101 「ゴーレム」 グスタフ・マイリンク 今村孝訳 河出書房新社




 グスタフ・マイリンクは1868年ミュンヘンの宮廷女優の庶子としてウィーンに生まれたひと。本名はグスタフ・マイヤーGustav Meyer。父親は小国ヴュルテムブルクの国務大臣カール・フライヘル・ヴァルンビュラー・フォン・ウント・ツゥ・ヘミンゲンという恐ろしく長い名前の人(笑)プラハの商業大学を出て後、友人と二人してMeyer und Morgensternという洒落た名前の銀行を設立。

 この少壮の銀行家は昼間は帳簿を前に仕事に励み、夜になると旧いプラハのユダヤ人街をうろついて、怪しげなオカルト本を読みふけっていました。とくに神秘学と東洋学に強い関心を抱き、神智学研究団体「青い星」を設立してH・P・ブラヴァツキーの教理を研究し、ルドルフ・シュタイナーとも個人的に親交を深めていたようです。おかげで新聞に「彼は銀行業務に心霊術を弄している」などと書き立てられ、とうとうある日警察に逮捕されてしまいます。もっともこれは冤罪で、士官の娘との結婚話がこじれたのが原因であるとは当人の弁。ともあれ、拘置所に入れられるなどしたおかげで事業に行き詰まり、やがて銀行を閉じてミュンヘンへ。ここで風刺雑誌「ジムプリチシスム」のメンバーとなります。もともとの「マイヤー」という平凡な名前を母方の先祖の名「マイリンクMeyrink」に改名したのはこの頃。


Gustav Meyrink

 最初に「ジムプリチシスム」に掲載されたのは「灼熱の兵士」。これは当初狂人の作品と思われて没になりかかったところ、社主の眼に止まって掲載されたもの。野戦病院に担ぎ込まれてきた、外人部隊に所属していたボヘミヤ出身兵ヴェンツェル・ツァヴァルデルは全身無傷でありながらの体温は41度2分。それが49度になり、54度、80度に。アイロンのように湯気をあげ、周囲にあったものは炭化しはじめ・・・という話。

 この「灼熱の兵士」を含む初期の作品は、ロマン派のアルニムとブレンターノが編纂した「少年の魔法の角笛」をもじった、「ドイツ俗物の魔法の角笛」という表題のもとにまとめられています。これはユダヤ人をモデルにして奇人・変人・人生の落伍者や犯罪者を描いた作品集・・・としている解説もありますが、これは逆で、そうした連中のよき理解者として、堅気の市民、すなわち金と出世しか念頭にない「俗物」どもを憎み、これを風刺する短篇集の表題であるとご理解下さい。そうしたテーマから、プラハ時代が無駄にはならなかったということが分かりますね。そのプラハで親しんだのであろう「ゴーレム伝説」をモチーフにして書いた長篇小説が「ゴーレム」です。1915年の刊行以来、10年間で22万部を売ったというベストセラー。舞台はプラハのゲットーで、古い民間伝説、すなわち「ゴーレム伝説」を借りて、これを自在に変形、というよりその意味するものを利用しています。

 ゴーレム伝説というのは耳にしたことがある方も多いでしょう。12世紀あたりのカバラ学者の記録に現れたのが最初。神から流出する10の数があらゆる存在の基礎となり、22のヘブライ文字がその形態を創るといった教え。具体的には、ポーランドのユダヤ人はある種の祈りを捧げながら粘土で人型(ヒトガタ)をつくり、この人形に向かって奇跡をもたらす神の名を唱えると、生命を得て動き出す。ゴーレムは話すことはできないものの、人間の言葉は理解して、命じられたことは忠実に行う。ところが日ごとに巨大化して、ときには救済を、ときには災厄をもたらすこともある・・・と、これはゴーレム伝説の、伝承のひとつ。そもそもが何世紀にもわたる伝承で、さまざまなヴァリアントがあるんですよ。

 グスタフ・マイリンクの小説では、ゴーレムは33年ごとにプラハのユダヤ人街に現れるという、いわばゲットーの集合的霊魂の象徴であり、同時に主人公のもうひとつの自我です。しかも、このゴーレムは小説のなかには登場しない(!)。夜、眠りしなにブッダの伝記を読んだ主人公は夢のなかで宝石細工師に転生、ユダヤ経典の修繕を依頼されるが、その「イブルの書」の持ち主が伝説の泥人形ゴーレムではないかと考える。濡れ衣で殺人の罪を着せられた主人公は、獄中で囚人仲間を霊媒に使ってゲットーの律法学者の娘達と連絡を取り、釈放の後、律法学者の娘である恋人を探すが、ゴーレムを置いてある建物で火事にあい、壁伝いに脱出を図るも落下、そこで夢から覚める・・・。

 いかがでしょうか? 「わけわかんらん」という声が聞こえてきそうですね(笑)さまざまな生き方が最後の炎によって合一を見るということなんでしょうか・・・。ちなみに33年周期説というのは、「永遠のユダヤ人、アハスヴェール」の投影が指摘されており、その33という年数はイエスの享年です。

 研究者の説によると、一見カバラ神秘学と見せかけておいて、じつはその背後にあるのはインドの救済思想であって、霊媒術の影響が大きいということです。というよりこの小説、古今東西の神秘思想のオン・パレード。このあたりは、正直言って、解説してもらわないと、とくに我々日本人にとっては難解と言わざるを得ない。もっとも、オン・パレードなんて言うと聞こえが悪い。ここに影響や親近関係が見られるカバラの思想はもとより、グノーシス派にせよ、道教にせよ、ひとくくりしてしまえば、現実世界を超越的・神的なるものの下降発現として捉える形而上学です。もちろん、人間の魂が肉体を離脱して神の下降の道を逆に上昇してゆくのが魂の浄化を求める宗教的解脱思想です。したがって、この小説は主人公の発展小説であるという見方もできます。導き手であるものがカバラや神秘学の様相を纏っているのでわかりにくくなっているだけのこと。

 つまり、ここではゴーレムというのは自己を見出していない人間のことで、だから主人公はゴーレムと同一化している。主人公が未だ未成熟な人間であるということです。小説のなかで円もしくは輪を描くという表現がたびたび出てくるのは、輪廻や循環の思想のあらわれでしょう。もちろんこれはカバラや錬金術においても重要な思想のひとつです。

 また、主人公が監獄から釈放された後、火事に際してロープを掴んで壁伝いに逃れようとして落下するとき、「一瞬のうちにぼくはまっさかさまになり、両脚を交差させて、天地のあいだに宙吊りになる」という描写があります。これはタロー(タロット)・カードの12番目の札「吊された男」のimageです。このカードは、正位置では自己の中の新たな視点が生まれるということを意味しています。ひとつ前の「正義」のカードの段階で、罰を受けるジャッジを下されて、その判決を受け入れた心には静けさが訪れ、新たに生まれ変わろうとしているということ。次に続く「死神」のカードとの関連では、新たな視点から物事を見つめることで、自己の内面にある変革の種を見つけ出すことができるという意味をあらわしている。つまり、魂の浄化過程の最後の段階。ここで夢から覚めるというわけです。


「吊された男」

 そうした物語の意味内容を解き明かすこととは別に、なんとも独特の雰囲気を漂わせる旧いプラハのたたずまいはたいへん印象的です。それは刊行当時、すなわち同時代の読者にとっても同様だったらしく、作家のフランツ・カフカも友人グスタフ・ヤノーホに「古いプラーハのユダヤ人街の雰囲気が見事に捉えられています」と語っているんですよ。


(Klingsol)



引用文献・参考文献

「ゴーレム」 グスタフ・マイリンク 今村孝訳 白水uブックス


「カフカとの対話 手記と追想」 グスタフ・ヤヌホ 吉田仙太郎訳 筑摩叢書




Diskussion

Parsifal:サイレント期のパウル・ヴェゲナー主演の映画「巨人ゴーレム」(1920年 独)を観て、それで期待して読むとびっくりしてしまいそうだ(笑)

Hoffmann:この小説の発表は1915年、映画もじつは第一作目が1915年に完成しているんだ。だからドイツでもこの小説と映画を結びつけている人がいる。でも、ゴーレム伝説を利用しているということ以外、内容は関係がない。ちなみにヴェーゲナーの「ゴーレム」は3本作られていて、1915年の一作目「ゴーレム」"Der Golem"はfilmが現存していない。二作目はちょっとコミカルな「ゴーレムと踊り子」"Der Golem und die Tanzerin"(1917年)でこれもfilmは残っていないらしい。いま、一般的に観ることができるのは、三作目の、原点に還った「巨人ゴーレム」"Der Golem, wie er in die Welt kam"(1920年)だ。

Kundry:「フランケンシュタイン」に続けて取り上げられたので、人工生命のお話かと思ってしまいました(笑)

Parsifal:かなり寓話的だよね。

Klingsol:マイリンクはユダヤ教、キリスト教徒同様に仏教や道教をはじめとする東洋思想にものめり込んで、1927年には大乗仏教徒に改宗している。そうして「無」への接近による解脱法に取り組んだのが長篇「緑の顔」"Das gruene Gesicht"だ。これは佐藤恵三訳で創土社から出ていた。同じ頃に発表された長篇「西の窓の天使」はオカルト小説で、主人公がなんと16世紀の錬金術師・降霊術師ジョン・ディーが乗り移るという話だ。人間は思念の創造主なのではなく、その奴隷に過ぎない、というのがマイリンクの考えだったんだ。ひとりの人間の意識のなかで「過去」と「現在」が同時進行するという手法の小説だよ。もちろん、東洋思想も取り入れられている。これも佐藤恵三と竹内節の訳で国書刊行会から出ていたね。

Kundry:うかがっていると、どちらも、この「ゴーレム」より難解そうですね。

Hoffmann:もしも「西の窓の天使」を取り上げるなら、ジョン・ディーやその周辺に関する解説も必要になるだろうね。じつは、グスタフ・マイリンクの小説は、何冊か原書を取り寄せて読もうとしたことがあるんだけど、初期の短篇はともかく、長篇はなかなか骨でね、チベットのことばまで出てくるものだから、途中で音を上げてしまったんだ(笑)

Kundry:それでは、とりあえず先ほどお話に出た、ドイツ表現主義映画を取り上げていただけませんか?