125 「鷲の紋章学 カール大帝からヒトラーまで」 アラン・ブーロー 松村剛役 平凡社




 鷲は古くから「鳥類の王」とみなされ、至高の権力や戦いにおける卓越した能力のシンボルとして知られていました。鷲が数多くの紋章や国章を飾る図案として好んで用いられたのはそのため。ときどき「双頭の鷲」が描かれたのは左右対称の形にしようという意図があったから。

 古代ギリシアの博物誌では、太陽を直視しても鷲の目が眩むことはない、人間には近づき得ない天の領域でも自在に飛翔することができる、などと伝えられています。また、古代バビロニアの粘土板文書には、伝説上の王エタナは鷲に乗って昇天したとされています。古代ローマでは皇帝を葬る際に、その亡骸を火葬する際には、一羽の鷲を空に放す風習がありましたが、これは鷲が神々の世界へと向かう死者の魂のシンボルであったのでしょう。シリアでは太陽神に鷲が奉献されていました。

 鷲は不死鳥、phoenix(フェニックス)と同様に、若返りの能力をもつとみなされることもありました。鷲が水を3度くぐると若返るというされていて、このため洗礼のシンボルとして洗礼盤に鷲の姿があしらわれていることもあります。また鷲の飛翔をキリストの昇天と結びつける考えもあり、この際に太陽から若返りの力を得るということになってました。




 古代中国でも、鷲や鷹は力と強さのシンボルでした。波の打ち寄せる岩にとまった鷲は英雄の気性をあらわし、松の木にとまった鷲は力の衰えなく長寿を保つことの願いが込められていると考えられています。

 鷲はしばしば蛇や竜を殺す動物と考えられ、ここから闇の力に打ち勝つ光のシンボルともされています。嘴に蛇をくわえた鷲の姿は多くの文化圏で描かれています。中国においても蛇と戦う鷲の図が描かれることがありますが、これはインドのガルーダのimageに由来するものということです。中央アジアのフン族の間でも、鷲は支配者のシンボルとされていました。

 キリスト教の図像としては、鷲は支配者が備えるべき正義を体現する存在でした。そして福音書記者ヨハネのシンボルであり、また昇天した預言者エリヤや復活したキリストの持物としても知られています。古代ギリシア・ローマにおいても、ゼウス(ユピテル)の持物とされていたことから、やはり鷲の意味は、力、新生、瞑想、炯眼経学、王者の風格といった、もっぱらポジティヴなものであったことが分かります。そのほかの象徴としては、権力、神の尊厳、とくに地球を一緒に描かれたときは力の聖化をあらわします。

 それではいい意味ばかりかというと、一方で、傲慢の罪と結びつけられることもあり、おそらくこれは遠くを見定めることのできる眼が、近くのものを無視するように感じられたためではないかと考えられています。

 ヨーロッパの紋章では、正面から捉えた姿を平面上に写す際、左右対称に再現することが好まれたので、かなり早い時期、古代オリエントの昔から双頭の鷲が描かれています。紋章の図案として有名なのは1433年以降の神聖ローマ帝国の皇帝の紋章で、これは神聖ローマ皇帝がローマ皇帝とドイツ王という二重の立場にあったことを象徴するものであったとも言われています。神聖ローマ帝国の解体後もオーストリア帝国、帝政ロシア、セルビア王、さらに今日でもアルバニアの一部の国章を飾っています。ちなみに鷲が神聖ローマ帝国皇帝をあらわすとき、王女は孔雀があてられていました。

 フリーメイソンにおいても、「スコットランド儀礼」の第23位階のシンボルは双頭の鷲で、そのふたつの頭にひとつの冠を戴き、爪で剣を水平につかんだ姿が描かれています。そのモットーは「神と我が正義」。ワーグナーの歌劇「タンホイザー」に登場するミンネゼンガー(中世ドイツの宮廷恋愛詩人)、ラインマル・フォン・ツヴェーターの紋章に至っては、その紋章に「3つ頭の鷲」(翼の先にも頭を持っている)を掲げていました。

 ドイツの紋章学研究家によると、鷲はドイツ語で"Adler"、これは"Adel"(貴族)に通じており、ドイツの貴族は皇帝の鷲から生まれた、従って鷲がいなければ貴族も存在しなかった、皇帝の鷲な貴族の守護者である、として、さらに、鷲は鳥類の王であり、もともとローマ帝国の紋章で、黄金の地に描かれた鷲は主なる神をあらわす、と言っています。
 深層心理学者E・エップリによれば、鷲は心理学的には「精神の天空を力強く飛翔するもの」と解釈され、従って一般的には鷲の夢はポジティヴな意味を持つ、しかし鷲的な考え方に支配されてしまうと、知性を使い果たすような精神の熱情に取り憑かれ、日常を脅かす危険もはらんでいるとしています。たしかに、もっぱら霊的な領域に没入していた福音書記者ヨハネを象徴するということは、日常生活全般を鷲的な考えで支配されているということかもしれません。たしかに、鷲が現実的な要請に従って「妥協」するなんていうことは想像も出来ませんね。そのような要素は鷲のシンボルのどこを探しても見つからないということです。



ハプスブルク家の紋章「双頭の鷲」

 さて、今回取り上げる「鷲の紋章学 カール大帝からヒトラーまで」は、8世紀におけるキリスト教(聖書)における鷲の象徴的意味からはじめて、10世紀のオットー諸帝、中世を経てアメリカ、フランス、そしてナチスにおける国家の象徴としての鷲について論じたもの。

 やはりというか、ナチスに至ると、歴史上それまでの政治機能の象徴をすべて背負っているんですよ。その点ではアメリカの白頭鷲、フランス帝政の鷲はナチスほどの完成度を持たない。ナチスにおいては、カエサル、神聖ローマ帝国、ナポレオンの「世界帝国」のエンブレムの意味がそのまま継承されている。1919年、つまり敗戦の翌年に挫折の形象であった金地に黒の単頭の鷲はその後ナチズムに近いグループに受け入れられて変貌してゆくわけですが、じつは変貌といっても新しい意味が与えられたわけではなくて、ローマやゲルマン民族の継続性を保障するものとなる。ヴァイマール時代にまで及んだドイツ青年運動が「渡り鳥」"Wandervogel"、「鷲と鷹」"Adler und Falken"といった名称を持っていたことを思い出して下さい。可能な限りのあらゆる意味を内包―というより、吸収してしまっているのです。ナチズムの鷲は、古いゲルマンの鷲であり、アーリアの鷲、キリスト教徒の鷲、中世帝国の鷲、オーストリアの鷲、プロイセンの鷲、右翼団体や特殊作戦部隊の鷲、すべてを統一したものなのです。ひとつのデザインされた紋章が、それまでの対立要素をも含めている、つまり全体主義の道具になっている。著者が指摘しているとおり、歴史上、これほど権力と記号が重なり合った例は、これまでにはなかった。ナチスの、広い意味でのプロパガンダは、かくも高度に巧みであり、かつ効果的であったことがわかります。




 名前なんて記号に過ぎない、と言いますが、記号というものが持つ意味、その及ぼす影響力は厖大なものがあります。ひとつの図像(イコン)は、鷲であれほかのものであれ、歴史的に蓄積されてきた意味を持っているために、宗教的、倫理的なイデオロギーを、これを使うものに付与することとなる。その代表はもちろん権力です。図像というものは、権力に正当性を与えて、権力を既成事実化することさえ可能であるということです。


(Klingsol)



引用文献・参考文献

「鷲の紋章学 カール大帝からヒトラーまで」 アラン・ブーロー 松村剛役 平凡社




Diskussion

Parsifal:著者はアナール学派第四世代の中世史家ということだけど、どうもあまり読みやすい本ではないね。

Kundry:それでKlingsolさんは前半、予備知識をお話ししてくれたんですね(笑)

Klingsol:シンボルということになると、ヨーロッパもアメリカも、ロシアだって、考えることはあまり変わらないんだよね。

Hoffmann:やっぱりこうしたところでも、キリスト教の支配というか影響は逃れられないんだな。