147 「死と歴史 西欧中世から現代へ」 フィリップ・アリエス 伊藤晃・成瀬駒男訳 みすず書房




 この本は1973年に行われた4つの連続講演に、12篇の論文を加えたもの。テーマは簡単に言ってしまえば、人間は死とどのように向き合うか。ここではヨーロッパ人が12世紀から現代まで、どのように死と向い合ってきたかを説き明していくことによって、現代の問題を浮き彫りにしようとしています。アリエスが指摘しているのは、死を間近に控えた当人の、その当事者としての死に対する主体性のあり方が、中世以来、現代に至るまで、極端に変質しているということ。

 言うまでもなく、死に対する人間の向き合い方というのは、歴史を通じて一貫していたわけではありません。かつて中世ヨーロッパでは、死は必ずしも忌避されるものではなく、身近かつ日常的なもの、「運命」として、ごく自然に受容されていたものだった。それが中世後期あたりで、家族の愛情を背景に、より悲劇的にとらえるようになり、自然から切り離され、死の対象化と個人化がはじまる。さらに、現代においては、死は人々の意識から極力断絶させられるに至った・・・このような意識の変化を、アリエスは、遺書、葬儀、埋葬方法といった、死に関連する習俗への観察から考察しています。


Philippe Aries

 もう少し詳しく論旨を追ってみましょう―

 中世の人々には、自分の死がよく分っていた。人と死は親しい関係だった。人間が自覚的に死を捉えていて、中世の人々には自らの死を準備するという主体性が認められた。また、古代では町の外に造られていた墓地が、中世になると都市の中へ入ってくる。人々が生者の近くに埋葬されることを望んだからで、結果的に死者と生者が共存することになった。しかし、死体そのものは共同墓穴の中に積み重ねられ、やがて掘り返され、骨は納骨所に積み入れられて、そのあとにまた新しい死体が埋められる・・・従って、死者の主体性がありつつ、死んだあとの遺体に対する冷淡さ、無関心さが、中世の特徴だった。

 ところが14、15世紀頃になると、最後の審判で完結すると考えられていたひとりの人間の人生が、現実の死の床で終るのだというimageが主流になる。そこで一代記とか、人生の全体をふり返って思い出すという感覚が生まれてきた。すると、死に臨んでいる人も、一生の間に手にいれた所有物に対する激しい執着を示すようになる。だから個人の墓というものが出てきた。

 18、19世紀になると、死に対する態度はいっそう大きく変化する。人々の関心が自分の死から他者の死、家族の死に移って、身内の死、他者の死に対して泣き、祈るようになった。この感覚は近代以降のもので、必ずしもキリスト教起源というわけではない。 遺言というものも、それまでは慈善行為や墓所の選定、ミサや礼拝の設定などが記されていたところ、18紀半ばからは、そうした条項が消えてしまって、もっぱら財産の分配を記す法的証書になった。同時に喪が強調されるようになり、家族・使用人が一定期間蟄居するようになる。喪に服するために、馬や蜜蜂に至るまで黒いベールで被われたという例もある。家族が喪に服する形で、死の主導権を死者から奪ってしまったというわけ。墓参が盛んとなったのも、19世紀に入ってから。そしてアメリカなどでは、衛生的で、まるで公園かゴルフ場のような墓地が、死の暗いimageを排除してしまって、その結果、死者を礼拝する墓地が都市に不可欠なものとなり、死者の礼拝が祖国愛の一形態とも見られるようになった。

 ところが20世紀になると、これがまた変化して、死それ自体がタブー視されるようになった。アリエスによればこれがはじまったのはアメリカ。死は禁忌であり、恥ずべきもの。本人に気づかせてはならないものという意識が蔓延して、死の主導権は病院に移った。ここで死の引き延ばし、死の細分化が行われるようになり、もはやどこに本当の死があるのか、だれにも分らない状態・・・。

 以上がアリエスの論じているところ。

 じっさい、昔のヨーロッパの名医の条件は、治すことではなく、死期をはっきり言い当てることだったんですよ。「貴方はあと一か月しか命がございません。それまでに御準備を」と、ちゃんと教えることができるのが名医だった。もちろん、治る見込みのある病人は治さなければなりませんが、現代では、治る見込みのない病人を徒らに切り刻んだり薬漬けしたりして死を引き延ばしていますよね。これは、医師をはじめとした医療従事者たちによって、本人の死期は注意深く隠され、終始「死への主導権」は当事者(当人)ではなく、家族と医療者たちが握り、肝心の当人は蚊帳の外に置かれているということ。つまり、当事者が中心であった死から、家族・医療機関中心の死へと変質しているということなんです。

 この点を象徴する現象として、昔は自宅で最期を迎えることが当たり前だったのに対し、現代の工業化された地域のほとんどでは、医療機関での死が標準となっている。その要因としては、医療技術の発達により寿命が引き延ばされたこと、来世が信じられなくなったことなどが考えられます。家族や医療従事者が悪気もなく、瀕死者を子どもや無能力者のように扱う態度については、多くの認知症の当事者の置かれる状況と同じことです。すなわち主体性の剥奪。

 それだけじゃありません、医療機関で死ぬってことは、残された家族にとっても、死が非日常になってしまうということです。死は当事者ばかりか家族の手からも引き離されつつある。じっさい、現代において、家族や知人が死ぬところに立ち会ったことのあるひとって、どれくらいいるんでしょうか。そもそもだれかの死という出来事は死者だけに関わるものではなく、死者を取り巻く周囲の人々にとってもひとつの社会的通過儀礼として機能していたわけですよ。それが、死が非日常化してしまうことによって、その機能も失われてしまうのです。

 さらに、アリエスの指摘―いまどきの病院にとって許される死者というのは、死なないふりをする死者であって、自分の方から死を迎える積極的な態度を表現する者は許されない・・・医者にしてみれば、ただ病気療養中であるその日その日が、あるときふっと終わる、そのように死んでくれる死者だけが医者によって許されている、と―。鋭い指摘です。

 こうして人々が死について無関心となったということは、裏返せば生の感覚の後退を意味するわけです。

 なお、アリエスは火葬という習慣を、死者を片付けて見えなくするための完全な方法としていますが、これはキリスト教徒が火葬を忌避してきたという前提があるためでしょう。つまり、聖書には、いつの日か骨が肉体を纏って復活し、永遠の生か永遠の業火(地獄)か、いずれかの最後の審判を受けなければいけないから。ところが火葬にすると、骨がなくなって灰になり、復活できなくなってしまう。だから、かつては魔女のように復活されては困る者だけが火葬にされてたわけですよ。ところが、日本ではそのような宗教的な理由がなくて、火葬がほぼ100%でありながら、昔ほどでもないにせよ、法事や墓参、故人を偲ぶといった習慣は相変わらずですよね。このアリエスの火葬に関する考察は、我が国に適用できるものではありませんね。

 この本を読むにあたって注意すべきは、ここで論じられているのは、地域的にはあくまでヨーロッパ、それもフランスとイギリス、加えてアメリカに限られ、時代は中世から現代までの変遷に限られているということ。

 また、核となるのは第一部にあたる4つの連続講演。これで全体を見通した後、第二部に12本の論文が収録されている。この第二部が第一部の講演内容をさらに個別に取り上げたものとなっているわけですが、発表順としては第二部の方が先。第二部の方が理解しやすく、こちらを先に読んだ方がいいかもしれません。さらに、そもそもが一冊の本として構想されていたわけではないので、第一部と第二部の内容にはかなりの重複がみられることも付け加えておきます。


 フィリップ・アリエスと「アクシオン・フランセーズ」について

 最後に、フィリップ・アリエスの姿勢、思想的背景について、簡単に説明しておきたいと思います。

 フィリップ・アリエスの思想の母胎をなしているのは、かつて両親ともども加入していた「アクシオン・フランセーズ」なんですよ。この「アクシオン・フランセーズ」というのは、戦前のフランスで政治的文化的精力を振るっていた右翼団体です。以前、ルイス・ブニュエルの映画「小間使の日記」"Le journal d'une femme de chambre"(1964年 仏・伊)を取り上げましたよね。あのラストシーンで街頭デモに加わっているのが、じつは「アクシオンフランセーズ」です。


「小間使の日記」"Le journal d'une femme de chambre"(1964年 仏・伊)から―

 「アクシオンフランセーズ」の主宰者はプロヴァンス地方出身のシャルル・モーラス。フランス革命以来の中央集権主義、ヒューマニスティックな個人主義、進歩信仰、官僚的画一主義といった「近代」に敵対して、大革命以前のフランスにあった、地方分権、地方自治、個人の共同体への統合と、その共同体の連合としての国王への尊敬、土地への執着といった、日々失われつつある伝統的価値観を守り抜こうとするのがモーラスの思想です。つまり王政復古が旗印。

 アリエスの両親は熱心な王党派だったので、アリエス自身もこの王党主義を自らの精神的支柱として政治活動に携わった模様です。もっとも、この運動は1930年代頃には国家主義的になって過激化。歴史家を志したアリエスはこの動きに懐疑的になって、距離を置くことになります。それでも、アリエスの理想には、シャルル・モーラスの影響が色濃くあらわれていて、それは神の代理である国王が、地方の小自治体を放任しているという、王立的でありながら無政府的な社会像です。大革命は人々を孤独に孤立させ、強大化した国家に直接的に隷属させている・・・しかし、もともとフランスでは、人々が自立的な共同体と結びつき、その上に超越的な価値を担った国王が君臨して、この国王への尊敬によって各共同体は人民主権を実現していた・・・。このような民衆王党主義ですから、共産主義やファシズムといった中央集権主義、画一化を批判する左翼系とも馴染みやすい思想であると申せましょう。


(Parsifal)



引用文献・参考文献

「死と歴史 西欧中世から現代へ」 フィリップ・アリエス 伊藤晃・成瀬駒男訳 みすず書房




Diskussion

Hoffmann:たしかに、古い時代の人間と共同体との緩やかな結びつきに関する発想は、ミシェル・フーコーあたりとそれほど乖離はないような気がするね。

Klingsol:それだけ、アリエスも度量の大きい人物だということかもしれない。


Kundry:医療機関での死に関する考察は、医療において人道的ということがどういうことなのか、考えさせられますね。

Hoffmann:人間、死ぬまでは生きているわけだから、主体性は保っていたいね。

Parsifal:Hoffmann君に訊ねたいんだけど、こうした死への向き合い形の変化には、「神が死んだ」ことが影響しているのかな?

Hoffmann:死というものを受け止めるにあたって、宗教的な拠り所を失ったということはあるだろうね。

Klingsol:そのひとつのあらわれが死刑を廃止する国が増えてきたことなんだよ。逆に、一党独裁の国はその「一党」が宗教だから(笑)死刑廃止なんて議論ははじまらない。

Kundry:ただ、死を絶対的なタブーにしてしまう風潮には異を唱えたいですね。どうも偽善的に感じられます。

Hoffmann:非日常であるものを、まるで存在しないものであるかのように隠蔽するのはエロティシズムに対する態度と同じだね。偽善だし、差別思想につながるものだ。