029 「絞殺魔」 “The Boston Strangler” (1968年 米) リチャード・フライシャー 「映画を観る」では初登場のKlingsolです、よろしくお願いします。 1962年から1964年にかけて、ボストンで陰惨な連続殺人事件が発生しました。最近も、この事件を追う2人の女性新聞記者の姿を描いた映画が公開されているようですが、今回取り上げるのは、事件をドキュメンタリータッチで描いた古典中の古典、コテンコテンの1968年公開作品、リチャード・フライシャー監督の「絞殺魔」”The Boston Strangler”(1968年 米)です。出演はトニー・カーティス、ヘンリー・フォンダほか。 セミ・ドキュメンタリーふうの構成はこんなところにあらわれています。やたら目に付く画面分割。ちなみにDVDの英語音声はstereoで、音や台詞もピンポンみたいに左右を行ったり来たり・・・ちょっと目まぐるしいですね。 捜査陣が藁をもすがる思いで頼った「超能力探偵」ピーター・フルコス、このあたりも事実に即して描かれているのですが、ために、さほどドラマの展開に貢献しない要素でさえも丹念に描かれることとなって、冗長との印象も避けられず。しかし・・・ 後半、別件で逮捕したアルバート・デサルヴォこそ「ボストン絞殺魔」ではないかと尋問を行うシーンでは、ここまで事件をドキュメンタリーふうに積みあげてきた甲斐あって、息詰まる緊張感。冗長と思えるシーンも無駄ではなかった? つまり、空振りに終わった捜査も丹念に、事実どおりに描いてきたことによって、デサルヴォ逮捕後のシーンが活きてきた・・・と見えるのですね。なぜかというと、ここで世界が変わるんです。逮捕以前はリアリズム重視のドキュメンタリー、逮捕後は、デサルヴォの主観(注意、内面にあらず)という視点でカメラが回っているのです。 なんといっても見どころはトニー・カーティスの鬼気迫る演技。「ペティコート作戦」(1959年 米)のホールデン大尉とはエライ違いです。この頃、出演するのはもっぱら軽めのコメディばかりで、往年の2枚目スターとしての人気にも翳りが見られてきた時期。じつはフライシャー監督もトニー・カーティスに目をつけていたところ、これを聞きつけた本人がそれならと、自ら売り込んできたとか。なるほど、カーティス自身も意欲満々だったのですね。 おかげで映画としての出来は立派なもの・・・なんですが、ちょっと待て・・・この映画、事実に基づくとされているんですが、じつはアルバート・デサルヴォが1964年に別件(強姦事件)で逮捕されて、間髪入れずに制作されている、つまり、この連続絞殺殺人事件に関しては、係争中だったんですよ。つまり、デサルヴォはこの時点では容疑者にすぎなかったのに、映画のなかではすっかり真犯人扱いされている。よってせっかくのトニー・カーティス迫真の演技も(俳優に責任はないんですが)脚本家の想像の産物であり、「見てきたような嘘」なんですね。 法廷で立証されていないものを、勝手に有罪として、その犯行を映画にしちゃまずいでしょ。だいいち、デサルヴォの二重人格なんてのも、あくまで映画のなかでの設定であって、あまり根拠がない。そんな診断が下されていたわけではないのです。それでも臆面もなく「実際の事件に基づいている」なんて看板を掲げている・・・。集客すなわち金儲けが最優先のハリウッドのことですから、ンなことかまやしない、ネタが新鮮なうちに荒稼ぎしようぜ、ってわけでしょうか。 いや、たしかに映画としてはよくできているんですけどね。先ほど述べた、デサルヴォの主観を視点にして描こうというのは実験的でもあり、トニー・カーティスの演技によって、きわめて効果的です。ただ、これが係争中の時点での、脚本家の推測、というのことが大問題なのです。さらに言えば、被害者の遺族の心情を考慮しても、どうなんでしょうか。 新聞は「映画が法廷よりも先に有罪を宣告するべきでない」と20世紀フォックスを非難しましたが、当然ですよね。で、その後裁判でどうなったかというと、物証はなくて本人の自白のみ、法廷で自白しなければそれまで。なので、逮捕のきっかけとなった強姦事件のみについて責任能力を争って、その結果終身刑となり、ボストン絞殺魔事件については起訴されませんでした。そして服役中の1973年に、獄中で何者かによって刺殺されることになります。 ボストン絞殺魔事件について さて、ボストン絞殺魔事件”The Boston Strangler”については、この映画を観ただけでも結構詳しくなれますが、ここで簡単に説明しておきましょう。 事件は1962年6月14日から1964年1月4日の間にボストン市内で発生した連続殺人事件です。13件の被害者はすべて女性、19歳から75歳まで。ほとんどが絞殺で、被害者の共通点は、遺体発見時にほぼ全裸であり、強姦はされていないものの性的な暴行を受けた形跡があり、絞殺にはストッキングやタイツなど、被害者の衣類が用いられていたこと。また、絞殺に用いた衣類を蝶結びにしてあったり、殺害後の遺体の女性器を、入室する者に見てくれと言わんばかりの露出状態にしておいたりと、その態様から異常者による犯行と見られ、当時の新聞は犯人を「絞殺魔 (Strangler)」の名で報道しました。 13人の被害者の中には、強姦の形跡が見られるものもあり、また刺殺という例外もありました。しかしなんといっても最悪なのは、最後の被害者、最年少19歳のメアリー・サリバンで、発見時にはベッドの上で両膝を立てて脚を広げ、陰部に箒を挿入されており、1月だったためなのか、被害者の左足の指の間には”Happy New Year”のグリーティングカードが残され、さらにフィルムの包み紙らしきものが残されていたことから、犯人が自分の成果を写真に収めたと思われる状況であったというもの。 ボストン警察署は連邦捜査局(FBI)にも応援を募り、特別機動パトロール隊を市内の巡回にあたらせましたが、手がかりは一向につかめず。1964年に入ってからはマサチューセッツ州法務庁が一連の事件を担当することとなり、事件に憂慮する資産家の資金提供と紹介を受けて、超能力者を名乗るオランダのピーター・フルコスに協力を求めました。すると、彼が透視した犯人像にずばり一致する容疑者がいたのですが、結局その男は犯人ではなく、事件解決に結びつく成果を上げることはできませんでした。ああ、やれやれ。 複数犯説も浮上するなか、1964年から約9か月間にわたり、マサチューセッツ州を含む広範囲で約300件の連続婦女暴行事件が起きていました。警察は犯人と思しき男の服の色から「グリーンマン(緑の男)」と呼んでいたのですが、同年11月6日、グリーンマン事件の犯人としてアルバート・デサルヴォが逮捕されます。 この男、子供の頃はアル中の父親に毎日殴られ、あげく農家に売り飛ばされて、逃げ帰ってからは盗みと万引きに空き巣、強盗と悪に染まって、それでも結婚。彼はセックス依存症の気味があって、妻は一日6回の性交が毎日続くことに辟易していたそうです。そしてやはりというか、妻の妊娠中には9歳の少女にいたずらをするという性犯罪を起こしています。ちなみにこの少女の母親は娘の評判を気にして告訴を取り下げており、その後も強制猥褻事件を起こして11か月服役しているのですが、裁判では不法侵入のみ問われて、デサルヴォはいずれの事件でも「性犯罪者」にファイルされていなかったのですね。だからボストンの事件でも捜査線上に浮かんでこなかったのです。 さて、「グリーンマン」として逮捕されたデサルヴォは、精神疾患の疑いから翌1965年に精神病院に収容され、ここで同室となった殺人犯ジョージ・ナッサーが、彼を絞殺魔事件の犯人として弁護士に密告することになります。ナッサーによれば、会話内容から彼を絞殺魔と直感したとのことで、さっそく弁護士がデサルヴォに面会したところ、彼は自分が絞殺魔であることをあっさり認めました。当時の警察は「グリーンマン事件」と「ボストン絞殺魔事件」を同一犯によるものとは見なしていなかったため、捜査上の大失態と非難されました。デサルヴォの告白により、当時の警察が同一犯と見なしていなかった犯行が2件加わり、一連の事件の被害者は上記のとおり、13人と判明したわけです。 デサルヴォの自白は警察が公表していない事柄に加えて、警察が把握していないことまで含まれており、捜査陣は彼を絞殺魔と断定しました・・・が、当時は有力な物的証拠がなく、彼の告白のみが唯一の証拠。弁護士は当然、法廷での自白を禁じるだろう・・・そこで妥協案として司法取引を持ちかけました。検察は彼をグリーンマン事件のみで訴追する、責任能力が否定された場合に限って、ボストン絞殺魔としての自白を認める・・・と。結果、責任能力が認められ、法廷では絞殺魔事件について触れられることはなく、デサルヴォはグリーンマン事件の犯人として終身刑が宣告されました。 そして1973年11月26日、デサルヴォは収容先のマサチューセッツ州ウォルポール刑務所の独房で刺殺体となって発見されました。原因は諸説あって、所内の麻薬密売にまつわるトラブル、または囚人同士の言い争いの末によるものとも言われていますが、犯人は不明のままです。 デサルヴォ冤罪説について その後、デサルヴォに関しては、冤罪説が唱えられたこともあります。デサルヴォは精神病院で同室のジョージ・ナッサーとの会話内容から絞殺魔であることが発覚したとされていますが、自身が注目を浴びたいがため、または精神疾患ゆえに、その内容を自白として警察に語ったとの説も有力視されています。また、密告したジョージ・ナッサーこそが真の絞殺魔であり、デサルヴォはその精神疾患につけこまれたとする説も。 じつは、デサルヴォの自白内容は、被害者のうちの何人かの殺害状況とは異なった点があり、また殺害時に目撃された不審人物の容姿もデサルヴォの容姿と一致していないのですね。 また事件の捜査には州の法務庁が介入したわけですが、当時の法務長官エドワード・ブルックが上院議員選挙に立候補していたことから、デサルヴォを強引に自白させ、事件解決につなげて選挙戦を有利に運ぼうとした、という声もあります。これには裏付けもあって、当時の捜査本部では、デサルヴォの自白内容は秘匿されており、その内容は限られた者にしか知らされていませんでした。なので、デサルヴォが犯人であることを疑問視する検察官や警察官も少なくなかったと言われています。 さらに、物的証拠に関しては、残されていた指紋、頭髪、血液、精液などがFBIの犯罪研究所に送られたものの、FBIからの回答は一切なく、物証がデサルヴォと一致していたのかどうか、不明なのです。 遺体に残されていた精液のDNA鑑定については、デサルヴォと不一致だった、いやいやデサルヴォと一致したんだ、という相反する結果が取り沙汰されていますが、これはこういうこと―2000年、メアリー・サリバンの遺族が埋葬されている彼女の遺体をもとにワシントン大学に調査を依頼したところ、遺体に犯人と思しき体液の痕跡があり、DNA鑑定によりデサルヴォと一致しないことが判明。ところが、DNA鑑定における精度が向上したとして、再度バージニア州とテキサス州のラボでDNA鑑定を行った結果、今度は完全に一致。これで少なくともメアリー・サリバン殺害については物証により裏付けられた・・・という経緯があるのです。 ただし私はこのDNA鑑定に関しては、はちょっと怪しいなと思います。いまだって精度は100%ではないはず。それにこれ、「クロ」と出るまでやり直すつもりだったんじゃないでしょうか。なんだか、大阪維新の会が大阪都構想の住民投票を、賛成多数となるまで何度でもやり直そうとするのと同じような気がします。しかも、2回目はたしかデサルヴォの親族の検体を使用したはず。さらに言えば、鑑定を行ったラボも信用できるのか・・・なにしろ被疑者が謎の死を遂げるような国ですからね・・・。 冤罪説のなかには、絞殺魔事件の後にグリーンマン事件が発生しており、殺人事件から婦女暴行へと、殺人犯が、それより軽い犯罪である変質者になったというのは、犯罪心理学から見て不自然とする意見もあり、ウォルポール刑務所で刺殺されたのも、遺体に争いの形跡がなく、彼の毛髪からは精神安定剤が検出された上、デサルヴォの実弟が殺害前日、彼から「食事のせいで気分が悪い」と電話を受けていることから、デサルヴォが自白を撤回しようとしたところを口封じのために暗殺されたのではないかという推測する向きもあります・・・が、いまや真相は闇の中です。 (Klingsol) 引用文献・参考文献 「現代殺人百科」 コリン ウィルソン、ドナルド シーマン 関口篤訳 青土社 「人狩り 連続殺人犯を追いつめろ!」 コリン・ウィルソン 植松靖夫訳 悠書館 |