140 「巨大目玉の怪獣 トロレンバーグの恐怖」 "The Crawling Eyes" (1958年 英) クェンティン・ローレンス これまで取り上げてきたように、1950年代の怪物映画は、その怪物に、核(放射能)や共産主義の脅威を投影しているものが多い。しかしもうひとつ、興味深い側面として、飛び出さんばかりの大きな目玉や異様に大きな頭部(頭脳)のimageが繰り返し描かれています。こうした目玉と頭部が象徴するのは、地球外生物の生理学ではなく、むしろ視覚や頭脳に容赦なく詰め込まれる情報量の多さであるとはよく指摘されるところ。1950年代、人々は、主にTVによるかつてないほど激しいメディア攻撃にさらされていました。大衆がこれほど多くのメッセージや情報を目撃し、吸収するように求められた時代はなく、その情報を「受信」させられる。逃れたくても逃れられない電波が、まさしく空飛ぶ円盤の如く、空を飛び交っていたのです。そしてその情報を「処理」しなければならない。メディア攻撃は、巨大な目玉であらわされることにより脱人格化され、不安が投影されている。一方で、膨大な情報処理には巨大な頭部が必要とされたわけです。 いくつか例を挙げてみましょうか― 「ドノヴァンの脳髄」 "Donovan's Brain" (1953年 米) フェリックス・E・フィースト 「宇宙水爆戦」 "This Island Earth" (1955年 米) ジョセフ・ニューマン 「遊星から来た脳生物」 "The Brain from Planet Arous" (1957年 米) ネイザン・ハーツ 「暗闇の悪魔 / 大頭人の襲来」 "Invasion of the Saucer Man" (1957年 米) エドワード・L・カーン 「顔のない悪魔」 "Fiend without a Face" (1958年 英) アーサー・クラブトゥリー 「顔のない悪魔」は次回取り上げる予定ですが、ここでは人間の脳は完全に体外に出てしまい、蛇のように這いまわり、外れた脳髄を引きずりながら犠牲者を絞め殺します。 また、「暗闇の悪魔 / 大頭人の襲来」 は、この種の映画の中でももっとも誇張され、肥大した目玉と脳を誇るものです。異星人(演じているのは小人たち)の頭は巨大な電球を思わせるし、飛び出た目玉はあたかも野球のボールのよう。 これらの1950年代における新しい生物たちは、その身体の過激な変形というよりはむしろ退化と衰退を示そうとしているものです。つまり、未来(人)はimageを見たり、情報を処理することが中心となるであろうというわけで、目と頭だけが人体に有用な器官として残ったということ。 目に関して、例を挙げると― 「百万の眼を持つ刺客」 "The Beast with a Million Eyes" (1955年 米) デヴィッド・カーマンスキー 「サイクロプス」 "The Cyclops" (1957年 米) バート・Ⅰ・ゴードン 「巨大目玉の怪獣 トロレンバーグの恐怖」 "The Crawling Eyes" (1958年 英) クェンティン・ローレンス ・・・などにおいて、脱人格化され、不安が投影されています。 ちなみに、ここにスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」"2001:A Space Odyssey"(1968年 米)を入れてもいいんですよ。おわかりでしょうか? HALが人間に対して叛乱を企てるシーンです。宇宙空間に投げ出されたり、冷凍睡眠中の乗組員の生命を停止させたりと、静かな死がなんとも不気味なatmosphereを漂わせています。そのHALの赤い光をご覧下さい。これがボウマンとプールの会話を読唇しているときも大写しになりますよね。これはHALの眼球であり、同時にその感情を物語っているのかのように感じられませんか? つまり、ここにおいてHALは「一つ目巨人」なんですよ。 "2001:A Space Odyssey"(1968年 米) 「2001年宇宙の旅」はともかく、今回取り上げるのは「巨大目玉の怪獣 トロレンバーグの恐怖」"The Crawling Eyes"(1958年 英)です。 「巨大目玉の怪獣 トロレンバーグの恐怖」は1958年のイギリス映画。1956年の怪奇TVシリーズものをSF仕立てにしたもの。これはハリウッドを意識して、またアメリカに売り込む意図もあったのでしょう。じっさい、主演のジャネット・マンローは、本作後ディズニーと契約し、「南海漂流」をはじめとするディズニー映画で主演を務めています。 あらすじは― クレベット教授に招かれスイスのトロレンバーグ山の観測所に向かう国連職員のアラン。そこに向かう車内で知り合った透視の奇術を使う姉妹の妹のアンは突如何かに惹かれるように本来の目的地からトロレンバーグに途中下車してしまう。 山頂の観測所でアランと再会したクレベットはトロレンバーグの中腹で放射線を発しながら動かない謎の雲の存在を観測している。じつはふたりはかつてアンデスの山中で同じ現象に遭遇していた。あのときと同じことがトロレンバーグで起きているのでは? そんな折、謎の雲が意思を持つように動き出し登山者のいる山小屋を包む。翌日救助隊がたどり着くと小屋は凍結しており、中では二人の登山者の一方であるデューハストが首無しの死体となっていた。 その夜、もう一人の登山者ブレットが蒼茫とした状態で下山してきた・・・が、様子がおかしい。辿り着いたホテルでアンに出くわすや突然凶暴化しアンに襲いかかる。居合わせたアランの手でブレットは倒されるがその傷口からは出血がなく、しかも彼はかなり24時間前に死亡していた。 アンの透視術は実は奇術ではなく超能力であり、彼女は雲に潜む怪物の思考や行動をテレパシーで見通していたのだった。怪物はそれを恐れて、ブレットの死体を操り、アンに危害を加えようとしたのでは? やがて雲が再び動き出し麓の村を包み始める。アランとクレベットは村人たちを山頂の観測所に避難させる。怪物はついにその姿を現し観測所を包囲した・・・。 死体を操るというのはゾンビ風ですね。この侵略者(と一応呼ぶ)も、マインドコントロールをしているらしきところ、これは東西冷戦下の不安なのか、それとも単にアメリカ映画の影響なのか。 とはいえ、わりあい脚本はしっかりしていて、その生物が鉱山に現れた理由を「環境だろう」と推測するあたり、119 「巨大カニ怪獣の襲撃」 (1957年 米)と同じような説明ですが、まだしも納得できるように配慮しています。それに、観測所に籠城中、周囲に指図をするのは国連職員のアランで、要請されて出動するのも国連軍。これ、アメリカ映画だったら、間違いなくアメリカ民間人の役どころで、コトを解決するのもアメリカ軍ですよね。 最初に述べたことに関しては、たしかにヒロインが、テレパシーで「受信」しています。それではこの巨大目玉はメディアのもたらす情報量の多さ象徴しているのか。 でもね、じつはそれほどの巨大な目玉じゃないんですよ、原題だって"The Crawling Eyes"でしょ。巨大だなんて言っていない。それもこの宇宙生物は一つ目・・・ということで、ここで思い出していただきたいのは、小林正樹の「怪談」でのKlingsol君のお話。その部分を引用すると― そんななかでよかったと思うのは「雪女」の空に見える目ですね。目というものは古来から外界からの刺激を受容する器官であると同時に、外に向けて力を放射することもできると考えられていました。ゴルゴンのひとりであるメドゥサなんて、にらんだ相手を石に変えてしまいますよね。「邪視」なんて、古くは古代アイルランドの英雄伝説にも出てきますよ。フリーメイソンのシンボルは「万物を見通す目」でしょ。これはキリスト教の三位一体のシンボルともよく似ている。ヒンドゥー教やチベット仏教にはしばしば「第三の目」が超自然的な眼力や啓示のしるしとされています。そう、空にあらわれるのはふたつの目じゃないんです、単眼なんですよ。これは神の全知や太陽、その残酷非情な面をあらわしており、時に人間以下のものの目であるとされています。神話の一つ目巨人なんて、無意識の形象じゃないでしょうか。 そんなところじゃないでしょうか。ただ、story上、国連職員のアランとクレベット教授はかつてのアンデスでの経験を語り、そこには居合わせた新聞記者もいて、そこはかとなく「情報」重視。火炎瓶を投げたり、軍に焼夷弾を落とさせたりもするけれど、そこに至るまでは案外と頭脳戦です。だから、目というのは、人間以上の知性をあらわし、超自然の力をも象徴していると見ていいでしょう。 しかしながら、これに対して焼夷弾などという既存の武器で対抗できるところが、先の第二次世界大戦の戦勝国ならでは。我が国だったら、たとえば「ゴジラ」では、「オキシジェン・デストロイヤー」なんて、新たな武器・架空の武器を開発しなければならなかったでしょ。しかもそれを開発するのは隻眼の、つまり聖痕を持つ、世捨て人たる科学者。それに比べれば、1950年代の戦勝国には、まだまだ自分たちの力を信じている楽天性があるんですよ。 なお、この宇宙生物の目的がよくわからないとか、テレパシー能力を持つアンを始末しなければならないほど、どう危険であったのかが不明であるという声もあるようですが、宇宙生物の意図が我々人間にわかりやすい方が不自然です。というか、人間の思考で理解できると考える方がおかしいでしょ。宇宙人の思考が人間とほとんど同じ価値観によるものとなって、その行動の目的がスンナリ理解できるようになるのは、我が国で言えば「ウルトラセブン」以後のこと。突然やってきた宇宙生物が人間に危害を加えるのに、「背後関係・全貌の解明を」なんて考える方が無理があります。だいいち、それどころじゃないでしょ(笑)宇宙人だって、怪物だって、目的なんか持たない「狂えるピエロ」の方がよほど怖い。ホラー映画だってそうですよ。殺人鬼の目的が明らかでわかりやすいものであれば、それはもう対抗できる可能性が出てくるし、ゲーム感覚になってしまうんです。 (Parsifal) 参考文献 とくにありません。 |