112 「河童の三平」 (貸本漫画傑作選 第14、15、16、17巻) 水木しげる 朝日ソノラマ 「水木しげる 貸本漫画傑作選」はその表題どおり貸本屋用の漫画として書かれた初期の作。後の雑誌連載版は同じ「河童の三平」の表題で、ちくま文庫から一巻もので出ています。貸本のほうがタッチが荒く見えるかもしれませんが、これはおそらく写真製版の影響もあると思われます。storyに関しては、基本的に大筋は同じです。 水木しげる なお、貸本版には最後に― 「この物語は利根川べりに伝わる『三平こう』という河童直伝のこう薬にまつわる伝説から取材したものですが色々な作り話を入れてあめのようにひきのばしたものです。どうも長い間御愛読下さつてありがとうございました。さようなら。(水木しげる)」 ・・・とあります。 これは江戸時代の天明年間(1781~1788)のころ、上岩瀬の真木了本という医者が、江戸からの帰り、現在の茨城県龍ケ崎市にある牛久沼(名前は牛久沼だが牛久市ではない)のほとりまでやってきたところ、小さな指のようなものを拾った。それからしばらく経ったある夜ふけ、真木家の戸をたたく者があり、おそるおそる戸を開けてみると、人の形をした変わった生き物が立っていた。「私は牛久沼にすむ河童です。誤って指を折ってしまい、どこかへなくしてしまいました。河童は指を一本失うとうまく泳げません。あなた様がそれを拾ったことを知りました。どうぞお返しください」「カッパは切り落とした指をつなぐことができます。もし返していただけましたら、傷によく効く薬をつくる秘伝をお教えします」と言う。了本が指を返してやると河童は涙を流して喜び、姿を消した。 それから二、三日後、再び河童が現れ、傷薬のつくり方を教えてくれた。この薬は、はれ物ができたとき、うみを吸い出すのに大へんよく効き、「馬が井戸さおっこちたとき、むしろへ膏薬をぬってふたをしたら、馬が吸い上げられた」という笑い話になるほどの効き目で、「岩瀬万能膏」といって有名になり、代々真木家の家伝薬となった。 ・・・という伝承のことでしょう。この牛久沼が利根川水系なんですよ。また、この牛久沼には、悪さをする河童を捕まえ松の木にくくりつけたところ、改心したので逃がしてやると、河童が草刈りをしてくれた、という伝承も残されています。 「貸本漫画傑作選」は全20巻。「悪魔くん」「墓場鬼太郎」「鬼太郎夜話」そのほか、ラヴクラフト、アーサー・マッケン、デニス・ホイートリーなどの小説やハマー映画などを翻案した作品もあります。どれも巧みに日本の風土に移植されているのですが、「河童の三平」はとりわけ我が国の土着のimageが色濃くあらわれているものといっていいでしょう。 昭和天皇も登場します。 とにかく、水木しげるの作品、とりわけ「河童の三平」の登場人物は飄々としているのが最大の特徴。一応悩んだりもするんですが、苦悩するよりは運命を受け入れてしまう。たとえば祖父の死とか自分の死に関しても、受け入れざるを得ないことを承知した上で、困ったなあ・・・という調子なんですよ。これはやはり戦中派として戦地で死線をかいくぐってきた体験故なのでしょうか。 河童に死に神、タヌキ、小人などが登場しますが、どこか日常的です。エンマ大王に仕えて死んだ人間の魂をあの世に案内する係(サラリーマン)である死に神は、頭こそ髑髏なんですが、法衣のようなものを纏って上顎と下顎が少しずれている中年男で、キャラクターはねずみ男。三平に、お前はもうすぐ死ぬよと「親友として、忠告」し、「死への手引き」なる本を貸してやったりもする。そのうえさんざん失敗して、妻子ともども三平の家に転がり込んで居候。もっともこれは家族ぐるみの演技で、最後は崖から落ちて死んだ三平の魂をめでたく地獄に連れ去ることとなるのですが、なんとも憎めない、馴染み深いキャラクターとして描かれているんですね。 河童のかん平に至っては、なにしろ三平とそっくりですから、黙っていても親しみがわいてくる(笑)おまけに三平とさんざん冒険したあげく、崖から落ちて死んだ三平の代わりに小学校に通っています。はじめのうちは諍いばかりしていたタヌキもなにくれとなく協力してくれるうえに、三平のために涙を流しています。 親子三代が死に、三平の身代わりとなって小学校を卒業した河童のかん平も去ると、母親とタヌキだけが残されます。明るく楽しくはないのですが、そこはかとないほろ苦いユーモアと一抹の寂しさが漂うラストシーンも、sentimentalにはならず、飄々と迎えられます。 ラストシーン。 近世以降、伝えられる河童の特徴には、人を水中に引き入れるという行動(攻撃)がありますが、これは中世の蛇、近世同時代のスッポンなどの行為を反復しているものです。このほかに、河童は人ばかりでなく馬に執着を示し、捕らえられると謝罪する、または祟る。謝罪した場合は手接ぎ薬の秘法を伝授する、あるいは宝物を贈る。このほか、人に相撲を挑むことがある、女性を犯す、尻を撫でる、なんていうのもあります。 これは中世末期から17世紀いっぱいにかけて、さかんに進行した水利工事により、溜め池と用水路が数多く造成されたことに起因するのではないかと言われています。じっさい、河童の人引き、闘争の伝承は、内陸及び低地の人工灌漑の整った地域に分布しており、たいていその川筋に位置するところに見られる。堰による人工的な川淵が形成されると、その堰は泳ぐ子供のいたずらで簡単に崩壊してしまう程度のものであったので、河童の存在は水泳禁止の口実であったというわけです。もちろん、岸辺や浅瀬がいきなり背の立たない深みに接している場合などは、子供の溺死を招くこともあったでしょう。それがまた、恰好の河童出現場所になったわけです。もしかしたら少年や幼児を水遊びに誘い、結果としてその水死を招いた年長の少年の姿も河童imageの根源のひとつかもしれません。 しかしながら河童も妖怪の一種であれば、小さな川や人工水路で、人間によって管理されることに安んじてはいられない。だから、反抗する。そこから、攻撃→敗北または捕縛→帰順という定型ができた。河童が馬に執着するというのは、折口信夫によれば地位の低い神が馬を羨望して取ろうとして失敗した話だということになりますが、石川純一郎は水神=田神への馬の供犠が根拠であろうとしています。これが柳田國男の説になると、馬を水神に供える儀式が、農民により誤って解釈され、馬の災害を防止する手段と考えられるようになり、結果、馬の神も水辺に居着くことになった、同時に水辺の神は人を引いたりすることがあるので、凶神とも理解されて、やがて河童となった、とされています。この河童が馬引きに失敗して捕縛され、助命を乞うようになったのは、水神から妖怪へ、それもあまり格の高くない妖怪に変じた、と見なすことも出来そうです。 河童の手接ぎ秘薬の話は、柳田國男によれば、「太平記」における、渡辺綱が鬼の手を切って、頼光に預けていたところ、鬼が取り戻しにきたという説話の延長線上にあるものとされています。ところが、手接ぎのモチーフは、もともとタヌキを主人公として成立しており、これが河童に転移したらしい。タヌキ伝説が河童伝説に取り込まれたのですね。秘薬に関しては、戦国時代に武士の間から金瘡医と呼ばれる医師の諸流派が生まれ、この金瘡治療のひろがりがあったことと関連しているようです。金瘡とは刀槍銃などの武器による創傷のことです。なかには切り落とした腕をつなぐ秘法を記した写本もあり、もちろんそんなことは不可能なんですが、これがまずタヌキの、やがて河童の手切りと結びついた可能性があります。 ところで、天狗はヨーロッパの天使だという説があり、井上円了によれば日本の妖怪の7割が中国から輸入されたものだということになっています。つまり、縄文、弥生のころに一気に来て、さらに江戸時代にどっさり来ていると。それでは河童はどうか。河童というのは日本独自に発達したものなのか・・・中国には河伯というのがいるんですが、この河伯が日本の河童かどうかは分からないとされています。 ヨーロッパの水の精、オンディーヌやギリシア神話のニンフなどは、我が国の河童のように、人間を水の中に引き入れるという性格を持っていましたよね。正確に言えば水の精は妖精ではないのですが、日本で妖精、すなわちフェアリーといえば妖怪のことではないかと思います。ところが、どうも我が国にはフェアリーのようなimageの美女・裸女の妖怪は少ない。 J・W・ウォーターハウスJohn William Waterhousの「ヒュラストとニンフたち」(1896年) ところが、これはたいへんめずらしいのではないかと思うのですが、美少女の河童らしきものが現れた例があります。富山県の越中国に伝わる話で― 安永4年(1775年)8月に高月村の住職が、早朝、今井川の川縁でひとりの可愛らしい少女を見た。身の丈は2尺(66cm)、光を放っているようで、美麗で可愛らしい、髪飾りにかんざしを付けている。「両脚、甚だ露はれ、着物は腰の廻りと覚ゆ」とあるのは、ミニスカートみたいなものか。少女は恥じらうような微笑を浮かべていたが、商人3人の話し声が近づいてくると、音もなく水中に消えて、それきり出てこなかった。僧は寺へ戻ると2、3日寝込んでしまった。その後近在の神社の神主にこのことを話すと、神主は「それは河伯でしょう。河伯は水霊の類にしては幼童のようだといわれております。『日本書紀』なる書には海神を少童(わだつみ)と記しておりますゆえ」とこたえた。 ・・・というもの。このあと、淵底から鈴音を聞くのも、このような水の精の河伯が集まって、踊り遊んでいるのだろう、と続きます。もしも河伯が河童だとすると、美少女の河童ということになって、これはかなりフェアリーのimageに近くなりますが、やっぱりこの河伯が日本の河童かどうかは分かりませんね。 水木しげる (おまけ) 昭和43年(1968年)、NET(現・テレビ朝日)で放映された「河童の三平 妖怪大作戦」の第一話「妖怪水鬼」、第二話「人喰いマンション」から―。主演は金子吉延、河童の六兵衛が牧冬吉、カン子が松井八知栄。漫画版とはまったく異なるstoryです。 (Parsifal) 引用文献・参考文献 「水木しげる 貸本漫画傑作選 14、15、16、17巻 朝日ソノラマ ※ 第14巻「河童の三平 1」、第15巻「河童の三平 2」、第16巻「河童の三平 3」、第17巻「河童の三平 4」となっています。 角川文庫の「河童の三平 貸本まんが復刻版」上・中・下 Kindle版で読めます。 「河童の三平」 水木しげる ちくま文庫 「河童の日本史」 中村禎里 ちくま学芸文庫 「怪異の民俗学3 河童」 小松和彦責任編集 河出書房新社 「柳花叢書 河童のお弟子」 東雅夫編 ちくま文庫 「河童の三平 妖怪大作戦」 VOL.1、Vol.2(DVD)はまだ入手可能です。 シーズン1のamazon prime videoはこちら Diskussion Hoffmann:水木しげるかあ・・・コウイウモノニ、ワタシハナリタイ。 Kundry:やはり貸本漫画時代の作品にはとりわけ印象深いものがありますね。たしかに、ラヴクラフトやマッケンの翻案がありました。 Klingsol:たしか雑誌連載版の「ゲゲゲの鬼太郎」には中国の妖怪、水虎も登場していたね。 Kundry:水虎=河童と見ていいんですか? Klingsol:水虎は中国由来で、我が国では「本草綱目」あたりで取り上げられて知られるようになったんだけど、どうも「河童」のような川にいるとされる存在の総称とされていたみたいだね。「本草綱目」を引用した「和漢三才図会」では、「水虎」と「川太郎」(河童)を別項目にしているんだ。 Parsifal:河童に関するテーマとしては、キュウリだとか、被差別民や水虎との関連とか、いろいろあって、話し始めるときりがない。いまは、入手しやすい参考文献として、中村禎里の「河童の日本史」(ちくま学芸文庫)を挙げておこう。小松和彦責任編集の「怪異の民俗学3 河童」(河出書房新社)も参考になる。 Hoffmann:それなら、「柳花叢書 河童のお弟子」、泉鏡花、柳田國男、芥川龍之介の河童関連のアンソロジーも付け加えておきたいな。民俗学と文学を融合させる試みだ。編者は東雅夫、ちくま文庫だよ。附録の、柳田國男や泉鏡花が参加している座談会も、貴重な上にたいへんおもしろい。 |