089 「プラン・9・フロム・アウター・スペース」 "Plan 9 from Outer Space" (1959年 米) エドワード・D・ウッド・Jr いや、どうも前回の「愛の嵐」"Il Portiere di notte"(1974年 伊)とはエライ落差で気が引けますな(笑) 「プラン9・フロム・アウター・スペース」"Plan 9 from Outer Space"(1959年 米)。Z級映画の定番中の定番、「史上最低の映画」として有名なSFホラー映画です。監督・脚本・製作はエド・ウッドことエドワード・D・ウッド・ジュニア。 「最低映画」の頂点に君臨し続けるゴミの中のゴミ・・・であるが故に人気があり、別な意味で評価されているという駄作・愚作・怪作・珍作。もはや「ゴミのような映画」というよりも「映画のようなゴミ」。芝居も脚本も学芸会レベルでありながら、制作されてから60余年を経てもなお話題に上り、語り継がれる、神話レベルの最低映画です。あまりに酷い内容から買い手がつかず劇場未公開。テレビ局に二束三文で権利を投げ売りした結果、アメリカでは深夜テレビで繰り返し放送され、一部でカルト的な人気を得ることとなり、マニアの間では「史上最低の映画」として有名であったところ、1980年、「ゴールデン・ターキー・アワーズ」という本で、じっさいに「史上最低の映画」に選ばれてしまいました。その後、ティム・バートン監督の映画「エド・ウッド」"Ed Wood"(1994年 米)で一般にも知られるようになった映画です。はい、ここまでに「最低」ということばが5回出て来ました。 ま、とりあえず観てみましょう。 物語のナレーター、クリスウェルの予言から始まります。クリスウェルは未来への注意を呼びかけ、「あの運命の日に何が起こったか」を語りだす・・・。 カリフォルニアのサン=フェルナンドの墓地で葬儀が行われている。最愛の妻を失った老人。一方、アメリカン・フライト812のパイロット、ジェフ・トレントは飛行中にUFOを目撃した。 その頃、妻を亡くした老人は交通事故で亡くなり、墓地ではふたりの墓堀り人夫が死んだはずの女性が歩いているのを目撃する。老人の葬儀の参列者が墓堀り人夫の死体を発見し、ダニエル・クレイ警視らが現場に到着するが、クレイ警視もまた死者に襲われる。 同じ頃、多数のUFOが市民に目撃されるようになり、戦争を繰り返す人類に対する警告が送られてきた。UFOの母艦では警告聞く耳を持たない地球人に対して、第9計画を実行することが決断される・・・。 自動車のホイールキャップを利用したと言われていますが、灰皿を伏せたようにも見えますね。 以上のような壮大な物語が、思いっきり安っぽく、グダグダに、行き当たりばったりに、描かれてゆく・・・その瑕瑾をいちいち指摘していたらきりがありません。最大の瑕瑾は撮影開始の段階でベラ・ルゴシが既に亡くなっていたこと。このため、彼が登場するシーンはかつて撮っておいたフィルムを使っているのですが、そもそもこの映画のために撮影したものではありませんから、重要なシーンでもなんでもない。無理矢理放り込んだだけ。それだけでは足りないので代役を使っているんですが、これがベラ・ルゴシにはぜんぜん似ていないので、常にマントで顔を隠している、それでも別人であることは丸わかり(笑)一応(いちお)、この映画はベラ・ルゴシの遺作ということになるんですけどね・・・。 ロケで撮ったシーンは空が明るいのに、セットのシーンは真っ暗。UFO攻撃シーンは朝鮮戦争のドキュメンタリー・フィルムを流用。戦闘の指揮をとっている大佐はスタジオの壁の前に立っているだけ。セットも低予算どころの騒ぎではありません。航空機の操縦席は学習椅子をふたつ並べただけ。操縦桿はただの板。墓石ときたらダンボール製。出演者が倒れると、この墓石も飛び跳ねる。そして、UFOは自動車のホイールキャップ。吊している糸も丸見え。しかも、UFOを目撃したパイロットは妻に「ハマキ型だった」と言っています(笑)それはギャグだろう、と思いますか。違うんですよ。これが全部大真面目にやっていることなんです。 操縦桿はただの板(左)、戦闘の指示を出す大佐は壁の前に立っているだけで、ちょっと寂しそうです(右) さきほど「あらすじ」らしきものを説明しましたが、これだって支離滅裂。一応、アメリカ各地で空飛ぶ円盤が目撃されたのは、軍拡競争で自滅の道をたどる人類に警告するため、外宇宙からやって来たということらしいんですけどね。ところが、軍上層部は彼らのメッセージを拒絶、攻撃してしまう。それで宇宙人は墓場から死者を甦らせて人間たちを驚かせ、地球を征服する「第9計画」を発動した・・・という設定・・・らしい。 いやあ、私もいま自分がなんの話をしてるか、分からなくなってきましたぞよ。ことわっておきますが、私は決して深夜泥酔して話しているのではありませんよ。意味のあることを言おうとしているのですが、この映画について語ろうとすると、だんだん意味がなくなってきて、ただのことばの羅列になってしまうのです。トホホ・・・。 ラストでは宇宙人が長々と演説をするのですが、これまたなにを言っているのやら、さっぱり意味がわかりません。もっとも、全篇にわたって、なにを言っているのかわかるシーンの方が少ないんじゃないでしょうか。この無意味な演説を、また律儀になことに直立不動で聞いている地球人。まるで前衛演劇の舞台を見ているかのようです。 簡素なUFO内部(笑)しかもみんな棒立ちで、下ろした両手のやり場に困っています(笑) 脱力ものの映像と脚本で、いっさい演技指導を受けていない素人役者陣は、ただ突っ立って台本どおりの台詞を喋るのみ。甦ったゾンビは3人だけ、その行動範囲は墓地のなかだけ、やってきた警官は、やたら緩慢な動きで迫ってくるゾンビに抵抗するでも逃げるでもなく、ただ棒立ちで悲鳴をあげているうちに襲われるだけ・・・って、こんなことにいちいちツッコンでいる自分が大人気なく思われてきます(笑) それでももう少しお話ししておくと、甦らせたゾンビたちを制御する方法が、銃口をぐりぐり押し当てるというもの。銃の発射描写があると特殊効果が必要になってしまいますが、ただ押し当てるだけなら特殊効果が要らず製作費が浮くわけです。しかし、そんなことでツッコミを入れようというのではありません。途中、銃をぐりぐり押し当ててもゾンビを制御できなくなるというシーンがあるんですよ。なぜか。銃を仔細に点検したところ・・・「故障したわ!」(笑)しかし、この銃を床に投げたら直って、ゾンビの鎮静化に成功する。「投げたので直ったわ」(笑笑) 緊張感ってなんスか? ベラ・ルゴシといえば、往年のユニバーサル映画におけるドラキュラ俳優。アルコール中毒で身を持ち崩していたところ、1953年の「グレンとグレンダ」"Glen or Glenda"でスクリーンに呼び戻したのがエド・ウッドで、そのこと自体はいい話ですね。その亡き妻役を演じているのはヴァンピラ。ロサンゼルスのローカルTVでホラー番組のホステスとして人気だった人。クレイ刑事役のトー・ジョンソンはプロレスラーから俳優に転身した人。ロバーツ将軍役のライル・タルボットもワーナー専属のスターでした。ところが、どちらさまもすっかり落ちぶれて仕事がなかったところ、エド・ウッドに拾われたわけです。 Bela Lugosi、Vampira(Maila Nurmi)、Tor Johnson そのほか、ナレーターを務めるクリスウェルはローカルTVのトーク番組で人気を集めていた占い師。宇宙人役のジョン・ブレッケンリッジは大富豪にして社交界の変人として有名だった人。この時代にしてゲイであることを隠さず、じつはこの映画で警官役を演じているのが、彼の当時の恋人だったそうです。 The Amazing Criswell 話が横道に逸れますが(なにをいまさら・笑)、ヒッチコックの「サイコ」”Psycho”(1960年 米)のお話の時にKlingsol君が補足してくれた、アメリカの著名人ではじめて性別適合手術(性転換手術)を受けたクリスチーネ・ヨルゲンセンChristine Jorgensenを思い出して下さい。「グレンとグレンダ」"Glen or Glenda"(1953年 米)はこのヨルゲンセンの話題に便乗しようと、ハリウッドの低予算映画プロデューサー、ジョージ・ウェイスが企画した映画なのです。そして彼は服装倒錯者であったエド・ウッドに話を持ちかけました。エド・ウッドは、自分こそヨルゲンセンの苦悩を理解できる唯一の監督だと乗り気になったのですが、ヨルゲンセンに出演を依頼したところ断られ、自ら主演することに。そうこうするうちに、映画のテーマは性同一性障害の話ではなく、エド・ウッド自身の服装倒錯になってしまいました(笑) 一応、性転換を好まない宗教に対して寛容を要求したいという、エド・ウッドの服装倒錯者としての主張がある、ということらしいのですが、どういうわけかバッファローの暴走の記録映像なども挿入されており、ベラ・ルゴシの出演シーンも物語とは無関係、例によってstoryも構成も支離滅裂。まあ、自分の服装倒錯を寛大に認めて欲しい、という思いだけは伝わって・・・こないでもない(笑) 閑話休題。 エド・ウッドの偉大なところは、まったく才能も能力もないのに、自分ではそのことに気がつかず、むしろ自信さえ持っていたらしいところ。そして映画制作にかける、有り余るほどの情熱が、上記の致命的な欠陥を超越してしまったという例です。といっても別に奇蹟の名作が生まれたわけではありません、言ってみれば「珠玉のクズ映画」ができあがってしまったのです。無理矢理にその長所を探すとすれば、ハリウッドの商業主義に毒されていないこと・・・とは言えそうです(毒されようがないよな・笑)。 生前はまったく評価されなかったエド・ウッドですが、いまや熱狂的なファンとして知られているのがクエンティン・タランティーノやティム・バートンなど。そのティム・バートンが手掛けた伝記映画「エド・ウッド」では、ラストシーンで本作が完成します。エド役のジョニー・デップが「ついに最高傑作が出来た」と言って感慨に浸る・・・という心温まる結末なのですが、ここで笑えるのは既に「プラン9・フロム・アウター・スペース」を観た人。観ていない人はジョニー・デップに(うっかり)感動して、この映画に期待すらしてしまうんじゃないでしょうか。 「エド・ウッド」"Ed Wood"(1994年 米)から―これはエド・ウッドがオーソン・ウェルスからアドバイスを受けるシーンです。 なお、次々と登場した女性が裸踊りをする珍作、「死霊の盆踊り」"Orgy of the Dead"(1965年 米)もエド・ウッドの監督作品だと思っている人がいるんですが、これは間違いです。監督はA・C・スティーヴン。エド・ウッドは脚本を書いただけです・・・って、あのポンコツ映画に脚本があったということの方が驚きですNA。 (Hoffmann) 参考文献 とくにありません。 |