083 「中継ステーション」 クリフォード・D・シマック 船戸牧子訳 ハヤカワ文庫 「中継ステーション」”Way Station”はアメリカのクリフォード・D・シマックのSF小説、1964年にヒューゴー賞を受賞した作品です。 主人公はイノック・ウォーレス。アメリカの片田舎にある、なんの変哲もない一軒の家で暮らす男。見た目は30歳代だが1840年生まれ、リンカーンが募った最初の志願兵であった彼は124歳。 彼の家は、異星人の科学力で造られていて、同じく異星人によって設置された物質転送機があり、星から星へと旅する異星人の「中継駅」となっていた。イノック・ウォーレスは100年前からこの中継駅の管理人で、ここを訪れる旅行者との交流を楽しんでいた。知り合いになった異星人の中には、彼への手土産を持ってくる者もあった。ある時には、歓談をしていたときに突然亡くなり、ウォーレスの手によって地球に埋葬された旅行者もいた。 時代が流れ、不審に感じ始めたCIAは彼を監視しはじめ、また「銀河中央本部」からの使いは、銀河系の中でも、秩序を保つための機械「魔法装置」が盗まれ、この中継駅の存続に関しても問題が生じていると言う。さらに、かつてここで亡くなり、イノックが埋葬した異星人の遺体が盗まれた・・・。 Clifford Donald Simak 事件は起こるのですが、息つく間もないような展開とは無縁で、ほのぼのとして牧歌的、全編にわたって静けさの漂う特異なSF小説です。どことなく、イギリスあたりのマイナー・ポエットのような作風なんですが、舞台となるのはアメリカの片田舎。たしかに、広大なアメリカでなければ成立しない舞台設定ですね。 登場する異星人ユリシーズ(イノックの命名)、霞人間、すなわちイノックが訪問を楽しみにしているヴェガ星人、それに転げ回って気持ちを伝えあう、わずかな時間いっしょにいるだけでたいへんな友情を示す、性別もあるのかないのか分からない異星人・・・どのキャラクターも魅力的で、もちろん人間の尺度で測ることはできませんが、それを受け入れるイノックの対応ぶりがまた好感が持てるのですね。 「銀河中央本部」などということばが出てきますが、別にその一員が登場したり、指揮官があらわれたりするのではなく、イノックをこの中継駅の管理者にスカウトした異星人の説明によって、状況が知らされるだけです。ですから、困難な事態に立ち至っても、ハラハラするよりは、運命の赴くままに身を処すしかないのかな、と感じてしまうんですね。それは、常にこの物語の背景にのどかなアメリカの田園地帯が広がっていることを意識していられるからでしょう。storyの展開にかかわらず、そのようなatmosphereを漂わせ、保ち続けていられる小説というのは、これは稀なのではないでしょうか。 問題の解決はやや安易というか、単純なのですが、そこは個人的には許せます。むしろ、それに続く最後のシーンは、なんとも切ない諦観が、決してsentimentalにならず、全人類をひとりで代表しているイノックが日々の仕事に戻ることであらわされていることに感動を覚えました。 (Kundry) 引用文献・参考文献 「中継ステーション」 クリフォード・D・シマック 船戸牧子訳 ハヤカワ文庫 Diskussion Parsifal:たしかに、いい小説を読んだなと思えるね。 Hoffmann:アメリカのSF映画だと善悪の基準とかが、なにからなにまで人間・・・というよりアメリカ人と同じなんだけど、小説はそこまで都合主義ではないよね。 Klingsol:結末が安易だという批判はあるらしいけど、これはその事件を描こうとした小説ではないよね。 Kundry:そうなんです。描いているのは主人公であるイノック・ウォーレスの内面なんですよ。 Parsifal:1840年生まれで124歳だから、小説は1964年の設定か・・・さすがに124歳ともなれば精神的には成熟しているよね。 Hoffmann:さまざまな異星人がこの中継ステーションを訪れてきたにしても、孤独だよね。デイヴィッドとメアリーは・・・あ、これはKundryさんもあえてふれなかったから話さない方がいいかな。 Kundry:かまいませんよ(笑) Klingsol:ちょっとだけバラしてしまうと、imaginary friendではない。それ以上の「存在」だ。 Parsifal:ちょっと、スタニスワフ・レムの「ソラリス」を思い出すね。 Hoffmann:いわゆるvirtual realityに関してだけどね、virtual realityのなにがいけないんだ? かつて政府の諮問機関のメンバーが教育によろしくないなんて提言していたけど、それを言っているのが作家の曾野綾子なんだよ。まあ、本人がろくでもない小説しか書けないからそう思うんだろうな。 Parsifal:曾野綾子って、いじめを苦にして自殺した中学生を、「自殺した被害者は、同級生に暗い記憶を残したという点で、彼自身がいじめる側にも立ってしまった」なんて、異様な、なんともグロテスクな理屈を振りかざして断罪しているんだよね。いじめをした側はたいがい、他人の痛みなんか分からない連中だと思うが、いちばん他人の痛みが分からないのは曾野綾子自身だ。 Klingsol:曾野綾子は自殺した被害者を、もう一度、殺したんだ。 |