115 「アルラウネ」(上・下) ハンス・ハインツ・エーヴェルス 麻井倫具・平田達治訳 国書刊行会 今回取り上げるのはハンス・ハインツ・エーヴェルスの「アルラウネ」です。国書刊行会の「世界幻想文学大系」の第27A巻と第27B巻。 先日Parsifal君が取り上げた映画「プラーグの大学生」"Der Student von Prag"の1913年版、1926年版の脚本を執筆したハンス・ハインツ・エーヴェルスの長篇小説です。この1911年に発表された「アルラウネ」は当時大ベストセラーとなりました。なんでも10年間で23万8千部を売り尽くしたそうです。当時としては異例の売れ行き。 我が国でのエーヴェルスの紹介はわりあい早く、海外文学の動向に敏感であった森鴎外が「諸国物語」にエーヴェルスの「己の葬」を始めて紹介しているほか、戦前には「新青年」などに「蜘蛛」を始めとするいくつかの短編が紹介されていました。 この「アルラウネ」は、エーヴェルスの分身であるフランク・ブラウンを主人公とするフランク・ブラウンものの第二作です。ちなみに第一作は「魔法使いの弟子」(1910年)と第三作は「吸血鬼」(1921年)です。 フランク・ブラウンがマッド・ドクターのヤコプ・テン・ブリンケン教授をそそのかして、死刑直前の強姦殺人犯人の精液で生来の売春婦アルマ・ラウネに人工受精させる。その結果生まれた妖艶な美女アルラウネを巡り、教授を含めた男たちの悲劇の運命を描いたもの。近代科学を素材にしつつ、怪奇とグロテスクと、倒錯的なエロティシズムが横溢するところが、なんとも頽廃的。 マンドラゴラ伝説に材をとり、当時としては新しいテーマ、人工授精を扱った小説です。マッド・サイエンティストものと考えれば、メアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」の末裔と言ってもいいでしょう。また、関わった人間を次々と破滅させるアルラウネには、典型的なファム・ファタール(宿命の女)像を見ることもできます(フェミニズム批評なら「女性嫌悪」と言いそうですが、この小説に関しては適切ではないと考えます)。このテーマを人工授精という科学と、マンドラゴラ伝説に結びつけたあたりが、ドイツ人の嗜好に訴えたところかもしれません。 この長篇小説にオスカー・ワイルドの(「ドリアン・グレイの肖像」の)影響を指摘する人がいますが、私は、これはご賛同いただけないかもしれませんが、アーサー・マッケンの「パンの大神」の共通するものを感じています。ちなみに橘外男の「妖花イレーネ」は映画版の「アルラウネ」にヒントを得た作品と言われていますね。 ただし文学的に「格調高い」とは言いかねることも否定はできません。ちょっと良くも悪くも猥雑感が強くて、非日常よりも日常寄りの、通俗的な大衆小説です。 ご参考までにエーヴェルス「アルラウネ」の映画化作品を挙げておくと、ブリギッテ・ヘルムBrigitte Helm主演による1927年サイレント映画と1930年トーキー映画が各1本、戦後にはヒルデガルト・ネフHildegard Knefの主演のものが1本です。表題はいずれも"Alraune"。私が観たことがるのは、ヒルデガルト・ネフの1952年版だけ。この映画も、機会があれば取り上げたいですね。 Hanns Heinz Ewers ハンス・ハインツ・エーヴェルスについて ハンス・ハインツ・エーヴェルスHanns Heinz Ewersについて少しお話ししておきましょう。エーヴェルスは1871年、プロイセンのヴィルヘルム一世を戴くドイツ帝国が成立した年に、デュッセルドルフで生まれました。父親はメクレンブルク=シュヴェーリン公の宮廷画家でしたが、ハンスが14歳の時に亡くなっています。家計を支えたのは文学語学の才に秀でた母マリーア。彼女は童話を書いたり翻訳をしたり、オックスフォードやケンブリッジからの留学生のための下宿を経営したりして、ハンスを含む3人の子供を立派に育て上げました。従って、幼少期の生活は比較的恵まれており、語学を得意として早くから文学に親しんだのは、母から受け継いだ才能だったのかもしれません。 大学は法科、ベルリン、ボン、ジュネーヴ、ライプツィヒの諸大学で学ぶ合間にはスイスや北イタリアを旅行しています。1894年には法学士となり司法試験にも合格。実務に就いたものの、文学への思いが募り、そんなときに些細なことから決闘事件を起こして禁固刑に。これがきっかけで1898年に職を辞し、友人と共同でポオやユイスマンス、ワイルドの作品に傾倒した新ロマン主義雑誌「芸術の友」を刊行して、評論や創作を発表しはじめます。たまたまこれがベルリンにパリ風の文学キャバレー「ユーバーブレットル」を開こうとしていたエルンスト・ヴォルツォーゲン伯爵の目にとまり、台本家兼即興詩人として迎えられることになります。エーヴェルスの時事小唄や即興詩は好評だったのですが、やがて「ユーバーブレットル」は経営困難に陥り、ヴィルツォーゲン伯爵は手を引いてしまいます。エーヴェルスはなお座長としてがんばったのですが、最終的にはやむなく解散。 1901年には女流画家イルナ・ヴンダーヴァルトと結婚。この女性はエーヴェルスの本にアール・ヌーボー風装幀を施したり、ゴーチエの「モーパン嬢」をドイツ語に翻訳するなどした才女だったのですが、どうも夫婦ふたりとも個性が強すぎたのか、10年後には離婚しています。とはいえ、この結婚を機にいよいよエーヴェルスの創作意欲が高まっていったようで、各地に旅行しながら短篇集「恐怖」(1907年)、「憑かれた人々」(1908年)、「魔法使いの弟子」(1910年)、「アルラウネ」(1911年)を発表。とくに「アルラウネ」は当時ベストセラーとなったことは先に述べたとおり。ですから、映画「プラーグの大学生」の脚本執筆は、そうして人気の波に乗っていた時期のことだったんですよ。 ここで「アルラウネ」以外のフランク・ブラウンものについてお話ししておきましょう。 第一作の「魔法使いの弟子」は、外界と隔絶した山村に来たフランクが、村民をたぶらかして狂信的な鞭打ちの苦行に耽らせ、自分を予言者や聖女と錯覚する人物を作りだし、贖罪のためと称して聾唖児を磔にする狂態を演じさせる。その一方では無垢の娘を誘惑して妊娠させるが、その娘も世を救うために磔となることを望み、自分が意識的実験的に呼び起こした集団ヒステリーの暴発に正気を失ったフランクは、熊手で彼女を突き殺す・・・というすさまじいstory。 第二作が「アルラウネ」。 第三作「吸血鬼」はアメリカに渡って、主として講演によるドイツのための啓蒙宣伝活動に挺身していたフランク・ブラウンが奇妙な嗜血症にかかり、無意識のうちに同衾した女性の血をすすり、そのため婚約した富豪の娘に棄てられるが、永遠の恋人ロッテ・レーヴィの献身的な犠牲によって救済されるというstory。 第一次世界大戦が勃発したとき、エーヴェルスはキューバに滞在中で、帰国の機を逸したためアメリカへ渡っています。このときにエーヴェルス自身、祖国ドイツの政策や文化についての啓蒙宣伝の仕事に就いており、この時の体験が「吸血鬼」に反映されているわけです。アメリカ市民のドイツに対する無知と偏見と反感は激しいもので、エーヴェルスは深い失望を味わいます、またなにより新聞雑誌などのマスコミ、さらに映画の利用に関して、ドイツがアングロサクソン諸国に圧倒的に立ち遅れていることを痛感したようです。 1917年にアメリカが参戦に踏み切ると、エーヴェルスは危険人物として逮捕され、ドイツとその同盟軍の敗北後、祖国へ帰ることが許されたのは1920年のこと。彼を待っていたのは物心ともに荒廃しきった祖国の姿で、飢えと敗北感と劣等感にまみれながら、国の在り方をめぐって左翼と右翼は激しく対立。しかしそんな中からも伝統と因習を断ち切った芸術運動がはじまりました。それが表現主義運動。「カリガリ博士」や「吸血鬼ノスフェラートゥ 恐怖の交響曲」「罪と罰」「裏町の怪老窟」といった映画がその代表です。 エーヴェルスにしてみれば、アメリカにおける体験から、アングロサクソンの謳歌する民主主義の偽善性など自明のこと。蔑まれているドイツを痛感し、過酷なヴェルサイユ条約に屈辱と怒りを覚えた彼がヒトラーの主張に共鳴してナチスに入党したのは自然な流れだったのかもしれません。しかし、じっさいのところ、エーヴェルスをはじめ、ナチスを支持したドイツ国民の多くは、ヒトラーの悪魔的なショーヴィニズムやユダヤ人憎悪を、本気であるとは信じていませんでした。 その証拠に、「吸血鬼」でフランクを救うロッテ・レーヴィはユダヤ系ドイツ人です。ここではユダヤ人とドイツ人の共同体こそが世界に冠たるドイツを実現するものとされていたのです。さらにヒトラーが政権を獲得する1年前の1932年に書かれた「ドイツ夜の騎士たち」はドイツの反共秘密結社の活躍を称えたもので、「ホルスト・ヴェッセル」は同名のナチス党歌の作詞者で共産党とのいさかいで命を落とした突撃隊隊員を偶像視する目的で書かれたものです。 しかし現実はどうであったか。ナチスの政権獲得後の他政党や労働組合への弾圧などは、いささかなりとも国際感覚のあるドイツ人、すなわちエーヴェルスにとっては到底受け入れがたいものでした。ところが、気づいたときはすでに手遅れ。 ヒトラーはエーヴェルスを読んで、とくに「アルラウネ」は愛読していたようなのですが、どういうわけか宣伝相ゲッベルスがエーヴェルスをひじょうに嫌っていたために、「ホルスト・ヴェッセル」はナチスの英雄を歪曲し卑小化しているとされ、あやうく印税まで止められそうになります。これはヒトラー直々の介入で取り下げられたものの、1935年にはそれまでの著書が発禁とされて、以後の執筆活動も停止を命じられてしまいました。第三帝国とエーヴェルスの関係は、当初は蜜月でありながら、最後は殺されないだけまだしも、という結末に。 1939年にはポーランド侵攻とともに第二次世界大戦に突入、連合軍が攻勢に転じはじめた1943年6月12日、エーヴェルスはベルリンで、二度目の妻に見守られながら、その数奇な人生の幕を閉じました。享年72歳。 マンドラゴラ伝説について アルラウネとはマンドレイクMandrake、別名マンドラゴラMandragoraのドイツ名。マンドラゴラといえば古くから薬草として用いられ、魔術や錬金術でも利用されたものです。根茎が人型で引き抜くときに悲鳴を上げて、これをまともに聞いた人間は死んでしまうので、耳に栓をして犬に引き抜かせたという伝説もありますね。絞首刑になった受刑者から滴り落ちた精液から生まれたとする伝承もあり、これによると処刑場の絞首台の下に自生しているということです。 アルラウネAlrauneとはマンドラゴラの亜種のドイツ名。かなり古くから"Alruna"、"Alrun"という単語が当てられており、ボルヘスによればもとは"Alruna"で「ささやき」または「ざわめき」を意味する"Rune"を語源として、「謎を書かれたもの」を意味するということです。ヤーコプ・グリムはその語源をドイツ古代の女神アルラウンAlraunではないかとしています。通常の辞書では"alp"「夢魔」と"raunen"「ささやく」の合成語とされているようです。 (Hoffmann) 引用文献・参考文献 「アルラウネ」(上・下) ハンス・ハインツ・エーヴェルス 麻井倫具・平田達治訳 国書刊行会 「魔法使いの弟子」 ハンス・ハインツ・エーヴェルス 佐藤恵三訳 創土社 「吸血鬼」ハンス・ハインツ・エーヴェルス 前川道介訳 創土社 "Alraune" Hanns Heinz Ewers Grupello Verlag (1998) Diskussion Parsifal:19世紀末から第二次世界大戦前夜までのドイツは奇々怪々なところがあるね。 Hoffmann:ホラー映画でもドイツ産は妙に幾何学的というか・・・たとえば医療ものなんかが目立つんだよね。そうか思うと、ユルグ・ブットゲライトなんて人も生んでいるし。 Kundry:とんでもない名前が出て来ましたね。せめてクリストフ・シュリンゲンズィーフ程度にしておいた方が・・・(笑) Hoffmann:シュリンゲンズィーフは変態度が足りない(笑)我が国で例えれば寺山修司レベルだろう。 Klingsol:エーヴェルスの場合は、これ見よがしな「猥雑さ」や「異端」とすれすれのところで文学になっていると思う。単なる倒錯で終わってはいないよ、この執筆年代だと、頽廃に至るよりは、社会性に傾いてしまうけれど。 Kundry:フロイトの精神分析とか、ユングの集合的無意識を連想させるところもありますね。正直、「病める時代」の大衆小説という印象はありますね。 Klingsol:それは、決して突飛な意見じゃないよ。ゴシック・ロマンスだって、もとをたどれば有閑階級のご婦人方が退屈を紛らわすための読みものだったんだから。そう思えば、20世紀のゴシック小説といった趣もあるね。 Parsifal:どことなく、戦前ドイツのリチャード・マシスンと言いたくなるようなところがある。 Hoffmann:やっぱり、格調高いとは言い難いんだな。読んでいると、おもしろくてのめり込んでしまうんだけどね。 |