069 「影なき淫獣」 ”Torso” (1973年 伊) セルジオ・マルティーノ ジャッロ映画、スラッシャー映画について




 ジャッロ映画について

 「闇の聖母」の話でダリオ・アルジェントの映画を取り上げたときに「ジャッロ映画」なんてキーワードを出してしまったので、今回は「ジャッロ映画」についての解説からはじめることにします。

 ジャッロの起源は1929年に遡ると言われています。この年、ミラノの出版社、アルノルド・モンダドーリ社は、アメリカのミステリ作家S・S・ヴァン=ダインの「ベンスン殺人事件」のイタリア語翻訳版を出版する際に、その表紙の基調を黄色に設定しました。黄色とはイタリア語で"giallo"、この出版社はその後も自国の作品翻訳作品を問わず、ミステリー小説、サスペンス小説、スリラー小説を出版するときには表紙を黄色系統で統一することで独自性を打ち出したのですね。この戦略は成功した模様で、同業他社もこれを模倣、そうしたことから「ジャッロ本」"I libri giallo"と呼ばれるジャンルが成立することとなりました。そしてやがて演劇や映画の世界でも「ジャッロ」ということばが適用されるようになったというわけです。

 なお、ジャッロ小説は一貫して本家本元のモンダドーリ社が最大手なんですが、ミステリとかサスペンス、スリラーといった用語にジャッロという用語を加えようと試みたのは、混乱を引き起こしただけで、失敗に終わったようです。

 
「スパズモ」 "Spasmo" (1974年 伊)

 それではジャッロをどう定義するかとなると、これはさまざまな見解があります。探偵ものと同義だよ、という人もいれば、スリラーのことでないかい、という人もいる。緊張や暴力の描写が第一であって、事件の解決に向けた捜査は二の次でんがな、という声もあります。いやいや、「ノワール」「スリラー」「犯罪小説」と区別しなければならない必然性はないぞよ、なんて人も。

 一般的には、ジャッロ映画と言うときには、探偵もの、スリラー、サスペンスなど、わりあい広い幅を持って使われているようですね。終幕で犯人を明かす「フーダニット」(誰が殺したのか)、殺しの手口に趣向を凝らす「ハウダニット」(いかにして殺したのか)のいずれの作風も含むものです。ただ、純粋に謎解きの面白さを期待するようなものではありません。やはりスリラー的、サスペンス的要素が強い。

 ひとつ、確実に言えることは、イタリアではミステリは冷遇されてきたということ。一段低いジャンルとして扱われていた。だから、初期のジャッロ映画は海外ロケが多いんですね。これには、イタリアの警察の頼りなさも影響していると言われています。なにしろ国家憲兵隊、カラビニエリは古くから徴兵基準が著しく低いことで有名でしたからね。むしろカラビニエリはズッコケキャラの定番だったのです。だから事件の捜査陣として前面に押し出すには無理があったのです。

 私もジャッロ映画と呼ばれるものはかなりの数観てきたんですが、明確な定義付けとするには検討の余地があるとはいえ、ある種の傾向が見られることは指摘しておきたいですね。

 ひとつは、性的要素。つまりたいてい女性のヌードが出てくる。役柄としては娼婦なんてのもよく出てくるパターンです。といっても脇役で、あっさり殺される役。だからこれを演じるのはポルノ女優だったりするわけです。もっともこれはジャッロだからということではなくて、客を呼べる映画を作ろうとしてそうなっているのかも知れません。

 
「スローター・ホテル」 "La bestia uccide a sangue Freddo" (1971年 伊)

 もうひとつ、暴力的なところがある。これも犯罪ものとかサスペンスものであれば、当然そうなるのではないかという話になりそうですが、しかし毒殺だけでstoryが紡がれたジャッロ映画はありません(たぶん)。やっぱり、わりあい派手に血が流れるんですね。

 
「炎のいけにえ」 "Macchie solari" (1975年 伊)

 そうして、これが最も重要かも知れません。犯人捜しや、犯人の犯行(殺人)に精神分析的な動機付けが行われるものがたいへん多い、というか、ほとんどがそう。そして犯人の狂気にスポットが当てられる。これはやはりヒッチコックの「サイコ」"Psycho"(1960年 米)あたりの影響と思われます。考えてみれば、「サイコ」のシャワー・シーンだって、モノクロ画面ながら公開当時は残酷な流血場面と言われましたからね。精神分析のみならず、殺人シーンに関しても、「ジャッロ映画」のお手本とされたのが「サイコ」なのかも知れません。そもそも、イタリア映画で「ジャッロ映画」と呼ばれるものが出てくるのが、1960年あたりからなんですよ。イタリア映画というのは他人の作品のパクリが多いものですからね。

 話を精神分析に戻すと、これに関しては多くのジャッロ映画で利用され続けています。ダリオ・アルジェントなんてまるで自分独自の着想のように言っていますが、どれも、いわゆる「サイコもの」とひとくくりにできるものです。リッカルド・フレーダ、アントニオ・マルゲリーティ、セルジオ・マルティーノ、レナード・ポルセリ・・・みんなそう。ダリオ・アルジェントでも、またミケーレ・ソアヴィやルチオ・フルチも超自然を扱えばまた異なっているんですが、いまは「ジャッロ映画」の話ですからね。

 ここでヒッチコックの「サイコ」について再度ふれておくと、幼少期のトラウマが多重人格の症状を引き起こすという設定を効果的に用いた草分け的な作品であるわけです。きちんと謎解きを行わずにはいられなかったのであろうヒッチコックによって、観客はノーマン・ベイツが「異常」に陥った理由が解って納得する・・・でもね、これは考えようによっては、事後の説明のために呼び出された「物語」、すなわち「捏造物」であるかもしれないのです。この場面では、警察が精神分析医の説明に耳を傾けていましたよね。つまり、戦後台頭した専門職が社会を変えていく物語なのです。「わからない」ものを「わからない」ですませることができなくて、無理矢理にでも話"story"をまとめてしまう、そんな胡散臭さもヒッチコックの狙いではなかったのか。ノーマン・ベイツですよ。精神分析医は"Norman'すなわち「存在しない男」"No Man"の物語を紡いでいるのです。トラウマとは、本人には語ることばがないことを思いだして下さい。人間は、そんなに簡単に物語に収まりきれるものなんでしょうか。ましてや"Norman"、境界線を喪失した人間です。

 
「笑う窓のある家」 "La casa dalle finestre cha ridono" (1976年 伊)

 とはいえ、幼少期のトラウマにより性格が分裂した主人公が犯人だった、という映画は無数に制作されることになりました。その結果どうなったか。トラウマというのは、プロットの説明を強引にこじつける便利な装置と成り下がってしまったのです。いちばん簡単かつ雑なのは、「犯人は異常者でした」というもの。さすがにそれだけですませてしまおうというものは滅多にありませんが、もはや多重人格というのも陳腐にならぬよう、映画で扱うのはなかなか難しい。「シャッター アイランド」"Shutter Island"(2010年 米)などはよくできている映画と言っていいでしょう。また、多重人格というテーマの陳腐さを逆手にとって、奇想天外な荒技でもって成功させた映画に、ジェームズ・マンゴールド監督の「アイデンティティ」"Identity"(2003年 米)があります。

 あと、意外なところで意外な設定が施されている映画といえば、ジョナサン・デミ監督の「羊たちの沈黙」"The Silence of the Lambs"(1991年 米)における殺人犯、バッファロー・ビル。富士山の刺繍が入ったジャンパー、蝶を模した着物でのパフォーマンス、星条旗、軍隊用の暗視カメラ・・・これはバッファロー・ビルがアジアで兵役に就いていたことを暗示しています。つまりベトナム戦争の帰還兵。ベトナム戦争がこの男をかくも残忍な犯罪者に変えたのだ、というメッセージだとは思いませんか。だから誘拐したのが議員の娘だったというのも象徴的なのです。これはさりげなく付け加えられているトラウマの物語の例です。

 話を戻すと、私は「ジャッロ映画」と呼ばれる作品でフロイト的な精神分析が出てくると、「またか」と苦笑してしまいます。言っては悪いんですが、フロイト的と呼ぶのもためらわれるような、底の浅い、お手軽な引用にすぎないものばかりなんですね。場合によっては、storyが破綻していることもあります。

 
「デリリウム」 "Delirio caldo" (1972年 伊)

 さて、今回ジャッロ映画について語ろうと思って、映画はどれを取り上げようかと、いろいろ観返してみたんですよ。観たものを挙げておくと以下のとおり―

「炎のいけにえ」 "Macchie solari" (1975年 伊) アルマンド・クリスピーノ

「スローター・ホテル」 "La bestia uccide a sangue Freddo" (1971年 伊) フェルアンド・ディ・レオ

「スパズモ」 "Spasmo" (1974年 伊 )ウンベルト・レンツィ

「デリリウム」 "Delirio caldo" (1972年 伊) レナート・ポルセッリ

「笑う窓のある家」 "La casa dalle finestre cha ridono" (1976年 伊) プピ・アヴァティ

「影なき淫獣」 "Torso" (1973年 伊) セルジオ・マルティーノ


 ダリオ・アルジェントやルチオ・フルチは別な切り口でも取り上げることができそうなので、今回は避けました。ま、結局どれでもいいようなものなんですが、「影なき淫獣」を取り上げることにします。

 "Torso"というのはアメリカで上映されたときの表題で、イタリア語の表題は"I corpi presentano tracce di violenza carnale"(それらの遺体は性的暴行の痕跡を示す)というもの。ロコツですな(笑)しかし映画の中では遺体は損壊されてはいるものの、性的暴行の痕跡はないんですけどね。このあたりのいいかげんさも「ジャッロ映画」ならでは・・・かと思いきや、これ、じつはもともとの表題は"I corpi non presentano tracce di violenza carnale"(・・・痕跡を示さない)だったところ、プロデューサーが"non"(ない)では配給の障害になると、"non"を消してしまったんだそうです、ひどいよね(笑)ちなみにアメリカ公開版"Torso"は残酷シーンをカットしているらしいのですが、私の観たBlue Underground盤も"Torso"表題なのでカットがあるのかも知れません。

 舞台はペルージャの学生街、若い女子学生たちが次々と殺害され、身の危険を感じた4人の親友たちは田舎の別荘に身を隠すのですが、謎の殺人鬼は彼女たちを執拗に付け狙い・・・というstory。



 覆面姿の殺人鬼により次々と惨殺されていく女子学生というこの映画は、マルティーノ監督の最後のジャッロ映画であり、スラッシャー映画の先駆けであるとも言われています。あ、「スラッシャー映画」だなんて、また別なキーワードが出てきてしまいましたNA(笑)



 私が上記で述べたジャッロ映画の要素をすべて持っている映画です。謎解きの要素は希薄、最初に主人公かと思っていた登場人物は殺されてしまい、ヒロインがバトンタッチする、自由奔放な若い女性たちはよく着衣と脱衣を繰り返すし(つまりヌードを見せる)、猟奇殺人で肉体損壊もある、犯行の動機は犯人の幼少期のトラウマ・・・。いやあ、この幼少期の体験というのが、説明されても「?」と、どうも納得がいかないのはご愛敬。

 犯人と思しい男が付けていたという幾何学模様のスカーフが、赤地に黒模様なのか、黒地に赤模様なのか、なんてアイデアも取って付けたような気がします。とはいえ、登場する男性キャラクターの全員が疑わしく見えるような演出はなかなかうまいものですね。ピッピーのコミューンが登場するあたりも時代を感じさせて面白い。



 終盤、ヒロインが目覚めると親友たちが無残な死体となっており、そこに犯人がノコギリを持って戻ってくる、とっさに隠れるヒロイン・・・このあたりからのサバイバルは目が離せなくなるし、猟奇サスペンスとしてはなかなかのセンス、さすがに娯楽映画を量産したベテラン監督だけのことはあります。



 ヒロイン役は前半がティナ・オーモン、後半がスージー・ケンドール。美人女優から同じ美人女優でも、より清楚系にバトンタッチしているわけです。やはり清楚系が生き延びるのはお約束? もっともこの人、イギリス出身ながら見かけるのはもっぱらイタリア産娯楽映画ですね。おそらく多くの人の印象に残っているのはダリオ・アルジェントの「歓びの毒牙」"L'uccello dalle piume di cristallo"(1970年 伊・西独)のヒロイン役でしょう。上記「スパズモ」にもご出演。

 脇役ですが、変質者ないし変質者めいた役柄に欠かせない(笑)エルネスト・コリがスカーフの捜査中に露天商役で登場しています。「炎のいけにえ」では気が弱いくせにヒロインのミムジー・ファーマーを襲い、猛烈な反撃を受けています(笑)こういうバイプレーヤーが案外と作品を引き締めるのですよ。




 スラッシャー映画について

 なお、スラッシャー映画"slasher film"というのは、登場人物がひとりまたひとりと殺人鬼に殺されていく映画のことを指します。犠牲者の数が多ければ多いほど盛り上がることから、別名「ボディ・カウント映画」と呼ばれることもあります。多くの場合は刃物で殺害され、犠牲になるのは10代や20代の若者が中心。人里離れたキャンプ場や別荘などが舞台となるケースが多いようですね。殺人鬼は仮面や覆面を被っており、クライマックスで正体が明らかにされることが多い。最後まで生き残るのは処女や童貞。セックスやドラッグに手を出した若者は容赦なく殺されます。副次的な要素としては、過去の過ちが、クリスマスやハロウィン、バレンタイン・デーなどといった記念日などにトラウマ的に呼び起こされ、それが殺人鬼を刺激して殺人に駆り立てる、というパターンが多く見られます。

 原点と言われているのはマリオ・バーヴァの「血みどろの入江」"A Bay of Blad"(1970年 伊)ですが、もちろん「ジャッロ映画」からの影響も指摘されるところです。代表作といえば、「悪魔のいけにえ」"The Texas Chain Saw Massacre"(1974年 米)、「暗闇にベルが鳴る」"Black Christmas"(1974年 加)、「ハロウィン」"Halloween"(1978年)、「13日の金曜日」"Friday the 13th"(1980年 米)などといったあたりでしょう。


(Hoffmann)



参考文献

「ジャッロ映画の世界」 安井泰平 彩流社