141 「顔のない悪魔」 "Fiend without a Face" (1958年 英) アーサー・クラブトゥリー 巨大な一つ目どころか、巨大な頭部どころか、人間の脳を完全に体外に出してしまって、蛇のように這いまわらせ、脊髄を引きずりながら犠牲者を絞め殺すという映画が「顔のない悪魔」"Fiend without a Face"(1958年 英)です。これも1958年のイギリス映画。 storyは― 舞台はカナダの空軍基地。その周辺で続発する謎の殺人事件。被害者は脳と脊髄がすっかり抜き取られていた。調査を進めるカニンガム少佐は、不審死した農夫の妹バーバラが助手をつとめているウォルゲート教授の研究が事件と関係しているとにらむ・・・。 殺人犯の正体はウォルゲート教授の思念が実験により実体化した、脳味噌が脊髄を引きずっているような怪物だった。怪物は大量に増殖、少佐たちは科学者宅に籠城。怪物が、空軍基地からレーダー機に送られる放射線をエネルギー源としていることから、原子炉を停止させようとするが、怪物の妨害によって制御棒は使えない。少佐は施設を爆破するべく決死の覚悟で包囲を突破する・・・。 レーダー機に送られる放射線とか、予備の制御棒がないので最終手段で爆破するとか、ツッコミどころは満載ですが、そもそも思念を実体化させるなんていうSFですからね、とりあえずそのあたりは大目に見ることとして― レーダーの実験シーンでは、「シベリアが・・・見えます」「成功すれば24時間ロシアを監視できる」「戦闘機やミサイルも手に取るようにわかる」なんて、なんとも遠慮も会釈もない(笑)ストレートな台詞があります。東西冷戦下における軍事行動を描いているんですから、そのパラノイアックな不安が投影されていることは間違いない。 また、不測の事態に際して、放射線を発するのを止めようとしても、容易にはいかない、つまりいざというときに制御しきれないというところは、放射線とか原子力施設への不安をあらわしていると見ていいでしょう。じっさい、物語のはじめの方では、村人たちが被害者の不審死の原因を基地にあると見ています。これも一面、正しかったわけですよ。 さて問題の、基地が発する放射線をエネルギー源として実体化した怪物。最初は見えない存在。それが、東西冷戦下での仮想敵を可視化するためのレーダーの実験の影響で実体化・さらに可視化されるというのも設定の妙ですが、そもそもが人間の思念が実体化したものであるというのは、一見して、「イドの怪物」がアルタイル第4惑星で暴れ回る「禁断の惑星」"Forbidden Planet"(1956年 米)を連想させますね。 ここでは、人間の潜在意識を実体化させたところがミソ。なにしろ脳味噌ですから(笑)それが原子力施設から発している放射線で実体化したということは、これもまた核の脅威なんですよ。だって、アメリカをはじめとする各国は核の平和利用を訴えていたわけですからね。それが人間に制御できるのか、思わぬ副作用を及ぼすのではないか、という不安です。この怪物が人間(ウォルゲート教授)の思念が実体化したものであり、教授はこの実験に際して、「人類に有益な生き物として実体化させること」を考えていたのに、その実体化した生き物は教授の手に負えるものではなかった、というのは、核の平和利用を謳うことに対する疑念があらわれているのでしょう。 さらに、20世紀人はもうフロイトも知っていますからね。ましてや二度の世界大戦、ナチスドイツの蛮行・・・人間には深層心理というものがあって、そこは善悪の判断基準なんか通用しない無法地帯なんじゃないか、人間精神というものは、そんなに希望に満ちたものなのかどうか、社会が進化してゆくなんて幻想なんじゃないか・・・20世紀はそんな疑いを抱くようになった時代なんですよ。だから、人間の、それも立派な科学者の思念が実体化したところで、それが自らの生存本能で暴走したって不思議ではない、むしろ「やっぱりそうか」ということなんです。ただし、これはウォルゲート教授のダークな側面の実体化ではありません。二重人格の物語ではないんですから。原題だって"Fiend without a Face"でしょ。顔がない、つまり脱人格化されているんです。だからこの怪物は、あくまで創造者によるコントロールが及ばない、それ自体が暴走して人間に危害を加えるという、核の象徴であると見るべきでしょう。 それでも最後に大団円を迎えるというのは、まだ人間を信じているから。思えば、この核の脅威を象徴する物語の舞台をアメリカにせず、カナダにしたところがイギリスのアメリカに対する気遣いなのか、それとも、最後の大団円をアメリカのためにお膳立てすることに抵抗があったものか・・・(笑) 実体化した脳味噌が脊髄を引きずりながら尺取り虫みたいに這い回ったり、跳びはねたりする様は、ストップモーション・アニメ。おまけにこの脳味噌には触覚らしきものまでついています。見ようによっては滑稽な映像なんですが、そこは影を強調する照明や、恐怖に目を見開いた状態の死体の描写などで、陰惨な雰囲気を漂わせることで対応しています・・・というか、この時代としてはやり過ぎちゃったようで、イギリス本国では残酷すぎると公開前に一部がカットされ、アイルランドでは公開が見送られる始末。じつは我が国でも、公開時には43分の短縮版にされてしまっていたんですよ。 残酷っていうのはおそらく、このモンスターによる殺人シーンよりも、モンスターを銃撃したときの「ブチュッ」じゃないでしょうか。だって、脳と脊髄でしょ、弱点むき出し、物理的攻撃には滅法弱いわけですよ。はじめのうちは透明だったんですが、可視化されてしまうと、銃なりなんなりで破壊できる。これがまたミソで、つまり人体破壊を遠慮なく描写・映像化できる設定なんですよ。きっと、審査機関は「そうは問屋が卸すものか」とばかりに、filmにハサミを入れさせたのではないでしょうか。いま観ればおとなしいものなんですが、ずっと後に至るまで、イギリスは残酷描写には厳しい国ですからね。 その点、我が国は、「猥褻」と比較して残酷描写に関しては鈍感でしたから、世界中でカットだらけにされていても、videoとかノーカットの完全版で発売されていることが多かった。だから、日本人が海外のホラー映画ファンの催しに行くと、現地のファンにモテモテだったんですよ。で、名刺交換でもしようものなら、「『○○』のvideoが手に入らないか」とか「ダビングして送ってくれ」とか、手紙が来るわけです(笑) (おまけ) ウォルゲート教授のパイプが特徴的ですね。どうも台座に白いボウルが載っているように見えます。ちょっとHoffmann君に訊いてみましょう。 Hoffmann:モノクロ映画なので、クレイ・パイプ(素焼きのパイプ)の可能性もあるけど、おそらくこれはメアシャムのパイプじゃないかな。ボディ全体ではなく、ボウルの部分だけのようだから・・・かえってクレイ・パイプの可能性は低いと思う。 メアシャムとはMeer=海、Schaum=泡というドイツ語が語源で、海泡石とも呼ばれる白色の鉱物だ。産地は主にトルコを中心とした地中海沿岸地域、含水マグネシウムケイ酸塩を主成分とする粘土鉱物で、材質が柔らかく、細かい彫刻が施されたものも多いんだよ。煙草の味が軽ーくなるのが特徴だ。 しかしなんと言ってもメアシャム・パイプの魅力は、喫っているうちに白色だったものが、次第に金茶、そして赤茶、最後には黒褐色へと変化していくことだろうな。もっとも、黒褐色になるには、毎日使用しても何十年もかかるというから、一代では無理だ。欠点は、落としたりすると割れやすいこと、それに新しいうちは汚れやすくて、指紋などついたら、もうとれなくなってしまうことかな。だから最初のうちは真綿で包んで使うひともいる。 Parsifal:マウスピース、吸い口も黒くないようだね。 Hoffmann:吸い口はいまでアクリルが多いけど、昔はエボナイトだった。ところがメアシャム・パイプの場合、大昔は吸い口に琥珀が使われたりしていたんだよ。そんなのになると、もう中古品と言うより工芸品の扱いになるね。この映画で使われているものは、見る限り、そこまでのものではなさそうだ。 (Parsifal) 参考文献 とくにありません。 |