133 「狂へる悪魔」 "Dr.Jekyll and Mr.Hyde" (1920年 米) ジョン・S・ロバートソン 19世紀イギリスに生まれた、偉大なるドッペルゲンガー、二重人格の物語であるロバート・ルイス・スティーヴンスンの「ジキル博士とハイド氏」(1886年)は、発表されるや劇場上演の話が持ちあがっています。トマス・ラッセル・サリヴァンの翻案で、リチャード・マンスフィールドが1887年5月のボストンで二役を演じたのが第一号。 最初の映画化は1908年、アメリカのセリグ社によるもので、1909年にはデンマークでも映画化。三作目は1912年にレムリによって、四作目と五作目は1913年、それぞれアメリカとイギリスで、六作目は1914年、スターライト社によって製作されています。1920年にはさらに四つのヴァージョンが作られており、それぞれジョン・バリモア主演でフェイマス・プレイヤーズ=ラスキー社、シェルドン・ルイス主演でパイオニア社、それにコメディ仕立てのものがアロー社によって製作され、四つ目がドイツで、F・W・ムルナウによって、「吸血鬼ノスフェラートゥ 恐怖の交響曲」"Nosferatu - Eine Symphonie des Grauens"(1921年 独)の前年に、「無断で」製作されています。ムルナウ版の原題は「ヤヌスの顔」"Der Januskopf"、邦題は「ジェキル博士とハイド氏」。版権のことは念頭にあったようで、原作を隠すためにスティーヴンソンの小説はかなり手を加えられていて、登場人物名も変えられていました。ジキル博士に該当するのがウォーレン博士、ハイド氏がオコナー氏で、オーストリア版はタイトルも「ウォーレン博士とオコナー氏」とされていたんですよ。にもかかわらず、「吸血鬼ノスフェラートゥ 恐怖の交響曲」がブラム・ストーカー未亡人に訴えられたように、この映画もロバート・ルイス・スティーヴンソン財団によって上映禁止にされたとも言われていますが、真偽は不明。主演はコンラート・ファイト、なんと脇にベラ・ルゴシが出演しているというこの映画は、残念ながらfilmが行方不明。上映禁止にされたことによる影響ではないかと思われます。 ともあれ、上記のとおり、サイレント時代は11本の「ジキル博士とハイド氏」が世に出たことになる。 それだけ、「ジキル博士とハイド氏」の物語は、アメリカ、ドイツでかなりの商業的成功を収めたということですね。第一次世界大戦が1914年から1918年でしょ、このひとりの男が残忍な暴力の世界に転落するという物語が、ひとつの国の暗喩として受け取られたのかもしれません。 さて、今回はサイレント期の、ジョン・バリモア主演の邦題「狂へる悪魔」を取り上げます。 storyは― 舞台は19世紀後半のロンドン。 貧しい人々のための診療所を経営する医師ジキル博士は、その傍らで自宅の離れに研究室をもうけて新たな薬品の実験に勤しんでいる。親友であるラニオン医師は、清廉潔白な人道主義者のジキル博士を心から敬愛しつつも、彼の純粋さに危うさも感じていた。ジキル博士の婚約者、ミリセント嬢の父親ジョージ・カルー卿は若い頃から遊び人として有名な放蕩貴族。「若いうちに人生を楽しまなくてはもったいない」と、真面目で禁欲的なジキル博士に忠言する。「人間誰しも野蛮な面がある。それを否定せずに受け入れれば、誘惑を恐れることもない」として、ジキル博士を半ば強引に場末のナイトクラブへと連れていく。そこでイタリア人の妖艶な踊り子ジーナを見かけたジキル博士は、生まれてはじめて性的欲望と興奮を覚える。 自分の中に眠る「悪」の存在に気づいたジキル博士は悩む。人間にとって何よりも大切なのは魂の純潔。邪な欲望を抑えなければ、善良な魂が汚れてしまう。だが、もしも人間の中にある「善」と「悪」を完全に切り離すことができたら、たとえ悪徳の誘惑に負けたとしても魂は善良なままでいられる・・・そう考えたジキル博士は研究所にこもって、人間の「善」と「悪」を切り離す薬を完成させる。その薬を飲んだジキル博士は、みるみるうちに邪悪で醜い別人格へと変身。次に血清を飲むともとのジキル博士へと戻った。邪悪な別人格をハイド氏と名付けた彼は、召使いたちにハイド氏を自分の友人だと伝え、さらに法的にもハイド氏を自分の財産の受取人として指名する。 こうして彼は、昼間は貧しい患者たちの命を救う高潔な医師ジキル博士として、夜は怪しげな酒場や阿片窟に出入りする野蛮な男ハイド氏として、二重生活を送るようになる。ところが、次第にハイド氏の人格がジキル博士の人格を圧倒するようになり、薬を飲まなくても発作的に変身してしまうようになる。しかも、ハイド氏の狂暴性は増していき、容姿もさらに醜くなっていく。もはや悪徳の誘惑に打ち勝てず、薬を止めたくても止められないジキル博士。ついには、留守がちなジキル博士を心配するミリセントのため、身辺を調べていたカルー卿を、ハイド氏に変身して撲殺してしまう。 数日後、ハイド氏から元の姿へ戻るための薬を作るのに必要な材料が底を突き・・・。 「アメリカで最初の偉大なホラー映画」とも呼ばれているサイレント映画の傑作です。これまでに数えきれないほどの舞台や映画、ドラマの題材となってきましたが、その最高峰の座は、いまもって揺るぎません。 ジキル博士は、原作ではもともと内に二面性を秘めていたことになっていますが、この映画では、ジキル博士を清廉潔白な理想主義者へと変更しているため、「善」と「悪」の葛藤というテーマは、たいへんわかりやすくなっています。また、小説版では目立たない脇役に過ぎなかったカルー卿に、ジキル博士を悪徳と快楽の世界に誘うという「誘惑者」の役割を与えている。つまり、「ジキル博士とハイド氏」に影響された、オスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの画像」におけるヘンリー卿を、映画版の「ジキル博士とハイド氏」に登場させたわけです。おまけにハイドはダンスホールの踊り子ジーナに目をつけて破滅させるというのも、「ドリアン・グレイの画像」における女優シビル・ヴェインの借用。これは偶然ではなくて、脚本家のクララ・S・ベランジャーの意図。いとも自然に(ダジャレです)紛れ込ませていますね。 ついでに言っておくと、「ドリアン・グレイの画像」が、後にハリウッドで映画化されたときには、シェイクスピア女優シヴィル・ヴェインがミュージック・ホールのロンドン娘に変更されており、「ジキル博士とハイド氏」と「ドリアン・グレイの画像」は相互に影響しあっていたんですよ。 ただし、このジキル博士とハイド氏の関係性において対になる、淑女ミリセントと悪女ジーナという女性キャラクターの存在は、1887年にロンドンで初演された舞台劇版のオリジナル設定を取り入れたもの。この、カルー卿の娘とジキル博士が婚約関係にあることや、ハイドがダンスホールの少女に目をつける(恋に落ちる)という設定は、以後の映画でもしばしば採用されることとなりました。 原作では、ジキル博士の親友である弁護士アタスンの回想形式で、徐々に真相へ迫っていく構成が、時系列に沿って描かれるというのは、これは映画版としてはやむを得ない、当然の措置ながら、緊張感が途切れることのないサスペンス風のストーリーテリングのうまさは抜群のもの。 ハイド氏へと変身するたびにどんどん容姿が醜くなり、狂暴性が増していくという設定は、梅毒への警鐘だったとも言われています。1918年に終結した第一次世界大戦後、アメリカではヨーロッパ戦線へ出征していた兵士たちが梅毒を持ち帰り、国内で急速に感染が広まっていたんですね。もちろん、未だ有効な治療法が見つかる前のこと、当時アメリカで深刻な社会問題となっていたわけです。なるほど、たしかに全身から顔面まで発疹や腫瘍が現れて歪んでいくハイド氏の様子は、梅毒患者の症状を想起させるものがあります。ただし、これはじつをいうと原作にもヒントがあって、小説中でも、はっきりと「梅毒」とは書かれていないものの、ジキル博士がこの業病に罹患しているのではないかと疑われている描写があるんですよ。 しかし、本作がいまなお不朽の名作として語り継がれる最大の理由は、ジキル博士とハイド氏の二役を演じ分けた主演俳優ジョン・バリモアの名演技でしょう。もともとアメリカ演劇史上でも屈指の大スターに数えられるブロードウェイの名優が、その二枚目俳優のイメージをかなぐり捨てた怪演を披露していることは、当時も大変話題になったようです。 そもそもこれが舞台版であれば、メイクに頼らすに変身しなければならないんですからね。じっさい、舞台でこれを演じたリチャード・マンスフィールドは顔の表情と照明だけで変身して見せたわけですよ。おそらく、バリモアもマンスフィールドの演技を意識していたんじゃないでしょうか。これは満更根拠のない想像ではなくて、マンスフィールドはバリモアの父モーリスの友人だったんですよ。この映画でも、ジキル博士がハイドへ姿を変える際、メーキャップは使わず、表情をゆがめ、仕草を変化させるだけで、しかもワンショットで、演じ切っています。変身するたびに容姿が醜くなるという設定もあって、以降はメイクの力を借りることにはなるのですが、バリモアはカメラを止めずに顔料を塗る工夫をしたんだとか。それで同一人物とは思えないような変貌ぶりを見せている。これぞブロードウェイの名優が、サイレント映画において見せた怪演と言っていいでしょう。 なお、指を長く見せるため、指先にはゴム製の小道具をつけていますが、これは翌年、「吸血鬼ノスフェラートゥ 恐怖の交響曲」のマックス・シュレックのメイクに影響を及ぼしたと考えられます。また、激しい痙攣のシーンで、この指先のゴムが外れてスクリーンを横切って行くのが確認できます。 バリモアはこの映画の撮影中、昼はジキル博士とハイド氏を演じ、夜は舞台で「リチャード三世」を演じており、身が持たないほどのスケジュールをこなしていた・・・というか、じっさい身が持たず神経衰弱に陥って、ついに療養所に入所しています。なお、言わずもがなの注釈を施しておくならば、リチャード三世はせむしです(注:「せむし」は差別語ではありません)。 バリモア以外の共演陣では、場末のナイトクラブでステージに立つ妖艶な踊り子ジーナ役のニタ・ナルディが印象的です。バリモアがパラマント社長アドルフ・ズーカーに推薦して、この作品が映画デビュー。以後1920年代のハリウッドを代表するヴァンプ女優となります。 ジキル博士の婚約者である令嬢ミリセントを演じているマーサ・マンスフィールドも、上品できれいな女優さんなんですが、役柄で損しましたね、もうひとつ印象には残らない。どことなく儚げに見えるのは、この3年後、映画の撮影中の事故で衣装に火が付いて、全身火だるまになって焼死してしまったという悲劇を知っているための先入観でしょうか。 今回私が観たのは、KINO International版DVD。2001年に出た、35mmのオリジナルネガ・フィルムから起こした修復版です。その後さらにその修復版フィルムをHD解像度で新たに再修復したデジタル・リマスター版が2014年にBlu-rayで発売されているようですが、私はこのDVDでもう十分です。 (Hoffmann) 参考文献 「モンスター・ショー 怪奇映画の文化史」 デイヴィッド・J・スカル 栩木玲子訳 国書刊行会 |