130 「ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か」 對馬達雄 中公新書 「ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か」 對馬達雄 ヒトラーのナチス・ドイツは国民に支持された政権であり、体制であったことを疑う人はいませんよね。かつて、ドイツ国民はプロパガンダにのせられていた・騙されていた、とか、ゲシュタポの恐怖により、意に沿わぬ受け身の姿勢を強いられていた、とする「常識」は、もはや神話と言っていいものです。 グレーゾーン、すなわち表面的には政権に従いながらも、精神的・心情的にはナチスに距離を置いていた人もいたでしょう。しかし、そうした人々もまた結果的に政権を支えていたことは事実で、ましてや大衆の大半がナチス支持の立場をとっているなかに混じってしまえば、なにもしないということは、沈黙という名の同意と変わるところがありません。 このように言ってしまっては当時のドイツ国民に厳しすぎるかも知れませんが、だからこそ、「抵抗」した人々の、その「抵抗」に大きな意味があるのです。 ナチスに限らず、戦時の体制に抵抗する・異議を唱える人々の前に立ちはだかっていたのは、政権以上に、ナチスを支持する隣人、すなわち国民だったのです。ナチ体制を否定するということは、政権支持者から見れば生活と世界を脅かす存在であり、ましてや戦時下においては自国の敗北を企む反逆者であったからです。 この本は、戦時下のドイツでナチスドイツに抵抗したドイツ人たちの記録。大きく分けると、市民レベルの活動と軍部の活動のふたつ。 市民レベルでは、ユダヤ人を救出・保護し、東部戦線の逃亡兵を救援する活動がありました。厳しい取締りや監視の目をかいくぐって匿われたユダヤ人は1万5,000人。ほかならぬドイツ人が、発覚すれば厳罰に処せられるのを承知で彼らを助けたのです。 軍部ではヒトラー暗殺によるナチス体制の終焉を目的とした行動が主たるもの。戦局が悪化する中で戦争終結のためにヒトラー暗殺計画がいくつも立てられた。市民、軍人、教会関係者からなるグループが「もう一つのドイツ」を構想しつつ命がけの作戦を実行し、失敗する。激怒したヒトラーは7,000人を逮捕拘留し、200人を死刑にしました。 いずれも圧倒的多数の国民が体制を支持するなかでの行動であるため、常に密告や裏切り・逮捕の危険と隣り合わせで、戦後まで生き延びることができずに獄死した人物が多数。 「白バラ」「ワルキューレ作戦」は有名ですね。いずれも映画にもなっています。しかしとりわけ教えられることが多かったのは、「ローテ・カペレ」「エミールおじさん」「クライザウ・サークル」など日本ではあまり知られていないグループの活動です。 1944年7月20日に発生したヒトラー暗殺未遂とナチ党政権に対するクーデター未遂事件、「7月20日事件」"Attentat vom 20. Juli 1944"現場。左はゲーリングほか。右はヒトラーとムッソリーニ。ちなみに「ワルキューレ作戦」"Operation Walkure"というのは、ドイツ国防軍の国内予備軍の結集と動員に関する命令のことで、このヒトラー暗殺未遂事件のことを指すものではありません。 「反逆者」として処刑された人々の遺体は遺族に引き渡されず、生きた事実さえ抹消されようとした・・・そればかりか、処刑料1,000マルクを請求されたり、資産一切が没収されたり。 しかし驚くべきことは、戦後に至っても、ヒトラーやナチ党に抵抗した人々は相変わらず「反逆者」としてしか認識されていなかったことです。これは、ヒトラーを熱狂的に支持したドイツ国民やユダヤ人迫害を見て見ぬ振りしていた国民が、戦後になっても、当時抵抗した市民を裏切者として扱っているということ。これには元ナチ党員が司法や行政の重要な位置を占め、国民の30%はナチスに寛容であったこと、それに東西ドイツ分断の事情などもあるのですが、(敗)戦後に至って、価値観が逆転しているにもかかわらず、名誉を回復するのに厖大な時間がかかっています 著者は、良心と仲間を信じて命がけで暴力的な独裁国家に立ち向かった無名の人々の勇気と感動的なエピソードを伝えています。 体制が戦争へと流れ、多くの人間がそれを積極的にではないにしても受け入れてしまう。ほとんどの人間は、オスカー・ワイルド流の皮肉をもって表現すれば、「生きている人間はまれで、大多数の人は存在しているに過ぎない」、自分自身を見失わない程の強さを、「個」を持っている人は少ないのです。だから周囲の雰囲気に呑まれて流されてしまうのです。 そのなかで、敢えてNein(No)を突き付ける勇気を持っていた人々もいた。それが、戦後に至っても称賛されるどころか、その抵抗運動の意義も意味も意図もまったく理解されていなかったのです。その理解していないドイツ人は、ユダヤ人迫害に積極的に加担して、あるいは見て見ぬ振りをして、戦後まで生き延びてきたドイツ人です。 戦後の名誉回復が遅れた理由は・・・これは私の考えですが、ひとつにはコンプレックスでしょう。自分はなにもしなかった、なにもできなかった、勇気もなかった、もしかしたら、なにも考えていなかった。わかりやすく言えば自分の「黒歴史」時代ですよ。だから、それがコンプレックスになって、勇気ある人々を素直に称賛できなかった。ナチス政権下と同じように、相も変わらず、そしてまたしても(!)「見て見ぬふり」を続けていたのです。 この本には、1951年の「レーマー裁判」に関して、ヒトラーの第三帝国が合法性を欠く権力であったから、もはや反逆罪は存在しないという論理や、フランス革命などで一般市民の行動を正当化した「抵抗権」などの概念を紹介していますが、裁判ともなるとかようにもいささか滑稽な理屈を並べなければならないということが、反ナチ抵抗運動が認知され、正しく評価されるために必要な手続きであったわけです。西ドイツの司法界も、「病んでいる」のです。ええ、それはもちろん、戦後の民主主義国家の司法界ですよ。 「ヒトラーの脱走兵 裏切りか抵抗か、ドイツ最後のタブー」 對馬達雄 同じく中公新書で出ている、同じ著者による本です。 こちらは、元逃亡兵東部戦線の生き残りのルートヴィヒ・バウマン氏が社会から唾を吐きかけられながら、70歳を過ぎて後、20年間をかけて社会復権・名誉の回復を果たす話。 ナチスドイツの残虐行為を目の当たりにした若いドイツ軍兵士バウマンはその実情に耐えきれず脱走した。捕まり死刑判決を受けたが、なんとか執行は免れ敗戦を迎えた。しかし、脱走兵の汚名(裏切り者、卑怯者、人間のクズ等)はついて回り、バウマンは自暴自棄になり、アルコール中毒となり6人の子供を抱えながらも家庭崩壊状態になった。 しかし、献身的な妻の死、医者のアドバイスもあり、49歳のとき立ち直り65歳までに子供たちを育て上げた。その後、30年余り、脱走兵の汚名をはらすべく、歴史学者メッサーシュミットとともにナチス時代の裁判を批判し、脱走兵を復権させていく。そして、ついにナチスドイツ不当判決破棄法を成立させる・・・。 これも背景は「ヒトラーに抵抗した人々」と同じです。バウマン氏という「個」人を中心に据えているので、その闘いとある種の自己形成を軸とした感動的な物語となっています。 ナチス政権下では軍事裁判権、すなわち軍人による裁判が行使されるようになり、裁判官はナチ党員か支持者であったこと、軍法には「国防力破壊」などというという曖昧な規定があり、勝利に対する疑念ですら対象とされたわけです。 より問題であるのは戦後、ナチスは消滅したにもかかわらず、アデナウアー政権下でナチ高官たちが復権、脱走兵に対する扱いも引き継がれることに。西ドイツでは軍司法官が免責に走り、大半が司法職に横滑り。1950年代、部局によっては70%もの元党員や突撃隊員がいたというのですから、我が国と同じですね。 ナチス時代を引き継いでいるのは、意外やプロパガンダ面でも同様で、マンシュタインの回顧録「失われた勝利」やロンメルの覚書等が相次いで出版され、「清廉な国防軍」というイメージ作りに腐心して、その結果ナチス時代の軍司法が肯定的に「正史」とされていたのです。こういったところもまた、我が国と同様の情報操作ですが、ドイツの方が悪辣なまでに巧みです。やはりこのあたりのナチ党のお家芸は健在だったということ。 さらに、忘れてならないのが、ナチス政権が民主主義的な手続きで成立して、戦後のこういった体制もまた、民主主義のもとで成立しているということです。 「意志の勝利」"Triumph des Willens"(1934年 独)から―。 (Klingsol) 引用文献・参考文献 「ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か」 對馬達雄 中公新書 「ヒトラーの脱走兵 裏切りか抵抗か、ドイツ最後のタブー」 對馬達雄 中公新書 Diskussion Kundry:これまでにナチス関連の本を取り上げてきて、ナチス政権が当時のドイツ国民から圧倒的な支持を得ていたことはもう何度も話に出て来ていましたね。 Parsifal:第一次大戦後の時期には急速な工業化などによる経済的な復興があったからね。これはいずれユダヤ人から没収した資産や侵略した国の資源・食料によるところになるんだけど、それでも大衆はナチスの蛮行を見ぬ振りをして、かえって支持に回っていたわけだ。 Kundry:人道的な犯罪行為という面には目をつぶっていたということですね。 Klingsol:ただ、イデオロギーで支持していたというよりは、もっぱら経済面で享受できたものによる支持だったわけだ。 Hoffmann:ユダヤ人救援グループ「エミールおじさん」では、指揮者のレーオ・ボルヒャルト、作曲家のゴットフリート・フォン・アイネムの名前が登場するところなど、興味深いね。 Klingsol:一方で、ヒトラー暗殺計画というのは単なるテロ計画ではなくて、ナチス国家に替わる「ナチスなきあとのドイツ」実現のための、謂わば「革命」だったと見るべきだろうね。具体的には戦争を終結させるためのヒトラー暗殺計画だったわけだ。だから、「クライザウ・サークル」は新たな国家像に関して、協議を重ねていた。現在のEUに繋がる欧州経済共同体構想なんて、その頃からあったみたいだね。ヒトラー暗殺計画はどれも失敗に終わってしまったけど・・・。 Kundry:驚くべき悪運の強さですよね。 Hoffmann:そして戦後に至っても、ナチスを積極的に支持した国民も、見て見ぬ振りをしていた、消極的な政権支持者も、かつて抵抗した勇気ある人たちのことをまったく理解していない・・・。 Klingsol:日本のマスコミなんかが一朝にして民主主義に早変わりした、その臆面のなさと、戦後もしばらくはナチス(というよりナチズム)が影響を持ち続けたとドイツと、これはどちらがましか、あるいは嘆かわしいかという問題ではなくて、国民性の問題なのかな・・・。 Parsifal:無名の市民の勇気の背後にはキリスト教の価値観があったとする考えもあるけれど、これには首肯できない。だって、キリスト教徒全員が抵抗したわけではなく、見て見ぬ振りをしていたキリスト教徒もいたし、ユダヤ人を排斥したキリスト教徒だっていたんだから。そもそもナチス高官にだってキリスト教徒はいたよ。あくまで個人の資質の問題なんだ。 Hoffmann:人間の人格は統一的に一貫したものではないんだから(笑)それなのに、戦後になると今度は戦後の論理で反ナチ抵抗運動が政治的に評価・判断されてしまう。戦後の東独では称賛されて、西独では「共産主義のスパイ」扱いされたということは、つまりそういうことだよね。「レーマー裁判」の話のとおり、民主主義体制下の司法界が病んでいる。 Kundry:その意味では、未来においても同じようなことが何度でも起こり得るということですね。 Hoffmann:ルートヴィヒ・バウマン氏(だけではないが)は、自軍の残虐行為が耐えられなかったので、脱走兵となった・・・というのはまともな人間だったからだとして、それでは「まともでない」人間というのは? Klingsol君がオスカー・ワイルドを引用した「存在しているに過ぎない」人たちだ。自分自身を見失わない程の強さ、すなわち「個」を持っていない人、周囲の雰囲気に呑まれて流されてしまう人たちだよね。日本の村社会構造なんて、この点ではもう絶望的に危険なんじゃないか? |