137 「ラスト・エクソシズム」 "The Last Exorcism" (2010年 米) ダニエル・スタム 前回、Parsifal君が取り上げた「エミリー・ローズ」は2005年のアメリカ映画でしたね。これに先立つ1970年代に、社会現象ともなった「エクソシスト」以後、悪魔及び悪魔憑きを扱った映画のブームがありましたが、どちらかというとB級の模倣作が目について、たちまち廃れていったんですよ。ところが、21世紀に入ってから制作された悪魔祓いものは、この「エミリー・ローズ」をはじめとして、名作かどうかは別としても、結構手間のかかった力作揃い。 そうしたなかから、今回は「ラスト・エクソシズム」"The Last Exorcism"(2010年 米)を取り上げます。監督はドイツ出身のダニエル・スタム。制作者にはイーライ・ロスが名を連ねており、どうも彼が制作総指揮であったらしく、それも納得。変格ものと見せかけておいて、その実ストレートの直球勝負。で、ありながらこれまでにないoriginalityを持つ映画です。しかも― 「悪魔の花嫁」 "The Devil's Rides Out" (1968年 英) テレンス・フィッシャー 「魔鬼雨」 "The Devil's Rain" (1975年 米) ロバート・フュースト 「悪魔の追跡」 "Race with the Devil" (1975年 米) ジャック・スターレット ・・・などといったあたりの悪魔映画のオマージュにあふれているのも見所のひとつ。作品自体は「エクソシスト」の系列に連なる悪魔祓い映画でありながら、「その他」の悪魔映画の要素を取り混ぜて、悪魔憑き映画の存在意義を問い直し、シニカルに再構成しているところがユニークです。 storyは― これまで数々の悪魔払い(エクソシズム)の儀式を行ってきた、ルイジアナ州バトンルージュのコットン・マーカス牧師。子供の頃から同じく牧師であった父親に仕込まれて牧師を演じてきたにすぎず、悪魔の存在など信じてはいない。彼が行う儀式も、さまざまなトリックを駆使したもの。そんな生活から足を洗う決意をしたコットンは、牧師としての説教や悪魔祓いの儀式の舞台裏を撮影させ、それをドキュメンタリー映画として公表することに。そして撮影隊を引き連れ、悪魔が取り憑いたという少女のいる農場へと向かう。それはコットンにとって、最後の儀式(ショー)となるはずだったのだが・・・。 巧妙なトリックと迫真の演技で16歳の娘ネルの悪魔祓いは完了。撮影クルーとともにモーテルの宿泊したところ、深夜、ネルが現れる。ネルを病院へ連れて行き、精密検査を受けさせるが、病院を嫌うネルの父親ルイスは娘を家に連れ帰ってしまう。戸惑うコットンに、ルイスは再度の悪魔祓いの儀式を要求する・・・。 ・・・というわけで、悪魔祓いの裏側、すなわちインチキを全部公開するドキュメンタリーに参加するという形ですから、映画全体がフェイク・ドキュメンタリー(モキュメンタリ)になっています。 先ほど、「これまでにないoriginalityを持つ映画」と言いましたが、それは悪魔祓い映画としてのこと。インチキ牧師の舞台裏という点では、じつは"Marjoe"(1972年 米)という結構有名なドキュメンタリー映画があるんですよ。ペンテコステ派のマージョー・ゴートナーという若い宣教師がいて、4歳か5歳の頃から父親に仕込まれてお説教していたら、熱狂的なファンがついた。やがて父親は出ていったんですが、伝道師としての名声と地位を利用して、生計を立てていたんですね。ところが本人はインチキを演じ続けることに耐えられなくなって、「これでもうやめる」と最後のツアーを組んで、周囲には内緒でドキュメンタリー班を引き入れて撮影させる。つまり本人とそのドキュメンタリー班は全部インチキだって分かっているけれど、周りの人たちはやっぱり信じている。集会でみんな恍惚状態になって、なにかが降りてくるとか言っている。その間に、ゴートナー自身がまったく信じていないと語るインタビューが入ったりする・・・。念のため繰り返しておきますが、これは正真正銘のドキュメンタリー映画。「ラスト・エクソシズム」はおそらくこの"Marjoe"を意識している、というより、明らかに取り入れていますね。 フェイク・ドキュメンタリー映画って、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」"The Blair Witch Project"(1999年 米)以来、流行りましたよね。ホラー映画好きの私は結構いろいろ観たので、この「ラスト・エクソシズム」をはじめて観たときは、いささか食傷気味でした。それに、手持ちカメラだと画面がフラフラ揺れるので、観ているうちにキモチ悪くなっちゃうんですよ。もっとも、そんなところがホラー映画には効果的だったのかも知れません。この映画では、「おいおい、カメラは何台あるんだい?」とか「いまこれ、だれが撮ってるの?」なんておかしなシーンは、まったくなかったとは言えませんが、さほど目につくほどでもない。そもそもの設定が、コットン牧師の最後の仕事のドキュメンタリー制作ですから、その点でも不自然ではない。 このstoryでは、コットン牧師もなかなか好感の持てる人物です。インチキと言ったって、別に悪徳牧師じゃない。あくまで家族を養うためにショーを演じているだけ。それに、案外と正義感もある善人。コットンにしてみれば、信じている人間にとっては悪魔祓いもカウンセリングのようなもので、それで治療になって安心できるならば、それも世のため人のため。じっさい、ネルの異常もぎりぎりまで父親に由来する家庭問題に原因があると考えています。だから、観ている側としても、父親の狂信ぶりの胡散臭さに注意が向いてしまう。コットン牧師もそうですが、ネルの父親ルイスも、これ、典型的なキリスト教原理主義の福音派ですよね。たしかルイジアナ州には福音派が多いはず。 そして、この父親ルイスこそが、じつは娘を守ろうとしていた、彼の言っていることは正しかった・・・という結末。じつはこの点こそが、この映画が大問題を提起しているところなんですよ。つまり、福音派の狂信と見えたものが、じつは正しかった・・・と。もっとも、このことに気付いている人はあまりいないんじゃないでしょうか。というのも、最後に悪魔崇拝者の集団が登場してしまいますからね。それでちょっと目をそらされてしまう。この父親ルイスが正しかったということがなぜ問題となるのか、これついては、次回、Klingsol君が福音派に関することと併せて、お話ししてくれるはずなので、そちらに譲ることとします。 この映画で注目すべき俳優は、父親ルイス役のルイス・ハーサム。単純・素朴でありながら、狂信にこり固まったかのような牧場主を、説得力を持って演じています。じつはホントにルイジアナ州出身。それに、ネルを演じている女優さん、アシュレイ・ベルもいい演技をしています。どことなく、未成熟な思春期の不安定な内面を醸し出しているのもさることながら、首が変な方向に曲がって見えたり、海老反りをして見せたりと、これを特殊効果とかスタント任せではなくて、自らやっている。逆に言えば、「エクソシスト」でリーガンの首が360度回るような、「絶対にあり得ない」動きではない。だからこそ、精神疾患なのか悪魔憑きなのか、判別できないんですよ。こうなると、パトリック・ファビアン演じるコットン・マーカス牧師は、ほとんど狂言回し的な役どころですね。 (Hoffmann) 参考文献 とくにありません。 |