172 「チーズとうじ虫 16世紀の一粉挽屋の世界像」 カルロ・ギンズブルグ 杉山光信訳 みすず書房




 16世紀、イタリア北東部フリウリ地方の粉挽屋が異端審問の末、焚刑に処せられた。この本は、異端審問記録ほか埋もれた史料を駆使しつつ、この一地方農民の内面を探り、さらには民衆文化の深層に迫ろうとする、ギンズブルグ史学の初期の著作です。

 1583年9月、イタリア東北部、当時はヴェネツィア共和国本土属領のフリウリ地方において、教皇庁により告訴されたのは、ひとりの粉挽屋。本名はドメニコ・スカンデッラ、人々からはメノッキオと呼ばれていた男。職業柄、白のチョッキ、白のマント、白麻の帽子をいつも身に着け、裁判の席にもこの白ずくめの服装でやって来た。


「私が考え信じるところでは、すべてはカオスである、すなわち土、空気、水、火のすべてが渾然一体となったものである。この全体は次第に塊になっていった。ちょうど牛乳からチーズができるように。そしてチーズの塊からうじ虫が湧き出るように天使たちが出現したのだ。そして至上の聖なるお方は、それらが神であり天使たちでもあることを望まれた」

 この粉挽屋は、当時畑の地代は払っていたものの、後に娘の結婚の資産を普通に出せるくらいのまずまず中の上といった程度の家。注目すべきことに、彼は読み書きができて、フリウリ地域の田舎町の助役のようなこと(財政的役職)もしていました。そんな男が当時のローマカトリックでは「異端」とされる教義を周りの人々に語っていた。それもある日突然思いつきで言いはじめたのではなく、この裁判よりも30年ほども以前からのこと。

 さらに注目すべきことは、メノッキオはだれかにそのような考えを吹き込まれたのではなく、ましてや啓示を受けたとか特別な霊感を得たわけではない、所有している本や借りてきた本を読んで、自分で思索し、推測した結果の考えなんですよ。単なる思いつきではなく、十分に体系化されたもの。

 ちなみに16世紀前半までイタリアで流行した「再洗礼派」でも、宗教改革プロテスタントでもないメノッキオのもとにあった本は、「ザンポロ」(「カラヴィアの夢想」)、意外にも「コーラン」、それに無削除版の「デカメロン」、それに、「赦しの宗教」という本。これは、人道的なキリスト教理解が進むと「神」の存在理由がなくなるので、「神の恩寵」という人間には予測できない仕組みを入れることでその宗教の危機を除こうとする、トゥリオ・クリスポルディなる著者の「赦すことの若干の理由」という小冊子。さらにマンデヴィルの旅行記。これは著者の想像の産物による架空の旅行記なんですが、そこに記された信仰や慣習の多様性には、かなり影響された模様です。つまりこれらの本が、メノッキオに同時代の人々の信仰の根底について考え直すための足場を与えたということ。

 ここに挙げた本は、異端審問官が家宅捜査をしたけれど、たいしたものがなかったので返却したというものなんですよ。だからどれも異端の考えが記された本というわけではない。メノッキオが喋っていたのは、これらの本に書いてあることから、考察し、推測していった、メノッキオがとらえた「世界の姿」であり、「世界の理」なのです。

 ギンズブルグはこうしたことから、この読み書きのできたこの16世紀の粉挽屋という、あまり一般的でもなさそうな人物を、どの程度まで、どのような集団(民衆)の代表的な人物として考えることができるのかと問いかけてゆくのですが、それはおいといて―

 メノッキオが読んだテクストを超越して自分の推論を展開して行くのがたいへんおもしろいんですね。この、謂わば宗教的ラディカリズムは、いずれ同時代のさまざまな異端や人文主義的教養をもつ人々による一歩も二歩も進んだ宗教的理論形成に合流・結実しているんじゃないでしょうか。この時代に異端審問の審判にかけられて、遂には焚刑に処せられてしまうような即物的な新しい宇宙観を創り出したということが驚くべきこと。それが当時の社会が生み出していったものなのかと問うより以前に、メノッキオという一個人について、関心を持たないではいられません。

 たとえば、メノッキオは法廷において、富裕者が貧乏人に対してラテン語のような理解できないことばを使用することで行っている抑圧を告発しています。つまり、貧しい人々は言われていることもだまされていることも理解できない―と。そして、イエス・キリストの「神を愛し隣人を愛せ」というのは、キリスト教のみならず、すべての宗教に等しく光明を認める―と。洗礼も含めてすべての秘蹟を、人間が考えだしたもの、聖職者の側からの搾取と抑圧との道具であり、「売り物」である―と。


「思うに教会の教える律法と戒律はすべて売り物であり、教会はそれで生きている」

「私たちは生まれるやいなや洗礼を受けるのだと思う。なぜなら、すべてのものを祝福された神が私たちに洗礼をさずけるからである。また、洗礼の秘蹟はひとつの発明物であり、聖職者たちは誕生の前に人びとの魂を食べ始め、人びとの死後にいたるまでずっと魂を食べつづけるのだと思う」


 まだまだあるんですが、16世紀の、言っちゃ悪いんですが田舎ですからね、これは懐疑主義というよりも、批判精神じゃないでしょうか。「司祭はそう言うが私はこう考える」といっても、生まれてからそのように教えられて生活してきて、その末に独自の判断の独立性、自立的な立場をとる権利を主張しているんですよ。自己批判精神を持たない人間に出来ることではありません。

「私が抱いているこれらの見解は、私が自分の脳味噌から引き出したものです」

 メノッキオは最後までこの立場を変えませんでした。だから、裁判において、誰がそのような考えをお前に吹き込んだのか、すべての共犯者の名前をあげよ、「お前と同じ考えをしているお前の仲間の名を言いなさい」と、繰り返し繰り返し問われても(いまふうに言えば「背後関係」を疑ったんだね)、メノッキオのこたえは同じ。

「猊下、私はこういったことをだれかに教えたことも、私の意見に加担するものももったことはありません。私が言ったことは、私が読んだあのマンデヴィルの書物が原因で言ったものなのです」

 16世紀にして近代人、いや、歴史上のあらかたの近代人すらも易々と凌駕して先を行っている。

 チーズ、うじ虫=天使、カオスから創造された神=天使・・・ほとんど誰にも相手にされることなく、当時としては不信心であったとしても、たいして害のない言行なんですよ。いまならちょっと風変わりな粉挽屋(パン屋かな・笑)ですまされてしまうでしょう。悪くても妄想患者として癲狂院行き程度。ところが16世紀のキリスト教世界でしょ。異端を識別して、とにかく排除と抑圧することがお家芸だったんですよ。通常の4倍ないし5倍の長さの判決文によって(ということは裁判官も苦労して)有罪とされ、2年間牢獄に閉じ込められることに。その後、改宗を認められて一度は故郷に帰ったのですが、しかし再度の裁判となって、カトリック教会の最高の首長、教皇クレメンス8世が乗り出してきてメノッキオの死を求めたために、いともあっさりと処刑されてしまいました。


(Parsifal)



引用文献・参考文献

「チーズとうじ虫 16世紀の一粉挽屋の世界像」 カルロ・ギンズブルグ 杉山光信訳 みすず書房




Diskussion

Parsifal:念のため付け加えておくと、チーズからうじ虫がわいて出てくるのは、古い時代のヨーロッパで作る生チーズのことだから、衛生管理が不十分でないために、知らぬ間に虫に卵を産み付けられたため。しかし農民の生活実感としては、チーズから自然発生するうじ虫というimageを持たれていて、これはメノッキオにしても同じこと。ところが彼はさらに一歩進んで、これをローマ教会の教義である「無からの創造」に対置してしまったわけだ。

Klignsol:著者の論点は支配層の文化と民衆文化、口承文化の相互干渉にあるようだね。やはり中世の民衆においても、伝承や書物を通じて、支配階級とかカトリック教会とかのそれとは異なる知見・世界観を知ることができれば、独自の実証主義的(?)な宗教観を生み出していくことがあったんだ。

Parsifal:宗教改革の時代でもあるからね。カトリック教会の腐敗ぶりは言うまでもない、民衆の間でも共通認識だったのではないかな。グレゴリオ暦への改暦が1582年で、反対したのはむしろプロテスタントだけど、カトリックもまだまだ古い。

Kundry:異端審問で、メノッキオが「お前と同じ考えをしているお前の仲間の名を言いなさい」と繰り返し問われたという背景に、宗教改革運動が垣間見えるような気がします。たしか、カトリックとプロテスタントの対立が解消されたのは1648年の三十年戦争の講和条約であるウェストファリア条約でしたよね。

Klingsol:そのような時代、そのような社会で、しかも読み書きができるとはいえ粉挽屋という階層に、自分の頭で読み考える人間がいたというのはちょっと驚きだったな。いや、職業差別をするつもりはないけれど、「コーラン」が読まれていたというのも、知らなかった。どうも1547年にはイタリア語訳されていたみたいだね。案外と読まれていたんだな。それに、メノッキオは本の貸し借りまでしている。既にこの階層が精神的には自立しつつあったということなのか・・・。


Hoffmann:「コーラン」は読んだことがないなあ。


Parsifal:「コーラン」そのものは読んだことがないけど、「コーラン」に関する本なら、リチャード・ベルの「コーラン入門」(医王秀行訳 ちくま学芸文庫)と井筒俊彦の「『コーラン』を読む」(岩波現代文庫)には一応目を通したことがある。一貫した体系があるものではないけれど、案外と先行するユダヤ教やキリスト教の影響も見て取れるようだ。

Klingsol:岩波文庫から井筒俊彦訳で、上中下の三巻本で出ている。冒頭に祈祷文があって、あとは主題的な統一が図られていない。しかも、ムハンマドの受けた啓示は、はじめの方が晩年のもので、後へ行くほど初期の啓示になっていく傾向がある。しかも書かれているのは神託だから、じつに非日常的だ。

Kundry:Klingsolさんは読まれたのですね。機会があったら、そのあたり、詳しくお話を聴きたいですね。


Hoffmann:う~ん、それを読んで自分なりに理解しようと努めたのだから、メノッキオもたいしたものだ。


Kundry:なんだか、異端審問の場がメノッキオの晴れ舞台になっているような気さえしますね。この時代に、ましてや一粉挽屋がこれだけ自分の考え(思想とさえ言ってもいいもの)を主張できる機会はそうそうあったとも思えません。


Hoffmann:著者の意図とは別に、というのは、民衆文化の問題は別にしても、メノッキオ当人の内的宇宙(ミクロコスモス)がたいへん興味深い。

Parsifal:そうそう、堀田善衛の中世小説集「聖者の行進」(筑摩書房)に、この粉屋を描いた・・・というか語った「メノッキオの話」が入っている。そこではギンズブルグの本が参考文献として挙げられているんだよ。