022 「吸血鬼ドラキュラ」 ブラム・ストーカー 平井呈一訳 創元推理文庫 今回は変則的になりますが、私、HoffmannとParsifal君のふたりで分担してお話ししたいと思います。取りあげる本は、言わずと知れた吸血鬼小説の古典、ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」です。先だっての「切り裂きジャック事件」とほぼ同時代に刊行された本ということで、微妙なつながりがありそうですね。 まず前半に、私が吸血鬼についての予備知識と、吸血鬼文学の系譜をごく簡単にお話しして、後半にはParsifal君が小説「吸血鬼ドラキュラ」について語るという構成です。 それでは、最初に吸血鬼について予習しておきましょう― ドラキュラは、トランシルヴァニアに実在したヴラド・ツェペシュがモデルとなっているのですが、べつにこのひとが吸血鬼だったわけではなくて、いわゆる吸血鬼伝説と結びついて小説の主人公とされたので、吸血鬼といえば「ドラキュラ」、「ドラキュラ」といえば「ワラキアの串刺し公」、ということになってしまったのです。 ヴラド・ツェペシュはトルコと戦う龍騎士団を率いて、時の神聖ローマ皇帝からドラクルの勲位を授けられた父を持ち、その父親に由来するあだ名としてドラキュラと呼ばれ、ヨーロッパじゅうに勇名をとどろかせたワラキアの領主です。ちなみに「ツェペシュ」というのは「串刺し公」、「ドラクル」というのは「龍」または「悪魔」、「ドラキュラ」といえば「龍の子」または「悪魔の子」という意味になります。従って「ヴラド・ツェペシュ」は通称であって、正しくは単に「ヴラド」または「ヴラドIII世」です。 Vlad III 英語に”vampire”という語が入ったのは18世紀前半のことと言われています。吸血鬼をあらわす語は英・仏・独語圏では”vampire”、”Vampir”ですが、同様な使われ方をした語はロシア、スロヴァキア、セルビア、ブルガリア、ギリシアなどにもあり、それぞれの呼称が指し示すものには異同があります。「悪霊」を意味することもあれば、「人狼名称との混交」あり、「夢魔」に「魔女」と、それらのものはすべて「悪」や「異端」であって、人間の死という「境界を越えるもの」でもありました。そうした複合的なイメージを内包して成立しているのが「吸血鬼」であるということになります。 小説ではなくて、民間の吸血鬼伝説では、死者の訪問・・・死者ですから墓場からの蘇生、近隣の村落における複数の人々を襲う原因不明の突然の死、といったものがほとんどで、かなり類型化されています。 おもしろいことに、吸血鬼の文献は18世紀頃から、とくにスラヴ地方―現在のドイツ、ロシア、トルコの三国に囲まれた地域で、急激に増えています。ここには、科学の発達と啓蒙思想によって、18世紀以来吸血鬼を悪魔の仕業としてではなく、科学・医学の面から解明しようとしてきた、という構図があるわけです。言い換えれば否定するために文献が増えたということで、なんとも皮肉な話ですね。 この時期のスラヴ地方の民間伝承に登場する吸血鬼は、すでに鬼籍に入っている一般庶民が、その所属する共同体のなかで吸血鬼であると確信されるというもの。たとえば、「以前亡くなった何某が夜になるとやってくる」という被害者の証言です。つまり、吸血鬼というのは、身近な人によって発見されるもの、被害者となるのはその死者にとって身近な近親者や縁者であること、というのが原則なのです。そして死者の墓は暴かれ、退治される・・・。「生ける死体」というと、現代ではゾンビを連想する人がほとんどであろうと思われますが、もともと吸血鬼伝説における吸血鬼の定義の定番要素だったのです。このような、18世紀東欧の民間伝承においては、吸血鬼のイメージは基本的にキリスト教という宗教的な文脈のなかに組み込まれています。もちろん、キリスト教社会においては、霊魂にのみ与えられた不死の権利を肉体が獲得するのですから、吸血鬼信仰は危険極まりないものとして扱われていたわけです。だから吸血鬼の弱みは十字架であり、日光であるのですね。 吸血鬼研究のなかには、たとえば、歴史上の黒死病(ペスト)の流行と吸血鬼騒動の時期の不思議な一致を指摘しているものがあります。じっさい、吸血鬼の出現は、火葬の習慣の知られていない地域に限定されているんですね。つまり、吸血鬼はペストという流行病の擬人化ではないか、というわけです。 また、いわゆる「早すぎた埋葬」説があります。墓場や棺のなかから甦る吸血鬼は、早すぎた埋葬の犠牲者であるとする考えです。これは現代に至るまで、意外にも高確率で発生している事故だと言うひともいて、いわんや18世紀の昔における死亡診断の誤診においておや、ですね。つまり、仮死状態に陥った者を埋葬してしまい、土のなか、棺のなかで蘇生した患者が墓石を押しのけ、地上に現れる・・・あるいは、そのまま数日間苦しみにのたうったあげく、今度こそほんとうの死に至り、後に暴かれた墓のなかで、気の毒な「死者」の表情は恐怖に引きつり、棺をこじ開けようとして生爪をはがし、ぼろぼろになった死衣は血まみれになっている・・・これを見た人々は、死者が甦ったのだと誤解するわけです。エドガー・アラン・ポーの同名の小説を思い出しませんか? じっさいに、アメリカで、内部に緊急を知らせるボタンが備え付けられた棺が売られていると聞いたことがあります。まんいち蘇生した場合、このボタンを押せば駆けつけてくれるんだとか・・・。 また、土中の温度や条件によって、死体が腐敗しない(しにくい)という場合もあります。これも結構めずらしくないらしくて、死後も腐敗しない死体は、「生きている死者」、すなわち吸血鬼として恐れられたというわけです。 こうした、吸血鬼伝説を民俗学的な立場から詳しく論じた本がPaul Barberというひとの“Vampires, Burial, and Death”(Yale University Press, 1988)なんですが、これは工作舎から翻訳が出ているようですね。初版は1991年刊、原書が1988年に出たときすぐに入手していたんですが、早々と翻訳されていたんだ・・・(笑) 吸血鬼とは、なんとも魅力のある存在だと思います。犠牲者を誘惑し、首筋への接吻を介して同類を増やそうとする孤独な夜の末裔・・・と言うといかにもロマンティックですが、血を吸われた者が同じく吸血鬼になるとはどういうことなのか? 吸血鬼の側からすれば、生に近づこうとして、しかしそれは相手を死に近づける結果になるということです。一方、犠牲者の側から見れば、これは忌むべき死の伝染であると同時に、肉体の不死という特権を獲得することでもある。吸血鬼に血を吸われる者が誘惑に抗しきれず、快楽の表情を浮かべるのも当然なのです。 次に、吸血鬼文学の流れを俯瞰すると― 中世風の怪奇や幻想を主題としたゴシック・ロマンスのブームは18世紀半ばのイギリスからはじまり、19世紀になると、ロマン主義の流れから、現代の我々にも馴染みのある貴族的な吸血鬼が次々と描かれるようになります。 左はGeorge Gordon Byron, 6th Baron Byron 右はJohn William Polidori 吸血鬼小説の古典といえば、このブラム・ストーカーの「ドラキュラ」、それに女性吸血鬼の登場するシェリダン・レ・ファニュの「カーミラ」が代表作として知られていますが、ストーカーの「ドラキュラ」よりも古い、1818年に発表されたのがジョン・ポリドリの「吸血鬼」です。これはヨーロッパに吸血鬼ブームを巻き起こした作品で、少々荒削りながら、吸血鬼小説の原型と言っていいものです。日本でも昭和7年に佐藤春夫の翻訳(名義は佐藤春夫、じっさいに翻訳したのは平井呈一)が出ていて、我が国でも古くから読まれてきました。ただし、影響力はともかく、作品それ自体に文学的に大きな価値があるとは思えません。これがバイロン作と伝えられていた時代に、ゲーテが「バイロンの最上の作品」と評したというのが不思議なくらいです。もっとも、題材は超自然なのですから、ロマン主義思潮の初期にはかなり衝撃的な作品であったろうとは想像できます。同性愛の匂いの感じられるところがユニークですね。 ついでに言うと、ワーグナーに影響を与えたハインリヒ・アウグスト・マルシュナーという作曲家が、このポリドリの小説を芝居にした台本を元に、「吸血鬼」というオペラを作曲しています。今日ではワーグナーの歌劇「さまよえるオランダ人」に影響を与えたことで有名なこの作品、私はレコードもCDも持っており、ときどき聴いています。まずめったに上演されないのが残念な、なかなか魅力的な作品ですよ。これも、興味のある方はどーぞ。 吸血鬼文学に話を戻して、ヨーロッパ全体を見渡せば、古いところでは1797年のゲーテの譚詩「コリントの花嫁」が嚆矢。もっとも学者によれば、ゲーテはこの素材をハドリアヌス帝時代のフレゴンの著した「奇譚集」からとったとされています。19世紀に至ればドイツではE・T・A・ホフマンの「吸血鬼の女」、こちらは「千一夜物語」中のエピソード、「白い牝馬の主人の若者の物語」から着想を得たもの。このあたりまではポリドリの「吸血鬼」が紹介される以前か、知られはじめた時期のこと。フランスでは1819年にポリドリの小説が翻訳紹介されて以後、プロスペル・メリメの「グズラ」、テオフィル・ゴーティエの「死女の恋」、モーパッサンの「オルラ」と続き、ロシアではゴーゴリの「ヴィイ」、トルストイの「吸血鬼」、さらに時代を下ればロレンス・ダレルにロートレアモン、マルセル・シュオブなど・・・怪奇小説作家の短編まで挙げていたらきりがありません。 Johann Wolfgang von Goethe 20世紀以降のフィクションにおける吸血鬼についてはまた別のお話といたしまして、今回取りあげる、おそらく知らないひとはいないブラム・ストーカーの「ドラキュラ」は、19世紀末の1897年に刊行されて以来、各国語に翻訳されて版を重ね続けている大ベストセラーです。銀幕の世界でもF・W・ムルナウによる「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1924年 独)や、トッド・ブラウニングのユニバーサル映画「魔人ドラキュラ」(1931年 米)をはじめとして、20世紀を通じて絶えることなく新たな観客を獲得し続けてきました。原作を読んでないひと、映画を観ていないひとでも、吸血鬼といえばドラキュラを思い浮かべることでしょう。 ところがベストセラーではありながら、かつてはあくまでも西欧大衆文学の代表であって、銀幕やコミック・ブックのなかで跳梁してきた吸血鬼のこと、アカデミズムに所属する研究者などからは一向に相手にされず、そうした流れが変わってきたのは、1970年代以降のようです。とくに「ドラキュラ」執筆に際してストーカーが遺したメモが発見されて以来、研究は急速に深まり、1983年には”Oxford World's Classics(OWC)”「オックスフォード世界古典叢書」に収録されるに至って、ようやく文学史上の地位が認められたのでした。 平井呈一の翻訳について― 創元推理文庫版「吸血鬼ドラキュラ」の翻訳は平井呈一ですから、ぜひとも日本語が豊かであった時代の名調子を味わっていただきたいと思います。いまどきの新聞記事のような日本語ではありませんから、もしかしたら若い人には馴染みにくく感じられるかもしれません。その場合は、慣れるまで読んでみてください。翻訳というものは英語力ではなく、日本語力が試されるもの。翻訳は、読んでわからなければならない。しかしそれは、わかりやすくなければいけない、ということではありません。翻訳者なりのひとつのスタイルを持っているか、それがブレてはいないか、訳文にリズムや勢いがあるか、といったあたりに注意して読むことをおすすめします。 それでは、ここからはブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」について、Parsifal君に語っていただきましょう。 (Hoffmann) **************************************** Parsifalです。ふたりで分担する試みははじめてで、あるいは取りあげる本の捉え方などに多少の相違があるかもしれませんが、それがまた話の展開の糸口になれば幸いです。よろしくお願いします。 ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」について― まずはあらすじを確認しておきましょう― イギリスの弁護士事務所職員ジョナサン・ハーカーは、ロンドンに屋敷を購入したいというトランシルヴァニアの貴族、ドラキュラ伯爵との交渉のため東欧の彼の居城を訪れるが、ドラキュラの正体は吸血鬼であり、ハーカーは監禁される。ロンドンへ来たドラキュラはジョナサンの婚約者ミナとその親友ルーシーらを襲い、その血を吸って、「不死者」の増殖を図ろうとする。精神病院院長であるジャック・セワードらルーシーの求婚者たちは団結し、精神病理学の権威ヴァン・ヘルシング教授の協力のもとルーシーを救おうとするが、その努力もむなしく、吸血鬼と化して子供を襲ったルーシーの胸に杭を打ち込む。敵がドラキュラであると知った彼らは、決死の脱出の末帰国したハーカーとともにドラキュラを撃退し、さらに東欧の城までドラキュラを追い詰め、完全に死滅させる。 ―簡単にまとめれば以上のようなstory。小説の発表は1897年で、作中の年代は明記されていませんが、同時期と思われます。物語は三人称で語られ、日記や手紙、電報、新聞記事、蝋管式蓄音機への記録を記述する形式で構成されています。それぞれの記述者や叙述者の発言によって、徐々にドラキュラの企みや行動が明らかになってゆく構成で、これは当時の流行、ウィルキー・コリンズやジョン・ディクスン・カーなども採用していますね。 Abraham "Bram" Stoker この本は1897年5月26日に刊行されており、小説中では最初の日付が「5月3日」、最後の方には同年の「11月6日」のミナの日記がある。しかし何年の出来事かは書いていない。コダック、タイプライター、携帯用タイプライター、蓄音機、電報に電話といった小道具が登場することから、それらが発明された以降であることは間違いなく、とすると、この物語は1876年から1896年の間ということになります。ここでは細かい話は抜きにして、ドラキュラの事件は1881年説、1887年説、1892年説があって、しかしストーカーの創作ノートを見ると、どうも構想段階では1893年に設定されていたらしいということだけ説明しておきます。 むしろ注意すべきは、いま挙げたコダック、タイプライター、携帯用タイプライター、蓄音機、電報に電話、さらにはシャルコーの催眠術、ノルダウとロンブローゾの犯罪学、救世軍、「デイリー・テレグラフ」などといった、「世紀末」ならではの小道具・舞台装置がちりばめられているということをおぼえておいてください。 ドラキュラ物語の時代背景―外国に対する恐怖 19世紀、イギリスは帝国主義と植民地主義、すなわちと海外への進出と植民地化によって大いなる経済的繁栄を謳歌していました。しかし1880年代以降の西欧列強に対するイギリスの外交政策は「栄光ある孤立」。ここに至って、海外からの「侵略恐怖」という不安におびえることになったのです。それが、ワラキア人たるドラキュラのロンドン侵攻なのですね。 また、これまでの繁栄を支えたイギリスの軍事力は18世紀後半から進展した産業革命が可能にしたものです。だから、外国からの侵略に対して、ヴァン・ヘルシングは当時最新の科学知識と利器―速記術やタイプライター、電話、電報、コダック、ウィンチェスター銃に輸血術など―を利用するのです。これは、いまやドイツやアメリカが、たとえば鉄鋼の生産においてイギリスに追いつき、あるいは凌駕しつつあることへの不安のあらわれでもあるのです。 ドラキュラと戦う男たちは3人のイギリス人とクインシー・モリス(注:平井呈一訳ではキンシー・モリス)というテキサス出身のアメリカ人、それにオランダ人であるヴァン・ヘルシングです。じつはオランダというのは作者ブラム・ストーカーの祖先の国、最も親近感を抱いていた国です。ヴァン・ヘルシングのファースト・ネームは「エイブラハム」。ストーカー自身の「ブラム」は「エイブラハム」の縮約形(本名は「エイブラハム」でしたが、父親も「エイブラハム」であるため間違われやすいので、自身は通称「ブラム」にしていたのです)。ヒロインであるミナ・ハーカーの名は1890年に即位したオランダ女王「ウィルヘルミーナ」からとられています。 クインシー・モリスの国アメリカも、南北戦争以後急速発展を遂げていましたが、外交上軍事的脅威ではなく、人種的にも英語という公用語からも、むしろイギリスにとって親近感をおぼえる存在でした。なので、陽気で愚直なまでに男らしい、経済力もあって気前のよいクインシー・モリスはたいへん好感を持って肯定的に描かれているのです。映画などで、クインシー・モリスがいかにも単細胞で軽薄と見えるように描かれていたとしたら、原作にそう書いてあるからなんですよ(笑)また、この男がテキサス出身というのも見落としてはいけないところで、もともとテキサスはアメリカの影響力の下でメキシコから独立して共和国となり(1836年)、1845年に28番目の州として合衆国に併合されたという歴史を持ちます。このときヨーロッパ諸国はアメリカの拡大に異を唱えたのですが、アメリカの国務長官ジョン・クインシー・アダムズが唱えたのが、アメリカはヨーロッパの問題に介入しないが、ヨーロッパが南北アメリカ大陸にその政治制度を広げようとすることは拒絶する、ヨーロッパの現存する植民地は容認するが、南北アメリカ大陸を招来の植民地と見なすことは拒絶する、という「モンロー原則」です。これは当時の大統領の名であるジェイムズ・モンローからとられた名称で、裏を返せばアメリカには領土拡大の野心があることを証明したものです。それが現実化したのがテキサス併合であったわけです。クインシー・モリスのファースト・ネームはこの国務長官のミドルネームであったことに注意してください。そしてクインシー・モリスはドラキュラと戦った男たちのうちで、ただひとり、命を落とします。これはイギリスにとって自然な同盟可能国であっても、今後世界の強国になるであろうアメリカ人、ドラキュラのように金持ちであるアメリカ人、領土拡大の野心を秘め、いずれイギリスの脅威となるかもしれないアメリカ人には死んでもらわなければならない、というわけです。 ドラキュラ物語の時代背景―ユダヤ人に対する恐怖 ロンドンにやってきたドラキュラはトランシルヴァニアの土がつまった50個もの箱(映画では棺)を、各地に購入した家に分散させます。そのなかには、ピカディリ347番地というウェスト・エンドの繁華な一帯に建つ家があるかと思うと、イースト・エンドの人口過密で不潔な貧民街にも家を求めている。身を潜めるのに好都合な場所だった、ということもあるかもしれませんが、これが、当時「通り全部がユダヤ人で占められていた」と証言されている地域なのです。ここではドラキュラがユダヤ人に擬せられている、というわけです。その証拠に土を運び込んだ人夫は、家のなかで「まるでエルサレムの旧市みたいな臭い」と言っている。 ドラキュラの容貌にしても、太い眉毛と尖った歯、先端が尖った耳、幅広く力強い顎、といった描写は、ミナも言及するイタリアの犯罪学者チェーザレ・ロンブローゾの唱えた「生来性犯罪者」の特徴そのものです。そして、ドラキュラをセーケイ人としながらも、鷲鼻は典型的なユダヤ人の特徴とされていたもので、黒い口ひげ、と尖った顎ひげは、正統的ユダヤ教徒のステレオタイプをあらわしたもの。そう考えると、十字架などのキリスト教の象徴にひるみ、あいつは「悪魔」だ、とヴァン・ヘルシング教授から何度も強調されるドラキュラは、イエスを殺害した呪われた民であるユダヤ人と等価的な存在になっているわけです。 20世紀の話を先にしてしまうと、ヒトラーは「わが闘争」(1925-27)のなかで、ドイツ人を文化創造的な高等人種として、ユダヤ人を文化破壊的な劣等人種へと分類しています。ここで言うユダヤ人とは宗教ではなく人種として定義されたもので、自分の国家を持たず他の民族の国家に寄生する人種として「他民族の体内に棲む寄生虫」にたとえられている。寄生虫、病原体、すなわち他の民族国家の生き血を吸う「吸血鬼」として形象化されているのです。 では19世紀のイギリスではどうであったか。当時ユダヤ人移民はしばしば「侵略」「侵入」という明らかに反感を含んだことばで呼ばれていました。ここまでお話しした軍事的侵略に対する恐怖ではなく、外国人による「侵略」「侵入」への不安です。とくに東欧からの貧窮ユダヤ人移民は社会問題化、政治問題化していました。ヒトラーと違うのは、19世紀イギリスの人種論的反ユダヤ主義者は、むしろ人種間結婚を通じてユダヤ人をイギリス社会に「同化」「吸収」してしまえ、という考え方を持っていた・・・・というのは一般的なハナシ。しかしその実、混血恐怖というものはたしかにあって、ダーウィニズムの影響の下、後に「わが闘争」に知的背景を提供することになる優生学という新しい学問はすでに定着しつつありました。たとえばイギリス生まれの反ユダヤ主義者、ヒューストン・スチュアート・チェンバレンは、その著書のなかでユダヤ人との人種間結婚がインド・ヨーロッパ人種の血を汚し、退化した人種に変える、と言っています。また、ジョウゼフ・バニスターはユダヤ人の血というものを、汚れたものとして極度に嫌悪している。 そこでドラキュラという東欧から侵入してきた―いかにもユダヤ人的な劣等人種として描かれている外国人が、この小説のなかで行っていることは、ミナ・ハーカーの血を吸い、さらには自らの血を飲ませることで彼女の血を汚そうとすることです。フロイト派の精神分析学者に言わせれば、血液は精液と等価物であって、吸血は性行為そのものです。現に、「夢心地」でドラキュラに血を吸われたルーシーに輸血した男たちのひとりは、輸血したことで本当に結婚したかのように感じ、ヴァン・ヘルシングは冗談に、彼女が多重婚者になったと語っている。 もちろん、多重婚者というのは象徴レベルの話ですが、ルーシーは性的に奔放であり、複数の男性と性的な関係を持った堕落した女であるから、肉体に杭を打ち込まれるという処罰を受けなければならないのだ(そのように設定されているのだ)、と指摘するのがフェミニズム批評、ジェンダー批評ですね。 ドラキュラ物語の時代背景―コレラ等、病原菌に対する恐怖 さて、19世紀の初頭、1817年にそれまではインドのガンジス河流域の風土病であったコレラがインド全域に拡大、その後インド国外にも広がり、1822年には日本にも到達しています。イギリス帝国主義的支配によるさまざまな交通の活発化がコレラ菌の移動を容易にしていたのです。このときの第2次パンデミックのとき、イギリスにも到達して、最初の犠牲者が1831年に死亡、1832年にはロンドンでも発生が確認されて、その年の終わりにはイングランド、ウェールズ、スコットランドで3万人以上の死亡者数を記録することになります。このことを母親から聞いていたストーカーは、1881年に子供向けの短編小説でコレラの流行と恐怖を描いています。 じつはヴァン・ヘルシングがドラキュラの餌食となったミナについて、ドラキュラがミナを「汚した」と言うときに用いている「汚す」ということばは“infect”、これは「(疫病を)うつす」「感染させる」という意味なのです。加えて、小説中、ミナがジョナサン・ハーカーが収容されているブダペストの病院に向かう際、東欧系ユダヤ人あふれる港町、ハンブルクを経由しているのですが、ハンブルクといえばちょうど1年前の1892年にコレラが大流行したところ。その規模も19世紀ヨーロッパで最大級のもののひとつと言われるほどのものだったのです。そしてハンブルクは多数の東欧ユダヤ人がそこからイギリスに向けて出向してくる港町。かつてのコレラ流行もハンブルクからロンドンにもたらされたと言われており、1890年代においても、人々の間に新たなコレラ恐怖がかきたてられていた。つまり、恐ろしい病気は外国からもたらされるという、ここでも外国恐怖症の一形態が見られるわけです。 文明が、植民地の原始的な力によって、反植民地化される―この、経済力や軍事力も歯が立たない「原始的な力」に形象を与えるとすれば、それは超自然なのです。ドラキュラの最初の犠牲者となるイギリス人女性の名は「ルーシー・ウェステンラ」”Lucy Westenra”、すなわち「西洋の光」という意味です。それが東(欧)から侵入してきたドラキュラによって餌食とされる、これが反転した植民地化の不安の象徴なのです。 このコレラをはじめとする伝染病の原因が瘴気にあるとする瘴気説は、「吸血鬼ドラキュラ」が刊行された1890年代には否定されつつありました。そのきっかけとなったのが、「パストゥール革命」です。現代では常識となっている細菌説ですね。じつは、伝染病は生きた伝染質、つまり微細な生物によって引き起こされるのではないかという病因論自体は古くからあったのですが、接触伝染では説明できないケースがあって、非接触伝染、あるいは折衷説によって、細菌説はなかなか主流になれなかった。この状況を変えたのが1850年代、コレラで汚染された地域の水の中から特徴的な「生き物」が検出され、この生物が口から飲み込まれて、腸内で繁殖してコレラとなると結論されたときです。これを確定させたのが1880年代のコッホの研究。 その1880年代から1890年代にかけては、さまざまな病原性微生物が次から次へと発見されていった時代です。マラリア原虫、腸チフス菌、コレラ菌、ジフテリア菌、ペスト菌、赤痢菌・・・などです。これらは、当然のことに、目に見えず、嗅覚でも味覚でも感じることができない、急速に増殖して、恐ろしい、苦痛に満ちた死をもたらす・・・世紀末の人々が抱いていた細菌に対するイメージはこのようなもので、これこそ細菌恐怖の本質なのです。そしてこうした恐怖がドラキュラが表象する恐怖とも通底しているわけです。だから、ドラキュラと戦う5人の男たちには、ヴァン・ヘルシングとシュワードというふたりの「医師」が含まれているのです。彼らは、先に述べたように輸血もするし、ドラキュラのねぐらである土を「消毒」「殺菌」したりもする。この「消毒」「殺菌」こそが、この小説の時代に細菌説が一般的なものとなっていることを示唆しており、一方で、その土が黴臭いとか、あるいは腐敗した臭い、嫌な臭いと、やたら悪臭悪臭と繰り返しているところには、未だ瘴気説の名残が感じられる。すなわちこの小説が書かれていた時期が過渡期であったわけです。 ”Dracula”を読むなら― 最後に、”Dracula”をどの本で読むか、という話です。翻訳で読むならば、今回取りあげた、またHoffmann君おすすめの平井呈一訳による創元推理文庫版で結構です。 しかし英語が読めるならば、John Paul Riquelme 校訂による Bedford/St.Martin's 版をおすすめします。副題はちょっと長くて、”Complete,Authoritative Text with Biographical,History,and Esseys from Contemporary Critical Perspectives”。1897年の初版textに、Gender Criticism、Psychoanalytic Criticism、その他のCase Study、興味深くも役立つ各種エッセイが豊富に収録されています。私が持っているのは2002年の初版ですが、2016年に出たsecond editionはさらにエッセイが充実しているようです。 (Parsifal) 参考文献 「吸血鬼ドラキュラ」 ブラム・ストーカー 平井呈一訳 創元推理文庫 (完訳版) 「魔人ドラキュラ」(世界大ロマン全集 3) ブラム・ストーカー 平井呈一訳 創元推理文庫 (抄訳版) ”Dracula” Bram Stoker Edited by John Paul Riquelme Bedford/St.Martin's 「吸血鬼幻想」 種村季弘 河出文庫 ※ 文庫本で読める基本図書。Dieter SturmとKlaus Voelkerの共著による”Von denen Vampiren oder Menschensaugern. Dichtungen und Dokumente”がネタ本。ドイツ語の読める方はこちらをおすすめ。 「吸血妖魅考」 日夏耿之介 牧神社 「ドラキュラ伝説」 レイモンド・T・マクナリー、ラドゥ・フロレスク 矢野浩三郎訳 角川選書 「ドラキュラ 100年の幻想」 平松洋 東京書籍 「ドラキュラの世紀末 ヴィクトリア朝外国恐怖症の文化研究」 丹治愛 東京大学出版局 「ヴァンパイアと屍体 死と埋葬のフォークロア」 ポール・バーバー 野村美紀子訳 工作舎 「吸血鬼イメージの深層心理学―ひとつの夢の分析―」 井上嘉孝 創元社 「洞窟の女王」 ライダー・ハガード 大久保康雄訳 創元推理文庫 「四人の署名」 アーサー・コナン・ドイル 深町眞理子訳 創元推理文庫 「宇宙戦争」 H・G・ウェルズ 井上勇訳 創元SF文庫 「髑髏検校」 横溝正史 角川文庫 「吸血鬼カーミラ」 シェリダン・レ・ファニュ 平井呈一訳 創元推理文庫 「死霊の恋・ポンペイ夜話 他三篇」 テオフィル・ゴーチエ 田辺貞之助訳 岩波文庫 「吸血鬼ヴァーニー 或いは血の饗宴」 第一巻 ジェームス・マルコム・ライマー、トマス・ペケット・プレスト 三浦玲子、森沢くみ子訳 国書刊行会 「吸血鬼ラスヴァン 英米古典吸血鬼小説傑作集」 G・G・バイロン、J・W・ポリドリほか 夏来 健次、平戸 懐古編訳 東京創元社 「ドラキュラ ドラキュラ 吸血鬼小説集」 種村季弘編 河出文庫 Diskussion Klingsol:まさしく、切り裂きジャック事件とほぼ同時代なんだね。反ユダヤ主義もそうだけど、外国に対する恐怖と、西洋の没落・・・までいかなくても斜陽はパラレルな関係にあるね。 Hoffmann:大英帝国の斜陽か・・・。切り裂きジャック事件も、ドラキュラ小説も、時代と切り離せないんだな。 Kundry:引っ張り出されてきたヴラド・ツェペシュもいい迷惑ですね(笑)肖像画を見る限り、この人が夜の闇のなかから現れても、だれも吸血鬼だとは思いませんよ。 Hoffmann:貴族的なマント姿というのは、後の映画のイメージによるものなんだよ。 Parsifal:侵略恐怖については、丹治愛の「ドラキュラの世紀末 ヴィクトリア朝外国恐怖症の文化研究」を参考にさせてもらったんだけど、この本によるとライダー・ハガードの「洞窟の女王」、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズもののひとつである「四人の署名」、火星人が攻め込んでくるH・G・ウェルズの「宇宙戦争」などといったヴィクトリア朝後期の小説も、「侵略恐怖」「反転した植民地化」の不安を表象している例だということだ。 Klingsol:一方で、とくに衛生問題に関しては、コレラの流行だけじゃない、とくに貧困な階級においては下痢、赤痢、腸チフス、コレラといった病気が死亡原因としては高い割合を占めていた。これはいずれも消化器官の病気であり、汚染された飲料水から感染しやすいのが原因だよね。 Parsifal:産業革命以後、大都市の人口が増大したことで、同じ環境でより大量の飲料水を確保し供給しなければならなくなったからね。 Klingsol:ロンドンでは、下水なんてテームズ川に直接流していたわけだろう? だから、テームズ川が満潮になると、流れていったはずの汚水は、ゴミや動物の死体もろとも逆流してくる。この下水道にもぐり込んで、わずかな金目のものを拾い集めて生活していた貧困層はまさに命がけだったんだよね・・・おっと、これは「切り裂きジャック」のときにHoffmann君が説明済みだったな。 Kundry:下水処理が完備されたのはかなり後のことですか? Klingsol:活性汚泥法という微生物を利用した下水処理法が開発されて、ロンドンに最初の処理場が作られたのは1914年、20世紀になってからだね。 Parsifal:ただ、そのあたりの衛生問題は、現代の我々から見ればかなり問題だけど、当時の人たちにとっては「日常」(の一部)であって、それほど明確に意識はされていなかったんじゃないかという気もするな。 Klingsol:あと、「殺菌する」”sterilize”ということばには「断種する」という意味があることも指摘しておきたいね。もちろん、ドラキュラの血、つまり英国(女性)を穢すものを「断種」するという意味になる。ここにユダヤ移民のイメージが投影されているとすれば、20世紀のナチス・ドイツの蛮行まであと一歩だ。ヒトラーはユダヤ人のことを「民衆が感染したかつての黒死病よりももっと悪質なペストであり、精神的なペスト」であると言っている。 Parsifal:小説中の輸血の件だけど、オーストリアのカール・ランドシュタイナーが血液型とその組み合わせによっては凝集が起こることを発見したのは1900年のこと・・・ということは、ヴァン・ヘルシング教授は血液型の知識がないままに4人の男性からルーシーへの輸血をしていたんだね(笑) Hoffmann:さいとう・たかをの「影狩り」という漫画に、江戸時代のある大名の御典医が藩主に輸血をする話がある。そこでは、藩主と同じ生年月日の人間を探しだして血を抜くということになっているんだよね(笑) Klingsol:「吸血鬼ドラキュラ」が刊行された1897年といえば・・・日本で言えば明治30年だからね。 Parsifal:翻訳が出たのは第二次大戦後、それまではほとんど知られていなかったんだ。そもそも、吸血鬼に関する研究書だって、参考文献に挙げておいた日夏耿之介の「吸血妖魅考」ぐらいしかなかったんじゃないかな。念のため付け加えておくと、牧神社版は1976年に出た復刻版で、オリジナルは昭和6年、武侠社から出たものだ。 Klingsol:「吸血妖魅考」のベースになっているのはモンタギュー・サマーズ Montague Summers が書いた”The Vampire in Europe”と”The Vampire , His Kith and Kin”の2冊で、しかも弟子たちの代訳なんだよね。ちなみにサマーズはイギリスの僧侶。悪魔学はやっぱり教会の専門分野というわけだ。 Parsifal:翻訳は戦後と言ったけれど、じつは横溝正史の「髑髏検校」という時代小説が「ドラキュラ」の翻案ものなんだよね。ちゃんとタイトルに「ドラキュラ」の音を残している。これの発表が昭和14年だから1939年だ。日中戦争の激化で探偵小説が書けなくなって、時代物にはしらざるを得ない状況だったのが幸いしたというか・・・。 Kundry:戦後の翻訳というのはこの平井呈一訳ですか? Hoffmann:そうなんだけど、最初は抄訳だったんだ。東京創元社の「世界大ロマン全集」の一冊で、表題がユニヴァーサル映画の邦題と同じ「魔人ドラキュラ」、1956年(昭和31年)の刊行だ。ストーカーを選ぶとは、さすが平井呈一・・・と思ったら、訳者あとがきにこう書いてあった― 作者ブラム・ストーカーについては、不勉強の私は何も知るところがない。企画部から原書を渡され、二日がかりで息をつく間もなく読み通してみて、こんな作品があったのかと、じつは驚いた。 Hoffmann:一方で、シェリダン・レ・ファニュの「カーミラ」は1948年(昭和23年)に新月社から「死妖姫」の表題で野町二訳により出ていて、さらに1958年には平井呈一の訳が「世界恐怖小説全集」の第一巻に「吸血鬼カーミラ」の題で収録されている。フランスのテオフィル・ゴーティエの「死女の恋」は1914年(大正3年)に芥川龍之介が訳したのが初訳だし、長篇と短篇という違いはあるけれど、ストーカーが冷遇されていた、というより知られていなかったんだな。 Parsifal:それを言ったら、トマス・ペケット・プレストの「吸血鬼ヴァーニー 或いは血の饗宴」(1847年)だって、ようやく最近国書刊行会から第1巻の翻訳が出たばかりだ。原書でも入手困難なんだろう? Hoffmann:あれは、ストーカーの「ドラキュラ」の先駆けとも言われるし、扇情的なだけの際物で文学的価値はない、というひともいて・・・じつは、一度手に入れる機会があったんだけど、見送ってしまったんだ。翻訳は読んでみようと思っているけど。 Kundry:ストーカーの方はその後完訳版が文庫で出たわけですね。 Hoffmann:最初は抄訳のままで1963年に創元推理文庫に入ったんだ。このとき表題も「吸血鬼ドラキュラ」に変わっている。完訳版が出たのは1971年だな。ハマー・フィルムのクリストファー・リィ主演による映画「吸血鬼ドラキュラ」が1958年の封切りだから、抄訳版が出た2年後だね。そのあたりから吸血鬼テーマが雑誌などで取りあげられるようになって・・・。 Kundry:わかりました、だから1963年に文庫に入ったときに表題が「吸血鬼ドラキュラ」になったのですね。 Klingsol:映画の影響というわけだね。それにしても、全訳が出るまでに10年以上かかっているのか・・・。 Kundry:それでは、引き続きドラキュラ映画についてお話しいただけませんか? Parsifal:吸血鬼映画なら、Hoffmann君の方がいろいろ観ているんじゃないか? Hoffmann:ドラキュラ映画はかなりの数あるし・・・ましてや吸血鬼映画の総論は無理だなあ。いくつかのテーマに分けて、各論でやってみようか。 (追記) 映画を観る 003「ユニバーサルの怪人たち―ベラ・ルゴシ、ボリス・カーロフ、ロン・チェイニィ・ジュニア・・・ドワイト・フライ」のページ、upしましたよ。(こちら) (追記 その2) 映画を観る 004「ハマー・フィルムの吸血鬼とフランケンシュタインたち」のページ、upしました。(こちら) |