157 「ジンボー」 アルジャナン・ブラックウッド 北村太郎訳 月刊ペン社




 アルジャナン・ブラックウッドArgernon Blackeoodはイギリスの怪奇小説作家です。独特の神秘的自然観による小説によって名を高め、生涯に書き残した幻想小説・怪奇小説は長短合わせて200篇余を数え、20世紀イギリス最大の幻想怪奇作家と評価する向きもあるようです。「柳」「木に愛された男」「ウェンディゴ」「犬のキャンプ」といった短篇小説はとくに有名ですね。連作では「妖怪博士ジョン・サイレンス」。そのなかの一篇「いにしえの魔術」は以前取り上げたことがあります。


Algernon Blackwood

 今回取り上げるのは、長篇ファンタジー「ジンボー」です。

 多感な少年ジンボーは庭の空き家に陽気ですてきなインディアンが出没していると空想していたが、家庭教師ミス・レークに、「とてつもなく悪いもの」がいると脅かされ、激しい恐怖に突き落とされてしまう。ミス・レークは解雇されたが、ジンボーは空き家からいちばん遠い、庭の反対側で遊ぶようになる。ところが雄牛の角に吊り上げられ、頭から逆さに落下して重傷を負い、意識不明となる。

 ジンボーの魂は謎の屋敷に囚われていた。そこにひとりの女性が現れ、ミス・レークと名乗る。


「知っている、人だと、思ったんだけど」と、彼はあえぎながら言った。「でも忘れ、ちゃったよ――男の人だと、思ったん、だけどさ」
「ジンボー!」とその人は叫んだ。その声はたいそうやさしく、切ない思いに満ちていて、この人こそぼくの味方だぞ、と思わずにはいられなかった。「ジンボー!」

「わたしはお払い箱になった家庭教師よ」。そう切りだして、彼女はかたずをのんでいた。
「お払い箱になった!」とぼんやり彼はくりかえした。「どういうこと? どうして?」
「子供を脅かしたからよ。こわいお話を男の子にしてしまったんだけど、それ、うそだったの。その子をとってもこわがらせちゃったものだから解雇されたの。それでいま、ここにいるのよ。罰をうけているってわけ。その子を見つけ―うまく逃がしてあげられるまで―わたしはここに閉じ込められてるのよ」


 やがてジンボーの肩胛骨が痛みだして、翼が生えてくる。そして、ミス・レークの指導で、屋敷から脱出するために、翼で飛翔する訓練に励む・・・。


 高度はたいてい千フィートぐらいだったが、地球は下のほうに大きな筋の入った影みたいに通りすぎていった。けれども、月が昇ってくると、地上はたちまちすてきな妖精の国に変わった。月の光は、やわらかな魔法のように森に触れ、原っぱも生け垣も霜が降りたように美しく輝いた。薄く透きとおった霧の下には、水面が銀色に光り、どんな高さからでも、陸地と区別することができた。また農場や牧舎はやさしい灰色の影に包まれて、木々や煙突がほっそりした黒い線となってそれらに刺さっているように見えた。遠くで青いヴェールをあちこちに紡ぎ出している煙突の群れを見ていると、その煙が、ありふれたつまらないものまで、何かうっとりするような、神秘的な存在に変えていくように思われた。

 ある晩、ジンボーは忘我状態となり、意識が、自分のからだが横たわっている夜の子供部屋で、母親や医者が自分を取り囲んでいる情景を見る。

「ジンボー」と、ミス・レークは涙とため息のはざまでささやいた。「ジンボー! どこへ行ってしまったの? 教えて、お家の方、やっとあなたを迎える用意ができたのね? とうとうあなたは行ってしまうのね? あなたを助けるにはこれしか道がないのね――あなたと別れるしか?」

「ぼく、先生のこと思い出したいよ。だって、そうすれば、先生は二人のぼくの家庭教師みたいなものだから、ぼくも、二倍、先生が好きになれるからね」


 そして、ついに怪物の巨大な影を手を逃れ、ジンボーは夜の空に飛び立つ・・・。

 美しくも静謐感漂う、長篇ファンタジーです。ブラックウッドというと、おそらく多くの人には、先に挙げた怪奇短篇小説で知られているものと思いますが、個人的にはこのようなファンタジーにおける精神世界の拡大に至る神秘主義の方が堂に入ったものだと感じています。ブラックウッドの長篇ファンタジーで翻訳されたものは、この「ジンボー」のほか、「ケンタウロス」(八十島薫訳、月刊ペン社)、「妖精郷の囚れ人」(高橋邦彦訳、月刊ペン社)がありますが、なかでもこの「ジンボー」は童話風の物語でその宇宙観を展開しており、心洗われるような読後感に浸ることができるものです。翻訳もそのあたりを意識しているようですね。ちなみに「妖精郷の囚れ人」には再びジンボーが登場します。上記三作は古書で入手するのもさほど難しくないと思いますが、再刊されて広く読まれてもいいと思います。


(おまけ)



 こちらはHoffmannさんからお借りした、"JIMBO"の1st edition、Macmillan and Co.から1909年に刊行されたものです。


(Kundry)



引用文献・参考文献

「ジンボー」 アルジャナン・ブラックウッド 北村太郎訳 月刊ペン社




Diskussion

Parsifal:Hoffmann君はブラックウッドの本を集めているの?

Hoffmann:ほとんど翻訳で読んでいる。原書はアンソロジーに収録されたものを除けば、この「ジンボー」と「ジョン・サイレンス」"John Silence"(こちらはreprint)だけ。短篇集はドイツ語訳を1冊持っているくらいだな。

Parsifal:「ジョン・サイレンス」も好きなのかい?

Hoffmann:特別というわけではない。たまたま古書店でWilliam Hope Hodgsonの"Carnacki The Ghost-Finder"と並べてあったので、両方買ったんだ(笑)

Klingsol:同じイギリスのM・R・ジェイムズがいかにも正調古典怪談であるのに対して、ちょっと違う所にいるよね。Kundryさんの言うように、独特な神秘的自然観と宇宙観なんだけど・・・これはドイツ・ロマン主義に通じるものだね。じっさい、ブラックウッドは学生時代にドイツに留学して、ノヴァーリスなどに熱中していたらしいから。

Kundry:なるほど、たしかに言われてみれば・・・。

Hoffmann:出来不出来の波があるような気がするな。最近、光文社古典新訳文庫で南條竹則訳で出たのを読んだけど、長篇の「人間和声」なんて、ちょっと退屈だった。それで短篇集「秘書綺譚」の方が・・・と思いきや、表題作の「秘書綺譚」とか有名な「炎の舌」なんて、あらためて読んでみると、それほどいいとも思わない。説明過多ではないんだけど、なにが起きているのか、ちゃんと「わかる」ように書いてあって、そこがちょっと理屈っぽいと感じるんだ。

Parsifal:摩訶不思議な怪談としては、M・R・ジェイムズの方が安定していて、緻密なのはたしかだね。

Klingsol:「理屈っぽい」というのは分かるけど、この「ジンボー」では童話テイストがそこを中和しているんじゃないかな。囚われているほかの子どもたちの歌が・・・つまり詩の形式で挟まれたりして、いい具合に物語を構成している。

Hoffmann:たしかに、「ジンボー」と「妖精郷の囚れ人」はいいね。

Kundry:「妖精郷の囚れ人」は音楽劇になっていませんでしたか?

Hoffmann:これを翻案した音楽劇「星の光の速達便」"The Starlight Express"だね。イギリスの作曲家エルガーが音楽を付けている。謂わば、「英吉利版 銀河鉄道の夜」だよ(笑)