117 「二十世紀の神話」 アルフレート・ローゼンベルク 吹田順助・上村淸延訳 中央公論社 「第二次世界大戦の起源」 アラン・ジョン・パーシヴァル・テイラー 第一次世界大戦はいつ始まっていつ終わったのか。これは簡単。1914年7月セルビアの一凶徒が放った弾丸にはじまり、1918年11月のドイツの敗戦をもって終わった。これを疑う人はいない。 しかし第二次世界大戦となると、これがはっきりしない。歴史上、もっとも難解な戦争と言われる由縁です。中国は1931年9月(満州事変)にはじまったとしている。エチオピアにとっては1935年10月(イタリア進攻による第2次エチオピア戦争勃発)。ヨーロッパ全体は概ね1939年9月(ドイツのポーランド侵攻)ととらえており、ソ連では1941年6月(ドイツ軍のソ連侵攻)、アメリカならば1941年12月(日本軍のハワイの真珠湾奇襲攻撃)ということになる。 終戦時、ニュルンベルク裁判の立場はヒトラーを、「東方帝国」の形成を目的として、オーストリア併合、チェコスロヴァキア解体、ソ連侵略を実行した戦争犯罪人ととらえて断罪したわけですが、これが現在でも歴史の教科書に載っている「客観的歴史」。 ところが、ヒトラーとはこうした正統史学の立場から断罪されるような一貫した戦争仕掛け人であったのかと疑問を呈したのが、たとえば「第二次世界大戦の起源」(吉田輝夫訳 中央公論社)を著したA・J・P・テイラー。テイラーによれば、ヒトラーはヴェルサイユ条約の屈辱を打破してドイツに相応の地位を回復させようとした政策の代表者であった、ということになります。そしてヨーロッパの政治家たちの無能さにつけ込んだ山師であると―。 この本が出版されたときにネオ・ナチが大喜びしたそうですが、べつにヒトラーを擁護しているわけではないんですよ。じっさい、敗北・破滅してるじゃないですか。そもそもネオ・ナチなんてものがいまでも大きな顔をしていられるのは、ヒトラーが神話化しているということであって、その原因のひとつは、ヒトラーに関することなんでもかんでもタブーにしてしまっていることにあるのではないかというのは、以前ここでHoffmann君がお話ししたとおり。 その意味では、A・J・P・テイラーも、ヒトラーを矮小化してしまっているのではないかと思います。ナチズムはそんなにチャチなものだったんでしょうか。いや、A・J・P・テイラーなんて余程まともな方でしてね、いちばん呆れたのが、これは日本の研究者の書いた本でしたが、ナチズムとは「イチビリズム」だと定義している本がありました。“イチビリ”は関西で「ふざけてはしゃぎまわる、調子にのる」といった意味の方言、大阪弁ですね。私は大坂人が大好きなので“イチビリ”を貶めるつもりはないんですが、ナチズムが“イチビリ”ですませられる問題のわけがないでしょう。相手を自分の土俵にまで引き下ろして論じておいて(ついでにマウントをとってみせて)満足できるような人は、研究者とは言えません。 ナチズムは20世紀の悪夢でしたが、単に人類史の汚点として記憶されるというだけですまされるものではありません。むしろ、目には見えない形で、いまも、厳然と、あるいは神話化して多くの人々の深層にうずくまっているものだと思います。 ヒトラーやナチズムに関する文献は厖大なものがあり、いまも続々と刊行され続けています。それでも、やはり古いところに、基本図書があるものです。 「わが闘争」 アドルフ・ヒトラー ヒトラーの自伝「わが闘争」は2015年に著作権が失効したため、2016年1月に解説や約3,500の註釈を付けて、ドイツ終戦後はじめて再刊されたのですが、これが1年間で8万5千部を売り上げています(もっとも1933年に出版されたときには、1945年までに1,200万部を売っているんですけどね)。我が国では最初抄訳版が出て、戦後に完訳版が出ました。しかしながら、これは書かれたのが初期の段階であり、しかも歪曲が多いので、別に事実に基づくヒトラーの伝記と併読する必要があります。 「ヒトラーとの対話」 ヘルマン・ラウシュニング 同時代の証言という意味では、ヘルマン・ラウシュニングの「ヒトラーとの対話」(船戸満之訳 学芸書林 1972年)があり、これは「永遠なるヒトラー」の表題で(船戸満之訳 八幡書店)で1986年に年表及び写真を追加して再刊されています。ただし、原題は"Gespraeche Mit Hitler"ではあるものの、内容は1932年から1934年までのヒトラーの談話に基づくラウシュニングのヒトラー論、すなわち同時代のラウシュニングの証言ということ。そのラウシュニングはヒトラーの腹心でありながら、ナチズムの危険性をいち早く西欧に伝えた人。それは、ヨーロッパ諸国がヒトラーの目標をヴェルサイユ条約の苛酷な規定を廃棄しようとしているとしか見ていなかったところ、ラウシュニングはヒトラーの肉声にふれたことによって、より深い真意を嗅ぎ取って、共感とともにその破局を予見しているようなのです。だからナチズムが頂点に達する前に離脱、1935年にはアメリカに亡命しています。たしかに、亡命の時期は一般的に見て早めですね。ただし、ラウシュニングがヒトラーの発言をその印象が残っている間にメモしたとしつつも、本書の刊行が1939年12月であったことは付け加えておきましょう。その時点でのベクトルがかかっている可能性は否定できません。 「二十世紀の神話」 アルフレート・ロ-ゼンベルク その思想的基盤はどのようなものであったかについては、アルフレート・ローゼンベルクの「二十世紀の神話」(吹田順助・上村淸延訳 中央公論社 昭和13年)が必読の書です。ローゼンベルクは国家社会主義ドイツ労働者党の外務担当全国指導者であった人物。原書の刊行は1930年。当時、ローゼンベルクは党機関紙「フェルキッシャー・ベオバハター」の主筆で、ナチ党の文化政策方面の責任者でした。 この本のなかでは、世界の学問を「ゲルマン的」「ローマ的」「ユダヤ的」に大別し、教会を中心とした学問である「ローマ的学問」や金融学など擬製的価値をもてあそぶ「ユダヤ的学問」に対し、そのなかで、「ゲルマン的学問」がもっとも優秀であるとしています。ここでは観念論と唯物論が否定され、さらにカトリック諸国の美術・建築に対してゲルマン美術の優位性が主張されます・・・って、このあたりで「やれやれ」と思いませんか? そのとおり。この論の土台はオスヴァルト・シュペングラーによる悪名高い文明論「西洋の没落」(村松正俊訳 五月書房 2007年)なんですよ。あとニーチェも配合(笑)されているようです。で、アーリア人種が、道徳面でも権力への意志においてもすぐれており、他のすべての人種を指導すべき運命にあると―。 念のためシュペングラーの「西欧の没落」について説明しておくと、この本は第一次大戦後にセンセーションを巻き起こした本で、歴史は紆余曲折しながらも、絶対的理性のもとで進化し続けるというヘーゲルの発展史観を覆したもの。その典型例が中国史で、歴史はいったん隆盛を極めてもやがて衰弱する、その繰り返しであるという有機体的な歴史観ですね。栄枯盛衰ですよ。シュペングラーによれば、古代ギリシアが文化の時代、ヘレニズムを転換期として、ローマ時代はその終結としての文明の時代。西洋文化はフランス革命とナポレオン戦争をもって転換期に入り、第一次大戦がローマ時代すなわち文明の時代に移行する時期であるとしています。有機体的歴史観ですから、人類にはそもそも目標も理念も計画もない。つまり文明に対する懐疑の念。近代とは「歴史の発見」であり、その歴史的考察はあくまで自民族の歴史に向かうものであるとしています。ところが世界はinternational化している、資本主義も共産主義も民族というものを放棄していることに危機感を表明して、これがある意味ナチズムを準備していると見ることができるわけです。 話を戻して、ローゼンベルクが言う「アーリア人」とは北ヨーロッパの白人種のこと。ところが現代の芸術や社会道徳を支配しているセム系人種の悪影響が広く蔓延しており、おかげでアーリア人種は堕落しつつある。なので、劣等人種との混交を排除するべきで、人種保護と人種改良と人種衛生が今後求められるとしています。 Alfred Ernst Rosenberg この本は1930年に出版されて、6年後には50万部を突破、1944年までには100万部以上売れたと言われており、「ヒトラーの『わが闘争』を除けば、国家社会主義の最も重要な書物」と、当時讃えられたものです。ヒトラーは、「ドイツ芸術科学国家賞」を設け、その第1回受賞者のひとりとしてローゼンベルクを選んでいます。ところが、どうもヒトラー自身はこの「二十世紀の神話」を党の公式方針とは考えていなかったようで、しかもローゼンベルクは党指導部内でも軽蔑されており、とりわけゲッベルスに嫌われていたんですね。結局ナチ政権成立後、ローゼンベルクはゲッベルスに追い落とされてしまいます・・・で、ありながらその後のゲッベルスによるイデオロギー的急進化がほとんどローゼンベルクの理論を継承しているように見えるのは興味深いところです。 この本は徹頭徹尾、人種理論で貫かれています。その主張たるや、「二十世紀の神話」とはすなわち「血の神話」、血液は人種にとっての根源的な生命汁液であって、民族は敵対的な血液と混淆してはならない、といったオカルティズムそのもの。さらに言えば、金髪碧眼のアーリア=ゲルマン人種とその北方的文化の絶対的優位性を証明するために、ローゼンベルクはアトランティス北方説とアトランティス本地説を導入しています。つまりアトランティスの末裔が世界の北方の中心点から白鳥の船及び龍頭の船に乗って地中海からアフリカへ、陸路を通って中央アジアを経て中国へ、また南北アメリカやヨーロッパ、北アジア、アイルランドに移動していった、とする説です。もちろん被支配階級ハム人種はアトランティス人と黒人種の原始民族の混合的変種、というわけです。このあたりのオカルティズムの面妖さは嘲笑してすませられる問題ではなく、じつはこうした言説には典拠があり、これを準備した面々についても検討するべきなのですが、いまは深入りしないでおきます。 オカルティズム的な面を別としても、ローゼンベルクの唱える人種保護と人種改良と人種衛生に関しては、優生学を取り入れてこの理論を強化している。これによって、人種理論はアーリア神話からはじまり、じっさいの行動(「最終的解決」)としてユダヤ人虐殺に結びついていったということです。具体的にその流れを追ってみると、ヒトラーが1935年に大学教授に任命したアルフレート・プレーツは優生学を「人種衛生学」に改変。パウル・ド・ラガルドがアーリア・ゲルマン神話を聖書註釈のように援用して、本来伝統なんかないはずの捏造宗教アーリア主義を、あたかも古代からの歴史あるもののように見せかけた。そうしてでっち上げたものをユダヤ教と対比させて、「ユダヤ人がユダヤ人をやめるのは、われわれがドイツ人になるにつれてのことだ」と言って、ユダヤ人虐殺の先鋒を切ったわけです。 ローゼンベルクは「二十世紀の神話」によって、人種理論という根拠をヒトラーに献上してしまったことはたしかでしょう。おかげでヒトラーはこれを参考にして「わが闘争」をまとめたと見ても、そんなに大きな間違いはなさそうです。 さて、ここでひと言しておきましょう。ローゼンベルクも、これが典拠としたおけるオカルティズム的言説も、「西洋の没落」のオズヴァルト・シュペングラーも、はたまた23歳でピストル自殺を遂げた「性と性格」のオットー・ヴァイニンガーも、なぜ、かくも異様な人種論的妄想にとらわれていたのか。もちろん、その背景としてはフロイト理論やダーウィンの進化論もあったことは無視できないんですが・・・もっとも大きな理由は、当人たちも気付かず、あるいは目を背けていた、彼ら自身の「抑圧された性的コンプレックス」であったと見ていいんじゃないでしょうか。 黒人の男根は巨大、ユダヤ人は好色、公認の宗教以外は危険で、具体的には性的に乱脈な邪教・・・なんかもう、こんなこと(ばかり)言っている連中の頭ン中は、のぞいてみるまでもありませんね。己が性的コンプレックスを抱いているとしか思えない。あるいは、病的な潔癖症で、高貴、高潔、高徳であろうとするあまりに、敵対者を堕落した存在だと貶めようとするとき、その拝金主義と性的無秩序をあげつらうというのは、悪罵としては常套的な選択ですよ。だから連中の人種理論は、ユダヤ人がドイツ女性を汚して・・・ってな調子の、性的な表現でいっぱいなんです。ローゼンベルクにしてもシュペングラーにしてもオットー・ヴァイニンガーにしても、これが彼らの個人的な資質によるものなのか、あるいはそのような時代精神があったのか・・・私はおそらくその両方だろうと思っていますが、フロイト以降、性科学の発達によって、西欧文化の深層に潜む暗黒面が噴出した、それが社会思想、政治思想にあらわれたのが、人種理論なのではないでしょうか。その発信地が、フロイトにしてもヴァイニンガーにしても、もっぱらウィーンであったこと、それが戦中のナチスによるオーストリア併合時にも影響を与えているし、あるいは戦後もその政治及び文化の深層に、いまだ横たわっているのではないかと思われるのです。 いかがでしょうか、そう考えて、もう一度リリアーナ・カヴァーニの映画「愛の嵐」をご覧になってみては・・・。 (Parsifal) 引用文献・参考文献 「第二次世界大戦の起源」 A・J・P・テイラー 吉田輝夫訳 中央公論社 ※ 現在講談社学術文庫版で入手可能です。 「わが闘争」(上・下・続) アドルフ・ヒトラー 平野一郎・将積茂訳 角川文庫 ※ amazon kindle版で読めるようです。 「ヒトラーとの対話」 ヘルマン・ラウシュニング 船戸満之訳 学芸書林 ※ 「永遠なるヒトラー」の表題で年表及び写真を追加して八幡書店から1986年に再刊されたものが最新と思われます。 「二十世紀の神話」 アルフレート・ローゼンベルク 吹田順助・上村淸延訳 中央公論社 昭和13年 ※ 古書価があまりに高価なのでlink貼りません。かつて再刊されていた記憶があるので、古書店で見つかるかもしれません。 「西洋の没落 世界史の形態学の素描」 (全2巻) オスヴァルト・シュペングラー 村松正俊訳 五月書房 ※ 五月書房版 ※ 中公クラシックス版 「性と性格」 オットー・ヴァイニンガー 竹内章訳 村松書館 ※ 基本的には天才論の本です。 Diskussion Hoffmann:「二十世紀の神話」のなかにはハンス・ハインツ・エーヴェルスの名前も出てくるんだよね。 Klingsol:それにしても、衒学的だね。シュペングラー以上じゃないか? Parsifal:それに、読みづらいんだよね。まあ「資料」としては必読なんだけど。いま、調べたら結構な古書価になっている。いちど、再刊されていた記憶があるんだけどなあ・・・。 Kundry:ナチズム関連で、今回3冊取り上げたんですね。 Parsifal:何回かやろうと思っているんだけど、はじめのうちは基礎編だ。 |