015 J・S・バッハの「マタイ受難曲」のdiscから その1 J・S・バッハの「マタイ受難曲」のレコード、CDはかなりの数所有していますが、別に数で自慢しようというのではありません。さすがに「マタイ受難曲」ともなると、作品が勝手に語ってしまうものがあるためか、ぜんぜんダメな演奏なんてそうはないんじゃないかと思うんですよ。以下に、いくつか取り上げてみましょう― 1 カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団 エルンスト・ヘフリガー(福音史家)、キート・エンゲン(イエス)、 イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ)、ヘルタ・テッパー(アルト)、 アントニア・ファーベルク(ソプラノ)、マックス・プレープストル(バス)、 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バス) ミュンヘン・バッハ合唱団、ミュンヘン少年合唱団(合唱指揮:フリッツ・ロートシュー) 1958年6~8月 ミュンヘン、ヘルクレスザール 独Archiv 2712 001 (4LP) stereo盤 独Archiv 14 125-8 APM (4LP) mono盤 いまさら言うまでもない、有名なレコードです。original盤ではありませんが、もちろんstereo盤も持っていて、しかし近頃はもっぱらmono盤、独プレス・第2版で聴いています。stereo盤でも鮮度の高い、たいへん優秀な録音なんですが、高域がやや硬質で、合唱などがフォルテでわずかに歪みっぽい。それがmono盤だと多少やわらげられるんですね。演奏の緊張感の弱まるようなことはなくて、むしろ、より求心的にさえ感じられます。EQカーヴはRIAAのようです。 Karl Richter 2 ウィレム・メンゲルベルク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 カール・エルプ(福音史家)、ウィレム・ラヴェッリ(イエス)、ジョー・ヴィンセント(ソプラノ)、 イローナ・デュリゴ(アルト)、ルイ・ヴァン・トゥルダー(テノール)、ヘルマン・シャイ(バス) アムステルダム・トーンクンスト合唱団、 ツァンクルスト少年合唱団 1939年4月2日 アムステルダム、コンセルトヘボウ live録音 mono 蘭H73 AX310 (3LP) 問題の(笑)メンゲルベルク盤です。いま聴いても感動的です。メンゲルベルクに関しては、なにもバッハに限らず、ベートーヴェンでも、ブラームスでも、チャイコフスキーその他の作品でも、ほとんど「デフォルメ」と言いたいくらいの演奏になっているんですが、たまに引っ張り出して聴いていると癖になってしまって、サイクルが巡ってくるように、しばらくメンゲルベルクばかり聴いてしまう時期があります。なお、これくらい録音が古くなると、EQカーヴはRIAAでもNABでも、あまり変わりませんね。 「マタイ受難曲」とは関係ない話ですが、メンゲルベルクは第二次大戦後は戦犯として演奏活動が禁じられていたところ、1952年からの音楽活動再開が決まり、しかしその前年に亡くなっているんですよね。歴史というのは不思議なもので、たしかにこの指揮者の音楽作りが1952年以降に主流になるとは思えないし、果たして通用したものかどうかも疑問です。フルトヴェングラーだって、1954年に亡くなっていますよね。逆に、新即物主義と言われたカール・ベームなどは長生きしている。そうした音楽家の生死がその後の演奏様式の流れを作ったのか、あるいは流れに従って、人の生死が分かれたのか・・・。 3 ルドルフ・マウエルスベルガー指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 ペーター・シュライアー(福音史家)、テオ・アダム(イエス)、アデーレ・シュトルテ(ソプラノ)、 アンネリース・ブルマイスター(アルト)、ハンス=ヨハヒム・ロッチュ(テノール)、 ジークフリート・フォーゲル(バス)、ヘルマン・クリスティアン・ポルスター(バス)、 ギュンター・ライプ(バス) ライプツィヒ聖トーマス教会合唱団(合唱指揮:エアハルト・マウエルスベルガー) ドレスデン聖十字架教会合唱団(合唱指揮:ルドルフ・マウエルスベルガー) 1970年、ドレスデン、ルカ教会 stereo 東独ETERNA 826141-144 (4LP) 日コロムビア OP-7173~40-K (4LP) 上記国内盤は、私がはじめて聴いた「マタイ受難曲」のレコードです。ドレスデン聖十字架教会合唱団の来日公演、東京カテドラル聖マリア大聖堂での「マタイ受難曲」を聴きに行く前に、予習のため繰り返し何度も聴いた思い出のあるレコードです。同じ合唱団だからこのレコードを選んだわけではなくて、あまり強烈な個性の強そうなレコードよりは、しみじみ聴くことができそうなものを・・と思って選んだのですが、これは正解でした。現在はその後入手した東独ETERNA盤で聴くことが多いのですが、国内盤でもそう悪いことはありません。残響たっぷり、ソフトな録音で、合唱団の人数はこの時代にしてはさほど多くないようです。歌手はシュライアー35歳、アダム44歳とあって、若々しいですね。シュトルテもすばらしく、ブルマイスターは若い頃から落ち着きのある声ですね。 ちなみに東京カテドラル聖マリア大聖堂(長い名前だな)で聴いたときの指揮者はマルティン・フレーミヒ、イエスはテオ・アダムが歌っていました。例の第47曲のアリアでは、オブリガートのヴァイオリンが立ち上がって演奏していました。譜面台を高く調節するのに結構時間がかかって、なかなか始まらなかったことを覚えています。 4 カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団 ペーター・シュライアー(福音史家)、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(イエス)、 エディット・マティス(ソプラノ)、 ジャネット・ベイカー(アルト)、マッティ・サルミネン(バス) ミュンヘン・バッハ合唱団 レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊(合唱指揮:ゲオルク・ラッツィンガー) 1979年6月14-16、23-7月1日、8月18日 ミュンヘン、ヘルクレスザール stereo 日Archiv MAF8142/52 (4LP) リヒターの再録音です。当時愉しみにしていて、発売日当日に購入した国内盤です。リヒターは本演奏の2年後に54歳で亡くなっているので、最晩年の演奏ということになりますね。礒山氏をはじめ、概ね評判のよろしくない演奏なんですが、私は満更悪くないと思っています。おそらく古楽器演奏に対するアンチテーゼという意図があって、わずかに誇張があるようにも感じられますが、その方向性において、完璧に近いと思います。シュライアーはその後、ことさらにドラマティックに演出した歌唱となりますが、これはその直前くらい。F=ディースカウはあまり好きではない歌手ですが、その他はサルミネンを除いて上出来。 問題は録音で、1958年盤の鮮度の高さには遠く及ばず、音場感も不自然。傷だらけのレンズで撮影した写真みたいな、もわーんとしたソフトフォーカスで、見通し、透明度ともに不足気味。これが「ロマン主義への回帰」なんて印象を生んでしまった原因になっているんじゃないでしょうか。しかしその点を考慮して耳を傾ければ、それなりの緊張感を保っており、数ある「マタイ受難曲」のレコードの中でも、上位に位置付けられるものだと思います。 その後、リヒターの来日が予定されて、「ヨハネ受難曲」のチケットを入手していたのですが、直前に急逝したため、とうとうリヒターをナマで聴くことができず。ちなみにこのとき代役で来日した指揮者はギュンター・イェーナでした。 5 ヘルムート・リリンク指揮 シュトゥットガルト・バッハ・コレギウム アダルベルト・クラウス(福音史家)、ジークムント・ニムスゲルン(イエス) アーリン・オージェ(ソプラノ)、ユリア・ハマリ(アルト)、アルド・バルディン(テノール)、 フィリップ・フッテンロッハー(バス) シュトゥットガルト・ゲヒンガー・カントライ 1978年3月22-23日、26-31日、4月6-9日、5月16-17日 シュトゥットガルト、Gedaechtniskirche stereo 日CBS Sony 00AC 430~3 (4LP) 「3」でドレスデン聖十字架教会合唱団の来日公演を聴きにいった話をしましたが、同じ時期にリリンクも来日して「マタイ受難曲」を演奏しているんですよ。ちょうどこのレコードが発売されたのに合わせての来日でした。それでリリンクのレコードは聴いていませんでしたが、そちらの公演に行こうと思ったら、チケットが売り切れ。そうなるとなにがなんでも「マタイ受難曲」をナマで聴きたい気持になって、上記ドレスデンのチケットを購入したんですね。もちろん、ドレスデンの公演を聴いて、いい体験をしたな、と思っていたんですが、リリンクの演奏も聴いてみたくなって、後から入手したレコードです。 緊張感のある演奏ですが、リヒターのような厳しさは感じられず、求道的でむしろ情感豊かな印象。なによりアンサンブルのよさが際立っています。ところが、録音がなんとも独特で、ソロの歌手は左チャンネルにかたまっていて、合唱は左右チャンネル。ソロと合唱になると、今度は合唱はもっぱら右で、左のソロとのかけ合いになります。stereo録音というより、monoの2チャンネル録音という感じ。クラウスのエヴァンゲリストは、淡々と歌って黒子に徹しているかのよう、おかげであまり評判がよろしくないんですが、これはこれでひとつの方法なのかなとも思います。 6 ニコラウス・アーノンクール指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 クルト・エクヴィルツ(福音史家)、ローベルト・ホル(イエス)、アーリーン・オージェ(ソプラノ)、 シェリー・グリーナヴァルト(ソプラノ)、ヤトヴィガ・ラッペ(アルト)、 ニール・ローゼンスハイン(テノール)、 ルード・ヴァン・デル・メール(バス)、アントン・シャリンガー(バス) アムステルダム・コンセルトヘボウ合唱団 ハーレム聖バーヴォ大聖堂少年合唱団 1985年3月31日 アムステルダム live stereo 独TELDEC 6.35668GK (3LP) アーノンクール2回目の録音。コンセルトヘボウのホール改修の費用に充てるためのコンサートのlive録音。限定発売でその後再発売されず、CD化もされていません。どうもアーノンクールが「なかったことにしたい」演奏のようですね。 しかし、アーノンクールにとっては不徹底だったのかもしれませんが、それがかえって、「鮮烈すぎない」結果に至って普段着的な「マタイ受難曲」となっているところが捨て難いと感じられます。なんかね、指揮者をはじめ福音史家や合唱団の熱演を大オーケストラがやんわりと支えていて、そのコントラストがいいバランスになっているような気がするんですよ。 7 アンソン・ファン・デア・ホルスト指揮 ハーグ・レジデンティ管弦楽団 トム・ブランド(福音史家)、 ローレンス・ボフトマン(イエス)、 エルナ・スポーレンベルク(ソプラノ)、アニー・ヘルメス(アルト)、 アリャン・ブランケン(テノール)、 グース・ヘクマン(バス)、ダヴィド・ホーレステレ(バス) オランダ・バッハ協会合唱団 / アムステルダム平和学校少年合唱団 1957年4月12日(19日?) ナールデン、聖ヴィトス教会 live録音 mono 独Telefunken LT 6598/6601 (4LP) Telefunkenがオランダのナールデンで録音したのか、あるいは権利を買ったのか、よくわかりません。私が持っているのはmono盤なんですが、stereo盤も存在するらしい(1970年頃発売されたSKLP 4130-3)。 オランダ・バッハ協会は1921年、少数の音楽家が立ち上げた、バッハの時代の演奏スタイルへ立ちもどろうという目標を掲げた団体です。もちろん、オランダにおいてこのような目標を掲げるということは、それこそウィレム・メンゲルベルクのようなアムステルダムでの「マタイ受難曲」の演奏に異議を唱えているということでしょう。小編成のアンサンブルでのバッハ演奏は、当時としては画期的な試みであったと思われます。その活動は現在に至っており、このオランダ・バッハ協会の「マタイ受難曲」は、いまもなお、毎年ナールデンの大教会にて演奏されているそうです。このバッハ協会を率いてきた指揮者たちは、設立当初から順に、ヨハン・スホーンデルベーク、エヴェルト・コルネリス、アントン・ファン・デア・ホルスト、シャルル・デ・ヴォルフ、ヨス・ファン・フェルトホーフェンなど。 ・・・とはいえ、ピリオド楽器を使用しているわけではなく、このレコードではオーケストラの編成も大きく、合唱団もそれなりの人数のようです。ヴァイオリンのメンバーにはHermann Krebbers、Theo Olofの名前が見えます。リヒター旧盤と1年違いの録音ですが、リヒターのような「世に問う」ことを意識した「挑戦的」な演奏ではなくて、ヨーロッパの小都市における伝統の教会音楽という印象。折り目正しく、どことなく、「手作り感」のある心のこもった演奏は好感が持てます。歌手は突出した人もいませんが、一応の水準を保っています。mono盤ですが良質な録音で、monoであるが故に不自然さもありません。stereo盤も聴いてみたいですね。EQカーヴはDECCA ffrr。 Anthon van der Horst 8 フリジェシュ・シャンドール指揮 ブダペスト・フランツ・リスト室内管弦楽団 ツェーガー・ヴァンデルシュテーン(福音史家)、イシュトヴァーン・ガーティ(イエス)、 マグダ・カルマール(ソプラノ)、ユリア・ハマリ(アルト)、エルンスト=ゲロルト・シュラム(バス) 国際青少年音楽協会合唱団 ブダペスト音楽学校少年合唱団 1976年5月23日 stereo Hungarian Radio at the ConcertでのLiszt Ferenc Music Akademy、Budapest主催によるlive録音 洪Hungaroton SLPX 12069-72 (4LP) ハンガリーで発売された初の「マタイ受難曲」の全曲録音。ドイツ語歌唱。シャンドールは1905年ブダペスト生まれのハンガリーの指揮者・ヴァイオリニストで、ブダペスト・フランツ・リスト室内管弦楽団の創設者でもあります。亡くなったのは1979年。 エヴァンゲリストのヴァンデルシュテーンが熱演。さすがにヘフリガーやシュライアーと比較しては気の毒ですが、あざとい感じがないので、好感が持てます。その他の歌手はイエス役のガーティはじめ概ね上質。ソプラノとアルトはなかなかの美声で、合唱も知情意の絶妙のバランスが上手い。録音が良好かつ音場感も自然なので、たいへん美しく聴こえます。EQカーヴはRIAAで問題ありません。 Frigyes Sandor 9 エドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 エルンスト・ヘフリガー(福音史家)、ハインツ・レーフス(イエス)、 エルナ・スポーレンベルク(ソプラノ)、アニー・ヘルメス(アルト)、 シモン・ファン・デル・ギースト(テノール)、 デイヴィッド・ホルレステーレ(バス)、ハンス・ヴィルブリンク(バス) Het Jongenskoor van Zanglust Choirmaster:Willem Hespe Het Toonkunstkoor van de Afdeling Amsterdam 1958年3月30日 アムステルダム、コンセルトヘボウ大ホール live mono Audiophile Classics APL-101.302 (3CD) CDもひとつ―リヒターによる最初の録音と同じ年のlive、しかもエヴァンゲリストがヘフリガーです。録音は貧しいものですが、メンゲルベルクとはかなり異なって、悠然としたテンポの穏健派。とはいえ、さすがベイヌム、淡々とした叙事的な進め方ながら、指揮者の刻印は明らかです。楽曲が進行するにつれて熱を帯びてきます。ヘフリガー、レーフスに加えて、私の好きなスポーレンベルクの歌が聴けるのがうれしいですね。 レコード(LP)を再生した装置について書いておきます。 今回、stereo盤はThorens MCH-IIで、mono盤はメンゲルベルク盤とファン・デア・ホルスト盤ではortofon CG 25 D、リヒター旧盤ではMC Cadenza Monoを使いました。スピーカーはTANNOYのMonitor Gold10"入りCornettaで、mono盤は部分的にSiemensのCoaxialでも聴いています。 また、EQカーヴはRIAAで疑問を感じたものは適宜ほかのカーヴを試して、結果は記載してあります。 (Hoffmann) |