ワイルドの世紀末的耽美主義があります。

 とりわけ全一幕で休憩なし、前奏も序奏もなし、大オーケストラでありながら、サロメの声を考慮して低弦の使用を制限、代わりにチェレスタやハープで響きの輝きを演出、歌詞だって、白い身体、黒い髪、赤い唇と、多彩でeroticな修辞の洪水。高貴な歌詞なんか霞んでしまうヨカナーンが気の毒なくらい。まあ、「魔笛」だって、ザラストロよりもパパゲーノの方が魅力的ですけどね(笑)もっとも、こうした作曲家に霊感を与えた要素は当時賛否両論、皇帝ヴィルヘルム二世はシュトラウスもその音楽も嫌いだったので、「サロメ」を聴いた皇帝は「これであの男も評判を落とすだろう」と言ったのですが、シュトラウスは「おかげでガルミッシュに家を買うことができた」と嘯いたんだとか。まあ、歴史を繙いても、芸術分野での「革新」に理解を示した権力者なんて滅多にいませんからねえ(笑)

 ちなみにヴィルヘルム二世は失言癖で有名な人。その個人的資質のために政治体制は揺らぎ、権力も制限されることになるのですが、結果的にドイツという国の国力が削がれてしまったわけです。我が国の政治家もたいがいなところがありますが、あまりマスコミの反日報道に踊らされてもいけませんよ。ちなみにヴィルヘルム二世の末路はオランダへの亡命。もちろん、ドイツ帝国の崩壊は帝国主義的植民地争奪戦での英・仏・露との争いが直接の要因なんですが、ヴィルヘルム二世に人望がなかったことも理由のひとつでしょう。アルザスで将校が現地住民と衝突したときだって、狩りに興じていて迅速な対応を怠っている。現代の政治家も似たようなことやってますよね。無能な政治家は司馬なんとかいう幼稚な歴史「小説」なんぞ愛読書に挙げていますけどね、だれも、歴史から学ばないんですなあ(笑)

 こうして語っていたらきりがありません。こんな能書きにはだれも興味がないでしょうからこれくらいにしておいて、さっさとdiscの紹介をはじめませう―


フリッツ・ライナー指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団
ヴェリッチュ、トルボルイ、ヤーゲル、サリヴァン、ヤンセン
1949.live
MELODRAM MEL039(2LP)


 伝説的なサロメ歌手による、たいへんエロティックなサロメ。ライナーの指揮も上手い。「影のない女」のドイツ初演を任されただけのことはある。じっさい、ドナルド・キーンは「疑いなくわたしがこれまで観たうちの最高のサロメ歌い」「緩徐が発音する『リッペン(くちびる)』という単語には、ドイツ語で表せるとは夢にも思っていなかったほどのなまめかしい響きがこめられていた」と書いている。じっさい、意外なほどリリックな声。カラヤンが1977~78年に当時新進のヒルデガルト・ベーレンスと録音したときに、太鼓持ちの評論屋は、はじめて咆哮しないサロメ歌手が登場したというような提灯記事を書いていたが、あれは嘘。嘘でなければただの無知(笑)本人が知らないだけ。ちなみにベーレンスの歌はドイツ語の歌詞がほとんど聴き取れない。カラヤンの過剰なレガートに合わせたのか、もともと滑舌が悪いのか。

 
Ljuba Welitsch 体格はややポッチャリ型だが、若い頃の写真を見ると可愛らしい。


ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
ゴルツ、カレン、アルデンホフ、ディトリヒ、ヘルマン
1950.(1948.1.?)
ETERNA 8 22 868-869(2LP)


 いかにも巨匠風の指揮・・・というのは、細部にあまりこだわらないということ。よく言えば小細工がない。筋骨隆々とした逞しいオーケストラの響き。呼吸の深いゴルツのサロメも見事。


ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団
ボルク、バルト、ロレンツ、フェーエンベルガー、ホッター
1951.7.21.live
MELODRAM MEL-S106(2LP)、ORFEO C342 931I(2CD)


 カイルベルトの指揮は上記1950年盤と同様。インゲ・ボルクの鬼気迫る熱唱。


フリッツ・ライナー指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団
ヴェリッチュ、ヘンゲン、スヴァンホルム、サリヴァン、ホッター
1952.live
MYTO 2MCD952.125(2CD)


 ヴェリッチュは1949年盤と同様。ライナーが振ると、メトロポリタン歌劇場のオーケストラが一段と上質になる。舞台上の音なども聴こえてくるので、mono録音ながら臨場感たっぷり。やはりオペラはlive録音に限る。

 ところで、CDケースの写真、おそらくこの公演だと思われるが、これが映画「二つの世界の男」”The Man Between”(1953年 英)で、わずかながら観ることができる。ジェームズ・メイソン演じるイーヴォとクレア・ブルーム演じるクレアがオペラを観劇する場面で映るのが、ヴェリッチュの「サロメ」。舞台はこのCDを飾っている写真と同じものと見える。

 
左は「二つの世界の男」”The Man Between”(1953年 英)から―。


クルト・シュレーダー指揮 ヘッセン放送交響楽団
ボルク、クローゼ、ロレンツ、フェーリンガー、フランツ
1952.
MYTO 2MCD935.02(2CD)


 クルト・シュレーダーKurt Schroederは1888年生まれのドイツの指揮者、作曲家。各地の歌劇場の指揮者、音楽監督を務め、1930年頃からは映画会社のロンドン・フィルムで映画音楽の作曲も行っている。第二次世界大戦後にドイツに戻り、1946年から1953年までヘッセン放送交響楽団の首席指揮者として活動した人。ヘッセン放送交響楽団というのは後のフランクフルト放送交響楽団、現在のhr交響楽団のこと。

 放送用録音か。落ち着いた丁寧な演奏。オーケストラは上手いが、響きが厚くはなくてややクールな印象も。そのためか、音楽のテクスチャがわかりやすく、反面、歌手も熱狂的というよりは堂々とした歌唱と聴こえる。


ヘルマン・ヴァイゲルト指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団
ヴァルナイ、クローゼ、パツァーク、ブラウン
1953.6.21-25.
IGI-289(2LP)、ORFEO C503 002I(2CD)


 ヘルマン・ヴァイゲルトHermann Weigertは1890年生まれの声楽コーチ、ピアニスト、指揮者・・・というより、アストリッド・ヴァルナイの夫君(笑)メトロポリタン歌劇場で首席ヴォーカルコーチとして働いたほか、1951年から1955年までバイロイト音楽祭の音楽スタッフを務めた。もちろん、妻のキャリアを管理するだけではなく、1948年から1955年までドイツの数多くの歌劇場に客演している。

 ヴァルナイの、広い声域で均質を保つ歌は見事なもの。クローゼのヘロディアスもいい。パツァークは相変わらず下手だが、頽廃的と言えば言えないこともない。ヴァイゲルトの指揮にはこれといった特徴を感じない。ちなみに、夫唱婦随ということばがあるが、このdiscでは逆ですNA(笑)


クレメンス・クラウス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ゴルツ、ケニー、パツァーク、ブラウン
1953.
LONDON(RICHMOND) RS62007(2LP)


 録音のせいか、ややコンパクトにまとまって聴こえるオーケストラ。品のよい、整然とした響き。ゴルツの名唱はここでも。ただし1950年のカイルベルト盤の方がさらに冴えている。


ルドルフ・ケンペ指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団
ボルク、マラニウク、ウール、パスクダ、メッテルニッヒ
1960.live
MYTO 2CD00282(2CD)


 1960年、ミュンヘンのプリンツレゲンテン劇場でのlive録音。

 インゲ・ボルクほかによる緊張感ある熱唱。ケンペの指揮は上品。薄味と感じる人もいるかも知れないが、オペラ指揮者としての実力は疑う余地のないもの。全体的に音質は良好。男声は総じて弱い。


Inge Borkh この写真は1959年、ロンドンでの”Salome”


ゲオルク・ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ニルソン、ホフマン、シュトルツェ、クメント、ヴェヒター
1961.
DECCA SET228/9(2LP)


 ニルソンの声は強靱ながら、案外としなやかさも充分。ショルティに欠けているのはその柔軟性。なんだか、陰影感に乏しく、「力任せ」にあおり立てているようで、聴いているとちょっとやかましくて疲れる。シュトルツェは性格俳優ぶりで抜きん出ている。


カール・ベーム指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団
ニルソン、ダリス、リープル、シャーリー、キャッセル
1965.3.13.live
Sony Classical 88985392322(31CD)


 mono録音。

 上記ショルティ盤に欠けていたものが、ベームにはある。ソリッドに引き締まってしなやか。ニルソンのサロメなら、こちらで聴きたい。


カール・ベーム指揮 ハンブルク国立歌劇場管弦楽団
ジョーンズ、ダン、キャシリー、オフマン、F=ディースカウ
1970.11.4.live
MG9590/1(2LP)


 ハンブルク国立歌劇場における、アウグスト・エファディングによる新演出初日のlive録音。

 重厚に過ぎることなく、軽やかに舞うところもあるベームの指揮。終盤のサロメのモノローグの、徐々に高揚してゆく様は見事。時に高音が絶叫に近くなるグィネス・ジョーンズもここではあまり気にならない熱唱ぶり。あとわずか、柔軟さを求めたい。ダン、キャシリーが巧みに支えている。F=ディースカウのヨカナーンはもう少し超然としていてもいいのではないか。なんだか、如才ないビジネスマンといった感じ。


ケント・ナガノ指揮 リヨン歌劇場管弦楽団
ハフスタッド、ジョスー、デュプイ、ヴィアラ、ヴァン・ダム
1990.5.21-29.
Virgin Classics 0777 7590542 7(2CD)


 オリジナルのフランス語版・・・というのは、少々説明が必要。もともとこのオペラはフランス語で書かれたオスカー・ワイルドの原作の、ヘドヴィヒ・ラハマンによるドイツ語訳に拠っている。このフランス語版「サロメ」は他人がフランス語に訳したものではなくて、ワイルドの原作に立ち返ったものということ。この、ワイルドの原作に準拠したフランス語版は、オーケストラ部分はそのままに、歌唱部分の旋律線を変更することを基本方針として(多少声部にも変更あり)、フランス語の発音やアクセントについてはロマン・ロランの協力を得て作業が進められた模様。1907年のパリ初演はこの版によるものらしい。その後シュトラウスは、ドイツ語版オリジナルにそのまま合うように自由にフランス語訳したversionの出版も認めて、その後フランス語による上演はそちらの版が使われるようになった。やっぱりドイツ語版と同じ旋律線の方が、歌手には負担が少ないですからね。おかげでこのシュトラウス自身によるフランス語版忘れられていたところ、1989年にモンペリエ音楽祭でコンサート形式で復活上演、その翌年にリヨン・オペラでケント・ナガノが上演した、というもの。

 演奏はこの指揮者らしい、決して響きが飽和しない、透明感が特徴的。分厚い響きを排した、言わば現代風の低カロリー演奏。サロメ役のカレン・ハフスタッドも、澄んだ若々しい声が印象的。なお、念のためにことわっておくと、ケント・ナガノはわりあい好きな指揮者。それでも「七つのヴェールの踊り」の音楽は俗悪に聴こえる。好きなオペラだが、これ以後の録音で興味を惹かれるようなdiscはない。


(Hoffmann)

(参考) 本を読む 091 「サロメ」 オスカー・ワイルド 福田恆存訳 (こちら

(追記) 映画を観る 060 「ケン・ラッセルのサロメ」 upしました。 (こちら